第370話 帝国の人々・天

 


View of エリアス=ファルドナ 『至天』第十二席






 エインヘリアとの戦争以降、すっかり常連となった訓練所で体をほぐしていると、誰かがこちらへと近づいてくる気配を感じ、俺は後ろを振り返った。


「こんにちは、エリアス殿」


「リカルドか……珍しいな?」


 柔軟を続ける俺に爽やかな笑みを浮かべつつ声をかけて来たのは『至天』第一席『光輝』リカルドだった。


「そうですか?」


「お前は最近エインヘリアに入り浸っているだろう?」


「あぁ、それもそうですね。確かにこちらの訓練所は久しぶりにきた気がします」


「……」


 自分の職務というか『至天』第一席としての立場に対し、非常に真面目……いや一途なリカルドは、公務をさぼる事は一切ない。


 他の『至天』連中は……あまり公務とかそういうのを真面目にやる奴はあまりいない。


 いや、防衛任務とか特殊指令とかは真面目にやるが、日常の書類整理とか事務作業系の公務とかだな。


 その辺りきっちりやるのは、じーさんを除けばこのリカルドだけだろう。


 そんなリカルドだが、当然訓練にも余念はなく以前はこの訓練所に入り浸っていた。


 しかし、エインヘリアとの戦争以降はぱったりとここに来ることはなくなり、エインヘリアへと足繫く通うようになったのだ。


 エインヘリアとの戦争以前はあまりここに来なかった俺とは真逆と言った感じだな。


「……エインヘリアでの訓練はどうだ?」


「非常に充実しています。師匠に手も足も出ないのは当然なのですが、それ以外の方にもまるで歯が立ちません」


 嬉しそうにそんなことを告げて来るリカルド。


 栄えある『至天』の第一席の言葉としてはどうかと思わなくもないが、手も足も出ないにも拘らず、どこか晴れ晴れとした気分になる気持ちは……なんとなく分かってしまう。


「槍使い……サリア……さんは、どんな感じだ?」


 サリア……その名前を口にした時、何故か微妙にもやもやしたものが胸中に浮かぶ。


 あの戦争の時、『走剣』と一緒に戦ったにも拘らず、まるで俺達が雑兵の相手をする時のように一蹴した女。


 その圧倒的な姿に、戦場という場に居ながらも……俺は見惚れてしまったのだ。


「サリア殿ですか?彼女も凄まじいですね。よく師匠と手合わせをしているところを見学させていただきますが、私の能力を使っていても目で追いきれない速度で打ち合いを続け、汗をかくどころか息すら切らさずに平然としていますから」


 リカルドの能力は精神を加速させるとかいうもので、じーさんの作った身体強化魔法と合わせ、正に目にもとまらぬ高速戦闘を実現するものだ。


 思考加速……とか言ったか?


 リカルドが言うには、その能力を発動させると世界が停止したかのように動きを止めるらしいのだが……その状態であっても見えない速度ってなんだ?本当にそれ動いているのか?


「……全く疲れない打ち合いに意味があるのか?」


「あぁ、師匠が言うには、あれは型稽古らしいので。本気で打ち合っているわけではないそうです。全力の稽古は私ではまだ見学することさえ難しいそうなので」


 見学することさえ難しい……ってどういう意味だ?


