第369話 帝国の人々・GO



View of ヘルミナーデ=アプルソン スラージアン帝国子爵






 わたくしは向かいに座る方にぎこちない笑みを向けながら、馬車に揺られております。


 高い馬車って振動すらも上品なのですわね……そんな事を考え現実逃避をしてみるものの、現状は何も変わりありませんわ。


 向かいに座っておられるのは、陛下の筆頭補佐官にしてイオドナッテ公爵家の御令嬢であるラヴェルナ様。


 先程わたくしの泊っている宿まで迎えに来て下さったのですが、セイバスからラヴェルナ様がおいでになるという話を聞き急いで宿の玄関前で待たせていただきましたわ。


 馬車が到着した時、ラヴェルナ様が玄関前に待機していたわたくしに驚き、目を丸くされていましたが、すぐに上品な笑みを浮かべながらわたくしを馬車の中に誘い入れて下さいました。


 因みにセイバスは宿で留守番です……まさか先回りはしていませんわよね?


 皇帝陛下達と平然と同席していたアレの姿を思い出したおかげか……少し落ち着いて……いや、ちょっとイラっとしたせいで逆に冷静になってきましたわ。


 わたくしは失礼にならない程度に目の前に座る方の様子を窺います。


 改めて見ても、ラヴェルナ様は大人の女性という感じでとても素敵ですわ。


 地方に流れて来た噂ではありますが、社交界でも大層人気がおありで、憧れている令嬢も多いのだとか。


 このような上品な佇まいをされていながらも、陛下の筆頭補佐官としてばりばり働かれているのですから、本当にお凄い方だと思います。


 公爵家の跡取りであられますし、わたくし如きとは比べ物にならぬ程の知識や教養を身に着けていらっしゃるのは間違いありません。


 本来であれば、国の代表として他国に行くのはラヴェルナ様のような方にこそふさわしいのでしょうが……いえ、卑屈になっても仕方ありませんわね。


 それにしても、本当に素敵な方です……しゅ、趣味とか聞いたら不敬でしょうか?


 って、いくら話題がないからっていきなりプライベートは聞けませんわ!?


 なにか……何か話さなくては!


 馬車に乗ってから既に五分少々……完全に無言で過ごしてしまいましたわ!


「アプルソン子爵、本当に慌ただしくてごめんなさい」


 わたくしが何か言うよりも先に、申し訳なさそうに苦笑しながらラヴェルナ様がそんなことを言いました。


「い、いえ、そのような事は……」


「今日は色々あってアプルソン子爵もお疲れでしょうし、本当は明日にしようと思っていたのですが……恐らく子爵が不安に思っているのではないかと思いまして」


「わたくしが……ですか?えっと……」


「留学生としてエインヘリアに向かうにあたって、不安があるのではないですか?」


「えっと……お恥ずかしながら、今までまともに勉学に励んだことがなかったので……」


 本当に恥ずかしいです……特に若き頃から研鑽に努め、公爵家令嬢という立場でありながら、コネではなく実力で陛下の秘書官筆頭という立場にいるラヴェルナ様に自らの怠惰を告白するというのはとても心に来ますわ。


「誰しもが学習に励むことのできる環境にいるわけではありません。だからこそ、今回エインヘリアの提唱した学校制度に意味があるのです。貴方であれば、その大切さがよく分かると思います」


「エインヘリアの目的は環境を用意することということですか?」


「えぇ。どこまで本気……いえ、エインヘリアであればどこまでも本気なのでしょう。かの国は、最終的に自国の子供達全てに基礎教育を施すつもりの様ですね。無償で」


「む……無償で全ての子供達に?」


 そんなことが可能なんですの……?


 戸籍を作り、全ての臣民を管理している帝国であってもそんなことは不可能ですわ……。


 エインヘリアは帝国よりも国土こそ広くありませんが……その規模は大陸でも二番。


 そこに住んでいる子供の数は……百万や二百万では済まないでしょう。それら全てに基礎教育を?


「途轍もない話ですわ……」


「あら、エインヘリアの凄さは貴女も十分理解していると思ったのですが?」


「いえ……すみません。エインヘリアであれば……」


「えぇ、簡単にやってのけてしまうのでしょうね」


 呆れた様な苦笑するような……そんな表情でラヴェルナ様は言いますが……その気持ちはよく分かります。


 あの野菜や果物の成長していく姿を初めて見た時。なんかもう開いた口が塞がらないとか、そんな生易しい状態ではありませんでしたが……二か月目くらいからは、なんか諦めにもにた何かしか感じませんでしたわ。


 恐らくラヴェルナ様も私と似たような思いをされたのでしょう。


「そんな国への留学という事ですから、帝国を基準に学力レベルを考えてもあまり意味がないと思います。ですが、留学生の代表として胸を張れるだけの学力は身に着けておいた方が……アプルソン子爵も安心出来ますよね?」


