第385話 お宅訪問:謁見



View of マハルタ=レイリューン フェイルナーゼン神教司教 革新派





 こ、これは……なんということでしょうか……。


 重厚な扉の先に広がる荘厳な玉座の間。


 どんな国であっても、玉座の間はその国の威信をかけて誂えられる、その国の権威その物といった佇まいをしています。


 謁見の間を縦断するように惹かれた絨毯と、それを挟むように重臣たちが並び、最奥には玉座。


 作り自体は他国のそれとあまり変わりはありません。


 しかし、自ら光を放つかの如く磨き抜かれた床に柱に壁……そこから感じられるのは、謁見の間に訪れた他者を圧倒、威圧するものではなく……これ以上ない程の敬意。


 玉座の間の……いや、この国の王に対する圧倒的な敬意がこの場を満たしているように感じられるのです。


 清涼で真摯的な……それでいて深く熱い情熱を玉座の間という建築物だけで感じさせられたのです。


 玉座の間に足を踏み入れる前にこれだけの事を感じさせるエインヘリア王……私はエインヘリアという国を見てその智謀にばかり目が向いていましたが……この空間を作る事の出来る求心力をも兼ね備えているという事ですね。


 一体……エインヘリア王とはどれほどの人物だというのでしょうか。


 玉座は遠く、まだエインヘリア王の御姿は私からは良く見えません。


 ですが、これ程までに出会う前より謁見することが待ち遠しくなる王は初めてです。


 私は高鳴る胸を押さえつつ、玉座の間に一歩足を踏み入れ……次の瞬間、体が強張り次の一歩が踏み出せないことに気付きました。


 な……何が!?


 私が不可解な現象に困惑していると、私のすぐ後ろから鋭く、しかし小さな声でディオラン殿が声をかけて来る。


「レイリューン司教!お気を確かに!気圧されているだけです!」


「う……っく」


「下腹に力を込めて、一歩だけ前へ。一歩前へ足を出すことが出来れば、そのまま進めるようになるはずです」


 ディオラン殿の言葉に、私は現状をなんとなく理解する。


 気圧された……?


 何に……?


 いや、今それは重要ではない。


 まずは一歩……一歩前に行かなくては。


 ディオラン殿の言葉通り、下腹に力を入れながら私は二歩目を踏み出す。


 すると、私の想いが足に伝わったのか、二歩目以降は普段通り足が前へと進みだしました。


「良かった。歩き方を忘れてしまったのかと思いましたよ」


 私は口を動かさぬように小声でディオラン殿に感謝を告げ、視線を少し下げながら前へと進んでいきます。


 静まり返った玉座の間を、エインヘリアの重鎮達に注視されながらゆっくりと進んでいき、程よい場所で立ち止まり拝礼の形を取りした。


「フェイルナーゼン神教にて司教という立場にてフェイルナーゼン神にお仕えさせていただいております、マハルタ=レイリューンと申します。此度はエインヘリア王陛下に拝謁賜りましたこと、恐悦至極に存じます」


「遠き地よりよく来られた、レイリューン司教」


 たった一言。


 そのたった一言で、私は心臓を直接握られたかのような……いや、息をすることすら許さないと言われ、それを私の意思ではなく体が受け入れてしまったかのような感覚に陥りました。


 意識はしっかりしている筈なのに、自分の身体が自分のものでは無い……いや、このままではマズい!


 私は頬の内側を思いっきり噛んで気付けをします。


 幸い私は顔を伏せているので、痛みに顰めた顔はエインヘリア王には気付かれていません。


「……顔を上げて構わない」


「御厚情痛み入ります、エインヘリア王陛下」


「あぁ……今の礼のしかたがフェイルナーゼン神教流か?あまり見ない形だな?」


 顔上げ、初めてエインヘリア王の姿を目にした私は、一瞬口内の痛みを忘れその姿に見惚れてしまいました。


 しかし、すぐにエインヘリア王に話しかけられている事を思い出し、慌てて口を開きます。


「はい。 フェイルナーゼン神への礼拝とは違いますが……」


「ふむ。いや、すまない。あまり北方の文化には詳しくなくてな。礼を失しているとは思うが、帝国が北方への道を塞いでいて確かな情報を得られにくいんだ」


 そう言って苦笑するようにエインヘリア王は言います。


 放たれる威圧感とエインヘリア王の見せる姿に凄まじいギャップを覚えますが、この方の本心は何処にあるのでしょうか?


 少なくない王を今まで見てきましたが……何もかもが違い過ぎて全く参考になりません。


 スラージアン帝国の皇帝でさえも、エインヘリア王の前では霞んでしまうのではないかという程の圧倒的な存在感。


 私程度がその本心を探ろうとするなど、まさに愚の骨頂といったところでしょうか?