 いや……なんとなくだが、目で追えないから意味がないということではなく……命が危険とかそういう意味のように感じる。


「今となっては、英雄だなんだと自惚れていた自分が恥ずかしくなるな」


「ははっ、私も思い上がっていたことを、これでもかという程思い知らされましたよ」


 いや、お前は思い上がってはいなかったと思うが……エインヘリアとの戦争前からあまり様子も変わっている感じはしないし。


 今も昔も、ただひたすらに真面目一筋って感じだ。


「そういえば、エリアス殿は最近随分と席次が上がったそうですね?」


「……あぁ」


 正直エインヘリアの連中を見て、そしてその実力を体に叩き込まれた身としては『至天』内の席次がそれほど意味のあるものには思えなかった。


 まぁ、もともとそこまで席次については興味が無かったのだが……以前にも増して興味がなくなったら席次が上がりだしたというのは、どう考えるべきだろうか。


 いや、興味がなくなったから上がったのではなく、あの戦争を経て戦い方を見直したからというのが正しいのだろう。


 あの日見た高み……本当にあの高みは地続きとなっているのか分からない程隔絶した実力差……だが、少なくともその一端を感じる事の出来た俺は、以前よりも強くなっている。


 だからこそ……。


「リカルド、相手をして貰っていいか?」


「えぇ、勿論です」


 柔軟を終えた俺が模擬戦用の剣を投げて渡すと、リカルドはそれを受け取った後軽く何度か素振りをしてみせる。


 その姿を見ただけで、能力を使わない状態でもリカルドに勝てないだろうことが伝わって来る。


 エインヘリアの連中のような、隔絶した実力差って感じはないが……まぁ、能力を使われれば隔絶した実力差があるんだがな。


 そんなリカルドから視線を切り、俺は訓練用の槍を手に取る。


「おや?エリアス殿は両手剣を使っていなかっただろうか?」


「力任せに叩きつけるだけじゃ、俺より力の無いやつにしか通じないことが分かったからな」


 エインヘリアとの戦争以降、俺は鉄塊を使うのを止めて槍を一から学んでみた。


 手足のように使うというにはまだまだ練習が足りないが、意外とよく手に馴染んでいる。


 俺が軽く槍を馴染ませるように振っている姿を見たリカルドが、少し距離を開けてから剣を構える。


「じゃぁ、いくぜっ!」


 合図と共に、俺は全力でリカルドに向かって踏み込む。


 リカルドは真面目な奴だからな、訓練でこちらが視認できない様な速度で動いたりはしない。


 踏み込みながら突き出した槍を剣で受け流すと同時に、リカルドはこちらへと半歩踏み込み間合いを潰してくる。


 俺は突き出した槍を引き戻しつつ、石突を掬い上げるようにして剣を持つリカルドの手首を狙ったが、リカルドはその攻撃を柄で弾きつつ、更に半歩踏み込んで来る。


 槍と剣の戦いは間合いの取り合いだ。


 中距離で足を止めた俺と、そこから数歩間合いを詰めたいリカルド……先に主導権を得られるのは俺の方だが、そのアドバンテージは数歩分のモノでしかない。


 数歩詰められれば、逆に俺が不利になる。


 俺は一歩下がりながら弾かれた流れのまま横薙ぎを放ったが、リカルドは槍を頭上に受け流し、一歩半踏み込んで来た。


「ちっ!」


 横薙ぎを受け流された俺は、体勢を少し崩していて次の一手が遅れる……その間にリカルドは更に半歩踏み込み、俺は完全に間合いを詰められた。


 ここで更に下がれば、間合いを詰めながらの一撃で俺はやられるだろう。


 そう考えた俺は、こちらから一歩間合いを詰め、剣の間合い更に内側に潜り込む。


 更にそのまま両手で槍の柄の部分を押し付けるようにしつつ、リカルドの左側に回り込むように動く。


「む……!」


 そのまま回り込む……と見せつつ、鍔迫り合いの形となっていた俺は思いっきりリカルドを弾き飛ばし間合いを広げる!


 俺の攻撃を受け流し、間合いを詰めるように動いていたこともあり、とっさに間合いを詰めた俺に対し押し返そうと力を入れてしまったのだろう。


 純粋な力勝負であれば俺がリカルドに負けることはない。


 間合いを広げることは出来たが、流石に体勢を崩す事までは出来なかった。


 しかし、俺は一度開いた間合いを有効に使うべく、思いっきり踏み込み首を狙って槍を突き出し……リカルドはその攻撃を再び受け流そうと剣を持ち上げた。


 狙い通り!


 俺は攻撃を途中で止め、強引に足元を払うように槍を動かす!


 しかし、リカルドはそれでも崩せず、一歩だけ後ろに下がって躱されてしまった。


「……」


 そのままリカルドが大きく後ろに跳んだが、俺は追撃せずに槍を構え直す。


「驚きました。師匠たちとの訓練で対応力は上がっているつもりでしたが、攻め切れませんね」


「楽々と攻撃を受け流しておいて何言ってやがる……」


 リカルドは攻め切れないと言っているが、奴はこちらの攻撃を受け流し間合いを詰める事しかしていない。


 小技を交えながら間合いを詰めてくれば、もっと簡単にこちらを制圧できることだろう。


「まぁいい、ここまでは俺も小手調べだ。少し本気で行くぞ……」


「分かりました。次はこちらからも攻めていきます!」


 速度と威力をそれぞれ増しながら、俺達は再び激突した。






「やはり能力を使われると手も足も出ないな」


 地面に落とした槍を拾いながら俺は呟く。


「いえ……失礼ながら驚きました。初太刀は受け止めましたよね?」


「ぎりぎり反応できただけだ……現に二撃目であっさりとやられた。だが……前よりは見えたな」


 そう、『光輝』と呼ばれるリカルドの能力を発動した状態の攻撃を、本当にぎりぎりだったが一撃だけ狙って受けることが出来たのだ。


 まぁ、見てから反応したという訳ではなく、そこに攻撃が来るように誘導したからこそ防げたのだが……それでも以前は影すら捉える事の出来なかった動きを、辛うじて追う事が出来たのは確かだ。


