第322話 とある人の手記

 


一日目


 謁見の後、使節団の全員が湯あみを勧められました。


 聞くところによると、エインヘリアでは富裕層だけでなく農村に住む民達にまで入浴を推奨しているそうです。


 驚くべきは、街だけではなく農村部にまで国営の公衆浴場を作り、それを民に無料で開放しているとの事。


 これには私だけではなく、使節団の者全員が驚いていました。


 無料な時点で採算度外視なのは間違いないですし、ランニングコストも莫大……だというのに、なぜ大切な国庫を切り崩してまで国営の浴場なんて物を運営しているのか、はっきり言って理解が出来ません。


 仮にエインヘリア王が大の風呂好きだったとしても、それを民にまで分け与えるというのは……やりすぎだと思います。


 ですが、何故そんな施策をしたのか……その理由を聞いて私は目からうろこが落ちました。


 どうやらエインヘリア王は、入浴により体の清潔さを保つ事で、民の健康を促進することを考えたそうです。


 確かに、傷を負った際、その周りを清潔にしておくことで化膿を防いだり感染症を防いだりすることは常識でしたが、それを日常生活の範囲内で国民全員に実践させるとは……エインヘリアの考え方がどれだけ先進的で、更にその国庫がどれほど強大かつ強靭なのかを物語っていますね。


 そして驚きは、これだけに留まりませんでした。


 その後歓迎の宴として開かれた立食パーティーでは、未だかつて目にしたことの無いような料理が並び、そのどれもがとんでもない美食だったのです。


 入浴と食事……この二つだけで、私達使節団はこれ以上ないくらい打ちのめされた気分です。


 エインヘリアは新興国で、我がパールディア皇国と隣国になったのは本当につい最近の事ではありますが……私達パールディア皇国においては、王族でさえ爪に火を点すような節制した生活を送っております。


 当然民達はもっと苦しい生活をしており……その生活ですらも奪われようとしているのです。


 しかし、その隣国であるエインヘリアではこうやって美食を楽しみ、農村部に至るまで身綺麗にして健康的な生活を送っている……この不公平さ、理不尽さに悲しみ……そして、身勝手なものだと自覚はありますが、怒りを覚えました。


 エインヘリアが何も悪くないのは分かっています。


 ですが、私達がこれほど苦しい生活をしているというのに、隣国でありながらこの世の春を謳歌している……見当違いの怒りであることは自覚しても、抑えられるものではありません。


 とはいえ……並べられた美食達に罪はありませんし、文句もありません。


 精々全力で楽しませて頂きましょう……。






追記


 デザートはこの世の物とは思えない程絶品で……特にプリンというものが素晴らしかったです。


 口に入れると溶けてしまいそうなほど柔らかいのに、しっかりとした甘さを口の中に残し……かといって甘ったるさを感じさせない。


 究極のバランス……至高の一品と言えるでしょう。


 我が国で再現することは材料的に不可能でしょうが……レシピだけでもいただけないでしょうか……。






二日目


 本日は、ルモリア地方の旧王都を、外交官であるシャイナ殿に案内して頂きました。


 旧王都の活気はすさまじいものでした。


 我が国の王都とは比べ物にならない活気……通りに店を出す者達も、それらを眺めながら道行く者達も……皆が明るい顔をしています。


 まるで自分達の未来に、一切の憂いすら存在しないかのように。


 この表情を生み出しているのはエインヘリアという国であり、それを統べる王です。


 ここが、長年統べて来た自国の王都だというのならまだ分かります。


 ですが、ここは元ルモリア王国の王都……ここに住む者達は皆、占領された国の民です。


 王を討たれ、自国を滅ぼされ……その上でなお、旧王都に住む者達は今が一番幸せだというような顔をして日々の生活を送っている……為政者側の人間としては、空しさを覚えないと言えば嘘になりますが、これはルモリア王国よりもエインヘリアの方が良き統治者であることの証左でしょう。


