第273話 農地予定地の貴族



View of ヘルミナーデ=アプルソン スラージアン帝国男爵 西方貴族派閥末端






「セイバス、何度見ても訳が分からないですわ」


「お嬢様、現実逃避もいい加減になさってください。事態は既に崖っぷちなどと言う手ぬるい状況ではなく、お嬢様は既に崖から転落し、程よい感じに腐乱している最中です」


「うら若き乙女に向かって、どんな表現叩きつけているんですの!大体、この件は貴方が発端となったのでしょう!?」


 私は手にしていた書状……には国璽が押されている為投げることが出来ず、代わりに机の上にあった文鎮をセイバスに投げつける。


 しかし、セイバスは飛んできた文鎮を危なげなくキャッチすると、思いっきりわたくしの顔目掛けて投げ返してきました!


 とんでもねー執事ですわ!


「お嬢様危のうございます!」


「人の顔目掛けて文鎮投げる方が危なくってよ!」


 飛んできた文鎮を受け止めたわたくしは、怒りのままにもう一度投げつけようかと考えましたが……恐らくこの先は不毛なキャッチボールになるだけなのでここでやめますわ。


 捕虜から解放されたわたくし達は一か月程前に領地へと帰還し、今まで通り畑仕事に精を出す生活をしておりました。


 遠くの地では、帝国とエインヘリアの間で、色々と条約を結んだり交流があったりとしていたみたいですが、わたくしのような辺境の男爵程度には一切関係のない話ですわ。


 幸い、戦に出たグッテさん達も殆ど怪我らしい怪我はなく、戦争前と何ら変わらない日常が戻って来た……ほんの十日ほど前まではそう思っていたのです。


 いつもと変わらぬ日常を全て吹き飛ばしてしまったのが、この書状ですわ。


 国璽の押された書状……こんな物、一生目にすることも無い……そんな事を考える事すらなかった代物が、アプルソン家に届いたのです。


 しかも、これを当家に持って来られた方は……あのディアルド=リズバーン様。


 『至天』第二席であられる、あのリズバーン様ですわ!


 先触れも何もなかったものですから……リズバーン様がこられた時、わたくしは鍬を使って荒地を掘り起こしていましたわ。


 そろそろ農地を拡大したかったんですもの……。


 ですが、流石はリズバーン様……わたくしの姿に一切動揺することも無く、歴史に残る英雄であるにもかかわらず本当に穏やかな笑みを浮かべながら書状を渡して下さった。


 いえ、泥だらけの手で受け取ることが出来ず、不敬ながらセイバスに受け取ってもらったのだけど……泥だらけの手で受け取るのと、執事に受け取らせるのは……どちらが不敬だったのでしょう?いえ、多分どちらもかなり……ま、まぁ、リズバーン様は大丈夫と言ってくださいましたし、恐らく不敬罪とはならないでしょう。


 それよりも問題だったのは、当然この書状の内容ですわ。


 そこに書かれていたのは、我がアプルソン家の領内に帝国とエインヘリアの共同農場を作るというお達しだった。


 しかも極秘裏にという事……正直我が領は以前セイバスにも散々こき下ろされましたが、田舎も田舎……周辺領の方には秘境とさえ言われる有様です。


 領内唯一の村に来るのは非常に難しく、行商人さえ訪れることはありません。


 二か月に一度、グッテさんをリーダーとした買い出し部隊が隣の領まで必需品を買いに出て、なんとか糊口を凌ぐ日々です。


 外貨を得る方法も乏しく、村の皆さんには本当に苦労を掛けていますが……その分、領内の全員が顔見知りで家族同然の付き合いをしております。


 仮に他所から極秘の農場を調べようと領内に潜り込む者がいれば、即座に分かる事でしょう。


 農場の管理は基本的にわたくしたちに委ねるとの事なので……外部の者は、派遣されてくる警備くらいだそうです。


 防衛や防諜に関しては警備の者達に任せて良いとの事ですが……農作業自体はわたくし達が受け持たねばならず、規模等は記されておりませんでしたが、正直相当な負担が予想されます。


「セイバス、これは本当にわたくし達で処理出来る内容なのかしら?」


「お嬢様であれば、農場が軌道に乗るまで……二、三年程寝ずに働けるでしょうし問題ありません」


「問題しかねーですわ!というか、わたくしが寝ずに働いたところで無理に決まっていますわ!国家プロジェクトですのよ!?領民の皆さんの手を全力で借りたとしても、とてもではありませんが人手が足りませんわ!それに……自分達の畑もありますし……今でさえ手一杯ですのよ?」