 席次が上がった時よりも、リカルドとの模擬戦は遥かに成長の手ごたえを感じることが出来たな。


「理想にはまだまだ遠い。もっと精進が必要だな」


「エリアス殿には槍の師がいるのですか?」


「……いや、独学だ」


 一瞬、一人の人物が槍を振るう姿を思い出したが……別に師事しているわけでもないし、目に焼き付けられるほど多くを見ることが出来た訳でもない。


「それは……凄いですね。以前使っていた大剣よりも洗練された動きだったように思います」


「『至天』の連中はあまり誰かに物を教わるってことはないんじゃないか?育成機関を出た後は特にな」


 どいつもこいつも我が強いというのもあるが、何より教える側も英雄と呼ばれる相手に気後れしてしまうのだ。


「確かにそうですが……どうでしょう?エリアス殿もエインヘリアで訓練をするというのは」


「……いや、それは……」


 そりゃ魅力的な提案ではあるが……少なくとも、お前がそれを決められる立場でない事だけは確かだろ?


「エインヘリアに槍使いは少なくないですし、先程リカルド殿が言っていたサリア殿は槍聖と呼ばれ、エインヘリアでも最強の槍使いだそうです。凄く面倒見のいい方ですし、師事してみてはどうですか?」


「……そ、そうだな」


 ……じーさんに相談してみるか?


 間違いなく、リカルドに任せるよりも現実味のある話になる筈だ。


 いや、別に槍を教えてくれるなら、あの女じゃなくてもいいんだが……。


 そんなことを考えていると、俺達の方へと不機嫌そうな女が近づいて来た。


「あんたさっき……リカルドの攻撃一発止めてた?」


 不機嫌そうな女……『至天』第二十三席『死毒』のリゼラが声をかけて来る。


「辛うじてな」


「……きもちわる」


「おい……」


 こいつ口からも毒しか吐かねぇな……じーさん以外には。


 だが、丁度良いタイミングで丁度良い奴が来てくれた。


「おいリゼラ。じーさんはどこだ?」


「なんであたしに聞くのよ」


「じーさんの事は、お前に聞くのが一番早い」


 こいつはじーさんのストーカーみたいなもんだからな。


 スケジュールも完璧に把握している筈だ。


 俺の言葉に、何故か誇らしげにリゼラが鼻を鳴らす。


 欠片も褒めていないんだがな……。


 だが、そんな得意気な様子も、すぐに先程以上の不機嫌さに塗りつぶされる。


「……先生は……今育成機関で新しい生徒を迎え入れてる」


「こんな時期にですか?何か珍しい能力者でも見つかったかな?」


 リゼラの言葉にリカルドが首を傾げながら呟く。


 確かに今は入学の時期ではないし、余程重要な能力を見つけた上での特別処置とかだろうな。


 確か、リゼラはそんな感じで迎え入れられたんじゃなかったか?こいつの能力は……制御できないと相当危険だからな。


「そういう訳じゃないみたい。でも、なんか先生が半年くらい付きっきりで面倒を見るって……」


 付きっきりで……ともう一度言いながら歯ぎしりの音を立てるリゼラ。


「『至天』候補ってわけじゃないのか?」


「……そうみたいね」


 じーさんが付きっきりで教えるってことは、重要人物であることは間違いないだろうが……まぁ、詮索しても無駄か。


 リカルドすら知らないみたいだしな。


「んで、あんたは先生に何の用よ」


「ちょっと相談したい事があっただけだ」


「あぁ、先程の件ですね。そういえば、勝手に話を進めるのはマズかったですね……リズバーン様に相談するのが一番ですね」


 リカルドは真面目だが、偶に抜けてやがるんだよな。


 他国の将軍相手に、いきなり直接交渉はないだろう……そこらの小国相手ならゴリ押し出来なくもないだろうが、相手はあのエインヘリアだ。


 無理を通せる相手ではない。


「なに?先生に迷惑かけるつもりじゃないでしょうね?」


 お前が一番迷惑なんじゃねぇか?という台詞はぐっと飲みこみ俺はリカルドの提案をリゼラに話す。


「ふぅん……あんたそんなに熱心だったっけ?」


「うるせ」


 胡散臭げにこちらを見て来るリゼラに背を向けて、俺は槍を振り回す。


 じーさんに相談したところで無理なもんは無理だろうが……出来れば再びあの国に行ってみたいもんだな。


 自由に行き来しているリカルドを若干羨ましく思いつつ、中段に構えた槍を捻りながら突き出す。


 たとえ師事出来なかったとしても、あの槍捌きを見ることが出来れば……。


 そんなことを考えながら、俺は訓練を続けた。


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