第309話 とある孤児院での一幕

 


View of トッド 元ムドーラ商会丁稚 






 あー、くそっ!


 また間違えた!


 俺は消しゴムを手に取り紙をこする。


 初めてこの消しゴムを使った時は、汚れが落ちる魔法の道具だと思って物凄く興奮したけど、慣れて来た今となってはこれを使う時は基本的にイライラしていると思う。


 いや、消しゴムは悪くねーんだけどさ。


 俺は間違えた個所をごしごしとこすり、書き損じた文字を消す。


「トッド、あんまり力込めてこすると紙が破れるわよ?」


「分かってるよ……」


 隣の席に座るミユに言い返す。


「ちょっと!消しゴムのカスをこっちに飛ばさないでよ!」


「へっ……」


 口煩いミユに向かって消しゴムのカスを払った俺は、横に置いたお手本をしっかりと確認しながら字の練習を再開する。


 無視されたミユは文句を言いかけていたが、今が授業中であることを思い出したようで言葉を飲み込み、顔を真っ赤にしながら自分の課題へと向き直った。


 ミユの奴は面倒見がいいというか、口煩い。まぁ、スラムでガキ共のグループのまとめ役をやっていたらしいから、そのせいなんだろうな。


 俺は今……えっと……エインヘリア、とかいう国の孤児院にいる。


 最初は、孤児院に入るなんて死んでも嫌だと思っていた。


 俺の知っている孤児院ってのは……子供を集めて労働させ、場合によっては売り払って金儲けをする様な奴等の巣窟だ。


 理不尽な暴力なんて当たり前、欲望の捌け口にされることなんて日常的に行われている……昔、孤児院から逃げ出してきたダチがそう言っていた。


 そいつとは逸れちまって、その後どうなったかはわからねぇけど……そいつから散々孤児院の恐ろしさを聞いていた俺が、こうやって孤児院にいるのは……リーンフェリアの姉御に言われたからだ。


 あの日……リーンフェリアの姉御達が、俺が見張りをしていたムドーラ商会の施設に殴り込みをかけて来た。


 リーンフェリアの姉御と一緒にいた二人は無茶苦茶だった。軽くノックをしたと思ったら扉が粉々になったり、建物の中にいた連中がまるで紙でできた人形のように吹き散らされたり、滅茶苦茶強そうなおっさんを、あっという間にぶったおしたり……あの姿を見てしまったら、街のチンピラなんか怖さの欠片も感じられなくなってしまった。


 いや、俺自身が強くなったわけじゃないし、街のチンピラが危険な事に違いはないんだけど……あれと比べてしまうと、何もかもがちっぽけに見えてしまうのだ。


 って、それはどうでもいいな。


 とにかく、その時にリーンフェリアの姉御に……いや、その時は名前を教えて貰えなかったし、なんかあまり意識していなかったけど仮面をつけて顔を隠していた……まぁ、捕まっていた妖精族と一緒に姉御達に保護された俺は、このエインヘリアという国に連れてこられた。


 この国は……とにかくとんでもない国だ。


 俺は物心ついた時にはあの街の路地裏にいたから、他の国どころか、あの街以外がどんな感じなのかは話に聞いたことしかなかった。


 だが、スラムのおっさん達に聞いた話では、何処の街もあの街と大差ない。


 金のある奴はいい暮らしをして金を稼ぐために生きて肥え太って行き、俺達みたいな奴はゴミを漁り生きながらえる為に生きて……ある日あっさりと死ぬ。


 裏通りには腐臭がこびりつき、絶えず飢えと危険に怯え、昨日隣にいた奴が死体で見つかり、昨日隣で笑っていた奴が殺意を持って襲い掛かって来る……そういうもんだと。


 だが……今、俺がいる街は違う。


 なんか、街全体がすっげぇ明るい。


 裏通りも……俺が知っている裏通りと全然違う。


 まず匂いが全然違う……臭くないんだ。


 俺が元居た街は港町だったこともあり、磯の香りと裏通り特有の腐臭というか汚臭というか……何とも言えない匂いがこびりついていたんだけど、この街ではそういう匂いが一切ない。


 それどころか、表通りも裏通りも大差ない程綺麗なのだ。


 最初の頃はそれが不思議で仕方なかったけど、その理由は孤児院で暮らし始めてすぐに分かった。


 この街では、毎日のように募集されている清掃という仕事がある。


 その仕事は俺達の様な孤児でも受けることが出来て、報酬も毎回きっちり支払われるだけじゃなく、清掃用の服を支給してくれて、仕事の後にお湯で体を洗い、更に食事まで出してくれるのだから驚きだ。


 最初孤児院の奴に誘われて清掃の仕事に参加した時は……正直どんな酷い目にあわされるのかと警戒しまくっていたんだが……肩透かしどころか、夢でも見ているんじゃないかと思って自分で自分をぶん殴ったりした。


