第243話 分からないことは捨ておけ
View of ウィッカ=ボーエン スラージアン帝国侯爵 好戦派派閥筆頭
ぞろぞろと途切れることなく出て来るエインヘリア軍の姿を、ずっと見続けた訳ではない。
その気になればもっと素早く降りてくることも可能のように思えたが、こちらを焦らすつもりなのか、決して急がずエインヘリア兵は行進を続けた。
次々と飛行船から降りて来るエインヘリア軍の姿は非常に現実感のない物だったが、流石にそれを見続けている必要はない。
そう考えた私は天幕へと戻り、各所へ伝令を出し陣容を整え、これから起こるであろうことに備えさせる。
指示出しにはかなり時間を有したにも拘らず、いつまで経っても敵の布陣が終わったという連絡が入らず不思議に思ったのだが忙しかったこともあり、後回しにしていた。
結局指示出しも終わった後もエインヘリア軍の布陣が終わったと報告が来なかった為、私は天幕の外に出て物見台へと上がった。
そこで見た物は……未だ途切れることなく飛行船から降りて来るエインヘリア兵の姿。
いや、多すぎだろ……。
「敵軍の数は?」
「……はっ、えー、あっ!その!五万五千は超えましたが……見ての通りまだ途切れる様子がないので……」
物見台で少しぼーっとしていた様子の副官に尋ねると、慌てて答えて来る。
まぁ、呆然とする気持ちはよく分かるが……私は未だ途切れることなく飛行船から降りて来るエインヘリア兵の姿を虚ろな視線で見る。
それから暫くして……エインヘリアの兵は六万を超えたあたりでそれ以上飛行船から出て来なくなった。
「どういう仕組みなんじゃろうな」
物見台に上がって来たリズバーン殿が、独り言のように呟く。
疲れたような声にならないように気をつけつつ、私はリズバーン殿の方に顔を向けながら答えた。
「なんと言えば良いのか……エインヘリアには我々の常識は通じないと、何度も言い聞かせて来たのですが……」
「ほっほっほ。いや、その気持ちはよく分かりますぞ?あの色々と図太い『至天』もぽかんとした表情をしておりましたしな」
「それは……是非見ておきたかったですね」
私が冗談めかしながらそう言うと、リズバーン殿が笑いを深める。
しかし、飛行船から六万もの兵がぞろぞろと出てくるのは驚いたが……百艘の飛行船が飛んでくるよりも遥かにマシだし、何もない場所に転移してこられるよりもマシだ。
うむ……そう考えれば心が軽くなった気がする、
あの船のサイズで、二万もの兵が搭乗出来る訳ないだろうという常識的な考えはもはや捨て置く。実際目の前に六万の軍が並んでいるのだから、その事をいくら否定しようと無駄だ。
私は努めて冷静になろうと試みる。
「既に軍の各所には伝令を飛ばし、布陣を終えております。我々の目的は戦いを長引かせること……その為、方円陣を敷いております。各所に入れた魔法使いによる防御魔法と、中央に配置した儀式魔法用の魔法使い部隊。機動性を重視した予備軍を使い、穴を塞ぎつつ敵を削ります。方円の外に配置した遊撃隊は三つ……そのうち一つは西方貴族達を纏めましたが……あれを見て少し冷静になってくれていると良いのですが」
「アレを見てまだ敵を侮るようであれば……兵には申し訳ないが、早々に潰れて貰った方が良いじゃろうな。守戦においては、無能な味方に足を引っ張られることこそ最も危険と言えるじゃろう」
「そこまで考え無しではないと信じたいですね」
私が嘆息しながらそう言うと、リカルド殿は朗らかに笑いながら布陣したエインヘリア軍へと視線を向ける。
「ほっほっほ。さて……そろそろ向かうとするかの?」
「えぇ、よろしくお願いします。リズバーン殿」
「うむ。連れて行くのはリカルド故、妙な事にはならんはずじゃ。出来れば向こうはエインヘリア王が出て来てくれると助かるのじゃがのう……」
そう言ってリズバーン殿が物見台から飛び降りる……いや、飛び立つという方が正しいか。
リズバーン殿は、これから手筈通り軍使として敵陣へと向かってもらう。
とは言え、我々は舌戦をするつもりはない。
リズバーン殿とリカルド殿の二人が軍使としてエインヘリア軍と言葉を交わしはするが、それは開戦前の挨拶の様な物。先帝の時代より我々帝国軍は舌戦を行わない……先帝陛下はあんな言葉遊びに何の意味があると鼻で笑い、現皇帝陛下は無意味だとバッサリ切って捨てられた。
だから我々は、舌戦をしようとする敵を見て、或いはこちらを一方的に悪し様に言う相手を見るだけだ。同レベルになり口喧嘩をする必要はない。
いざ戦を始める前に最終確認をするだけ……言わば、その確認行為が帝国における舌戦の全てと言えよう。
まぁ今回に限り、戦場にエインヘリア王が来ているかどうかを確かめる意味もあるが……そんなことを考えながら物見台の下でリズバーン殿達が馬に乗る姿を見ていた所、軍前方にざわめきが生まれた。
「なんだ……?」
私はそう口にしたが、すぐにざわめきの原因が分かる。
飛行船がゆっくりと上昇を始めたのだ。
恐らく、地上で戦う兵を降ろした飛行船が空中に陣取り、いつでも戦闘が行えるように準備を始めたのだろう。
