第300話 軽い説明



View of イアスラ=レキュル 娼婦組合代表






「公布は数日後の予定ですが~既に正式に調印は済ませておりますので~ここはもう既にエインヘリア国内という事です~」


 自己紹介をした時と何ら変わらぬのんびりした様子で、イルミット殿は商協連盟の根底そのものを破壊する一言を言い放った。


 私達商協連盟において国はあくまで一つの枠組みでしかない。


 それはほぼ全ての利権や力を私達商人が金の力で握り、王侯貴族を自分達の良いように操っていたということの証左ではあるのだが……既存の枠組みを崩さなかった理由は、先程イルミット殿が語ったものが全てではない。


 それは王侯貴族達よりも、そして私達商人よりも多くいる存在……平民という、大体数を占める被支配者階層の存在があったからだ。


 幸福の一つの目安として、お金というのは実に分かりやすい単位だろう。


 そして私達商人は、その幸福を集めることに長けた者達の集まり……とりわけこの会議場にいる我々はその商人の中でも上澄み。


 大多数の平民からすれば、私達は同じ平民でありながら想像も出来ない程の大金を得ている成り上がり者達。お金を得る為であればどのような悪徳も受け入れるし、他人を陥れる事なんて夕食の献立を考えるよりも自然と行う……そんなイメージを持たれているのが私達だ。


 私達がここに至るために払った時間も努力も幸運も……それら一切合切を無視して結果としての現状を羨み、文句を言う事だけは一端の蒙昧。


 そんな連中を御する為には、歴史に守られた権威を残し、彼らの名前を使うのが一番手っ取り早くかつ安全だった。


 そんな、実権を有さず、象徴でしかない王侯貴族を狙い……枠その物を奪った。


 確かに妙手ではある。商協連盟とは、そもそも国家間における商業交流および活性化を主題とした組織。


 今では形骸となっているその理念だけど、根幹であることには違いない。


 イルミット殿が言ったように、この事は、執行役員はおろか御大さえも知らなかった話のようだけど……どうすれば、私達に知られることなく、そんな大きな話を進めることが出来たのか非常に興味深いわね。


 大会議場に生まれた動揺とざわめきはかなりのものに感じたけど、そこは流石に海千山千の商人達。


 すぐに冷静さを取り戻し、続くイルミット殿の言葉に全神経を集中させる。


「皆さんも御存知の通り~エインヘリアでは貴族を廃しており~元王族であったとしても平民となります~。まぁ、国を譲ったという功績から~死ぬまで不自由なく暮らすことは出来ますが~子孫の事を考えるならちゃんと働くべきですね~。貴方達は彼らを軽んじていますが~流石にしっかりと教育を受けているだけあって~それなりに優秀な方は少なくありませんし~そういった方は代官として取り立てることになっています~」


 代官……?


 貴族を役人として登用するということ?


「エインヘリアの細かい制度については割愛させて頂きますね~今日の本題は~ここがエインヘリアの統治下となったことであって~元貴族達の今後ではありませんから~」


 そう言ってイルミット殿は、再び椅子に座る。


「まずは簡潔に述べさせていただきますが~私達エインヘリアは~商協連盟自体をどうこうしようというつもりはありません~」


 再び会議場に小さくないざわめきが起こる。


 それもそのはず。エインヘリアと商協連盟は表向き敵対していなかったとはいえ、連盟の持つ力はけして侮る事は出来ない。


 確かに、土地を抑えられ政治的な権力の一切をはぎ取られた私達に、昨日までのような力はない。だけど、依然としてその資金力は大国と渡り合えるほどだし、私兵ではあるけど戦力もそれなりにある。


 何より商協連盟……というよりも、いくつかの商会には英雄が雇われているのだから、国内に特級の戦力が国家の意思とは無関係に存在することになるのは、いくらエインヘリアでも容認出来るものではないはず。