 その日一番の重傷者になってしまったが、気分は悪くなかった。


 そして俺達が稼いだ金は孤児院の大人に奪われることなく……それどころか、めっちゃ褒められた上に、貯金箱をくれた。


 この貯金箱……中に金がどれだけ入っているのか分からなくなっちまうけど、この中に金を入れるのが最近の俺の楽しみの一つだ。


 因みに、一番の楽しみは……こうやって勉強を教えて貰うことだ。


 俺はあんまり頭が良くないから、覚えることが沢山ある勉強は凄く大変だけど……文字の読み書きに計算が出来るようになったら、俺は商人どころかお城で働ける……いやもしかしたら王様にだってなれるかもしれない。


 文字や計算を学ぶってことは、ほぼ貴族みたいなもんだ。いや、ミユの話だと読み書きが完璧になったらもっと色々な事を教えてくれるらしい。


 やっぱり貴族とか超えちゃうのかも。


 ご飯は腹いっぱい食えるし、寝床も柔らかくて暖かい。


 寒くもないし、暑くもないし、臭くもないし、痛くもない。


 この街に来てから危険を感じたことなんて……遊んでる最中に水路に落ちたり、掃除の最中に犬に追いかけられたりした時くらいだ。


 前の街での危険と比べたらなんてことはない……どちらも笑い話で済ませられるレベルだ。


 以前俺は、アニキに仕事を紹介して貰って、最低な生活から抜け出すことが出来たと思っていた。


 でもそれは違った。


 アニキの仕事は、自分達以外の弱者から奪う事だった。だからアニキはより強い人……リーンフェリアの姉御達に倒され、捕まっちまった。


 俺もその犯罪に加担していたのだけど……何も知らないガキってことで、注意されただけで殆どおとがめ無し……いや、正確には保護観察……とかいう事になっているのか。


 まぁ、この孤児院で生活すればいいってだけみたいなんだけど……こんな環境なら、寧ろこっちから頭を下げて生活させて貰いたいくらいだ。


「トッド、手が止まっているわよ」


「……おう」


 そんな風に考え事をして手が止まっていた俺に目ざとく気付いたミユが、ここぞとばかりに俺に注意を飛ばしてくる。


 しかし、手が止まっていたのは確かだし、勉強中に全然関係ない事を考えているのは良くない。


 ミユに注意されるのは釈然としないけど、俺は短く返事をして勉強に集中した。






「トッド、知ってるか?今度街で、祭りがあるらしいぞ?」


「祭りか……」


 孤児院の庭で草むしりをしながら、俺はテオと雑談をしていた。


 テオは俺と同室の孤児だけど、この孤児院に来たのはもっとずっと前らしい。


 それと、テオは俺と違ってこの街出身らしく、この辺りの事を色々と教えてくれる。情報通って奴だ。


「昔は祭りなんて、スリがしやすくなる程度のもんでしかなかったけど……」


「あぁ、確かにな。浮かれてる奴等は隙が多いし、普段より人が多いからな」


 テオの言葉に俺は賛同する。


 国が違ってもスラムのガキがやる事なんてあんまり変わらない……そんなことを考えた俺は、テオの言葉に首を傾げる。


「ん?」


「どうした?」


 草を毟る手を止めて考え込んだ俺に、テオが額に浮かんだ汗をタオルで吹きながら尋ねて来る。


「いや……お前この街の出身だろ?スリなんかする必要あったのか?」


「ん?そりゃ、俺も孤児院に来る前はスラムのガキだったからな。食っていくためには何でもやるに決まってるだろ?ってかお前も似たようなもんだろ?」


「いや、そりゃ、俺はそうやって生きて来たけど……お前はこの街の出身だろ?」


「あ、あ~そういうことか」


 納得がいったとばかりに笑みを浮かべながら、両手で草を掴み根っこごと草を引っこ抜くテオ。


「何一人で納得してるんだよ」


「あー、いやな?この街が今みたいになったのは、ここ一年くらいの話なんだよ」


「どういうことだ?」


「そのまんまだよ。一年くらい前は、孤児院なんて……多分なかったし。スラムも汚くて危ない場所だった。この孤児院にいる奴等の殆どがスラムの出身で、今日死ぬか明日死ぬかみたいな生活を送っていた。お前は外国から来たみたいだから信じられないかもしれないけど、この街はかなり危険な場所だったんだぜ?」


