第366話 帝国の人達・弐

 


View of ヘルミナーデ=アプルソン スラージアン帝国子爵 西方貴族派閥末端






 記憶が所々抜け落ちていますが、わたくしは無事皇帝陛下への謁見、それから陞爵の儀を無事終えることが出来ました。


 右手と左手と右足と左足が同時に前に出ようとして転びそうになったり、陛下から短剣を賜った時に滑って落としそうになったり、帝国への忠誠を宣誓しようとして嚙みそうになったりならなかったり……そんな危機的状況をなんとか乗り越えたのですわ!


 ……ひとまずは、ですが。


 陞爵の儀が終わり、控室で心の底からほっとしていたわたくしの元へ、皇帝陛下の補佐官の方がいらっしゃって……陛下がお呼びであると告げられました。


 いえ……覚悟はしておりました。


 セイバスはあんな感じですが、その能力は大口を叩くだけあって確かなものです。


 それに……なんだかんだ言ってもわたくしをサポートしてくれておりますし、出まかせを言うことはありません。


 そのセイバスが、皇帝と面談をする可能性が高いと言ったのです。私の中ではこの面談はほぼ確定事項でした。


 でしたが……緊張するものはするのですわ!!


 く、口から内臓とか吐きそうですわ……。


 陛下の前で内臓を吐くくらいだったら、今のうちに一度吐いておいた方が良いのではないかしら……?


 ってわたくしの内臓は出し入れ可能ではありませんわ!?


 そんな現実逃避をしながら歩くことしばし、補佐官の方に連れられてわたくしは一つの扉の前に辿り着いてしまいました。


 身を強張らせるわたくしに構うことなく、補佐官の方は扉を守る近衛騎士へと声をかけます。


「アプルソン子爵をお連れしました」


 声をかけられた近衛騎士はわたくしの顔を確認した後、すぐに扉を開きました。


 ボディチェックされていないのですが……良いのでしょうか?


 それともこの部屋の中で確認するので……そこまで考えたわたくしの目に、ゆったりとソファに座っている皇帝陛下の御姿が飛び込んできました。


 部屋に一歩入ったわたくしはすぐに膝を折り、ご挨拶の口上を述べます。


「陛下、拝謁賜った事恐悦至極に存じます」


「アプルソン子爵、楽にして貰って構わない。今この部屋にいる者は立場こそ立派だが、あまり細かい事に気が回らない粗忽者ばかりだ。礼儀の事は一旦忘れて、肩の力を抜いて接してくれると嬉しく思う」


「はっ、御厚情感謝いたします」


 わたくしが顔を上げると、陛下は苦笑しながら対面の席に座るようにおっしゃられます。


 やべぇですわ……緊張しすぎて心臓が鼓動を打つ度に全身が波打ちそうですわ。


 陛下にこうやってお会いするのは二度目ですが……全っ然慣れませんわ!?


「アプルソン子爵、まずは紹介させてくれ。知っている者もいるかもしれないが、一応な。まずは、ディアルド=リズバーン。我が帝国の誇る『至天』……その第二席だ」


「ほっほっほ、お久しぶりですな。アプルソン子爵」


 リズバーン様が柔和な笑みを浮かべながらわたくしに挨拶をしてくださいます。


「ご、御無沙汰しております!リズバーン様!」


「ん?知り合いだったのか?」


 わたくしがリズバーン様に挨拶を返すと同時に、陛下が首を傾げながら尋ねてきました。


「い、以前……リズバーン様が当家に陛下の書状を届けてくださいましたので……」


「あぁ、農場の件を打診した時だな。そう言えばディアルド爺に頼んだんだったか」


 陛下が納得いったとばかりに頷いた後、リズバーン殿の隣に座る人物の方に顔を向けながら言葉を続けます。


「そちらの、いかにも頑固な軍人といった感じの者がウィッカ=ボーエン侯爵。その横で性格悪そうな顔をしている神経質そうな者がキルロイ=ドリュアス伯爵。宰相だ」


「……御初御目にかかります、ボーエン侯爵、ドリュアス伯爵。此度陞爵賜りましたヘルミナーデ=アプルソンと申します」


 なんか陛下の御紹介がとんでもない内容だった気もしますが、ここは全力でスルーですわ!


 お二人とも気にせずに穏やかな様子でわたくしの挨拶を受け入れて下さいましたし……空耳だったのかしら?


「それと、彼女は筆頭補佐官のラヴェルナ=イオドナッテ。イオドナッテ公爵家の令嬢……と呼ぶには些か歳があれだが、現当主の娘であることには違いない」


「……よろしくお願いします。アプルソン子爵」


「よ、よろしくお願いいたします、ラヴェルナ様」


 な、なんか先程から陛下の紹介が色々おかしくありませんか!?


