第268話 とある覇王の一日
覇王の朝は早い……こともない。
普段通り、なんかいい感じに目が覚めたタイミングで俺はベッドから身を起こすと、それを見計らっていたようにルミナが俺に飛びかかって来て、身体をよじ登って来る。
俺が腕でその小さなお尻を抑えるように抱っこすると、身体の納まりに納得のいったルミナが、今度は俺の顔をぺろぺろと舐め始めた。
「おはよう、ルミナ」
体を支えている腕とは反対の手でルミナの後頭部を人差し指を使いコリコリと撫でながら声をかけると、一瞬だけ舐めるのを止めたルミナが、俺の目を見ながら小さく首を傾げる。
俺がそんなルミナに笑顔を向けると、何か納得出来たのかルミナは俺を舐めることを再開した。
一心不乱に俺の顔を舐めるルミナを抱っこしたまま、俺はベッドから降りて時計に目を向ける。
時刻は七時……日の出よりも多少早く起きて活動を始めるこの世界の人達からすれば、随分とゆっくりした目覚めと言えるだろう。
とはいえ、別に早起きをした所で何かやる事があるわけでもない俺は、自然と目が覚めるこのくらいに起きるのが日常であった。
俺がそんなことを考えている間に、何故か興奮してどんどん舌遣いが激しい物になって行くルミナを引きはがし、そっと床に降ろしてから部屋着へと着替える。
俺が着替えている間、朝から絶好調と言った感じのルミナは、俺が脱いだ寝間着に体を擦り付けるように暴れている。そんなルミナを少しの間もふもふした後、サイドテーブルに置かれているベルを鳴らした。
相変わらずの速度で扉がノックされ、メイドの子がルミナのご飯を持って部屋へと入って来る。因みにルミナは俺がベルを鳴らした時点で、ご飯を持ったメイドの子が来ることを理解しているので、猛ダッシュで扉の前に走って行きお座りをしている。
所定の位置でご飯を食べ始めるルミナを見ながら、俺はメイドの子に今日の予定を確認し、それから食堂へと移動して朝食、その後は普段通り書類仕事だ。
そんな感じで、今日も一日が始まる。
「キリク、帝国への農業支援の件……バンガゴンガに協力してもらうつもりだが、問題はあるか?」
「大丈夫です。ゴブリンが一帯を支配していたといってもそれは大陸南方での事。中央以北ではそこまでゴブリン達を忌避する風習はないので問題はありません。バンガゴンガ殿ならば、特産品の生産に慣れておりますし適任でしょう」
「ではそのように手配しておいてくれ。しかし、ゴブリン排斥は南の方だけだったのか。こちらのゴブリン達は北へと逃げなかったのか?」
「流石に里単位での移動となると人族の目についてしまいますからね……それに隠れ住んでいる以上、そういった情報に疎くなるのも仕方のない事かと」
「それもそうだな」
今日の書類仕事は、キリクとイルミットも同席しており、プチ会議をしつつの作業となっている。
まぁ、会議と言っても書類を見ながら二人の報告を聞いて、偶に俺が質問すると言った程度のものだけど。
「商協連盟のほうは~食料品と武器、薬辺りの価格操作をしていた者達が~かなりダメージを受けています~。長期化するだろうと踏んでいた~エインヘリアと帝国の争いが一瞬で終わりましたし~何より武器や防具の輸入は完全に停止しましたから~」
「商協連盟は今、見た目以上に苦しくなっている筈です。東から北東にかけてをエインヘリアに抑えられ、北側には親帝国派の小国。唯一南側は開いておりますが、そもそも南側の小国はあまり裕福とは言えませんからね。東側の小国群やソラキルの貴族達という取引相手を失ったことで損失は相当なものとなっております」
「おかげで~本拠地をエインヘリアに移したアーグル商会が~商協連盟の上層部に食い込むことが出来ました~。今はドワーフ製品を中心に~少々の食料も流しております~。本当はポーションや他の薬関係を出したい所ですが~」
「それはもう少し待ってくれ。こちらで仕掛けているモノもあるからな」
「そっちばかり大駒を使うのはズルくないかしら~」
「フェルズ様に先に御許可を頂いたのは私だからな。それに何より、フェルズ様の懸念を思えばこれ以上の手はないだろう?」
「それを言われると何も言えなくなるわね~」
うん……この子達が会話を始めると、さっぱり分からんな!
