第389話 大事なのは後方確認
View of マハルタ=レイリューン フェイルナーゼン神教司教 革新派
「金銭による対価は。そうおっしゃいましたね?どのような対価をお支払いすればよいのでしょうか?」
「それなのですが……大した対価ではありませんよ。いえ、寧ろ貴方達教会の真の教義からすれば、こちらが本題と言えるかもしれません」
「本題……ですか?」
キリク殿の言葉に私は少し首を傾げる。
非常に不安を覚えますが……話を聞かない事にははじまりませんね。
「えぇ。しかし、本当に驚きましたよ。いえ、教会に表向き以外の教義がある事は分かっていたのですが……まさかその内容が魔王の魔力の事だったとは。本当に……恐れ入りました。己の至らなさに恥じ入るばかりですよ」
そう言って苦笑するキリク殿ですが……その言葉の意味は理解出来ません。
一体何故キリク殿は自嘲するような……?
「失礼いたしました。レイリューン司教は、魔力収集装置というものを御存知ですか?」
「……確かエインヘリアが各集落に設置している魔道具ですね。ですがその機能については寡聞にして存じません」
話が急に変わりましたが……いや、キリク殿が脈絡もなくこんな話を始める訳がありませんし……おそらくポーションの対価に繋がっていくのでしょう。
私の返答を聞いたキリク殿は小さく頷くと、私に一枚の紙を差し出しながら話を続ける。
「そちらに書いてあるものが魔力収集装置の基本的な機能になります」
確認してくださいと最後に言ったキリク殿に従い、私は魔力収集装置の機能一覧に目を通したのですが……。
「こ、これは……」
「信じられないですか?」
「い、いえ……そのような事は……」
そう口にした私でしたが、ここに書かれているものはどれも荒唐無稽という言葉が相応しい内容です。
「周囲に暮らす民から余剰魔力の吸収、拠点間の転移機能、拠点間通信機能、装置本体を守る結界機能。どれも実稼働しているものです。魔力収集装置と飛行船の存在が今のエインヘリアの基盤となっております」
「エインヘリアが急激に領土を拡大しながらも、地方の村にまで完璧な形で統治が行き届けることが出来ているのは、この魔力収集装置の機能によるものですか……」
本来であれば行政……国や領主の目は、地方まで絶対に届きません。
小さな村は村長が治め、年に二度ほど徴税官が訪れるだけという事はけして珍しくない。
上位の権力者の目が届かなければ、中間の者や下位の者達がやりたい放題を始め、秩序は乱れ治安は悪化し不満が溜まっていきます。
その結果、生産性が落ち、税が納められなくなり、税の取り立てから逃げるように野に下り……野盗となるか魔物に襲われるか、そういった末路もまた珍しい話ではありません。
しかし、私達がエインヘリアで見てきた村には、そういった逃げ場のない閉塞感や鬱屈した雰囲気が一切見られず、寧ろ明日への活力に満ち溢れたものでした。
いえ、村だけではなく街でも同じような感じでしたね。
全てはエインヘリアの政策によるものですが……それを支えているのが、転移と通信機能なのでしょう。
移動時間をほぼゼロとするこの機能は、緊急時の対応はもとより、平時における不正の監視という意味で相当強力なカードとなります。
不正というのは隙があるから行われる物です。
閉ざされた空間ではなく、風通しが良く常に上役が訪れるかもしれない場所で、不正をしようなんて考える人はいません。
これも、エインヘリアの治安の良さの理由の一つなのですね。
「えぇ。レイリューン司教のおっしゃる通りです。有事の際は、この城にいる将が兵を率いて現場に直接乗り込むことが出来ます。例えば魔物による襲撃があった際、通信機能を使い救援を求めれば、即座に軍が派遣される仕組みとなっております」
「……素晴らしいですね。移動時間をなくし、兵糧も最低限携帯しておけば、後からいくらでも好きな場所から送り込むことが可能というわけですか」
聖騎士を派遣する際に毎回問題になる移動と兵糧の問題……それがエインヘリアでは問題にすらなり得ないという事。
エインヘリアが瞬く間に他国を併呑出来る訳ですね。
軍の常識が違い過ぎます。
エインヘリアと事を構えるなら、まずは全ての常識を捨てるところから始めなければならないでしょうが……それはどれだけの傑物であったとしても無理でしょうね。
エインヘリアの事を良く知らなければ、常識を捨てるという発想はそもそも生まれないでしょうし、エインヘリアの事を良く知っていれば、そもそも敵対することを避けるのが得策だと考えるのが当然です。
この国の事をよく知った上で戦いに踏み切ろうとするのであれば、それは自殺以外の何物でもないでしょう。
仮にこの国に攻め込んだとして……国境の砦一つでも、落とすことが出来たら大金星ではないでしょうか?
