第253話 捕虜たちの邂逅



View of ウィッカ=ボーエン スラージアン帝国侯爵 好戦派派閥筆頭






 人の気配と眩しさのような物を感じた私は、ゆっくりと目を開く。


 まず最初に感じたのはランプの淡い光、そして次に天幕の天井と思しき物が視界に映る。


 ここは……何故、私はここで寝ていた?そんなことが頭を過るが、答えが出るよりも、私が目を覚ましたことに気付いた人物が声をかけて来る方が早かった。


「ボーエン候、目が覚めましたかな?」


「リズバーン殿……?えっと……これは一体?」


 傍にいたのはリズバーン殿。


 普段通りの穏やかな笑みを浮かべながら、私の様子を窺っている。


「ほっほっほ。まずはこれを……ただの水じゃが、頭がすっきりするじゃろう」


 そう言って、リズバーン殿が水差しから器に水を注ぎ渡してくれた。


 よく冷えた水のようだ……魔法で冷やしてくれたのだろうか?そんなことを考えつつ、私は水を口に含む。


 冷たい水が、未だはっきりしていなかった頭を洗い流すようにスッキリさせる。


「ありがとうございます、リズバーン様。目が覚めました」


 冷たい水のおかげでしっかりと覚醒出来た私は、寝かされていたベッドから立ち上がる。


 幸い、服装は意識を失う前……戦場にて指揮を執っていた時から変わっていない。鎧の各部は外され、剣も持っていなかったが。


「ほっほっほ、それは良かった」


「……リズバーン様。エインヘリアに囚われていた私を助け出して下さった……という事であれば嬉しいのですが……」


「そう出来れば良かったのじゃが……残念ながら、ここはエインヘリア軍の本陣にある天幕で、儂もお主と同じ捕虜の身じゃ」


 ……やはりそうなのか。


 『至天』第二席であるリズバーン殿が捕虜……その事実に、私は目の前が暗くなり……立ち上がったばかりのベッドに力なく座り込んでしまう。


「リカルド殿は……?」


「残念ながらリカルドも……いや、戦場に来ていた『至天』全員が捕虜となっておる」


「……そんな馬鹿な……」


 開戦初日に『至天』と帝国軍十五万が壊滅?


 一ヵ月どころか一日すら耐えきれていないではないか……!


「エインヘリア側からの情報じゃが、帝国軍の損害は軽微のようじゃぞ?突如出現した岩山に閉じ込めているという話らしいが……本陣に居った者達はお主と同じように捕虜となっておる様じゃな」


「それは、立て直せるという意味ではありませんよね?」


「……」


 私の問いかけに、リズバーン殿が困ったような表情を浮かべる。


 私とリズバーン殿が捕虜という身でありながら、こうして二人だけで会い、自由を与えられている。


 天幕の外には恐らく見張りがいるのだろうが、帝国軍の中でもトップである二人を密室で自由にさせている事自体異様なことだ。


 この状況は……あの時と同じだ。


 ソラキル王国とエインヘリアが戦い……その戦争の最中、『至天』の一人を捕虜としたエインヘリアは、無条件でそれを解放した。


 英雄とは、負け戦を一人で勝ち戦に変えてしまうことが出来る程の切り札。


 しかし、それを……帝国の英雄なぞ取るに足らないと……エインヘリアはそう言った。


 今回のこれもその時と同様……我々を自由にさせたところで、エインヘリアには何の痛痒も与えられないと言っているのだ。


 いや、それだけではない。


 帝国の切り札中の切り札……リズバーン殿を捕虜としておきながら、ここまで自由にさせている事はそれ以上の意味がある。


 リズバーン殿は空を飛ぶことが出来るのだ。


 そんな人物を自由にさせていれば簡単に逃げられてしまう。それにも拘らず、何故ここまで自由にさせているのか?


 ダメだ……現状が何一つ理解出来ない。


「リズバーン殿、一体何がどうなっているのでしょうか?」


「……うむ、まずは開戦してから『至天』に何があったかを説明するのじゃ」


 リズバーン殿の言葉に私は頷く。


 疑問が多すぎる今の私では、質問が纏まり切らない。まずはリズバーン殿の話を聞いた方が良いだろう。


「我々『至天』は、戦場に出て来ていたエインヘリア王を狙って動いた……リカルド以外の全員は敵英雄の対処だがのう。まずはエインヘリアの兵を狙って『死毒』を暴れさせる……筈だったのじゃが、これがあっさりと破られてしまってのう」


 『死毒』があっさりと……?


 あの者は、癖の強い『至天』の中でも特に扱いにくい者の一人だが……リズバーン殿に心酔しており、その命であれば何があろうと……最終的な目的自体を見失っても遂行しようとする娘だ。


 しかもその能力は、近づくだけで相手を死に至らしめる毒をばら撒くもの……簡単に制圧出来るようなものでは……。


「上空からそれを見ておった儂は、『死毒』の代わりに敵軍を混乱させる役を担おうと敵軍へと攻め入った。しかし、そこで思わぬ反撃を受けてのう……儂は敵弓兵……いや、弓聖と言ったかの?そやつにやられてしもうたんじゃ」


 リズバーン殿が捕虜となっている以上、何者かに敗れたのは間違いないのだが……実際に本人の口から敗北を告げられると、目の前がまた一段と暗くなったように感じる。


「その時点で儂は捕まってしまったからのう。他の者から聞いたところによると……『至天』はそれぞれ二、三人で組んでエインヘリアの英雄と戦ったんじゃが……見事に全員やられてしもうた。しかも、こちらは複数人、相手は皆一人だったそうじゃ」


「ば、馬鹿な……」


 そんなもの……まともな戦いではない……。


 まさに蹂躙というのが相応しい事態だ。『至天』を蹂躙だと……?一体エインヘリアはどれだけの武力を抱えて……。


「そして……『至天』を全員捕らえた時点で、エインヘリア王はリカルドに一騎打ちを申し込んだのじゃ」


「リカルド殿に……一騎打ち……」


 『至天』の中でもずば抜けた強さ……リズバーン殿でさえ、最初から空を飛んでいなければどうする事も出来ないと言われている『至天』第一席『光輝』。


 そんな人物相手に、一騎打ちを……。


 まさか、エインヘリア王自ら……?


「その一騎打ちは……儂等の目の前で行われた。相手となったのは、エインヘリア王の護衛として帝城にも来ておった、ジョウセンという将じゃ。リカルドの速さは知っておると思うが……それ故、一瞬で決着はついた……リカルドの敗北という形でのう」


「……一騎打ちで、リカルド殿が……」


 帝国にとって、これ以上の絶望があるだろうか?


 『至天』がこれ以上ない程完璧な形で敗れる……どんな策を用いれば、そんな英雄達を倒すことが出来る?


 いや、それは可能なのか?


 仮に、捕虜となっている『至天』全員が解放されたとしても……リカルド殿の戦いに他の『至天』はついていくことが出来ない以上、連携して敵英雄と戦う事は望めない。


 つまり、そのジョウセンという将がリカルド殿の前に立ったが最後、リカルド殿は必敗……リカルド殿が勝てない相手に他の『至天』が勝てるか……?


 あまりに絶望的な事実に、私は少しだけ話を変えてもらうことにした。


「……そういえば、リズバーン殿は弓兵……弓聖でしたか?それと戦われたという事でしたが見たところ怪我はされていないようですが、一体どのような戦いに?」


 双方捕虜となっている以上、明るい情報が出てこないのは当然だろうが……それにしても状況が圧倒的かつ絶望的としか言いようがない。


 これほどまでに、我が軍とエインヘリア軍の間に差があったのか……。


「うむ……それなんじゃが、相手は弓じゃったからのう。儂はかなりの怪我を負ったのじゃが……捕虜となった後、治療を受けてのう」


「……治療?もしや、服の下は……」


 動きにぎこちなさは全く感じられないが、もしやかなり怪我をされているのか?


 ベッドを譲らねば……そう思って尋ねたのだが、リズバーン殿はかぶりを振って見せる。


「いや、四肢を矢で貫かれ、炎に包まれたりしたのじゃが……今は怪我一つ残っておらぬのじゃ」


「怪我一つ……?どういうことでしょうか?矢で貫かれたのでは……?」


「うむ……そうなのじゃが。これを使われてのう」


 そういって、リズバーン殿が懐から何かの液体が入った瓶を取り出す。


「……これは?」


「ポーションというそうじゃ。エインヘリアで作られた魔法の薬らしいが……凄まじい効果でのう。あっという間に傷が塞がるだけではなく、疲労も吹き飛んでしもうたわい」


「……そのような薬があるのですか?」


「儂も聞いたことが無かったが、実際その効果を体験してしまったからのう」


「もしその薬が、一般の兵にも使える程用意されているとすれば……」


「エインヘリアは、負傷兵を即座に戦場に戻すことが出来ると考えるべきじゃな」


 ……もはや、どうしようもないと言うしかないな。


 私は全身の力が抜けるのを感じた。


 『至天』を超える武力に、怪我を負おうと即座に回復する兵?


 そういえば……儀式魔法を短時間で連発したり、とんでもない速さで行軍したりもしていたな……。


 どこまで無茶苦茶なんだ、エインヘリアという国は……。


「リズバーン殿は、これからどうするべきだとお考えですか……?」


 もはや顔を上げる事すらおっくうになりながらも、私は帝国の臣としてリズバーン殿に尋ねる。


「……正直、抗える相手ではないのう。こちらは相手を殺すことを厭わず戦っておると言うのに、向こうはこちらを殺すどころか、明らかに手加減をしておる」


「……」


「じゃが……敢えて我々を捕虜にしておる。そこが気になるのう。帝国軍の被害も軽微とのことじゃし……思えば最初からそうじゃ。エインヘリアは我々に力を見せつけるようにしておる」


「力を見せつける……ですか?」


「うむ。最初……諜報に関する件からそうじゃ。情報力、技術力、経済力……そして軍事力。常にエインヘリアは、自分達の力を必要以上に誇示しておる。ここまで圧倒的な物を保持しておきながら、何故帝国を潰さん?そもそも宣戦布告してから攻め込む場所や日付を知らせる必要なぞ何処にもない。エインヘリアが本気で帝国を攻めるつもりなら、飛行船を使って一気に各地を襲撃することだって可能な筈じゃ」


「……」


 それは確かにそうだ。


 その事自体は既に帝都でも議論され、エインヘリア王の自己顕示欲の強さを指し示す為の一因として考えられたが……確かに、それだけの為にこのように動いたと考えるのは、現在の状況を見るに不自然だ。


 エインヘリア王が自らの強さを見せつけたいだけであるならば、『至天』と帝国軍を殺しつくせばよい。


 それだけで帝国や帝国に追従している国はおろか、商協連盟や魔法大国も膝を屈したことだろう。


 しかし現実には……『至天』に一人の被害も無く、帝国軍も殆ど傷ついていない状況……確実に、戦争で勝つということ以外の目的があっての結果だろう。


「恐らく、エインヘリア王の今回の戦争における目的は……正面から儂等を叩き潰し、力の差を分からせることじゃろうな。『至天』だけでなく、帝国という国そのものに」


「……エインヘリア王の狙いはその先……何を要求してくるのでしょうか?」


「流石にそれは分からぬが……儂等にこうやって、状況を整理し相談する時間を与えて来ておるという事は……早ければ今日か明日にでも、エインヘリア王と面談することが出来るのではないかのう?」


「なるほど……それまでに、冷静になっておけということですか」


「儂も、ボーエン候に説明することで少し整理することが出来たのじゃ。『至天』の連中は……今は呆然自失と言った感じじゃからのう。エリアス辺りは二度目だからか、結構落ち着いておったが……ほっほっほ」


 『至天』も人の子ということか……。


 しかし……エインヘリア王は一体何を考えているのか。


 帝国の未来は一体どうなってしまうのか……全てはエインヘリア王の考え次第……。


 その後、しばらく暗澹たる気持ちを抱えながらリズバーン殿と意見を交わしていたのだが、天幕の外から声がかかり話を中断する。


「リズバーン殿、ボーエン殿は目を覚まされましたかな?」


「その声は、ジョウセン殿かな?うむ、先程目覚めて状況を説明しておったところじゃ」


「それは良かったでござる。殿がお二人を呼んでいるのでござるが、来られますかな?」


「エインヘリア王陛下のお呼びとあらば、行かぬわけには参りませぬ。ボーエン候よろしいですな?」


「えぇ、すぐに拝謁させていただきましょう」


「では、出て来て貰えるでござるか?拙者が案内するでござるよ」


「かたじけないのう、ジョウセン殿自らとは」


「はっはっは!お気になさらず!それでは参りましょうぞ」


 天幕を出て朗らかな様子で話す二人。


 ジョウセンと言えば、確か先程リカルド殿を一騎打ちで下したと……気さくな様子でリズバーン殿と話す姿からは想像も出来ぬが……確かに以前、帝城でエインヘリア王の護衛をしていた一人だな。


 戦場にありながら、あの時と同じように軽装に身を包んでいる。


 気が緩んでいるわけではなく、恐らくこの人物にとってこれが最も己を生かす格好なのだろう。


 立ち居振る舞いに一切の隙が見られないと言う訳ではないのだが……不思議とこの人物には、どんな不意打ちも通用しないという確信を覚える。


 それにしても、本陣にしては随分と静かだ……要所要所に兵が立っているにも拘らず、これ程までに静かな陣は初めて見るな。


 そんな風にあたりの様子を窺いながら進んでいると、一際大きな天幕の前でジョウセン殿が立ち止まり、天幕の中に向かって声をかける。


「殿!リズバーン殿とボーエン殿をお連れしたでござる!」


「入れ」


 声を張ったわけでもなさそうだが、短いながら非常によく通る涼やかな声が聞こえてきた。


 返事を受けたジョウセン殿に促され、私達は天幕の中へと入る。


 そして、私は再びエインヘリア王の姿を見る事となった。


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