第395話 帰ってきたレイリューン司教



View of マハルタ=レイリューン フェイルナーゼン神教司教 革新派






 エインヘリアにて奇跡的な邂逅を果たしてからおよそ一か月半程をかけて、私は聖地へと戻ってきてまいりました。


 エインヘリアに向かった時の半分以下という時間で戻って聖地まで戻ってこられたのは、早くエインヘリアの事を報告したいという強い思いがあったというのもありますが、それ以上にやはり魔力収集装置による転移によって、帝国の北部まで一瞬で移動出来たからですね。


 しかし……エインヘリア国内を二か月程旅したから余計に、北方諸国の貧しさが目立ちました。


 いえ、これこそがこの大陸における普通ですね。


 暫くエインヘリアという理想に浸っていた為に、色々と感覚がおかしくなっていたのでしょう。


 私達はこの現実を、理想の世界へと変える為に活動してきたのです。


 そして、それには……エインヘリアの力が必要不可欠。


 いえ、エインヘリアの力さえあれば実現可能……私はそう確信して聖地へと戻ってきたのです。


 早く枢機卿猊下にエインヘリアの事をお伝えしたい。


 そして、少しでも早く多くの国に魔力収集装置を……。


 そんな風に気が逸った私は、旅装を解いてすぐに枢機卿猊下に面会の申し入れを行いました。


 猊下は本日聖地にてお務めを果たされているとの事なので、恐らくすぐに面会は叶うでしょう。


 流石にエインヘリアの件は枢機卿猊下に報告するだけでは済まないでしょうし、他の枢機卿のお歴々や教皇猊下にもご説明せねばならない筈。


 出来る限り事を早く進めたくはありますが……流石にここまで大きな話となると、早くても数か月から一年くらいは本決まりまでかかるかも知れません。


 ポーションも魔力収集装置も、早ければ早い程多くの民を不幸から救うことが出来る代物です。


 どうにか迅速に事が進められれば良いのですが……。


 私が、キリク殿より頂いた資料を準備しながら今後の事を考えていると、扉がノックされ外から声がかかる。


「レイリューン司教、プリオラン枢機卿猊下がお呼びです」


「すぐに参ります」


 急ぎ資料を纏めた私は、迎えに来た助司祭の後に続き枢機卿猊下の部屋へと向かいました。



 



「長旅、ご苦労様でした。無事帰ってきたことをまずは労わせてください、レイリューン司教」


「ありがとうございます、プリオラン枢機卿猊下。今回の旅は本当に実りの多き旅となりました」


 書類に埋もれる執務机の向こう側で、プリオラン枢機卿猊下が穏やかな笑みを浮かべながら立ち上がり、ねぎらいの言葉をかけてくれました。


 私はすぐに拝礼をしながら礼を述べますが、枢機卿猊下は楽にして良いですよと言って私にソファを勧めてくれます。


「ふふっ……本当に良い旅だったようですね。これほど上機嫌な貴方を見るのはいつ以来でしょうか?」


「そ、そんなに顔に出ていますか?」


「えぇ」


 目を細めながら、嬉しそうに笑う枢機卿猊下を見て、私は少なくない羞恥を覚えます。


 プリオラン枢機卿猊下には、私がまだ助司祭だった頃から目をかけて頂いており……私にとっては父親のような存在です。


 もう七十近いお年ではありますが、枢機卿という立場にありながらも、未だに政務の合間を縫って奉仕活動や農業に従事されるような方で、正直お付きの助司祭達は気の休まる時が無いですね。


 私も昔は助司祭として、当時司教だったプリオラン枢機卿猊下に色々と鍛えて頂きましたが……この年になってもまだ子供のように扱われてしまうと、嬉しさよりも恥ずかしさの方が勝ってしまいますね。


「しかし、随分と早い戻りですね?二年くらいはかかるかと思っていたのですが……」


「はい。私も当初はそのくらい時間をかけて往復する予定だったのですが、エインヘリアに到着してから予定が大幅に狂ったのです」


 私の言葉に、プリオラン枢機卿猊下は少し表情を硬い物に変えました。


 しかし、まずは誤解されることを覚悟で、ありのままをお伝えしようと思います。


「帝国を越え、南の小国を抜けるまではほぼ予定通りの旅路で、およそ四か月かけてエインヘリアの国境まで辿り着きました。道中では何度か炊き出しや医療活動を行い、フェイルナーゼン神の御慈悲を広く伝えることが出来ました」


「それは大変喜ばしい事ですが……エインヘリアとの国境に辿り着いた時点で四か月ということは……もしや、入国が認められなかったという事ですか?」


「いえ、入国の許可は驚くほど簡単に……私が来ることを知っていたかのようにすぐ出ました」


「スラージアン帝国から話が回っていたのでしょうが……そうですか。その様子だと、エインヘリアは我々に対して好意的であったということですね」


 満足そうにプリオラン枢機卿猊下が頷き、その事自体は間違っていないので私も力強く同意する。


「はい。そして、エインヘリアに入国したのですが……そこで見た光景は、正に理想郷と呼ぶにふさわしいものでした」


「理想郷……ですか?」


「はい。小さな村も大きな街も……エインヘリア国内のありとあらゆる集落で、民は心の底からいきいきと暮らしているのです。治安は驚くほど良く、民の経済状況も、健康状態も他の国の民とは比べ物にならない程良いのです」


「エインヘリアは戦争を繰り返し、領土を拡大し続けている国。元占領地の民をそこまで優遇しているとは考えにくいのですが、帝国とほど近い北方は示威も含めて優遇しているのでは?」


