第267話 近衛騎士長と・後編



 カフェテラスを出た俺達は、のんびりと会話をしながら旧ルモリア王都を歩いていた。


 そろそろ夕方といった感じの時間帯になる頃合いだけどまだまだ通りに人は多く、恐らく日が完全に暮れたとしても、それなりの賑わいがあるのだろうと窺える。


 これは、オスカーを始めとした魔道具技師達によって街灯設置が推し進められた効果と、治安維持に力を入れまくった効果……それが見事に出た結果と言えるだろう。


 道行く人々も家路を急ぐというよりも、まだまだのんびりと過ごしているように感じられるしね。


 そんな喧噪の中でも、リーンフェリアの容姿は非常に目立っている。


 普段俺達はこうやって街中を歩く機会って殆どないし、鎧姿でキリっとしているリーンフェリアも十分人の目は引くと思うけど……それにしても向けられてくる視線の数が半端ない気がする。


 多分、俺とこうして歩いている事にかなり慣れたのだろう。最初の頃はぎこちなかった笑みも今ではかなり自然なものに見えるし、その美貌と相まってカフェテラスに入る前の倍以上の視線を集めてしまうのも無理はないと思う。


 仕事モードのリーンフェリアはどちらかというと女性人気の方が高そうだけど、今のリーンフェリアに見惚れているのは野郎が多いね……うんうん、気持ちは分かるけど近寄ってきたらえらい事になるから、見るだけにしときなさいね?


 これから日が暮れて行けば第二第三の禿……酔っ払いが絡んで来る可能性は否めない。


 オトノハの時は周りにいるのがほぼドワーフ達だったから、酔っ払いではあってもそういった絡み方はしてこなかったけど、今回は人族の街だからな……面倒事を引き寄せないとは言い切れない。


 流石に護衛してくれている子達も、相手の心を読んで事前に排除とかは出来ないだろうしね。


 折角のリーンフェリアのご褒美お出かけ中に、嫌な気分にさせるわけにはいかない。


 何としてもそういったトラブルは排除したいけど……それをリーンフェリアに悟られずというのは非常に難易度が高い。


 今は何処からどう見てもいいとこの御令嬢といった雰囲気の彼女だが、中身は我がエインヘリアの近衛騎士長……バリバリの武闘派である。


 荒事への対応能力は……ちょっとした『至天』くらいなら有無を言わさずぼっこぼこだし、かなりの『至天』でも問答無用でぼっこぼこに出来るレベルだ。


 無防備に近づいて来た酔っ払いなんて気づかない訳がない……だから俺に出来るのは、ほんと誰も絡んで来ませんようにと祈ることくらいである。


 そんな俺の祈りが通じたのか、それともこの街の住民のモラルが高いのか……何はともあれ、俺達は特に絡まれることなく目的地へと辿り着くことが出来た。


 リーンフェリアが行きたい場所というから何かの店とか、先程の劇場のような場所かと勝手に思っていたのだが……。


「ここは……展望台か?」


「はい!以前エルトリーゼ殿に聞いたことがありまして……是非一度訪れてみたいと」


「ふむ、エルトリーゼか……」


 エルトリーゼって……あぁ、元ルモリア貴族の姉弟の姉の方か。


 代官兼イルミットの部下として働いているんだったかな?


 立場的に俺は数えるくらいしか会ったことがないけど、弟君共々結構優秀ってイルミット達が言ってたっけ……。


 しかし、観光地の話をする程リーンフェリアも仲良くしているのか……基本的に俺の護衛から離れないリーンフェリアと仲良くするなんて、エルトリーゼは相当コミュ力が高いみたいだ。


 因みに展望台といっても、何かしらの建物が建てられているという訳ではなく、街並みを見下ろす事の出来る高台に広場が設けられているって感じの場所だ。


 辺りには俺達以外にも恋人同士といった距離感のカップルがちらほらといるようだけど……あまりこの景色を楽しんでいる様子はないな。


 高台から見る街並みと言えば夜景が定番って気もするけど……夜景を見るにはちょっと早すぎる気がするな。


 そろそろ夕方というか、太陽がかなり地平近くまで降りてきていて空も青からややオレンジになって来たという時間帯。


 完全に暗くなり夜景が綺麗って感じになるには、後二時間くらいはかかりそうだ。


「いえ、丁度良い時間です。フェイ、もう少ししたら城の方……夕日が沈む方を見て下さい」


「分かった」


 俺はリーンフェリアに言われた通り、高台から城の方を見る。


 こうしている間にもどんどん空の色は薄いオレンジから、濃いオレンジへと変わっている。


 中天にある頃はその移動速度なんて分からないのに、こうして日が沈む直前は物凄い速度で太陽の動きが見える。ずっと同じ速度で動いているだろうに不思議なものだ……。


 普段は意識しない事柄が、目の前の光景によって引き出される。これだけでも面白いのだが……日がさらに地平に近づき、空が真っ赤に染まる頃、リーンフェリアがここに何を見に来たかったかが分かった。


