第340話 蛮族の将の苦悩

 


View of ワドラ スティンプラーフ軍指揮官






 あーイライラするぜ……。


 何だって俺がこんな面倒な役目を押し付けられなきゃならねぇんだ。


 酒でも飲まなきゃやってらんねぇっての。


 俺は酒壺をグイッと呷り……酒が一滴も落ちてこない事に気付き、壺を地面に叩きつける。


「くそっ!」


 どいつもこいつも俺の言う事を聞かず勝手な事ばかり言いやがって……ほんと勝手にしやがれ!


 ……とは言えないのが辛いところだ。


 それに、暴れる事しか能のない連中をなだめすかして何とか今日までやってきたんだ。


 あと少し……あと少しの辛抱だ。


 ラフジャス王の話では、今日の朝……前方にいる軍は瓦解するらしい。


 そして撤退を始める軍に俺達は襲い掛かるわけだが……そこで非常に難しい仕事が待っている。


 どうも、撤退する連中はラフジャス王の手の者らしく、殿として残る者達以外は適当に蹴散らす程度にしておけと言われている。


 いや……無理だろ。


 一度戦いを始めた馬鹿どもを抑えるなんて、出来るはずがない。


 しかし、その無理を成し遂げなければ、俺はラフジャス王に殺されかねないのだから……頭が痛くなる。


 その命令を受けてから今日まで必死に考えたが、馬鹿どもを上手く誘導する策は今日まで思いつかなかった。


 さて、どうするか……そもそもあの軍はどう瓦解するんだ?


 その辺りの情報は全く無かったからな。


 まぁ、相手がどう崩れようとこちらがやる事は変わらない……一番大事なのは、暴走を抑える事……それに尽きる。


 敵軍と対面して以降、二日に渡って夜襲を仕掛け食料を奪おうとしたのだが……それもすべて失敗している。


 良いガス抜きになると思ったのだが……かえってフラストレーションを溜める結果となってしまった。


 どう考えても馬鹿どもが暴走する未来しか見いだせない。


 あぁ……まずい、どうしたら良いんだ?


 今の奴等に攻撃命令を出そうものなら確実に暴走……恐らく敵軍は一人残らず皆殺し……いやそれは言い過ぎだな。半分は殺して残り半分は奴隷行きといったところか……いやいや、変わんねぇよ!


 その結果、俺は処刑じゃねぇか!


 あーくそっ!


 そもそも、何故こちらは三万も集める必要があったのだ?


 俺達は隊列を組んで戦うと言ったようなやり方はしない……欲望のままに襲い掛かり、満足したら引き上げるという計画性のない戦い方を好む。


 かく言う俺も、責任者という立場になければそのように戦うのが性に合っているし、戦いの際に頭を回して何になるという考えには賛成だ。


 しかし……あああああああああああ!どうすれば良いのだ!そろそろ向こうの軍に動きがあってもおかしくない!


 敵軍が崩れる様を見れば、馬鹿どもが我先にと敵軍に襲い掛かる事は明白……いっそのこと全員下がるように命じるか……?


 いや、無理だ。


 目の前に餌がぶら下がっているのに、大人しく後ろに下がるような奴等じゃない。


 どうする?どうすれば良い?


 ……あー、くそっ!なんかもう何もかもどうでも良くなって来たな……。


 いっそのこと……馬鹿どもに適当に暴れさせて、俺は逃げるか?