 いえ……でも、先程のムドーラ商会の会長の態度が気になるわね。


 個人的にはけして好きな相手とは言えないけれど、ムドーラ商会は商協連盟の裏を牛耳っていた。


 闇の王とも呼ばれている彼が見せたあの態度、それに今の様子から……おそらくムドーラ商会は、完全にエインヘリアに掌握されていると見て間違いない。


 つまり、エインヘリアはこの会議場にいるほぼ全ての商人達の弱みを握っているに等しい……ただでさえ今までと違い、エインヘリアという強国に取り込まれ動きにくくなっている上、弱み……商会によっては決定的な犯罪の証拠すら掴まれている状態ね。


 これはもう、悪辣なんてレベルじゃないわ。


 確かに、突かれてみれば……王侯貴族もムドーラ商会も、商協連盟にとってこれ以上ないくらいに急所ね。


 でもそれを突くには、商人達の目……とりわけ、御大の目を搔い潜って事を成さなければならない。


 一体どんな手を使えば、そんなことが可能なのか……少なくとも、私達が集めていた情報の中には、明確にエインヘリアが商協連盟に攻撃を仕掛けて来ているというような情報は一切なかった。


 エインヘリア……底知れない国なのは間違いない。


 でも……だからこそ、多くの商人達はそれを商機と見ている。


 大きな変革は大きな商機となり得る。


 勿論、後ろ暗いところが無い人達に限るだろうけど。


 私としては、景気が良くなり全体的に懐が豊かになれば娼館の利用者も増えるし、他の商売に関しても良い影響が出るのは間違いないから、今回の件は歓迎できる事態といえるわね。


 正直、私達商人にしてみれば所属する国が変わってもそこまで影響はない。


 私の立場では商協連盟の上位の方々程、権力の恩恵を受けていたわけではないしね。


「ですが~エインヘリアにはエインヘリアの法があるので~そちらは遵守してもらうことになりますし~おそらくいくつか商売が出来なくなる商会は出てくると思います~。大きなところでは~奴隷に関する商売ですね~。こちらは国の許可制になりますし~法令違反をすれば一発で許可取り消しとなります~」


 奴隷……身売り関係も、取り締まり対象となる可能性があるわね。


 商協連盟は奴隷売買についてはかなり緩かったし……というか、色々と失敗して身持ちを崩す人間が多かったから、その辺りは仕方ないわね。


 でもこれからはその辺りの締め付けが厳しくなる……早急に確認が必要だわ。


「各種税については~今後の発布を待ってもらいますが~確実にご満足いただけると思いますよ~?エインヘリアの様々な政策に関しても後日になりますが~全てを後日と言ってしまっては今日ここに来た意味がありませんからね~商売に関する事だけ掻い摘んで説明致します~」


 そう言ってイルミット殿は、エインヘリアで行っているいくつかの施策、技術を滔々と語る。皆の目がギラギラしていくのを感じるわね。


 でも、その気持ちはよく分かる。はっきり言って、面白い……商売はあくまで引退した子達の受け皿としてやっていた私から見ても、エインヘリアの商品や技術は非常に魅力的に映った。


 特に転移という技術に飛行船という輸送手段……転移は許可制で私達には関係ないみたいだけど、飛行船という輸送手段は……今までの馬車での輸送と比べて、速度も安全性も桁違いなものになるわね。


 商協連盟内の流通を牛耳っていた御大にとっては、かなりのダメージになりそうだけど……ここから見る限り御大は平然としているように見える。


 恐らく御大の中では、既にエインヘリアの傘下で行う商売のプランが出来ているのでしょうね……。


 私もうちの娘達を路頭に迷わすわけにはいかないし……今のままという訳にはいかないわね……。


 それにしても……不自然に髪の毛が増えている人達が大勢いると思っていたら……まさかエインヘリアの薬だったなんて……怪我をして禿げてしまった部分にも効くのかしら?