「はい……それが難しい事は分かっているのですが」


「そうですね。難しいのは間違いありません……時間も半年ほどしかありませんし」


「は、半年ですか……」


 多くを学ぶには、少々……いえ、かなり短い時間ですわ。


「それで、話は最初に戻るのですが、これから向かうのは英雄育成機関。そこで文官向け教育をアプルソン子爵には受けて頂きます。短すぎることはこちらとしても理解していますが、出来るだけ頑張ってくれると嬉しいですね」


 二年分のカリキュラムなので相当詰め込むことになりますけどねと、少し意地が悪そうな笑みを浮かべるラヴェルナ様。


 確かにかなり厳しいスケジュールになりそうです。ですが……これは確かに最初に聞いてた通り、私の不安を解消する話ですわ!


 努力する方法さえ分れば、後は根性で何とかしてみせます!


「ありがとうございます!必ず帝国の代表として恥ずかしくないだけの教養を身に着けたく存じます!」


「期待しています。因みにあなたの専属講師としてリズバーン様とドリュアス伯爵が教鞭をとります」


「り、リズバーン様と宰相閣下が!?」


 どどど、どういう人選ですの!?


「基本的にはリズバーン様が。ドリュアス伯爵は五日に一度くらいの割合で教鞭をとるとのことです。リズバーン様はある程度自由が利きますが、ドリュアス伯爵は宰相として多忙ですから……」


 それでも五日に一度時間を作って下さると……わたくしの為に……いえ、ひいては帝国の為ではありますが、光栄のあまり溶けてしまいそうですわ。


 長く、帝国の英雄……『至天』の頂点に君臨されていたリズバーン様と帝国の頭脳……最上位の文官である宰相、ドリュアス伯爵。


 これ以上ない程豪華な講師陣ですわ……。


「最初はリズバーン様がアプルソン子爵を宿まで迎えに行くと言っていたのですが、準備を優先したいとのことで私が代わりに来たのです」


 り、リズバーン様に迎えに来てもらう……し、心臓が痛いですわ。


 いえ、ラヴェルナ様でも十分過ぎる程心臓が痛かったのですが……リズバーン様はそれ以上に……。


「因みに、リズバーン様に頼まれた私が返事をするよりも一瞬早く、陛下が迎えに行くと言い出しました」


 心臓どころか全身が痛くなってきましたわ!?


「流石にそれは全員で止めましたが……アプルソン子爵。貴方も直臣となってしまったからには……これから苦労しますよ」


 物凄くしみじみとした様子でラヴェルナ様が言いますが……。


「陛下はエインヘリアと……いえ、エインヘリア王と交流を持つようになってから少し変わられたというか、以前よりも奔放になられましたので……」


「奔放……」


 確かに、先程話した時、真面目でありながらもどこか楽しげというか、悪戯をする子のような雰囲気があったような……いえ、そのような印象を持つ事は不敬でしょう。


「政務をしている時は普段通りなのですがね。身内に対しては……」


 そういったラヴェルナ様が馬車の窓へと視線を向けました。


 それと同時に馬車がゆっくりと速度を落としていくのを感じます。


「到着したみたいですね……私は本日育成機関への立ち入りを許可されていないので、案内出来るのはここまでです」


 ラヴェルナ様がそう言うと馬車は動きを完全に止め、暫くして扉が開かれる。


 そして扉の向こうには、柔和な笑みを浮かべたリズバーン様が立っていらっしゃいました。


「アプルソン子爵、お待ちしておりましたぞ」


「リズバーン様、わざわざ出迎えて頂き感謝いたします。それとラヴェルナ様、色々と教えて下さってありがとうございました。リズバーン様と宰相閣下の御指導の元、陛下のご期待に応えられるよう全力を尽くして参ります」


「ほっほっほ、お任せください。大分詰め込みにはなりますが、帝城にて働く文官に勝るとも劣らぬ程に鍛え上げてみせましょう」


 わたくしの言葉に、嬉しそうに笑うリズバーン様と馬車の中で微笑むラヴェルナ様。


 陛下はこれ以上ない程の環境を整えて下さいました……これでテストを突破出来なければ、降爵では済みませんわね。


 ラヴェルナ様に感謝を伝え馬車を見送ったわたくしは、リズバーン様の後に続き、一度は招集を蹴った英雄育成機関の門をくぐりました。


 そして、今日何度目になるか分からない覚悟を決めます。


 わたくしに目をかけて下さった陛下の御威光に傷をつけない為、そして何より代表として恥をさらさない様に全身全霊で学習せねばなりません!


 わたくしの戦いはこれからですわ!


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