 先の御三方はともかく、ラヴェルナ様は殺気を放っていらっしゃいますわ!?


 というか、なぜわたくしはこんな重鎮の方々を紹介されているのでしょうか?しかも陛下自ら……。


「最後に、アプルソン家の執事セイバスだ」


「どうぞよしなに」


「よろしくお願いいたしますわ」


 ……。


「……」


 ……。


「……?」


 今陛下は何とおっしゃいましたか?


 陛下が最後に紹介して下さった方の顔をよく見ます。


 そこには見慣れたすまし顔がありましたわ。


「!?????」


「大丈夫ですか?お嬢様。出会い頭に芋でも投げつけられたかのような顔をされておられますが」


 あ、これ本物のセイバスですわ。


 ではなくって!


「な、ななな」


「何故私がここにいるのかというと、宿でお嬢様をお見送りした後、リズバーン様がおいでになり私にも登城するようにと」


「な、ななな」


「さぁ?何故と言われましても……私には分りかねますが」


「な、ななな」


「何をしていると問われましても……帝城で出される上質な茶の味を楽しんでいる……としか」


 こいつ……無敵ですの!?


「ど、どどど」


「どういう事かは私に説明する権利がありませんので」


 ここが陛下の御前でなければ……!!


 わたくしが握り拳を固めながら震えていると、私の正面にいる皇帝陛下が肩を震わせ始めました。


 ま、マズいですわ……突然すぎるセイバスの登場に、陛下の前でとんだ醜態を……。


「ははっ、いや、すまないなアプルソン子爵。お前の素が見たいとセイバスに尋ねてみたら、こうすれば一発だと言われたのでな」


「へ、陛下が?し、失礼ながら……何故セイバスを……?」


「ん?セイバスはアプルソン領の農作物の納品を担当しているだろう?納品先はこの帝城だ。その縁で何度か話す機会があったのでな」


「さ、左様でございましたか……」


 なんでその報告がないんですの!


 いえ、だからといって、何故セイバスがここに?


 一体何がどうなっていますの!?


「もう一度言うが、すまなかった。少し肩の力を抜いて欲しかったのだが……」


「えっと……」


 そもそも何故わたくし如きがこのような場に……いえ、それはセイバスも同じですが……。


「陛下……まずはアプルソン子爵に説明をしてあげてはいかがですか?いきなりこのような場に呼び出されて年寄りに囲まれては、彼女も困惑するだけでしょう」


 混乱する私を見て、リズバーン様が陛下にそうおっしゃります。


「そうだな……アプルソン子爵、今日この場にお前を呼んだのは。私の直臣になってもらいたかったからだ」


「じ、直臣!?わ、わたくしがですか!?」


「あぁ」


 直臣とは皇帝陛下直属の臣下ということ。


 勿論帝国貴族は全てが帝国への忠誠を誓っている臣下ですが、地方貴族はその地方の派閥のトップに仕えているとも言えるのが現状です。


 これは帝国という広大な土地を管理するために、地方派閥に一定の権力が認められているからこそ通る話です。


 わたくし達アプルソン家は、西方貴族派閥……その中でもトリスコル伯爵派閥に属しております。


 トリスコル伯爵派閥は西方において現在第三位の派閥となっております。


 以前はルッソル伯爵家が筆頭を務めていた派閥で、その頃は最大派閥と呼ばれていましたが、ルッソル伯爵家を筆頭に有力だった家がいくつもエインヘリアとの戦争時にお家取り潰しとなったこともあり、その勢力は往時の半分以下と言っても過言ではありません。


 往時、その権勢は中央に勝るとも劣らない……と嘯いてはいましたが、流石にそれはありませんわね。武力も経済力も技術も……中央に勝てるわけがありませんもの。


 ですが……そこで見栄を張ってしまうのが貴族と言うものです。


 勿論、派閥には意味があります。


 地方の安定という意味でもそうですし、派閥間での経済協力という意味でも派閥に属することは大事な事です。


 しかし、直臣となってしまえば当然派閥からは離脱することになりますし……当然派閥に所属する貴族との関係は悪くなります。


 まぁ、アプルソン領は陸の孤島ですし……物流的な交流も殆どありません。


 以前は領民の皆さんが頑張って森を抜けて買い出しに行ったりしていましたが、最近はエインヘリアのおかげで買い出しに行く必要もなくなりましたし……別に派閥から抜けても問題はないのですが……。


「地方派閥内での繋がりが重要なのは理解しているが、現在アプルソン領の周りは私の直轄領となっているし……何より地方貴族派閥との繋がりが無くても、アプルソン領は十分やっていけるだろう?」