まず、援軍が来る前に速攻で攻め落とすという手がエインヘリアには効きません。
敵影が見えた時点で援軍は各地から一瞬で送り込まれるのですから。
次に正攻法による砦攻め、これも厳しいでしょう。
砦攻めとは敵兵を負傷させ疲労させ、戦力を削いでいき煮詰まったところで攻め落とすというのが基本です。
魔力収集装置によって負傷兵をどんどん入れ替えられるエインヘリアは、全ての兵が初日と変わらぬコンディションで戦い続けることが出来るでしょう。
そして、兵糧攻め……これはもうやるだけ無駄と言うものです。
どれだけ籠城した所で、エインヘリアの水や食料が尽きる筈がありません。
確実に遠征軍が先に干上がることでしょう。
突破の可能性があるとすれば、儀式魔法による攻撃か英雄を投入してのゴリ押しでしょうか?
ですが、その英雄もエインヘリアには複数人存在するでしょうし……砦には儀式魔法に対する対抗手段が準備されているのが普通で、あまり効果は望めないでしょう。
考えれば考える程、無謀ですね……。
「以前は魔物や野盗による襲撃で、村に軍を派遣することもありましたが、最近では殆どありませんね。勿論、新しく併合した地域や属国は別ですが」
「野盗は分かる気がしますが……魔物の襲撃等も減っているのですか?」
エインヘリアの景気や治安を見れば、野盗が減るというのは分からなくもないのですが、魔物はいくら治安維持に努めたとしても根絶は難しいものがあります。
人が住んでいる場所というのはこの広い大地の一部に過ぎず、広く生息域が分布している魔物を倒しきる事は不可能と言えましょう。
いくらエインヘリアの軍が即応力があるとは言っても、それは魔力収集装置を設置してある集落に限る筈。
森深くや山の上など、人が入り込めない場所にこそ魔物達の巣窟は存在するのです。
「えぇ。実は、先程渡した魔力収集装置の機能一覧ですが、実はまだ公表していない機能……いえ、効果があるのです」
「公表していない機能、ですか?」
「魔力収集装置は……魔王の魔力への対抗手段、その最適解なのですよ」
魔王の魔力の対抗手段……?
「……え?」
「魔王の魔力の対抗手段です。魔力収集装置を設置し、その傍で暮らすことによって、全ての民は魔王の魔力から守られて生きることが出来るのです」
「っ!?」
キリク殿の言い含めるような言葉に、私は椅子を蹴飛ばして立ち上がってしまいました。
どこか遠くで……椅子の倒れる音が聞こえましたが、今の私はそれ所ではありません。
魔王の……魔力……対抗……?
魔力収集装置……エインヘリアが……?
どういう……?
「……ですか?レイリューン司教、大丈夫ですか?」
何処か遠くから聞こえて来た声に、私は少しのあいだ自失していたことに気付き慌てて頭を下げる。
「し、失礼いたしました」
謝りながら私は座ろう腰を下ろし……そのまま後ろにひっくり返ってしまいました。
い、椅子がない!?
慌てて周囲を見渡すと、先程まで私が座っていた椅子が倒れているのが目に入りました。
そ、そういえば先程立ち上がった時に、椅子が倒れるような音がしたような……。
急ぎ椅子を元に戻し私は椅子に座り直しましたが……あまりの失態に顔がほてっているのが触らずとも分ります。
で……ですが!
今はそれ所ではありません!
「失礼いたしました。キリク殿、魔王の魔力から守られるというのはどういう意味でしょうか?」
そう。
今はそれを聞くのが最優先です!
「そのままの意味ですよ。魔力収集装置の傍で暮らす者は、人族であろうと妖精族であろうと、けして狂化することはありません」
「っ!?」
「勿論それだけではありません。一度狂化してしまった妖精族。彼らを正気に戻すことも可能となっております」
「……」
……な、なんと。
信じられません……。
いや、ここでそんな嘘をつくはずがありません……それを口にしたのは、エインヘリア王にこの場を任せられたキリク殿。
それは即ち、王の言葉を代弁しているという事です。
そこに一切の欺瞞も見栄もないであろうことは、エインヘリア王の御姿を見れば分かります。
そう。
ただ悠然と、何でもない事のようにキリク殿の言葉を聞く姿が、その言葉が紛れもない真実だと告げています。
私は……私は、エインヘリア王……陛下の御姿を見て、滂沱の如く涙があふれ出るのを押さえられませんでした。
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