「マジか……」


 今の街の状態しか知らない俺からしたら、とてもじゃないが信じられない。だけど、コイツはそういう嘘をつくような奴じゃない。


「昔この辺りはルモリア王国って国だったんだけど、その頃は酷いもんだったぜ?俺達みたいなガキは、徒党を組んでなんとか生き延びることが出来るって感じだったな」


「……ここは楽園みたいな場所だと思ってたけど」


「それは間違ってないと思うぜ?勿論今は、だけどな?」


 そう言って草を掴んだテオだったが、根深いらしく草は抜ける様子が無い。


 俺はテオが掴んでいる周りの土を少し掘り返し手伝いながら同意する。


「……んで、その祭りがどうしたんだよ?」


「あぁ、そうだったな。その祭りでさ……孤児院の皆で店をださないか?」


「店?」


「この前、森で採ったベリーを使ってジャムを作っただろ?あれとか売れるんじゃないか?」


「……あー、どうだろう?売れそうな気もするけど……」


 アレは確かに美味かったけど、金を出して買ってくれる奴がいるかな?


「調子に乗って沢山作っちまったし、売れたらいい小遣いになるだろ?」


「うーん」


 確かにテオの言う通りではあるけど、流石に俺達だけで商売をやるってのは難しいんじゃないか?


「俺は大人になったら商人になりたいんだ。だから練習も兼ねて屋台で物を売ってみてぇんだよ」


「なるほど……」


 テオは将来やりたい事とかを考えているのか……。


「でも、いきなりは難しそうだな……」


 読み書き計算はある程度出来るようになって来たけど、まだ完璧には程遠い。


 テオは俺よりも長くここで勉強しているけど、それでもテストの成績を見る限り、まだ怪しいところがいっぱいある。


「だからさ、俺達だけじゃなくみんなでやるんだよ。んで、ある程度計画が纏まったら今度は先生の所に話を持っていくんだ。計画がちゃんとした物だったら、先生たちも真剣に考えてくれる」


「なるほど。そういう事だったら協力するぜ?」


 俺がそう言うと同時に、頑固だった草がようやくテオの手で引き抜かれる。


 大人に頼る……少し前の俺だったらあり得ないって笑っただろうけど、今は違う。


「っしゃ!じゃぁ、誰から声をかける?」


「あー、こういう時はミユに声をかければいいんじゃねぇか?アイツを引き込めたら、他にも一気に参加するやつが増えるだろ?」


「確かにな。じゃぁミユに声をかけるのはトッドに任せていいか?俺はジャムの量を調べたり、容器をどうするか考えたり……そうだ、在庫次第でジャムを追加で作る必要があるよな。そうなると森に行かないといけない。うん、その辺の段取りを進めとくからよ」


「了解。あ、屋台を作ったり……なんか店を出す許可とかも取らないといけないんじゃないか?」


 ふと思いついたことをテオにいうと、忘れていたというような表情をしながらテオが頷く。


「っと、それもそうだな……屋台は木箱を並べれば行ける。なんか布でも被せておけばそれっぽく見えるだろ?許可は……屋台をやってるおっちゃん等に聞いてみるか」


「それがいいだろうな。それもテオがやるか?」


「おう。俺が言い出しっぺだからな。商人になる良い経験だ!そういうの、全然思いつかなかったし、やっぱりお前に相談して良かったぜ」


 そう言ってテオは、抜いた草を袋に詰め始める。


 どうやら草むしりを止めて、店を出すための行動を始めるつもりらしいが……それでもちゃんと律儀に抜いた草を片付ける所までやるあたり、コイツの真面目さが伺える。


「じゃぁ、ミユの件は任せたぜ?俺はごみを捨てたら色々調べに行ってくるからよ!」


「おう、任せろ!そっちもしっかりな?」


 草を詰め込んだ袋を担いでテオが笑顔で走り去っていく。


 その後ろ姿を見送った後、俺も急いで後片付けを始める。


 ミユは多分、菜園の方にいるだろう。


 片付けが終わったら、早速話をしに行ってみるとするか!


 ……ほんの少し前まで、こんな風に生活が送れるようになるなんて想像すら出来なかった。


 この街に連れて来てくれた姐御には物凄く感謝しているけど、不安が無いと言えば嘘になる。


 突然与えられた幸運は、何かの拍子であっさりと失われるかもしれない。


 それが分かっているから、テオも将来の事を考えて動いているのだろうし、ミユの奴も真面目に頑張っているのだろう。


 俺はまだテオのように先の事を考えられてはいないけど、テオの手伝いをすることで新しい何かを見つけることが出来るかもしれない。


 与えられた幸運を、ただ与えられただけで終わらせないためにも、俺は全力で勉強して未来へと生かさなければならないと思う。


 あの時、犯罪者として生きるしか選択肢の無かった俺を、救ってくれた姐御達。あの人達に恩を返すためにも……俺は多くを学んで、姐御達が助けて良かったと思ってくれるような奴にならないといけない。


 この国……エインヘリアならそれが出来るに違いない!


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