元々帝国方面はキリクの担当、商協連盟はイルミットの担当ってなっていたけど……商協連盟相手には商売的な動きしかしていないみたいはず。アーグル商会の力を増させ、商協連盟内での影響力を強めるのが目的なんだと思う。
当然その先には魔力収集装置の設置が出来るようになる道筋が出来ているのだろうけど……俺には予想も出来ん。
どうなっとんのん?と聞きたい気もするけど……兵をどういう風に進めて~みたいな話しならともかく、イルミットが今行っている戦略は多分俺が聞いても全然分からん。
まぁ……みんなが集まっている時に詳しく聞くのがベストだろう。
そんな風に二人の知者に囲まれつつ、俺は午前中の書類仕事をしながら胃を痛めた。
「どうですか!?師匠!」
「悪くは無いでござるが……この先に進むためには、やり方を変える必要があるでござるな」
俺が訓練所に顔を出すと、ジョウセンと……何故か帝国の『至天』第一席のリカルドが剣を交えていた。
……なんでここにおるん?
っていうか、師匠?
「やり方……ですか?それは一体?」
「リカルドは加速の魔法と思考加速……でござったか?それを併用することで、他の追随を許さぬ武力を得た。でもそれは、通じる相手には絶対的な強さでござるが、拙者たちのように見切れる相手に出くわせば……まぁ、前回の拙者との戦いのようになるでござるな」
「……はい」
「速さと思考を高いレベルで同居させているのであれば……次に目指すのはリカルド自身の強さ。思うにリカルドは、これまでその速さを十全に使う訓練に重きを置いて来たのでござろう?」
「おっしゃる通りです」
「速さを使いこなし、その速さ以上の速度で思考を回して体を動かすのは大事でござるが……考える前に動く方がもっと速いでござるよ?訓練で目指すは、身体を動かすという事の最適化……一々考えながら体を動かすのは勿体ないでござるよ。とりあえず……今日から身体加速の魔法は禁止。その上で休まずに、ずっと全力でやり合うでござるよ」
「は……はいっ!」
ぶっ倒れるまでじゃなくって……本気でずっとやるんだろうなぁ。
あ、リカルドが上下真っ二つに……うん、即元通りだけど……リカルドめっちゃ目を見開いてるな。まぁ、気持ちは分かるけど。
一瞬でジョウセンにボロボロにされて血しぶきを上げるリカルドだが……暫くすると傷一つない姿で復活……いつ見ても現実離れしてる光景だね。
しかし、ジョウセンに相手をして貰おうと思ったんだけど……今日は無理そうだな。
どうしたもんかと思いながら訓練所の中を見渡していると、ジョウセン達からかなり離れた場所から怒声が聞こえて来た。
「いい加減にしろ!出来る出来ないじゃねぇ!やるんだ!お前らは既にこの程度は出来る!今頭ン中で不可能だと思っている奴がいるならソイツは甘えてるだけだ!死ぬ気でやれ!死んでもやれ!そんでもって死ぬな!アタイら外交官は死ぬことは絶対に許されねぇ!死んでも死ぬな!生きて全部成功させろ!その気概が無い奴は一生訓練所で死ね!」
えぇ……?結局生きるの?死ぬの?結論はどっちなの?
とんでもない内容に俺が若干引きつつ、でも外交官にこんな怒声上げる様な子なんていたっけ?と首を傾げ、好奇心からそちらに向かって俺は進む。
「おら!やってみせろ!訓練で出来ないことが実戦で出来ると思うなよ!本番に強いってのは、本番でも普段通りのパフォーマンスを発揮出来るって意味だ!普段以上の力を発揮するって意味じゃねぇ!大事なのは普段から当たり前のように訓練をこなすことだ……ってウルルちゃんが言ってたよぉ。みんな頑張ってぇ!」
怒声が途中から突然甘ったるい女の子の声に変わった……ん?この声は、シャイナの声だよな?
え?アレ、シャイナが叫んでたの……?
っていうか、ウルルはそんなこと言わないと思うが……いや、本番と訓練云々は言うかもしれないけど、死ねとか何とか言ったりは……しないよね?
そんなことを考えながら歩みを止めずに進んでいると、シャイナの声が続けて聞こえて来る。
「訓練は好きなだけ無理が出来るからねー!ここで自分がどこまで無理を出来るか、しっかり把握しよー!」
「精が出るなシャイナ」
「あれ?お兄ちゃん?来てたんだ!」
俺が声をかけると弾かれた様にシャイナがこちらを振り向き笑顔を見せる。
訓練を邪魔してしまったが……訓練を受けている者達は既に動いているようだし、少しくらいなら大丈夫かな?
