第317話 皇女の謁見



View of リサラ=アルアレア=パールディア パールディア皇国第二皇女






 非常に涼やかな声が静まり返った謁見の間に響いた瞬間、未だかつて感じたことのない重圧を感じ、私は一瞬言葉に詰まってしまいました。


 そして、恐らく重圧を感じたのは私だけではありません。


 後ろに並ぶ使節団の者達が身じろぎするのを感じました……私以上にこういった場に慣れているはずの彼等でさえ、エインヘリア王のただの一言で気圧されているのです。


 ですが……このままではいけません。


「我々の訪問をお許しいただき、また、あれ程の出迎えを用意して下さり、誠に感謝いたします、エインヘリア王陛下」


 私は声が震えない様に全神経を集中させながら、なんとか声を絞り出す。


「あぁ、空の旅は楽しんでもらえたかな?」


「またとない経験に、大いに感動させて頂きました」


「それは何よりだ。ふむ、そろそろ顔を上げてくれるか?いつまでも顔が見えなくては、話しにくいのでな」


 そう言われた私は、鼓動が早くなるのを感じます。


 とても恐ろしい……穏やかに聞こえる声やこちらを気遣っているように聞こえる言葉も、実に優しいものですが……唯一つ、その身から発せられる威圧感だけが全てを物語っています。


 礼儀作法なぞ、自分にとって意味のない事だと。


 例えば……ドラゴンのような強大な存在が、人族の真似をして振舞っているかのような……そんなアンバランスな物を滲ませながら、エインヘリア王はそれを隠そうともしていません。


 まるで格の違いを見せつけるかのように……。


 王である以上、他国の者に、そして家臣たちに侮られるわけにはいきません。


 だからこそ、王は自らの権威を高めるために多くの作法を身に着け、そして相手にもそれを遵守させるのです。


 ですがエインヘリア王は違う……自らを尊き者とする為の装飾、外付けの権威を必要とされていません。


 その身一つで、エインヘリア王が絶対的な王であることを語ることが出来る……だから、こそこの態度なのでしょう。


 私は今まで培ってきた全てを動員して笑みを作り、そのままゆっくりと顔を上げ……間近で見たエインヘリア王の姿に、呼吸することさえ忘れてしまいました。


 ……綺麗。


 玉座に腰掛け、薄く笑みを浮かべたその表情は一見すると酷薄にも見えますし、冷徹な瞳はこちらの全てを見透かしているように感じられます。


 その身から滲み出る威圧感は相変わらずですし、人としての暖かさのようなものは一切感じられません。


 ですが……それら全てを一瞬忘れてしまう程に、エインヘリア王は綺麗でした。


 いえ、確かにその見た目は男性としてとても魅力的ですし、今まで見たことが無い程整った顔をされています。


 しかし、私の感じた想い……綺麗としか表現できなかったのは、見た目の美しさとは別の物でした。


 惜しむらくは……私が感じたそれを正しく言葉に出来ないことにあります。


 もどかしささえ覚えながら、私は……恐らく一瞬だと思うのですが……呆然とエインヘリア王の事を見つめてしまいました。


 そんな私に気付かれたのか、エインヘリア王は小さく苦笑すると口を開いた。


「さて、本日は隣国として親交を深めに来たという訳では無いようだが、どのような要件で参られたのかな?」


「は、はい。あ、勿論、国境を接することになった貴国との親交を深め、是非国交を結びたいという気持ちはございます。ですが、今回は……恥ずかしながら、我が国の窮状を貴国のお力でお救いいただけないかと希う為、やってまいりました」


 エインヘリア王の姿に見惚れていた為、一瞬返事に詰まってしまいました……大失態です。


 それと……失態は別にしても、物凄く恥ずかしいです。


 多分エインヘリア王に見惚れていたことを、エインヘリア王本人に気付かれてしまっています……。


「ふむ、窮状か。国交すらなかった……いや、外から見れば、我がエインヘリアは、戦争や謀略によって他国を次々と占領していく危険な国。そんな野蛮な国に窮状を訴え、助けて欲しいと言ってくるくらいだ。相当な窮地であること、そして並々ならぬ覚悟でここまでやって来たのだろう事は理解出来る。しかし、非常に申し訳ないのだが、ベイルーラ地方以南の情報にはあまり明るく無くてな。詳しく聞かせてくれるか?」


 私は未だ震えの止まらぬ足に力を込めつつ、我が国の窮状を訴える為口を開きます。


「それでは、御説明させて頂きます。我がパールディア皇国は長年南方にある、スティンプラーフに侵攻を受けており、その圧力は年々高まっております。武門として名を馳せた貴族も、多くが討ち取られ軍は瓦解寸前……兵役によって国内の男性の数が減り、生産力もかなり低下しております」


 話していく内に、怒りからか悔しさからか……どちらが原因かは分かりませんが、足の震えは止まり、前で組んでいる手にも先程までとは違った力が籠ります。


「エインヘリア王陛下は、スティンプラーフの事を御存知でしょうか?」


「……確か、南西部にある国だったか?近年領土を拡大して、中堅国家と呼ばれるくらいには領土を持っていたと記憶している」


 少し思い出す様にしながらそうおっしゃるエインヘリア王は、やはり先程の言葉通り南西部の情報をあまりお持ちではないのでしょう。


「我々は彼らを国とは認めてはいませんが……陛下のおっしゃる通り、彼等の勢力圏は小国のそれをはるかに上回るものです。元々スティンプラーフは、いくつかの集団が各々好き勝手に行動……周辺国に略奪を仕掛けては自領に持ち帰るという、野盗集団の群れといった感じだったのです。ですが、十年ほど前に各地に点在する集団を纏め上げたラフジャスという男が王を名乗りだしてから、その動きが変わりました。いえ、やっている事は変わらないのですが、より苛烈にそして何より強くなったというのが正しいと言えます」