 うちの娘達の中には、虐待や客の暴行によって、そういった傷を負っている娘も少なくない。


 それにあらゆる病気を癒すという薬……安くはないだろうけど、その辺りも何とか手に入れたいわね。


 でも、エインヘリアの政策下では今までと違い食い詰める者が減るかも知れない……将来的に自ら娼婦になろうとする娘はいなくなるかも?


 民の一人一人の懐が温かくなれば、需要は増えるだろうけど……難しいところね。


 まぁ、弱者が身体を売らなくても生きて行ける世の中になるのであれば、私としては別に文句はないけど……組合長としてはどうするのが正解かしら?


 そんなことを考えていると、一瞬円卓に座るイルミット殿と目が合った。


 偶然……?


 いえ、なんとなくだけど……意図的だったように感じる。


 エインヘリアの重鎮が、たかが娼婦の代表である私に興味があるとは思えないけど……。


「それと~皆さんが一商人として~今後も商売に携わっていきたいと考えているのは承知しているのですが~ここにいる何人かの方には商売から身を引いて頂き~代官としてエインヘリアに仕えて頂きたいと考えております~。勿論強要はしませんよ~?ですが~事前に打診させて貰った方で~何人かから良い返事を貰っておりますし~今後私達から接触があった場合は~邪険せずに話を聞いて下さいね~」


 代官って……さっき貴族達を登用して任官させるっていっていた奴よね?


 そんなの、商人である私達に任せていいのかしら?


 自分達の利益を最優先して動く商人には、向いていないと思うのだけど……。


 いえ、向いていないというか、自らの利益のために立場を利用するのが確実というか……。


 ……そんなことはエインヘリアも十分分かっているでしょうし、私が気にすることでもないのだけど……エインヘリアは国家運営の仕方さえも斬新すぎるわね。


 それでいて不正には厳しいってことだし……どれだけ自分達の管理に自信があるのかしら?


「ビューイック商会の会長さんには~日を改めて色々とお話しさせて頂きたいと思っております~。それでは~今日の所はこの辺で失礼させて頂きますね~?ごきげんよう皆さん~」


 にこやかにそう告げたイルミット殿は立ち上がり、全員が注目する中、会議場から出ていこうとする。


 なんというか……最初っから最後まで圧倒されっぱなしだったけど、それは私だけではないはず。


 恐らくあの御大であっても……。


 一度大きな反応を見せた後、一切動きを見せない御大の方に視線を向けようとしたのとほぼ同じタイミングで、イルミット殿が何かを思い出したように、あっと声を出した。


「ロッズ、アレを回収しておいてください~」


「了解」


 後ろについていた護衛がイルミット殿から離れ、円卓の一角へと無造作に近づいていき……そこに座っていた人物の襟を掴む。


「ひっ!ひやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


 掴まれた人物……ムドーラ商会の会長が、彼が発したとは思えないような悲鳴を上げながら暴れ始めるが、襟をつかんだ人物の手は一切ぶれることなく、そのまま無造作にムドーラ商会の会長を引きずりながら歩き出す。


「いや、いやだああああああああああああ!たす!たすけてっ!たすけてくれええええええええええええ!!」


 あの闇の王と呼ばれた人物が、まるで子供のように悲鳴を上げる様を見て、会議場にいる者達は一斉に顔を青褪めさせる。


「うるさくしてしまって~すみません~。すぐに退出しますので~」


 にこやかに会議場から出ていくイルミット殿と、泣き叫ぶムドーラ商会の会長を無造作に引きずって行く護衛……私は……いえ、この場にいる誰もが恐怖の視線で見送る。


「あああああああああああああ!だ、だれか!!だれでもいいから!!御大!御大!!助けて!!助けて下さいいいいいいいいいいいいい!!」


 誰一人として……助けを請われた御大でさえも、一切動くことが出来ないまま……イルミット殿達は会議場から出ていき扉が締められる。


 防音の行き届いた会議場の中には、廊下に出てしまったムドーラ商会の会長の悲鳴は届かない。


 耳が痛くなるほどの静寂が、会議場の中を支配した。


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