 シャイナ殿の説明によると、かつてこの街に存在したスラム地域は姿を消し……そこを根城としていた住人は、今やちゃんとした職に就いて勤勉に働いるとのことです。


 犯罪組織の類も徹底的に鎮圧され、犯罪率は減少の一途をたどり、魔道具による街灯整備も進んだおかげで、夜でも通りは明るく危険は少ない……正に理想郷と呼べるかもしれません。


 スラムが無くなった要因としては、大々的に行っている公共事業、それと国営の孤児院の設立だそうです。


 手に職を持たない人達に仕事を与え、親を失った子供達を救済する……口で言うのは簡単な事ですが、エインヘリアはそれを国中で実施しているというのだから頭が下がります。


 それにかかる莫大な費用を捻出することを出来る国が、世界に一体どれだけあるのでしょうか?


 ……考えるまでもありません。


 エインヘリア以外の国で、そんなことが出来る国は存在しないでしょう。


 国力、技術、施策、どれもが私達の常識からはかけ離れ過ぎて、もはや夢でも見ているのではないかと疑ってしまう程です。


 しかし、エインヘリアに訪れてからまだ二日……エインヘリアという国の底知れぬ力は、まだほんのさわりの部分でしかないのかもしれません。






追記


 朝食に、デザートとしてプリンがついてきました。


 朝からかの至宝とも呼べるデザートを食すことが出来るとは……何たる僥倖。


 大変美味しゅう御座いました。


 夜は希望があればどのような食事でも用意してくれるとのことでしたので、プリンを二つも頼んでしまいました。


 大変美味しゅうございました。






三日目


 本日はエインヘリア王の計らいによって、エインヘリア軍の軍事演習を見学させて貰えることになりました。


 エインヘリアが今までに成した戦果で、エインヘリア軍が十分過ぎる程強大な力を持っている事は分かりますが、それを目の当たりに出来るのは、援軍を請う我々からすれば非常にありがたい事だと言えます。


 勿論、完全なる善意でそれを見せようとしている訳でないことは理解しています。


 自らの持つ力を見せつけることは、外交として、相手を牽制するという意味でとても効果的です。


 私達パールディア皇国は現在国家存亡の折……他国に対して野心なぞ抱けるはずがない事は、エインヘリアも重々承知の上だとは思いますが、それでも一切手を抜くことのない姿勢は隣国の者としては脅威以外の何物でもありませんが、エインヘリアに住まう民からすれば何よりも頼もしくあるでしょう。


 そんな風に、演習が始まる前までは……ある意味では暢気に構えていました。


 そう、演習が始まる前までは。


 私は武に携わるものではないので、兵の強さや軍の強さというものの細かいところは全く分かりません。


 ですが、そんな素人である私の目から見ても、エインヘリア軍は異常でした。


 尋常ならざる速さで駆ける兵。


 まるで兵そのものが判断しているかのように即座に組み替えられる陣形。


 高台から見ている私達の目からも隠れ、突如として襲いかかる伏兵。


 そして放たれる儀式魔法の数々。


 護衛として国から連れて来た騎士数名の顔色が、青を通り越して土気色になってしまうのも無理がないと言えます。


 何より……演習でありながら一切の手加減が見えず、全力で相手を殺す勢いで行われる合戦は、戦場を知らない私にはとても恐ろしいものでした。


 ですが、同時に……このエインヘリア軍が援軍として参陣してくれるのであれば……スティンプラーフの蛮族なぞ恐るるに足らず。


 それを確信させてくれるだけの演習だったのは間違いありません。






追記


 昼間に見た恐ろしい光景を払拭するために、プリンを五つも食してしまいました。


 いえ、一口目を食べた時点で幸福に包まれ、俗世の面倒事を全て忘れ去ることが出来たので、昼間見た光景は関係ないとも言えますが……ストレスのせいにすると大体丸く収まるので、そういう事にしておきます。


 因みに本日……焼きプリンなるものを食したのですが……いつものプリンよりも若干固めでしたが、これはこれで大変美味しゅう御座いました。


 プリンには無限の可能性がある……そう実感させるだけのものがそこにはありました。






四日目


 本日はエインヘリアの属国であるルフェロン聖王国の視察に向かいました。


 エインヘリアに負けず劣らず活気のある様は、とても属国の民の見せる物とは思えませんでしたが、聞くところによるとエインヘリアの属国支配は非常に緩いもので、要請を全て受け入れても何ら問題ないとのことです。