「それは、おっしゃる通りです」


「まぁ、これは言わずとも分かるだろうが……アプルソン家を直臣にしたい理由は、エインヘリアとの農場の件があるからだ。アレは国家機密だからな。それを管理しているアプルソン家は直臣であることが望ましい」


「はい。それは理解しております」


「周囲も直轄領にして、情報が洩れぬよう厳重に管理してはいるが……」


 陛下のおっしゃりたい事は十分理解出来ます。


 いえ、本来であればアプルソン家を領地替えして、もっと信頼のおける家をあの地の管理者としておきたいと考えているのでしょう。


 ですが、確かアプルソン領が農地に選ばれた理由の一つに、セイバスの働きによってエインヘリアから直接指名されたというのがある筈。


 その事は陛下達にとって、苦々しいことに違いないでしょう。


 地方の男爵……いえ、子爵程度が中央を飛び越えてエインヘリアという大国と密にやり取りをしているわけですから。


「うん?……あぁ、すまない。そういうつもりではなかったんだ。私達はアプルソン家の事を信頼しているし、エインヘリアと上手く繋がりを持っている事も頼もしく思っている。決して疎んじてはいないぞ?」


「はい」


 か、考えが顔に出ていたのでしょうか?


 わたくしは内心ダラダラと冷や汗をかきながら陛下の言葉に頷きます。


「ただ、地方派閥に属していると何かと面倒事が多いし、何より機密を守るには柵が多すぎるだろう?」


 それも……陛下のおっしゃる通りですわね。


 派閥内でも我が家の立場はかなり低いですし……今の所、完全に情報が封鎖出来ていますが、その内アプルソン領が何かしら秘密を抱えている事を感づかれる可能性は十分あります。


 派閥に入っていなければ派閥内から余計な詮索を受けることもなくなりますし、陛下の直臣に探りを入れることは……いえ、それに関しては絶対にないとは言い切れません。


 寧ろ、間違いなく調査の手を伸ばしてくるでしょう。


 地方貴族にとって中央貴族は目の上のたん瘤……目の敵にしていますからね。


 私が直臣になれば、確実に地方貴族達は私の事を調査するはず……そうなれば厄介なことになるのではないでしょうか?


「懸念している事は分かる。逆に注目を集めるのではないか……ということだろう?」


「おっしゃる通りにございます。秘密を抱えている我が領は、なるべく目立たぬように動いた方が良いのではないでしょうか?」


「アプルソン領の防諜に関しては完璧だ。もしアプルソン領を探ろうとすれば、我々は確実にそれを見つけることが出来る」


「そ、そうでしたか……」


 いつの間にそんな事になっていたのでしょうか?


 いえ、警備を厳重にされているのは知っていたのですが、防諜に関して完璧と言えるほどとだったとは……。


 エインヘリアの農作物を外に持ち出される危険性は十分理解しておりますし、防諜がしやすい土地柄であることは理解しておりましたが……。


「防諜に関しては我々が担当していたからな。お前が把握していなくて当然だ。それでだ、アプルソン家が直臣となってくれれば、余計なちょっかいを出してきた家にそれなりの対応が出来るようになるだろう?」


「そういうことですか……」


 同じ帝国貴族ではありますが、隙あらば自分達の利益を確保しようとするのは、貴族として普通の考え方です。


 エインヘリアとの農場は国家機密ではありますが、アプルソン家を調べようとした貴族に対し、中央が制裁を加えれば確実に反感を買います。


 ですがアプルソン家が直臣となれば、中央が介入する口実に出来ますし、圧力をかけることも可能となります。


 そう考えると好奇心を刺激するリスクよりも、メリットの方が大きいと言えます。


 いえ、だからこそ陛下はわたくしを直臣にと打診してこられたのでしょうが……それをしっかりとわたくしに説明して下さった事は感謝しなくてはなりませんね。


「どうだろうか?」


「畏まりました、陛下。直臣への御取立て受けさせていただきたく存じます」


「ありがとう、アプルソン子爵。いや、ヘルミナーデ。これからは股肱の臣として働きに期待させてもらう」


「はっ!我が身命に変えても、陛下に忠義を尽くさせて頂きたく存じます!」


 ……そんな風に勇ましい事は言いましたが、かなりとんでもないことになってしまいましたわ。


 陞爵するだけでもとんでもない事でしたのに、更に陛下の直臣に……正直、陛下の直臣ともなったら地方の伯爵よりもよっぽど立場的には上ですわ……。


 正直、田舎に引きこもって畑仕事をしているだけのわたくしには過ぎたる権力ですわね。


 まぁ、その権力を振るう事は殆ど無いでしょうが……情報を守りやすくなったことだけは間違いありませんわ。


「では、ヘルミナーデ。そろそろ本題に入るとするか」


「本題……ですか?」


 ま、まだ何かあるんですの……?


 

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