 真正面から差し込んで来る夕日……それは、高台から見える城も街壁も街並みも……全てを黒く塗りつぶす。


 影絵の街……。


 赤いキャンバスに描かれた黒い街並みは、現実感が薄く……まるでこの瞬間、この風景が一枚の絵として切り取られたかのような静止した世界のようであった。


 俺はそういった風景に感動するといった情緒など無縁……そう思っていたのだが、目の前に広がった風景に俺は心を惹きつけられてしまう。


 しかし、残念ながら……そんな異世界のように感じられた光景も一瞬で終わる。


 太陽は動き続ける。同じ夕日ではあっても角度が少々変わってしまっただけで、影絵の街は儚く消え去り、それを惜しむ間もなく太陽は地平の向こうへと姿を消していった。


「……」


 暫く言葉も無く太陽の沈んでいった方を見ていたのだが、その余韻も収まった俺は隣で声も無く同じ光景を見ていたリーンフェリアの方を見る。


 しかし、リーンフェリアはまだ先程の余韻に浸っているようで、何処か熱に浮かされたような表情でぽーっとしている。


 今声をかけるのは無粋だろう。


 そう思った俺は再び旧王都の街並みに視線を向ける。


 既に空はオレンジから濃紺へと変わり始めており、これからどんどん暗くなっていくだろう。


 最初ここに来た時は、見るなら夜景では?と思ったけど、よく考えてみれば、魔道具による明かりもまだまだ俺の記憶にある街灯程の数は設置出来ていないし、夜景を楽しむほどの輝きはまだないだろう。


 大通りはそれなりに明るいだろうけど……他はまだちらほらという言葉の方が相応しい明るさだ。


 外を歩いていて不自由する程の暗さではないけど、まだまだ暗がりの方が多い……治安も良くなっているとはいえ、女子供が出歩くには危険の方が多いと思う。


 俺達と同じ光景を見ていたカップルたちも、潮が引くように数を減らしていく……まだまだ夜景スポットには程遠いようだね。


 俺がそんな風に周囲の様子を窺っていると、我に戻った様子のリーンフェリアが、少し気まずそうにしながらこちらを見ているのに気付いた。


「あ、あの……すみま……」


「素晴らしい光景だった。リーン」


 謝ろうとしたリーンフェリアの言葉を遮るように、俺は先程の光景の感想を言う。


「夕日が沈む瞬間……あの切り取られた一瞬の風景、見事としか言い様がないな。感謝……いや、ありがとう、リーン。これ程の光景が見られる場所に案内してくれて」


「は、はい!」


 やや薄暗いとはいえ、この高台にもいくつか明かりは設置されている。


 そんな魔力によって作られた明かりの下、リーンフェリアがこれ以上ないくらいの笑顔で返事をする姿は、先程の光景に負けず劣らずの美しさに見えたが……流石にそれを口に出す度胸は俺にはない。


「あのような心に響く光景は初めて見た。いや、恐らくこの世界にはあのように美しい光景が数知れずあるのだろうな。国が落ち着いたら、そういった物を求めて各地を回るというのも面白そうだ」


 ただでさえ自然豊か……というよりも人工物よりも自然の方が遥かに多い世界だ。


 自然の美しさを感じるような場所は、それこそ至る所にあるだろう……そういった物に目をやる余裕は今までなかったけど……目的を達成したら、そういう物を求めて旅をするのも良いかも知れん。


 何より、フェルズの肉体はどんな過酷な環境でも、汗一つ掻かずに踏破できそうだし……どちらかと言えばインドア派な俺は、道中の苦労より結果だけを楽しみたいのだ。


「その時は、是非私も共に」


「あぁ。国を空っぽにするわけにはいかないが、リーンには俺の側にいて貰わないとな」


「は、はい!全身全霊をかけてふぇる……フェイの傍にいます!」


 そう意気込むリーンフェリアに、俺は笑いかける。


 一瞬気合が入り過ぎてフェルズと呼びかけたけど、まぁ御愛嬌といったところだろう。


「今度は絶対に……絶対にお傍にいます!」


 今度……という所には浮ついた様子が無く、これ以上ない程真剣にリーンフェリアが言っているのが伝わって来る。


 恐らく……これはレギオンズの、ゲームのエンディングの事を言っているのだろう。


 ゲームの最後で神界に残った主人公……統一した国の事を部下達に任せ、邪神と創造神の間に立つ調停神として世界の為の柱となった……とかだったな。


 無論、俺自身にその記憶はないが……今のリーンフェリア……いや、エインヘリアの皆の様子を見れば、それがどれだけ辛い別れだったのかは想像に難くない。


 ゲームのシナリオだったと言ってしまえばそれだけなのかもしれない。魔王の魔力によって生み出された俺達には、何ら関係ない情報としての過去の記憶かもしれない。


 だが……今の俺は覇王フェルズであり、リーンフェリア達の上に立つ者だ。


 ならば、完結したシナリオの先を進む俺として、ゲームの覇王フェルズではなく、俺に忠誠を誓ってくれている皆を安心させてやらなければならない。


 魔王の魔力をどうにかする……フィオの願いと同じレベルで、これは俺が叶えなければならない皆の願いだ。


「リーン……いや、リーンフェリア。次は絶対にない」


「……え?」


「次は絶対にない。俺はけして、お前達の前からいなくなったりはしない。どのような状況になろうと、俺は必ずお前達と共に在る。約束する」


「……ふぇ……フェルズ様……」


 やや呆然とした表情で俺の名を呼ぶリーンフェリアに再び笑いかけると、リーンフェリアの目から涙がツーっと流れる。


 ふぁ!?