「そちらの書状に、成果物は全て国が買い取ると書かれているそうではありませんか。その金額は相当な物なのですよね?」


 国から出された書状ですので、さしものセイバスもその中身は見ておりません。


「えぇ……正直、目玉が飛び出るくらいの金額ですわ。これだけの金額で買い取ってもらえるのでしたら、それだけで領民の皆さんの生活は保障できます。ですが……その作物がこの土地で育つかどうかも分かりませんし、どれほどの量が収穫できるかも分かりません。それに今まで育てた事のない農作物をいきなり育てられるかどうか……」


「農業指導員が派遣されるのでは?」


「そう書いてありますが……書状によれば最初の二か月だけ……最後まで面倒を見てくれるという訳ではありませんわ」


「……」


 ……流石のセイバスも表情が硬い。


 恐らく今、セイバスは今回の事態を自分のせいだと考えているのでしょう。


 我が領が此度の共同農場地に選ばれたのは、セイバスがエインヘリアの捕虜となっている時に作った繋がりが原因となっているのは確実です。そうでなければ、突然わたくし達の領が帝国の上層部やエインヘリアに目をつけられるとは思えませんし。


 普段は不遜と不敬が服を着て歩いているような男ですが、この領地を愛している事は間違いありません。


 本人には絶対に言いたくありませんが……セイバスの能力は、こんな辺境地の執事にしておくのは勿体ないもので、他所にいけば今とは比べ物にならない程の待遇を得られるでしょう。


 ですがその道をセイバスは選んでおりませんし、わたくし達としても、セイバスの力にはいつも助けられています。


 ……だから、一人で責任を感じて欲しくはありません。


 今回の件は、領地の為を思って動いた結果なのですから。


 それに……なんとかこの農場が軌道に乗るまで耐えきることが出来れば、その後の領民の皆さんの生活は必ず豊かな物になるでしょう。


「……セイバス」


「お嬢様」


 真剣な表情をしたセイバスが深く頭を下げる。


「色々弱音を言ってしまいましたが……そんな深刻に考えなくても大丈夫ですわ。これは国家事業ですもの。書状にはそこまで詳しく書いておりませんでしたが、わたくし達が身を切る以上、国からも支援を頂けるはずですもの!中央の方々の感覚で支援して貰えたら、生活がとても楽になる可能性も……」


「農場が軌道に乗るまで有休を頂いても?」


「二年間寝ずに働きなさいな!」


 コイツ、欠片も気にしていませんわ!


「なんと……もしやお嬢様、人の心をお持ちでない?」


「人でなしは貴方のほうですわ!貴方が誘致したのでしょう!?」


「ふむ……確かにあの時、を頂いて私がエインヘリアの方と繋ぎを作り、アプルソン領の宣伝をさせていただきました。今回の件はその時の御縁が発端となっているのは間違いないでしょう」


「……」


「流石はお嬢様、見事な差配です。憧れてしまいますね」


 ぐうの音も出ませんわ!


 セイバスの言う通り……あの時セイバスに許可を出したのは、間違いなくわたくし!


 そもそもセイバスはアプルソン家の為に動き、見事な成果を見せたのです。


 それを称賛することはあれ、叱責することなんて……許される筈がありませんわ!


「確かに、その通りですわ。此度の件は全てわたくしの責任によるもの。セイバスは一切関係ありませんわ」


「なんと……お嬢様。私の功績を奪おうとなさっておられるのですか?」


「……」


「功績といえば……このなんの特色も力も無い田舎領地に国家プロジェクトを誘致した手腕、伯爵家辺りに売り込みたいのですが……推薦状とか書いて頂けますか?」


「貴方を推薦なんかしたら、我が家の正気を疑われますわ!」


「……確かに、これ程までに優秀な人材を手放すなんて正気とは言えませんね」


 ……ぶっとばしてやりてぇですわ。


 そう考えたわたくしは、先の戦争にも持っていった愛用のメイスを手に立ち上がります。


「伯爵家と言えば……」


 そんなわたくしの姿を見たセイバスが、何事も無かったかのように話題を変えますが……わたくしは構わずにメイスを片手にセイバスに近づいていきます。


「近隣……というには些か離れておりますが、この辺り一帯の貴族家が粛清されたそうですね?」


「……戦前に通達が来ていた件ですわね。戦争の切っ掛けとなったとかなんとか……それが一体どうしたのかしら?」


「いえ、かなりの数の家が粛清されたようで、お家取り潰しも相当な数になったとか……今は中央から役人が来てその領地を管理しているそうですが、いずれは何処かの貴族家が管理することになるでしょう」