「あぁ、少し体を動かそうと思ってな。シャイナは……外交官見習いの訓練か?」
「うん!皆にはしっかり訓練して貰わないとね。外交官見習いは少人数で動くことが多いから、いざって時に助けられないかもしれないし……しっかり鍛えておいて貰いたいんだ」
「そうだな。訓練はきついだろうが、彼らは大事な人材。外交官見習いとしての仕事と同じくらい、彼等の身も大切だ」
俺がそう言うと、シャイナが嬉しそうに頷く。
「うんうん!お兄ちゃんのそういう優しさ、皆にもすっごく伝わってると思う!だから、訓練は私達に任せて!絶対に欠員が出ないように鍛え上げてみせるから!」
「あぁ、期待しているシャイナ。さて、俺が居ると見習い達も気になるだろうし、この辺で下がらせて貰おう。あまり根は詰め過ぎぬようにな?」
「はーい!」
俺はそう言ってシャイナに背を向けながら軽くひらひら手を振る。
ううむ……シャイナのあの怒声は……ブートキャンプ的なアレだろうか?
小柄なシャイナには全く似合ってないけど……まぁ、外交官達はみんな忙しいからな。手が空いているのがシャイナしかいなかったとか、そんな感じだろうね。
体を動かすつもりで訓練所に来たけど、今日は色々とタイミングが悪かったようだ。
まぁ、そういう日もあるよね。
そんな風に内心肩を竦めつつ、俺は訓練所を後にした。
訓練所を後にした俺は、バンガゴンガの所に行き今後について少々話をした後、ヴィクトルの所に行って都市計画について少々尋ねてみたり、ヒューイの所に行って雑談したりして過ごした。
概ね普段通りの一日と言えるけど……こんな風に夜まで過ごすと中々充足感を覚える。
後は風呂に入って、夕食……部屋に戻ってルミナと過ごすくらいだな。
そう考えながら、俺は大浴場の方へ足を向けようとしたのだが……廊下の向こうからキリクが近づいて来たので足を止める。
「フェルズ様」
「どうした?キリク」
「はっ……その……今から入浴されるので?」
「あぁ、そのつもりだが……何かあったのか?」
「いえ、そういう訳ではありません。その……先日頂いた褒賞の件を行使させて頂きたく思いまして……」
「ん?今か?」
「はっ」
キリクが真剣な表情で頷く。
まぁ、内容にもよるけど……とりあえず話を聞いてから決めればいいか。
既に夜だし、今からだと出来る事と出来ないことがあるだろうしね。
「俺に出来る事であれば何でもすると言ったからな。とりあえず願いを聞かせてくれるか?」
「はっ……その、以前湯殿で宴会をした時に……マッサージの話をしたのを覚えていらっしゃいますか?」
「あぁ……そういえば、中々得意だと言っていたな。」
「よろしければ施術させて頂きたく」
「き、キリク!?」
護衛として控えていたリーンフェリアが声を上げる。
「それが褒賞になるのか……?俺にマッサージをしてくれるという話だろう?」
「はっ!前回はのぼせてしまい出来なかったので、是非に!」
えらい勢い込んで来るキリクに若干身を引きつつ、俺は頷いて見せる。
「お、おう。キリクがそれでいいなら構わんが……まぁ、マッサージをして貰うだけというのも
悪いから……俺はキリクの背中を流してやるとしよう」
「ふぇ、フェルズ様!?」
なんかリーンフェリアがさっきから名前しか呼べない子になっているけど……どうしたのだろうか?
「んはっ……!?」
俺が一瞬リーンフェリアの方に顔を向けると、今度はキリクの方から変な音が……と思ってそちらを見ると、キリクが鼻血をつーっと。
「おい、どうした?また鼻血が出ているぞ?風呂は止めておいた方がいいんじゃないか?」
「い、いえ!これは違います!これは……そう!鼻水!少々寒くて……早く湯に浸かりたく!」
「む?だが……どう見ても赤かったが……」
「先程少々鼻の中を傷つけてしまい……それが鼻水と一緒に出たみたいです。お見苦しいものを……失礼いたしました」
ハンカチで鼻血を拭ったキリクが、ものすごく良い笑顔をこちらに向ける。
「キリクが問題ないというのであれば、風呂に向かうとするか。リーンフェリア、そういう訳で俺はキリクと風呂に入る」
「え……あ、は、はい……あ、でも……その……大丈夫……ですか?」
「ん?湯殿の中まではお前も入れないだろう?いつもの事だ。それに今日は一人ではなくキリクもいるしな」
「お任せください!」
「え?いや、それはそうなんですが……でもその方が問題と言いますか……」
何故か煮え切らない感じのリーンフェリアの態度に首を傾げつつ、俺達は大浴場に向かった。
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