 え?泣かした!?


「ふぇ、ふぇるずさまぁ……」


 一瞬でぼろぼろと泣き出したリーンフェリアが俯いてしまうが、その肩は震えているし、顔は見えないけど……どう見ても号泣してる!


「り、リーンフェリア……その、すまん……泣かないでくれ……」


 フェルズにあるまじき駄目さ加減だが、俺の覇王力も号泣する女の子を慰めるのには全く役に立たない!


 え!?マジでどうしたらいいの!?


 助けてバンガゴンガ!もしくはオスカー!


 挙動不審にならない程度にオロオロした俺は、とりあえずリーンフェリアの頭を胸に抱き寄せて撫でることにした。


 どうしよう?どうしたら?どうすれば?


 どこかで護衛をしている子に助けを……いや、それは覇王的に情けなさすぎる!


 しかし!だがしかし!この状況!どうすればいいの!?マジで!


 内心これ以上ないくらいにオロオロしながら、俺は泣き続けるリーンフェリアを撫で続けた。


 そして、リーンフェリアが落ち着くまで……たっぷり三十分はかかった。






「申し訳ありません!大変見苦しいところをお見せしました!」


 九十度どころか百八十度まで行きそうな勢いで頭を下げるリーンフェリア。


「気にする必要はない。少し、驚きはしたがな?」


 そう言って俺はリーンフェリアに笑いかける。


 俺の胸元はちょっとしっとりしているし、三十分程オロオロしまくったが……それ以外特に問題はない。落ち着いてくれて何よりだと思う。


「まぁ、顔を上げてくれ。俺は気にしていない。女性に胸を貸すというのも貴重な経験だったしな?」


「ぁぅ……」


 一度は頭を上げてくれたが、俺の言葉に先程とは違う理由でリーンフェリアが俯いてしまう。


 胸を貸したというか……泣かせたのは俺なんで、これ以上ないくらいのマッチポンプだが……それはそれという事で。


「さて……この後はどうする?食事でもと思ったが……少し目が辛いのではないか?」


 三十分も泣いていたのだから、目が腫れぼったい感じになっていてもおかしくない……そのまま明るい場所に行って食事というのは……女の子には酷かもしれない。


「そう……ですね。すみません、今日の所は……」


「気にする必要はない。褒賞とは関係なしに、また今度共に出掛けるのも良いだろうしな」


「っ!?よ、よろしいので?」


「あぁ、構わない。次は俺が何処か面白いところを見つけておこう」


「っっっ!?は、はいっ!」


 俺がそう言うと、最初は物凄くびっくりした表情だったが、すぐに満面の笑みでリーンフェリアが頷く。


 うんうん、泣かせてしまったけど……もう大丈夫なようだ……良かった……。


「では、城に戻るとするか」


「はい!……あ、その……」


「どうした?」


 リーンフェリアの返事を受けて歩き出そうとしたのだが、何故かリーンフェリアが立ち止まったまま何やらもじもじしている。


 俺は首を傾げつつ尋ねると、おずおずと言った様子でリーンフェリアが口を開く。


「……その……暗いですし……足元も……良く見えないと言いますか……その……」


 その様子に何を言いたいか、流石の俺も察する。


「あぁ、構わないとも」


 そう言って俺が左手を差し出すと、一瞬嬉しそうな表情を見せたリーンフェリアが俺の傍に近づき……俺の左腕に抱き着いた。


 ふぁ!?


 2πr!?


 思わず円周を求める式を頭に思い浮かべてしまった我覇王。


 っていうか……え!?


 やわ……え!?


 これ……すご!?え!?


 先程と同じくらいの混乱が覇王を襲う……!


「……行きましょう、フェイ」


「……あぁ」


 俺の左腕をぎゅっと抱え込むようにしているリーンフェリアは、耳どころか首筋まで真っ赤になっている……。俺は大丈夫か?


 ひ、左腕が幸せ過ぎるんじゃが……?


 後、右腕の嫉妬がパネェんですが?


 特に何がとは言わないけど、リーンフェリアの火力はイルミットに次ぐ火力な訳で……もはや覇王の左腕は天へと至りそうなんじゃが……?まさに至天。


 そんなことを考えながら、俺は覇王力を全開にして、これ以上ないくらいしっかりした足取りで歩き始め……いや、歩くペースは落とそう。


 いやいやいや、他意はない。


 暗くて足元が見えないから?リーンフェリアもゆっくり歩きたいだろうしねっていう気遣い?みたいな?


 そんなことが頭を駆け巡りつつ……俺はゆっくりと魔力収集装置のある広場へと向かって歩く。


「フェイ……今日は本当に、ありがとうございました」


「……あぁ」


 エインヘリア城はまだ遥か先だ。


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