 プリオラン枢機卿猊下のお考えはもっともと言えます。


 私もエインヘリアに入国してすぐの頃は、同じように考えていましたから。


「それが違うのです。国境からどれだけ離れようと、そして村の規模がどれだけ小さかろうと関係なく、エインヘリアは全ての民を慈しみ、幸福へと導いているのです」


「俄かには信じがたいですが……」


「公共事業と称し、多くの民に国から仕事を……しかも子供や女性、怪我や病気等の理由で就労の難しい者達にも、彼らに出来る様な作業を斡旋しているのです」


「それは素晴らしいですね……」


 驚いた表情を見せるプリオラン枢機卿猊下に、自分が成した事ではないにも拘らず微妙に誇らしさを覚えてしまいます。


「大きな街でもスラムはほとんど姿を消し、国内の孤児院は全て国営にして、更にそこでは子供達に読み書きや計算等を教えているそうです」


「……」


「公共事業によって整備された街道は非常に移動しやすく、また治安も非常に良かったため、国境からエインヘリアの王都まで、予定していた半分以下の時間で辿り着くことが出来ました。まぁ、途中で寄った村や街で医療活動や炊き出し等が一切必要なかった事もあり、ほぼ素通りしたと言うのも大きいのですが」


「なるほど……確かに、レイリューン司教が理想郷と言ったのも大げさな表現ではないかもしれませんね」


 プリオラン枢機卿猊下は少々呆気にとられたような表情を見せましたが、すぐに普段通りの柔和な笑みを見せてそうおっしゃいます。


 しかし……本番はこれからです。


 私はポーションの件……そしてそれを譲り受ける条件として、魔力収集装置の設置を求められたことをプリオラン枢機卿猊下へと報告しました。


 始めは意味が分からないと言った様子のプリオラン枢機卿猊下でしたが、キリク殿から頂いた機能一覧、そしてそこには書かれていない効果について説明すると、プリオラン枢機卿猊下の顔色が一気に変わりました。


「レイリューン司教。この件はすぐに教皇猊下へと報告する必要があります。それと、急ぎ枢機卿を集めます。外に出ている者もいるのですぐに集まるとは行きませんが、可能な限り早く戻ってくるように連絡しましょう。これは最優先で……迅速に動かなければならない話です」


「はい。私もそう思います」


 私が真剣な表情で頷いて見せると、プリオラン枢機卿猊下は立ち上がり、執務机に埋もれていたベルを鳴らし控室にいる助司祭を呼びました。


「教皇猊下にレイリューン司教と共に拝謁賜りたいと伝えて下さい。緊急の要件であることも」


 プリオラン枢機卿猊下に命じられた助司祭は、少し緊張した面持ちを見せながら部屋から出て行きました。


 教皇猊下は基本的に総本山から出る事は無いので、拝謁はすぐに叶うはずです。


「忙しくなりそうですね」


 執務机に積まれた書類を見ながら、プリオラン枢機卿猊下が苦笑されます。


 山積みになった書類を見れば、現時点でプリオラン枢機卿猊下がどれほど忙しいのかはすぐに分かりますが……ここに更に仕事を押し付けなければならないことに罪悪感を覚えます。


「ですが、これは間違いなく、我々フェイルナーゼン神教にとって大きな一歩となります。エインヘリア王陛下……機会があれば私も話をしてみたいですね」


 しかし、プリオラン枢機卿猊下は晴れやかな笑みを見せながらそうおっしゃられました。


「今後のエインヘリアとの関係を考えれば、恐らくその機会はあるかと思います。正直、私は圧倒されっぱなしで、まともにエインヘリア王陛下と会話をすることが出来ませんでしたが……」


「ふふっ……それは残念でしたね。レイリューン司教が絶賛する、エインヘリアの街や村も見てみたいですし……その、転移というものを使って視察させて貰えたり出来るのでしょうか?」


「恐らく……エインヘリア王陛下でしたら、快く許可を出して下さると思います」


「楽しみですね。理想を実現させた現実主義……矛盾をそのまま飲み込み、叶えたその手腕。まるで物語の登場人物のような王。一体どのような方なのか、本当に興味は尽きませんが……一番気になるのは、どうしてそこまで魔王の魔力について情報を持っているか、ですね」


 プリオラン枢機卿猊下の言葉に、今更ながら私はその事に気付く。


 確かに、我々フェイルナーゼン神教が数千年に渡り秘匿して来た情報を、かなり深い所までエインヘリア王陛下は知っていました。


 あの時は圧倒されっぱなしで、そこまで頭が回っていませんでしたが……確かにどうやってあれほどの情報を得ることが出来たのでしょうか?


「我々が長年研究を続けて、対処法の一つも発見出来なかった魔王の魔力。エインヘリアがどれだけ研究をしたのかは分かりませんが、我々よりも長くという事はないでしょう。あっさりと先を行かれてしまったのは……なんとも立つ瀬がないと言いますか……研究を取り仕切っているゼウロン枢機卿は荒れそうですね」


 デニス=ゼウロン枢機卿猊下は、伝統派にして対魔王の魔力研究の責任者をされておられる方で……少々気難しいタイプの方です。


 魔力収集装置の設置について揉めるとすれば、恐らくゼウロン枢機卿になるのでしょうか?


 技術的な話になると私はさっぱり分かりませんし……エインヘリアの方にご助力して頂く必要があるかも知れませんね。


 そんな風に、プリオラン枢機卿猊下と今後について少々打ち合わせを進めていると、先程出て行った助司祭が部屋へと戻って来て、教皇猊下への拝謁の許可が下りたと教えてくれました。


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