「中央からこんなにも離れた遠隔地に直轄領は作らないでしょうし、そうなると思いますわね」


 わたくしは間合いを量りながら、じりじりとセイバスとの距離を詰めていく……わたくし達のいる部屋は非常に狭いので、三歩も歩けば攻撃範囲内ですわ。


「もしかしたら、今回の件でお嬢様が陞爵し、この辺り一帯を治める大領主となられるかもしれませんね」


「ありえませんわ」


 わたくしは床に叩きつけない程度にメイスを振り下ろし、大仰にため息をつく。当然のようにセイバスはさっと身を躱しました。


 確かに二か国が協力して作る農場をしっかりと管理できれば、その功績は計り知れない物となるでしょう。


 ですが分相応という言葉がありますわ。


「そもそも領地が広がっても困るだけですわ。管理なんて出来っこありませんもの。村とその周辺を管理するだけで手一杯……他所様は他所様で頑張って欲しいですわね」


 領地を得るという事は、その領地を管理し守らなければならないという事。


 残念ながらそういった実務が出来そうな人材は我が領にはいません。わたくしは勿論、先代である御父様もこの村以外の領地経営なんて経験がありませんし、無駄に領民の皆さんを苦しめるだけになってしまいます。


 上に立つべき人というのは、それだけの能力と力を持っている人の事を言うのですわ。勿論その人個人が持っておらずとも、家がその力を有しているのであれば問題ないでしょう。


 そしてアプルソン家はその器ではありません。


「向上心は大事ですよ?」


「向上心は勿論ありますわ。今ある村を、領民の皆さんをもっと豊かにしたい。飢えや寒さに苦しまないように、毎日を何の変哲もない平凡な一日として過ごしてもらいたい。我がアプルソン家が目指す上というのはこれしかありませんわ」


「謙虚だとは思いますが……もう少し貴族として上を目指しても良いのでは?」


「今ある領地を富ませる事こそ貴族としての本懐。身の丈に合わぬ物を求めても、待っているのは破滅ですわ。わたくし一人で破滅するならともかく、その時は領民の皆さんも道連れです……そんな事、許せるはずもないでしょう?」


「立派な御志かと。あ、私はお嬢様が破滅する前に辞する予定なのでお構いなく」


「わたくしが破滅する時は、貴方は絶対に爆散なさいな」


 メイスを壁に立てかけながらわたくしが言うと、セイバスは驚いたように目を丸く開く。


「そんな事よりも、問題は明日ですわ。明日、こちらに来る帝国とエインヘリアの方々です。お忍び故、歓迎等は必要ないと言われていますが……」


「アプルソン家に中央の使者や他国の方を迎え入れられるだけの力が無い事は、向こうも承知しております。以前書状を届けて下さったリズバーン様もいらっしゃるとの事なので、礼を逸しなければ問題はないかと」


「……生産に成功すれば中央と取引をすることになりますし、視察が入る事もあるでしょう。領民の皆さんにも、最低限の礼儀作法を覚えて貰った方が良さそうですわね」


「一応代表となるグッテ殿達には簡単に指導させて頂きましたが、今後の事を考えるとお嬢様のおっしゃる通り、領民全員に指導しておいた方が良いかもしれません。どのような方がこられるか分かりませんし……」


「そうですわね……」


 貴族の中にはそういったことに煩い方も少なくありませんし……そういった諍いから剣を抜く方もいるそうです。


 そのようなくだらない事で領民の皆さんが傷つけられるくらいでしたら、少し時間を割いて最低限の作法を覚えて貰った方が遥かにマシですわ。


「それと、明日来る使者から詳しい計画等が聞かされると思いますが……こと農業に関しては、絶対に無茶を受け入れないで下さい」


「分かっていますわ。誰が相手であろうと、領民の皆さんに負担を強いるようなやり方は受け入れられません。例え皇帝陛下が直々に参られたとしても、無茶無謀はきっぱりとお断りいたしますわ!」


 ただでさえ、キャパオーバーですもの……農作物を豆や芋から差し替えるのでしたら、それ相応の保証や援助が無ければ、一年後には皆さん飢え死にしてしまいます。


 明日はこのヘルミナーデ=アプルソン、一世一代の大勝負の日となりますわ!


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