出来れば初日……今日中にあの三艘を落としたい。
儀式魔法の準備は出来ている……今すぐに開戦したとしても、半刻程度で一発目の儀式魔法を放つ事が出来るはずだ。
飛行船がうまい具合に我が軍の方に近づいてくれば、最低でも一艘はそれで落としてみせる。
一艘でも落とすことが出来れば、敵は軽々に我が軍に飛行船を近づけることは出来なくなるだろう……仮に近づいてくるようであれば、リズバーン殿が飛行船の相手をして下さる。
そこでリズバーン殿が飛行船を落とせればそれで良し、それが厳しいようなら一刻程時間稼ぎをして貰い……次の儀式魔法で落とす。
儀式魔法を発動させずに留まらせておくことが出来るのであれば、開戦と同時に三発の儀式魔法で飛行船を全滅させられたかもしれないが……無い物ねだりをしても仕方がない。
敵がいつ戦場に来るか分からなかったので、このように時間をずらしながら儀式魔法を準備するしかなかったのだ。
ゆっくりと上昇していく飛行船を見ながら、これから起こるであろう空中戦の事を考える。
間違いなく、この戦争の趨勢を決める一局面となるはず……ここを勝ちきればかなり有利がとれることは間違いないのだ。
あの飛行船さえ落とせば……そんな思いを込めながらどんどん上昇していく飛行船を睨んでいると、上昇を止めた飛行船が旋回し、我が軍に背を向けるとそのまま戦場から遠ざかって行く。
……。
「離れて行っているか?」
「……そう見えます」
どう見ても飛行船が戦場から離脱しているように見えた私は、隣にいた副官に尋ねてみたが……どうやら彼も同じものが見えているようだ。
先程まで、エインヘリア軍をこれでもかというくらいに吐き出していた飛行船三艘が、見る見るうちに遠ざかって行く。
戦闘に参加させないのか……?
いや、そう考えるのは早計だ。
あの足の速さを考えれば、我々が地上での戦いに集中した時を見計らって遠方から急襲してくることも可能だろう。
それに開戦直後のこちらの儀式魔法を読み、それを避けたという考え方も出来る。
接近してきた時と同等の速度で遠ざかって行く飛行船の姿を見て、安堵した様な空気が辺りに流れているのを感じる。
これはマズい。
「諸君、奴らは狡猾だ!開戦直後の儀式魔法を見破り、一時的に飛行船を退避させただけという事も考えられる!今は警戒を緩めて良い時ではないぞ!」
私の喝に、緩みかけた空気が再び緊張感を伴った物へと変わる。
目に見えた恐怖が遠ざかったのだから弛緩する気持ちは分かるが、けして気を緩めて良い相手ではない。
そもそも、奴らはたった六万の軍で我々と相対しているのだ。
兵の数が少ない事はある程度読み通りではあったが、まさかこちらの半数以下とは思いもしなかった。
いや、相手の数が少ないからこそ、気を引き締めるべきなのだ。
自軍の多さ、そして敵軍の少なさ……過去こういった事に慢心し、手痛い反撃を受けて敗走した軍は枚挙にいとまがない程だ。
それに相手はエインヘリア……あの飛行船一艘に二万人乗せることが出来たとして、それが国に三艘しかなかったとしても……恐らくエインヘリア北部の都市からこの戦場まで一日と掛らず往復することが出来るはず。
今日中に援軍が送り込まれてきてもおかしくはないのだ。
下手をすれば、移動時間よりも兵の乗り降りの時間の方が掛かるかも知れない。
既に豆粒よりも小さくなった飛行船の姿から視線を切り、物見台の下で待機していたリズバーン殿達に視線を向ける。
私と目を合わせたリズバーン殿はこちらに笑みを見せた後、リカルド殿を伴ってゆっくりと馬を進めていった。
「……リズバーン殿が戻り次第、開戦となろう。飛行船が戦場から離れた以上、最初の儀式魔法は敵軍に向かって放つ!無論、発動前に飛行船が戦場に戻ってくるようなら最優先でそちらを狙え!」
「はっ!」
目の前に迫った開戦の時、私は緊張によって渇いた唇を軽く舐める。
初日だ……。
今日一日が最初の山場……ここを良い形で乗り切れるかどうかで、我が軍の……いや、帝国そのものの趨勢が決まると言っても過言ではない。
我々が現在敷いている方円陣は防御陣形ではあるが、全ての方位に対し兵を薄く配置している為、敵軍が一点集中を仕掛けて来た時は脆い。
エインヘリア軍は数が少ないので一点突破を仕掛けてくる可能性が高く、敵の進軍に合わせて陣形を素早く動かす必要がある……その見極めを素早くするためにもリズバーン殿に空から敵の動きを監視してもらう必要がある。
飛行船を引き上げさせたのはこちらの儀式魔法を警戒しての事かもしれないが、それによりエインヘリアは空の目という大きなアドバンテージを失った。
悪い材料ばかりではない……エインヘリアは確かに未知の技術を持った底知れない国ではあるが、完全無欠の国というわけではない。
我々と同じ常人が統治する、ただびとの国なのだ。
戦いようはいくらでもある。我々は帝国……大陸の覇者、スラージアン帝国だ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます