第265話 近衛騎士長と・前編
普段通り、俺は午前中を書類仕事に使う。
帝国との国交が樹立したおかげで、各部署のなんやかんやがアレコレしているようで普段より若干俺の所に来る書類は多く、その内容も結構難しい物が多い。
これは農作物の輸出に関する内容……帝国側は野菜や果物……特にレギオンズ産の農作物を欲しているようだな。
まぁ、気持ちは分からなくもない。
レギオンズ産の食材はどれもこれも凄まじく味が良い……いや、元の世界のそれと比べればそれなりに美味しいってレベルなんだけど、この世界では野菜や果物の品種改良がまだされていないのだろう。
イチゴやぶどうは甘味よりも酸味の方が強いし、野菜に関しても青臭いというか荒々しい物が多い。
勿論、それはそれで美味しいと感じるものはあるが、レギオンズ産の野菜や果物は頭一つか二つ以上に味が頭抜けていると言えるだろう。
まぁ、この世界には俺の全然知らない果物や野菜もあるし、それなりに住み分けは出来ている部分はあると思う。でも当初の方針通り、輸出に関しては慎重にしなければならない。味もそうだけど生産量や収穫時期等……うちの特産品系の種は、既存の農家を駆逐しかねない破壊力を持っている。
それにレギオンズの種アイテムはかなり豊富な種類があるけど、それでも五十種類はないと思う……ちゃんと数えた事無いけど。
よろず屋で購入できる食材セットには、特産品の種に含まれていない食材も混ざっているけど、それでもこの世界で生産されているであろう野菜や果物の種類には遠く及ばない。
安くて早くて美味い……確かに素晴らしい事だと思うし、人が惹きつけられるのも仕方ないだろうけど、様々な多様性を殺してしまうのはマズい。
色々な食材を使い色々な料理が存在するからこそ、食は発展して行くのだ。
その発展を妨げるのは俺の本意ではないし、農業従事者に恨まれるのは危険すぎる。
エインヘリア国内でさえ流通のバランスには気を付けて貰っているのだから、輸出ともなるとさらに気を使わなければならない……いや、他国のそれを気にするのは、こっちの仕事ではないんだけど……気を付ける必要はあるだろう。
その辺りのバランスはイルミットとかレブラントが上手くやってくれているだろうし、俺なんかが足りない頭で考えるよりも、もっと深いところまで見通してくれているに違い無い。
という訳で、この書類も承認っと……うん、今日はこの書類で終わりみたいだな。
俺はサインをした書類が渇くまでの一瞬を利用して伸びをしたかったが……執務室にいるのは俺だけではない。
扉の傍で、微動だにせずに立っているリーンフェリア……彼女の前で伸びをするのは、覇王的によろしくないだろう。
「リーンフェリア、ご苦労。今日の書類仕事はこれで終わりだ」
伸び代わりという訳ではないが、俺はリーンフェリアに声をかける。
「お疲れ様です、フェルズ様」
リーンフェリアは普段通り生真面目な様子で返事をするけど……護衛って本当に大変だよね。
特にリーンフェリアはこういう時微動だにしないし……多分俺の邪魔をしないように極力気配も殺しているのだろう。
油断すると、部屋に俺しかいないんじゃないかと思っちゃうしね……最初の頃はそれで失敗しそうになって慌てて誤魔化すことが多かったっけ……。
あくびとか伸びとかため息とかね……思わずやっちゃうから……。
そんなことを考えながら、インクの渇きを確かめてから他の書類と重ねる。
後はこれをメイドの子に渡しておしまいだ。
俺が執務机に置いてあるベルを鳴らすと、まだベルの音が部屋の中に残っているにも拘らず、扉がノックされてメイドの子がやって来る。
もうなんというか……俺の部屋の前でノック直前の体勢で待っていたとしか思えない速度だ。
「これらの書類をイルミットの所へ頼む。それとこちらはキリクだ」
「畏まりました」
イルミット担当の書類とキリク担当の書類を分けて渡すと、いつもの事ながら使命感に満ちた瞳で返事をしたメイドの子が、非常に綺麗な姿勢でお辞儀をした後に部屋から出ていく。
うん……書類運ぶだけだから、そこまで命かけてやらなくても大丈夫だからね?
そうは思うけど……まぁ、国の運営に関わる書類だから重要なものには違い無いし、適当に扱われるよりは良いので深くは突っ込まない。
さてと……本日の公務はこれで終わりだな。
今日は来客の予定もないし、視察の予定もない。
平時の覇王にはよくある、完全フリーな時間だ。
どうしよっかな……オスカーやドワーフ達の所はこの前行ったし、農場の方も同じだ。
うーん……ルミナの散歩は……流石に手持ちの仕事が終わったとは言え、こんな時間から遊び惚けている覇王というのも外聞が悪い。
無難なところで……訓練所に行って体を動かすか?
そんな風に午後の予定をどうするか思案していると、普段はキリっとしているリーンフェリアが何やら落ち着かないというか……そわそわしているように見える。
「どうかしたのか?リーンフェリア」
「あ、はい!すみません!」
いきなり謝られてしまった。
「咎めている訳ではない。ただ、何か言いたいのではないか?」
どことなくリーンフェリアが何かを言い辛そうにしているように感じた俺は、そう尋ねてみる。
「えっと……その……何と言いますか……」
俺が尋ねてみてもやはり言い辛そう……ん?なんか以前もこんなことが……アレはいつだったか……。
リーンフェリアの態度に既視感を覚えた俺は、知略85の頭脳をフル回転させる。
あ、あぁ!思い出した!
オトノハだ!
オトノハが以前、ギギル・ポーの祭りに俺を誘った時……なんでもいうこと聞くよって褒美の権利を行使しようとした時とそっくりだ。
「もしや、俺に何か話したいのではないか?例えば、以前話した褒美の件とか」
「っ!?」
これ以上ないくらい目を真ん丸に開いたリーンフェリアが、その表情のまま体を硬直させる。
この反応は……当たりかな?
俺は小さく笑みを浮かべながら執務机から離れ、応接セットの方へと移動する。
「とりあえずリーンフェリア、そこに座ると良い」
そう言って俺は、オトノハの時同様にお茶の用意を始める。
ふっ……俺はあの時学習したのだ。
お茶はお湯を注いだ後、しっかり時間を置く必要があると。
俺はティーポットにざらざらと乾燥したお茶っ葉を入れる。
「ふぇ、フェルズ様!?」
俺がお茶の準備をしようとしている事に気付いたリーンフェリアが、慌てた様子で声を出す。
「気にするな。こういう機会でもないと自分でやらないのでな。前回は失敗したが……今回はその経験を生かしたものが出来るはずだ」
一応……お茶の淹れ方をメイドの子に教えて貰おうとしたんだけど、私達が淹れますの一点張りで教えて貰えなかったのだ。
まぁ、基本的に俺が飲む場合は彼女らが淹れてくれるわけだから、必要ないと言えばないのだけど……こういったプライベートに近いノリで誰かにお茶を出すって事も、偶にはあるだろうし、教えてくれてもいいと思うんだよね……。
そんなことを考えながらお茶を準備していると、リーンフェリアが若干オロオロした様子を見せながら頼りない感じで佇んでいる。
リーンフェリアは公務の時はキリっとしているけど、そこから少し外れると途端に気弱な感じが顔を出すよね。
そんな姿を見て、悪いとは思いつつも俺は少し笑みを漏らす。
「リーンフェリア、ソファに座ってくれ。まぁ……残念ながら美味い茶とは言えんだろうがな」
「いえ、そのような事は!」
飲んでないのに否定しない方がいいよ?
「くくっ……以前入れてみた時は、白湯のようであったぞ?多少、湯に色はついていたがな?」
「そ、そうなのですか?」
「初めての経験だったからな……あの時は、オトノハに出したんだが、二人で笑ってしまったよ」
俺がそう言って肩を竦めると、リーンフェリアは真剣な表情をしながら聞き返してくる。
「オトノハ……ですか?」
「あぁ。以前オトノハが、褒賞の件で話をしに来た時にな。リーンフェリアも、その件で話があったのではないか?」
「そ、それは……その……」
先程確信したことをもう一度訪ねると、リーンフェリアは非常に言い辛そうにする。
真面目なリーンフェリアは、オトノハと同様に自分から中々切り出しにくいようだ。
それでも意を決して俺に話しかけたのだろう。
「焦る必要はない。気が落ち着いたら話してくれればよい。急かすつもりはないからな」
そう言いながら、俺はカップにお茶を注いで……濃いな。
あれ?めっちゃ濃いんだが……?
前回色付きの白湯だったから、今度はしっかり味が出るように時間を置いたんだけど……やり過ぎたか?
いや、少々会話をしていたとはいえ、そこまで長いことおいていた訳じゃないんだけど……そういう種類の茶葉だったということだろうか?
……まぁ、飲んでみれば分かるか。
俺は二人分のカップにお茶を注ぎ、応接テーブルの上に並べる。
因みにリーンフェリアはまだソファの傍で立ち尽くしているけど……そろそろ座ったらどうかね?
「とりあえず、座ってくれ。茶は……うむ、マズいな」
渋いというか苦いというか……何がダメだったんだ?
俺はそんなことを考えつつ、先程お湯を注いだティーポットを見る。
乾燥していたお茶っ葉が水を含んで膨らみ、ティーポットの蓋を押し上げている……なるほど、お茶っ葉の入れ過ぎですね?
「くくっ……リーンフェリア、とりあえずその茶は失敗作だ。飲めなくはないが……何とも言えぬ味わいだ。前回の白湯とどちらがマシかは……分からんな。はっきりいってマズいから、飲むのは止めておけ」
俺が笑いながら言うと、リーンフェリアは少し表情を緩める。
「失礼します、フェルズ様」
きっちり頭を下げたリーンフェリアがソファに座り、止めておけと言ったのにためらいなくお茶を口に含む。
「マズいだろう?」
「いえ……フェルズ様が手ずから入れて下さったお茶です。じっくり味わわせていただきます」
……なんか、オトノハも似たようなこと言ってたよなぁ。
俺はリーンフェリアに苦笑してみせ、そのまま何も言わずに暫くクソマズいお茶を飲みながら時間を過ごす。
言葉を促しても良かったのだが、リーンフェリアは真面目故、自分がしっかりせねばという思いが強い。
俺に手助けをされて願いを口にするというのは、本人的に納得できないだろう。
そんなことを考えながらしばし静かな時を過ごしていると、リーンフェリアが手に持っていたカップをソーサーへと置き、エリアス君と戦っている時以上にも見える真剣な表情で俺を見る。
「フェルズ様。本日の午後は、ご予定が無かったかと存じますが……」
「あぁ、その通りだ」
「でしたら……以前いただいた褒美を行使させていただきたく……」
「あぁ、無論構わない。リーンフェリアの願いを何でも聞こう」
「ありがとうございます!……それで、その……い、以前……旧ヨーンツ領の領都を視察された時のことを、覚えていらっしゃいますでしょうか?」
旧ヨーンツ領の領都……あ、あぁアレか。
「オスカーと初めて会った時の視察だったな。リーンフェリアと夫婦という設定だったか?」
「ふっ!?……そ、そにょ、は、はい。その時の視察です」
もうあれから一年近く経っているのか……結構最近のようにも感じるが、思い返すと随分前の事のように感じるな。
「も、ももも、もしよろしければ……あの時と同じように……そ、その、旧ルモリア王都の視察を……」
「ふむ?視察……か?」
それって仕事では?
そんな願いでいいの……?
「ぁぅ……その……祭りという訳ではないのですが……その……出来ましたら……いえ……その……不遜ながら……オトノハと同じような……」
物凄く真剣な表情のようだけど、顔はめっちゃ真っ赤になっているし、目は今にも涙が零れそうなほどウルウルしているし……はっきり言って俺が虐めているみたいだ。
「……分かった。視察ではなく、二人で遊びに出る。そういう事だな?」
「っっっっ!?」
……しまった。そんな風に聞かず、さらっと遊びに行くと言えば良かったか。
「よし、行先は旧ルモリア王都だな?ならば、久しぶりにフェイとリーンの二人となり、観光といこうではないか」
「は……はい!」
俺がそう言うと、顔を真っ赤にしながらもリーンフェリアは笑顔を見せてくれた。
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