第368話 帝国の人々・肆
View of ヘルミナーデ=アプルソン スラージアン帝国子爵
陞爵の儀と……その後に発生した陛下との面談を無事終えることが出来たわたくしは、宿に戻ってほっと一息つきました。
「たった一日で随分と肩書が増えてしまいましたわ……」
「代表就任おめでとうございます、お嬢様」
いつも通り澄ました顔……じゃねーですわ!
こみあげてくる笑いを堪えるように口元に軽く握った拳を当てながら、少し視線を逸らしつつセイバスが言ってきました。
何処からどう見ても他意がありますと言わんばかりの態度です。
ですが、その言葉に少し違和感を覚えたわたくしはセイバスへと問いかけます。
「子爵陞爵よりも留学生の代表となった事への祝賀ですの?」
「勿論でございますとも。子爵への陞爵はいわば既定路線、皇帝陛下の直臣となったことも同様です」
き、既定路線でしたの?
寝耳に水といった出来事だったと思うのですが……。
「続けなさい」
「帝国とエインヘリアの関係。そしてあの農作物の異常性……これらを見れば、どんな馬鹿であっても今回の件は想像がつくと言うもの……ですが、留学生の件は違います」
「……」
こいつ、絶対わたくしがそこまで考えていなかったことに気付いていて馬鹿にしていますわね……ですが!今のわたくしは子爵!
セイバス如き無礼者の言葉に、いちいち激昂したりはしないのです。
男爵だった頃のわたくしとは、さよならバイバイですわ。
「こちらは帝国とエインヘリアだけでなく、エインヘリアの属国も参加するというプロジェクト。将来的には、エインヘリアの周辺諸国もその制度を利用することになるであろうことは、火を見るよりも明らかです。そのテストケースとなる今回の留学には、非常に大きな意味があると言えます」
ごくり……。
セイバスの説明を聞きながら……わたくしは思わず、唾を飲み込んでしまいます。
あ、あら?
言われてみれば……何かとんでもない事のような気がしてきましたわ……。
「いわば今回の留学そのものが、帝国とエインヘリア、そして周辺諸国の未来を左右することになるかもしれないのです!」
セイバスのその言葉に……わたくしの血の気が引く音が聞こえてきました。
「そ、それは……」
い、言い過ぎではありませんか?
そんな二の句を告げるよりも早く、セイバスが言葉を続けます。
「ええ、分かっております、お嬢様。少し物事を小さく言い過ぎましたね。今回の留学……その内容と成否によって、この大陸の数十年……いや、百年単位での未来が変わると言っても過言ではないでしょう!次世代の教育……それはつまり未来への投資。あのエインヘリアの教育制度の先駆け……間違いなく歴史に刻まれる出来事であると断言出来ます」
「あ、あぁ……」
た、たたた、確かに……セイバスの言っている事はけして大げさではありませんわ!?
あの……あのエインヘリアです!
あの!エインヘリアが!未来の為に教育機関を設立し制度を作る。そのテストケースとして招集されたのです……生半な覚悟で取り組んで良いものではありません!
「そしてお嬢様は……その未来への先駆けとして、そして何より我等スラージアン帝国の臣民として……今を生きる、そしてこの先生まれて来る全ての子供達の代表……その中でも筆頭として選ばれたのです!これを言祝がずして何を祝いましょう!?」
いやあああああああぁぁぁぁぁぁぁ!?
とんでもねーことになりましたわ!?
陞爵……そして陛下による直臣へのお誘い……そんな出来事に夢現になり、とんでもない事を引き受けてしまいましたわ!?
「……で、ですが、まだ留学生候補ですし……他にも優秀な方々が。それにテストだって……」
「何を言っておられるのです。お嬢様は皇帝陛下に目をかけられ、その働きにより若くして陞爵された方です。しかも陛下の直臣となった今、テストで落ちるなどという暴挙……ありえませんね」
あびゃばばばばばばば!?
全く持ってその通りですわ!?
私がテストで不適格と判断されるようなことがあっては、陛下の御威光に傷ががががががが!?
な、なんですのこの状況!?
逃げ道どころか言い訳すら封殺されていますわ!?
今日ここに至るまでの全てが、わたくしの首をじわじわ絞めて行っているような……そんな感じがしますわ!?
「お嬢様の御活躍……遠くアプルソン領の空の下お祈りしております」
「ちょいとお待ちなさい!色々マズいですわ!べ、べべ勉学なんて、今までやったことありませんわ!?」
「学徒として行くのであれば、最低限の知識や教養はあってしかるべきですね。先程のお話では高等教育との事でしたし……いや、興味深いですね。あのエインヘリアが言う高等教育ですからね……一体どんなレベルを要求されるのでしょうか?」
そういう脅しはもう良いのですわ!
それよりも!
「セイバス!帝都にいる間に家庭教師を見つけますわ!」
「帰るのは今日では?」
「い、急がなければいけない理由はありませんし……」
「陞爵前日に野菜の収穫をしようとしていた方の言葉とは思えませんね」
それは現実逃避ですが、今度のこれは死活問題ですわ!