 エインヘリア王に向かって話す私の背中……使節団の者達から怒りの感情が膨れ上がるのを感じます。


 ……気持ちは分かりますが、貴方達は使者なのですからもう少し感情は抑えて下さい。


 ですが本当に……気持ちは分かります。


 肉親を、愛する人達を奪われ、蹂躙され、そんな状態にありながらも関係のない他国の力に縋る事しか出来ない。そんな悔しさを飲み込まざるを得ない自分達と、そうせざるを得なくさせた元凶に対する怒り。


 抑えようにも抑えきれないマグマのような怒りが、エインヘリア王の放つ重圧を忘れさせるほど、彼等……いえ、私達の心を支配しているのです。


「かの蛮族王に率いられた軍は精強で、瞬く間に二つの国が滅ぼされ……我が国が三か国目となるのも時間の問題でしょう。彼らに蹂躙された国々の末路は、話に聞くだけでも堪えられない程、凄惨なものです」


「……自国として組み込んだ土地を育まないのか?」


 王であるならば当然の反応といえますが、私は小さくかぶりを振って見せます。


「彼等は生来の略奪者です。力で奪い、焼き尽くし、その場所から奪いつくせばまた別の場所に向かい奪う。奪ったものを自領内で取引し、取引材料の為にまた奪いに出る。それがスティンプラーフの生業です」


「なるほど。貴国がスティンプラーフを国として認めぬ気持ちは分かるな。話に聞く限り、それは人の営みではなく、獣の生だ」


 そう言ったエインヘリア王の表情はどこか呆れ交じりの……侮蔑を感じさせるものでした。


 その言葉、そして表情は私の心に希望を灯すに十分な物です。


「まさに、おっしゃる通りかと」


 エインヘリア王はスティンプラーフを嫌悪されている。


 その事実だけで私は喜びを覚えます。


 他国を制圧したエインヘリア王は、あの者達とは違う……正しく王であるのだと。


「……事情は分かった。それで、第二皇女殿は国を救ってほしいと言っていたが。それはどういう意味だ?話を聞く限り、スティンプラーフは明確な理由……戦争を起こすだけの大義を持たず、略奪の為に襲い掛かってきているのだろう?我等が援軍を送り、一度や二度相手を追い払ったとしても意味はないのではないか?」


「……はい。一応、彼らは言い分を発表していますが、それは戦争を起こすために一方的に宣言した物に過ぎません。まともにそれを取り合う国はないでしょう。彼らの目的は最初から最後まで他国からの略奪です。ですので、守るだけでは根本的な解決には至りません。たとえ守り切ったとしても我が国以外の周辺国が狙われ、奪われるだけです。だからこそ、我々が望むのは同盟軍によるスティンプラーフの駆逐、制圧です」


 既に私の顔から笑みは消えており、エインヘリア王こそ私の倒す敵であるかのように正面から見据えております。


 大変無礼な事ではありますが、ここを乗り越えられなければ全ては終わる……その覚悟で私はエインヘリアに来たのですから。


「同盟軍か……それは我が国と貴国だけか?」


 その一言で、エインヘリア王が先を読んでいることを理解させられます。


「いえ、我が国を含めたスティンプラーフと国境を接する三国全てが参加します」


「三か国の力だけでスティンプラーフを陥とす事は出来ないと?」


「恥ずかしながら……スティンプラーフは裏を突いてくる戦術を得意としており、それを防ぐために自国の防衛を疎かにすることが出来ません。そして守りと攻めを同時に行うには……疲弊した我々だけでは戦力が足りないのです」


「略奪を主な生業とする者達だからこそ、攻め込まれているにも拘らず守りを捨て、逆に攻めて来るか……持たざるが故の怖さ、狂気だな」


 相対している訳でもないのに、スティンプラーフの蛮族たちの思考を当然の如く読んでいらっしゃいますね。


 普通の王族であれば、絶対に辿り着けない考え方だと思うのですが……。


「……はい。それ故、攻めると言っても中途半端な数にならざるを得ず……結局今日までスティンプラーフに攻め入る事は出来ておりません」


「略奪を繰り返すスティンプラーフにしてみれば、周辺国の大体の兵力は把握済みだろうしな。三か国が攻め込んでくれば、どの国が一番手薄かは手に取るように分かるだろう。そしてそれを理解しているからこそ、同盟国であっても足並みが揃えられない訳だ」


「……」


 続け様にあっさりと我が国……いえ同盟軍の内情まで言い当てられてしまいます。


 これが、あっという間に他国を飲み込み、大陸の覇者と言われる大帝国にさえも勝った言われるエインヘリア王……。


 その慧眼……何処まで先が見えているのでしょうか?


 先程の様子では、スティンプラーフや我が国についてあまり知らぬといった感じでしたが……そんな状態でここまで正確に読み切ったのであれば、それはとんでもない事ですし、同盟軍やスティンプラーフの情報を得ていたのだとすれば、その完璧とまで言える正確性は恐ろしいものがあります。


「事情は理解した。そういう事であれば、我が国は援軍を出す事に異論はない……」


 エインヘリア王の言葉に私は全身から力が抜けそうになりましたが、何とか体を支えます。


 それに……まだエインヘリア王は言葉を続けており……。


「だが、現状ではそれを軽々に決める事は出来ない」


 そう続けられたエインヘリア王の言葉に、私は再び体を硬くしました。


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