 死んだことにすれば、ラフジャス王もわざわざ死体を探したりはしないだろうし……。


 逃げたところで、どうせやる事は今までと同じ……その辺の集落を適当に襲撃して略奪するだけだからな。


 ラフジャス王の側近という立場や権力は惜しい気もするが、命には代えられん。


 そんなことを考えた俺は、一気に気が楽になったのを感じる。


 こんな面倒な仕事を押し付けられるくらいなら、適当に何も考えずに暴れる方が楽ってなもんだ。


 よし、そうと決まれば、とっとと動くとするか。まずは武器を……。


「ワドラ様!外に来てくだせぇ!なんか!えらいことになってます!」


 武器をとろうと立ち上がったところ、部下が天幕の中に駆け込んで来たが……何かが起こった事しか分からねぇ。


「あぁ?意味分かんねぇよ!」


「と、とにかく外に!見てくれれば分かりやす!」


 くそっ……これから逃げるって時に、動き出しやがったのか。


 俺はしぶしぶと部下に言われるがまま天幕の外に出て、敵のほうに目を……。


「な、なんだぁ?ありゃぁ……」


 空に浮かぶ巨大な火の玉に目を奪われた俺は、そんなことを呟く。


「わ、わかりやせん。いきなり出て来たんです」


 ……いきなり……となると……。


「魔法、だな……敵が魔法を使ったんだ」


「魔法ですかい!?でも、こんな距離から見える様な火の玉ですぜ!?どんだけ馬鹿でかいか……」


「ちっ!魔法以外ありえねぇだろ!おい!急いで逃げるぞ!あの火の玉がこっちに飛んできたらどうする!」


「あ!た、たしかに!やばいです!」


 スティンプラーフに魔法使いはいない……今までも敵が魔法を使ってくることはあったが、あのように馬鹿でかいものは見たことが無いが、訳の分からんことは大体魔法使いの仕業だ。


 くそっ!


 今から逃げて間に合うか……?


 だが……逃げないという選択肢は無い。


 俺は、いつこちらに向かって飛んでくるか分からない火の玉から身を翻そうとして……次の瞬間、空に浮かんでいた火の玉が弾けるように掻き消えた。


「あ……?」


「お……?」


 俺と部下は二人揃って間抜けな声を上げつつ、火の玉の消えた空を見上げていたが……それは俺達だけではなく、周りにいた奴等も大体似たような反応だ。


 一瞬、地面から立ち昇る光が火の玉を貫いたようにも見えたが……何が起こった?


「えっと……ワドラ様、どうしやすか?」


 呆気にとられる俺達の中で、一瞬早く正気に戻った部下が狼狽えながらも尋ねて来る。


「……アレは間違いなく敵の魔法だ。なんで消えたのかは分からねぇが……またアレが撃たれる可能性はある」


「でもワドラ様、今まであんなでっかい魔法みたことありやせんぜ?」


「それは……いつもと違ってこっちも人数が多いから、切り札を出してきたってことだろ」


「なるほど……」


「おい、全部族に通達。先程の火の玉がいつまた出現するか分からん、いつでも動けるようにしておけと。それと目の良いやつらに敵を見張らせろ。中央にいる騎兵が動いてきたら厄介だ」


 あんな馬鹿でかい火の玉を見せつけられたことだし、とっとと逃げ出したいところだが……少し風向きが変わった。


 もしあれが、ラフジャス王の言っていた仕掛けだとしたら?


 あっという間に掻き消えたから確実とは言えないが、それでも動きがあると言われていたタイミングで事が起こったのだから、その可能性は高い。


 であれば、こちら以上に向こうの軍は今混乱していると見て良いだろう。


 同士討ちでも始めている様であれば完璧なんだが……流石にこの距離から敵の細かい動きは見えない。


 だが、軍の規模で動いていれば、大まかな動きは掴める……もし、逃げる様な動きが見られれば……予定通りという事だ。


 さっきの火の玉……アレは実に良い効果をこちらに与えてくれた。


 あんなものを見せつけられれば、流石に馬鹿どももいつものように何も考えずに突撃するなんて考えられないだろう。


 敵が殿を残して撤退を開始すれば、その殿に襲い掛かるように命じ……それを潰した後に追撃をしようとしたら、敵はこちらを誘い込んで先程の魔法を撃つつもりだと脅せば、きっと興奮した奴等も止まるに違いない。


 あぁ……ぎりぎりまで逃げ出さずにいたことが功を奏した!