「陞爵の儀以上に失敗したらやべーのですわ!家庭教師は必須なのです!」
「お嬢様、大きな問題が御座います」
「なんですの!?」
「家庭教師を雇ったとしてもアプルソン領に連れて行くことが出来ません。私達がどうやって帝都に来たのかお忘れですか?」
……そうでしたわ!
魔力収集装置による転移……普通に使っているからすっかり失念していましたが、アレを使うにはエインヘリアの許可が必要でしたわ!
かと言ってアプルソン領まで帝都から馬車で移動するとなったら……月単位で時間がかかりますわ!?
テストの時期はおっしゃられていませんでしたが、あのエインヘリアから打診があった以上、帝国としては早々に準備を整えようとする筈ですわ。
多分……時間はそんなにないでしょう。
流石に家庭教師の方がアプルソン領に来るまで待ってはいられません……。
「せ、セイバス。何か方法は……?」
「諦めましょう」
「少しは考えて下さいまし!」
「ではアプルソン領で家庭教師になれるものを……」
「農作業か狩りくらいしか教えてくれる人はいませんわ!」
「諦めましょう」
「真面目に考えて下さいまし!」
セイバスのあまりにも無慈悲な言葉にわたくしは叫びますが……現実的に考えて難しい事は重々承知しております。
家庭教師がどうこうではなく、そもそも勉強する時間が足りませんわ!
「まぁ、皇帝陛下の信頼厚き直臣。かのアプルソン子爵家当主、ヘルミナーデ=アプルソンその人であれば、この程度の逆境……鼻歌交じりに越えられることでしょう」
「知識的な逆境は、学ぶ以外越える手段はありませんわ!」
貴族として……ほんっとうに最低限といった程度の教養しか持ち合わせていないわたくしが留学生に相応しいとは……そこまで考えた時点で、ふと疑問が浮かびます。
陛下や重鎮の方々が、良く調べもせずにエインヘリアに送り出す留学生の事を決めたりするでしょうか?
もしかして……わたくしが最低限と考えている知識量は、実は一定以上のレベルに達している……とか?
「因みにお嬢様の学力は、わりと最低限ですね」
「わりと最低限!?」
やっぱやべーですの!
後、いつも思いますが、なんでコイツは私の考えている事に対し、完璧なタイミングで抉って来るんですの!?
って、それよりもやっぱり最低限でしたの!?
「今から勉強して何とかなるものですの!?」
「それは勿論、子爵様ですからね」
「根拠になってないですわ!」
「短い子爵人生でしたね……」
「諦めているではないですか!それと、それは降爵という意味ですの!?処刑という意味ですの!?」
いえ、どちらも同じことかもしれませんが……これ以上ない程陛下の御威光に傷をつけることになりますし……。
「お嬢様落ち着いて下さい。爵位が剝奪さえされなければ遺族年金が出ますよ」
「それ一番貰いたくないヤツですわ!というか、わたくしが今死んだら普通にアプルソン家は断絶ですわ!」
「先代御当主はまだお若いではありませんか」
「御父様は子供をこれ以上作るつもりはないとおっしゃっていましたが……」
「それはアプルソン家と言いますか、アプルソン領は食糧事情があまり良くありませんでしたし、下手に子供を増やせば餓死させてしまう可能性が低くなかったからですね。ですが最近は領全体が裕福になっておりますし、あまり気にせずとも良いかと思いますが……」
「お母様も年齢的……体力的に厳しいかと」
「側室は……ないでしょうな」
「間違いなくないですわね」
御父様は貴族的な考え方をする方ではありませんし、二人の中は良好……というか、御父様が他の女性に目を向けたら、多分大変なことになりますわ。
「では……お嬢様がテストまでに子を産めば良いのでは?」
「人はそう簡単に生まれてはきませんわ!」
エインヘリアだったら一ヵ月で子供が生まれたりするかもしれませんが……少なくとも帝国では無理です。
わたくしに今必要なのは、子ではなく知識であり学習ですわ!
しかし……どうしたら……帝都に勉強のために通う……?
いえ、そんな事の為に転移を使うのは……許されるとは思えません。
ですが、うぅ……。
「それはそうとお嬢様。実はもうすぐお客様がお越しになる予定となっておりますが」
「お客様……?そんな予定が?」
っていうか、こんなピンチな時に来客対応をしなくてはならないのですの?
「はい。恐らく、今お嬢様が一番必要とされている御方ではないかと」
「わたくしが必要と……?もしかして……」
家庭教師の方ですの!?
「はい、お見合い相手です」
「そっちは必要としていませんわ!?」
用意周到過ぎるでしょう!?
「あ、すみません。冗談です」
「今日一番安心しましたわ!」
本当に安心しましたわ!
「お客様が来るのは本当ですが……」
「誰が来るんですの……?」
「それは……」
お客様の名前を聞いたわたくしは、慌てて準備を始めましたわ。
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