「いえいえ、寧ろ標準的な礼ではなく、内輪で使い慣れている礼をしてしまった事、お詫び申し上げます」


 気分を害した様子には見えませんが、私は小さく頭を下げた後標準的な礼を見せます。


「くくっ……いや、本当に気にしないでくれ。俺は他国の文化や思想を出来る限り大事にしたいと考えている」


「そうでしたか」


 思想……その一言は明らかに私達の事、フェイルナーゼン神教を指しています。


 それと同時に、こちらの思想には踏み込んでくることは許さないという意思表示にも聞こえますね。


 尊重はする、しかし、踏み越えてくれば容赦はしない……そう言っておられると見て間違いないでしょう。


「このエインヘリアの王都に来るまで、陛下の築かれたこの国を色々と拝見させていただきました」


「ふむ?我が国はどうだったかな?」


「申し訳ありません、エインヘリア王陛下。私にはエインヘリアという国を的確に表現する術がございません。己の語彙の無さに不甲斐なさしか覚えませんが、ただ一言、素晴らしい国です」


「くくっ……賛辞に過度な装飾は必要ない。飾らない言葉の方が端的にその想いを伝えてくれるものだ」


 そう言って皮肉気に口元を歪ませるエインヘリア王。


 混じりけの無い本音のように聞こえますが……いや、それを素直に受け取るのはやめておいた方が良いでしょう。


 個人的にはエインヘリア王に好感はもっておりますが、私は今フェイルナーゼン神教を代表してここに来ている訳ですし……何より、エインヘリア王は相当頭の切れる方です。


 恐らく、この何気ない会話の中からこちらの情報を吸い上げているに違いありません。


 そして……エインヘリア王が一度我々の事を必要ないと判断すれば……。


「まさか、己の語彙の少なさに感謝する日が来るとは思いませんでした」


 私は沸き上がる不安を押し留めながら、笑みを絶やさずに言葉を続けます。


「長所や短所などというものは、場所や状況によって簡単に変わるものだ。俺は手札の一つとしてしか見ておらんよ」


「実に面白い意見だと存じます。ですが、いかなる状況下であったとしても、エインヘリアという国に短所があるとは思えません」


「ほう?」


 若干視線を怜悧なものにしたエインヘリア王がそう呟き、続けろと言わんばかりの笑みを見せます。


「失礼ながら……エインヘリア王陛下にとって、民とはどのような存在でしょうか?」


「民とは我々が庇護する存在であり、国そのものだ」


「慈愛に満ちた素晴らしい御意見かと存じます。私はエインヘリアという国を……そこに住む民達を見て、いたく心を揺さぶられました。国境を一つ越えただけで、そこに住む人々の表情が、活力が、姿が……その何もかもが違います。エインヘリアの民は希望に満ち溢れ、自分達の望む未来を描く下地を国から与えられているのです。それは、生活環境であり、金銭であり、立場であり、健康であり、安全であり、知識であり、未来です。はっきり申し上げて、私はエインヘリアに来るまで、この大陸のありとあらゆる国の姿が現実で、全ての民を救う等というのは理想でしかないと考えておりました。しかし、違いました……エインヘリアは、誰もが理想に過ぎないと開始地点に立つ事さえ諦めていた道を、踏破してみせたのです!勿論容易い道ではなかったでしょう。ですがこれ以上はないと言えるほどの完璧な形で現実のものとしたのです!まさに理想!まさに偉業!後にも先にもエインヘリアを置いて成し得ない!そう確信する次第です!」


「……そうか」


 私は一息に言葉を続けたのですが……ふと、熱が入りすぎたかもしれないと思い、一度心を落ち着けます。


 若干エインヘリア王の怜悧さが増したような感じもしますし。


「フェイルナーゼン神教では、民の救済を第一の教えとしております」


「そのようだな」


「フェイルナーゼン神の御心は尊きものです。ですが現世にてその御心を実現させるのは神ならぬ我等。自分達の至らなさを吐露するばかりで心苦しいのですが、全ての民を救済するという神意には程遠く……」


「全ての民を救うか。確かに神ならぬ人の身には荷が重すぎる話だ」


 エインヘリア王の言葉に私は頷くことも否定することも出来ません。


 どれほど無理なことを言っているのか、私たち自身が一番それを理解しています。


 私達は理想を追い求めてはいますが、けして夢想家であってはならないのです。


「はい。まさにエインヘリア王陛下の、おっしゃる通りにございます。ですので、私達フェイルナーゼン神教は多くの国の力を借り、出来得る限り多くの民を救おうと努力してまいりました。此度、このエインヘリアへと私がやって来たのは……その理想を実現する為。エインヘリアという強大な力を持つ国に我々の支援をしていただく為。そして、エインヘリア王陛下に我等の信仰を認めて頂き、この地にフェイルナーゼン神教を広く布教する為でした」


「……」


 私の言葉に、謁見の間の空気が確実に冷たい物に変わりました。


 後ろにいる司祭達もそれを感じ取ったのでしょう。


 悲鳴こそ上げませんでしたが、息を飲んだ気配が伝わってきました。


 次の一言を間違えたら……下手をすれば首を刎ねられるかもしれませんね……。


 かつてない程緊張しつつも、私は決死の覚悟で言葉を続けます。


「ですが、このエインヘリアという国の在り方を見て考えが変わりました。エインヘリアには、フェイルナーゼン神教は必要ありません。我々が手を差し伸べる必要はなく、全ての民が救済されているからです。ですので、当初の考えは捨て、フェイルナーゼン神教の真の教義をお伝えさせていただきたく。そして、エインヘリア王陛下には世界の真実を知って頂きたく存じます」


「……」


「フェイルナーゼン神教はこの大陸で最古の組織です。その歴史はこの大陸の始まりさえ伝承している程に。エインヘリア王陛下、魔王の魔力……というものをご存知ですか?」


「……ほう?」


 私の言葉に、今まで薄く笑みを浮かべていたエインヘリア王陛下はその笑みを消しました。


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