 これならばラフジャス王の命令を完璧にこなしたと言えるし、俺の地位も命も安泰……折角手に入れた権力を放り出さずに済む。


 いや、さっきは進退窮まって面倒事ばかりが頭を過っていたが、やはりラフジャス王の側近というのは美味しい立場だ。


 手放さずに済むならそれに越したことはない。


「どうだ?敵軍に動きはないか?」


「今のところは何も……ワドラ様、どうしやすか?」


「向こうの動き次第だ!しっかりと見張れ!何か動きがあったらどんな些細な事でもいいから報告しろ!」


「分かりやした!」


 さぁ、どうなる……?敵が逃げる動きを見せれば予定通り……そうでないなら、こちらも逃げる必要があるかもしれん。


 内心そんな風に緊張していたのだが、その後敵に動きはなく……次第に俺の周りにいる奴等から緊張感がなくなっていくのを感じる。


「ワドラ様……」


「気を抜くな!先程の火の玉を忘れたのか!?次はアレがこちらに向かって飛んでくるかもしれんのだぞ!?」


「ワドラ様……でしたら、固まっているのはマズくないですかね?一度分散して部族ごとに動くようにした方が……」


 ……その意見はもっともだが、それは困る。


 ただでさえ統率の効かない奴等をばらけさせれば、確実に暴走を始める。


 逃げ帰るならまだしも、敵に向かって突撃されたりしたら色々台無しだ。


「もう少し待て……恐らく何か……」


「ワドラ様!敵の右側のほうで動きが……大量の砂煙が上がってます!」


「砂煙……?何が……いや、砂煙?」


 その砂煙は……恐らく大量の人が動いたから起こったものだ。


 どっちだ!?


 攻めて来るのか?それとも逃げ始めたのか?


「右側の敵が動き出した証拠だ!敵はどの方向に向かって動いている!?」


「えっと……後ろです!敵の右側は後ろに下がって行ってます!」


「よし!」


 後ろってことは、撤退を始めたってことだ!


「敵はどうやら撤退を開始したようだ!今強襲すれば殿に残っている連中を潰せる!ただし深追いはするな!逃げたと見せかけて先程の火の玉を撃って来る可能性もある!まずは殿に残っている敵を潰せ!」


「は……はい!」


「急げ!もたもたしてると全部に逃げられるぞ!」


 予定通り敵の一部が逃げ始めた……ここで殿に残った奴等を潰せば目標達成だ!


 更に追撃をしようとする奴等もいるだろうが、あの火の玉のおかげで尻込みする奴等も多い筈……その不安を煽っておけば、恐らく大丈夫だ!


 俺の命令が伝わって行くに従い、あちこちから雄たけびがあがる。


 とはいえ、いくら血の気の多い馬鹿でも、部族単位で万からいる相手に突っ込んで行ったりはしない。


 攻めの合図は俺達の太鼓でってのは、いくらなんでも理解しているだろうからな。


 各部族に伝令が走って行く間にも、敵の右側のやつらはどんどん遠ざかって行く。


 奴等は逃がす必要があるから、こちらがもたもたすればするほど逃げてくれるだろう。


 しかし、あまりもたもたし過ぎると、今度は殿の奴等まで逃げちまう……それはマズい。


 殿は殺せと命令されているからな……その辺の塩梅が非常に難しいが……よし。


「太鼓を鳴らせ!突っ込むぞ!」


「「おおっ!!」」


 ある程度伝令が行き渡ったであろうタイミングで、俺は突撃の命令を出す!


 同時に鳴り響いた太鼓によって、喊声とともに俺達は進軍を開始する。


 血気盛んに全力で走りだした馬鹿どももいるが……この距離で走り出したら敵に辿り着く前にばてるだろうが……。


 そんな風に呆れながらも、俺は小走り程度の速度で前に進んでいく。


 それにしても凄い熱気だ。


 これ程の人数で敵に攻めかかるなんて初めての経験だ……いつもの襲撃とは規模が違い過ぎるな。


 こんな人数を、俺の命令一つで動かしたと思うと……妙な高揚感が生まれて来るのを感じる。


 俺は内に溜まった熱を吐き出す様に雄たけびを上げる!