 寧ろ、属国になりエインヘリアの施策を受け入れたことで、かなりの経済成長に成功したとの事……それが強がりでも皮肉でもないことは、街の様子を見れば明らかです。


 ……こういう道もあるのかもしれない。


 使節団の者達にそう思わせるだけの光景が、そこには広がっていました。






追記


 視察の案内をしてくださった聖王陛下から、プリン・ア・ラ・モードなるデザートが存在するとの情報を得ることが出来ました。


 凄まじく興味深いその名に惹かれ、頼んでみたところ……現れたのは、究極の美。


 中央に置かれたプリンは主役でありながら控えめな佇まい……ですが確かな存在感を見せており、その周りを埋めるように白いクリームが敷かれ、その上には様々なフルーツや砕かれたナッツ、そして黒いソースが掛かっており、様々な味と共にプリンを楽しむことが出来る一品です。


 それぞれがメインとなり得るポテンシャルを秘めていながらも、お互いに邪魔をしない……寧ろ渾然一体といった味わいは、甘さ、酸味、苦み……全てを内包し、全てを昇華せしむるものと言えましょう。


 さらに驚くべきことに、白きクリームの下からもう一種類……別のプリンが姿を現したのです。


 一つの器に二種類のプリン……。


 始めから器の中央に見えていたプリンはぷるんとしており、柔らかいながらも弾力のある、スタンダードなタイプのプリンでしたが、クリームの下から出てきたプリンはそちらとは少々趣が異なり、実に滑らかな……プリンで出来たクリームのようなまろやかさであり、それでいてしっかりとプリンと分かる確かなものがそこにはありました。


 先日……私は確かに、プリンには無限の可能性があると確信していましたが……それは正解でもあり、間違いでもありました。


 プリン道とは、私如きに量れるような奥深さではなかったのです。


 私はまだ一歩でも前に進めば、ずぶずぶと沈み込んでしまうプリン道……その第一歩を踏み出したに過ぎなかった。お尻に卵の殻がまだついたままの、ひよっこに過ぎなかったのです!


 恥ずかしい……あまりにも、恥ずかし過ぎる。


 何を分かったような顔でプリンを語っていたのか……恥ずかし過ぎて顔からカラメルソースが出そうです。


 ですが、この恥ずかしさを私は忘れません。


 既に私はプリン道を一歩踏み出しました……後は、私が何処までこれを貫けるか、それだけです。






五日目


 プリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプルンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリンプリン






プリン


 ……プリ……うま……






View of リサラ=アルアレア=パールディア パールディア皇国第二皇女






「ひっ!?」


 私は、思わず手にしていた手記を落としてしまいました。


 見覚えのない本が床に落ちていたのを見つけた私は、何気なくそれを拾い上げ、中を見てしまいました。


 そこには、見覚えのある字でパールディア皇国を出てから今日までの出来事が事細かに記載されていたのですが……エインヘリアに到着した直後から若干様子が変わっています。


 何というか……狂気のようなものを感じます。


 いえ……ようなものではありませんね、確実に狂気を感じました。


 だからこそ手記を落としてしまったのですが……これを書いたのは……。


「リサラ様」


「ひっ!?」


 私は後ろから声をかけられ、再び小さく悲鳴を上げてしまいましたが……恐る恐る振り返ります。


 そこには、普段と変わらぬ様子で佇む侍女のミアが立っていました。


「ミア……」


 私が名前を呼ぶと、ミアは小さくため息をつきます。


「リサラ様……人の手記を勝手に読むのは、淑女として些か問題があるのでは……?」


「え、えぇ。そうですね、ごめんなさい。床に落ちていたものでつい」


「然様でございますか。ところで、先程から何かに怯えていらっしゃるように見受けられますが、如何なさいましたか?」


 感情を感じさせぬミアが、私に向かって一歩踏み出してくる。


 その手には……お盆とそこに載せられているプリンがありました。


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