 しかし、その雄たけびも周りの連中の叫びと混ざって、俺自身にも自分の声なのかそうでないのか判断出来ない。


 落ち着け……今全力で走り出したさっきの馬鹿どもと同じになっちまう。


 逸る心を抑えつつ、俺はペースを変えずに前へと進んでいく。


 段々と近づいて来た敵の姿が、一つの塊ではなく一人一人の人の形として判断出来るようになった頃合いで……敵に動きがあった。


「ちっ!騎兵が突っ込んで来やがるか!」


 殿の役目は味方を逃がすために守りを固め、少しでも時間を稼ぐことだ。


 だからこそ、敵は盾を構え亀のように丸まっている物と思ったのだが……ここで騎兵が前に出て来るか。


 騎兵の突撃は相当厄介だ。


 槍や盾を使って馬の突撃を止められるのならともかく……俺達が持っているのは剣や斧など、近距離でやり合うような武器が殆ど。


 馬の脚さえ止めてしまえばどうという事は無いのだが、こちらから攻めている以上、罠を使って馬の足を止めるのは不可能……このまま正面からぶつかって、強引に敵の足を止めるしかない!


「怯むな!騎兵なんざ、足を止めちまえばただの木偶のぼうだ!馬を狙え!弓を持ってる奴は馬を射て!」


 俺の言葉が聞こえているとは思えないし意味はないと理解しながらも、俺は指示を叫びながら足を速める。


 走りながら弓で狙いをつけられる筈もないし、立ち止まれば突き飛ばされるだけだしな。


「ワドラ様!騎兵の陰から歩兵が回り込むように出てきました!」


「歩兵を後ろに隠していたのか!……いや、待て!正面の騎兵はどう見ても全力で駆けて来ているぞ!?」


 俺が正面の騎兵から部下が示したほうへと首をむけると、ありえない速度で走る歩兵が……。


「な、なんだあれは!?」


 驚きのあまり足を止めてしまいそうになったが、今この場で立ち止まれば、後ろから来た者に転ばされて、一瞬で踏み殺されてしまうだろう。


 正面の騎兵も油断出来る相手ではないが……馬を追い越す速度で走るあの軍は、もっと危険……というかあり得ないだろ!?


 俺は転ばぬように気をつけつつ、騎兵の陰から飛び出してきた兵を注視する。


「アレはこちらに突撃してくるわけではないのか……?」


 凄まじい速度で駆ける歩兵を見ていると、進路が若干俺達のいる方とずれて……。


「しまった!奴等は後ろに回り込むつもりだ!前後から挟み撃ちにされるぞ!左の連中をあの歩兵に突撃させろ!」


 左側から回り込もうとしている歩兵たちを迎撃させようと声を張り上げるが……この流れの中、俺の言葉を理解出来る奴がいるとは思えない。


「左だ!左に突撃しろ!お前らも声を出せ!左の軍に突撃しろ!」


「左だ!迎撃しろ!」


「左の軍に突っ込め!」


 俺が周りの連中にも声を出す様にいうと、左の軍に突っ込めという声が段々と大きくなってく。


 これならいけるか!?


 俺がそう考えた瞬間、左側を走る連中が、進路を変えて回り込もうと凄い勢いで走る連中へと突撃していく。


 良し!


 見たところあの歩兵の数はそこまで多くない!左側の連中で十分対応できる数だ!


 なんとか指示が伝わったことに安堵しつつ、俺は正面の騎兵に視線を戻す。


 気のせいか、少し正面の敵の速度が鈍ったような……その事に内心首を傾げた瞬間、部下の声が聞こえ俺は正面から視線を外す。


「ワドラ様!左がぶつかります!」


「そう……か?」


 一瞬だけ左に視線を向けた俺の目に……何か変なものが映った。


 人が……飛んでいる?


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