第242話 エインヘリア軍襲来



View of ウィッカ=ボーエン スラージアン帝国侯爵 好戦派派閥筆頭






 我等がエインヘリアの指定した場所に到着してから、四日が過ぎた。


 予定通りであれば、本日エインヘリアがこの地へとやって来る。


 しかし、案の定というか……この地より南にある小国、サレイル王国内をエインヘリア軍が移動しているという話は一切なかった。


 やはりエインヘリア軍は飛行船、もしくは件の転移でやって来るという事だろう。


 どちらにせよ、頭の痛い話だ。


 帝都にやって来た飛行船……あれはかなり遠めに見ただけだが、リズバーン殿の話では詰め込んだとしても三百人は厳しいだろうという話だった。


 仮に飛行船で軍が送られてくるとしたら……百では済まない数の飛行船がエインヘリアにはあるという事で……そう考えると転移で突然現れた方が心労は……いや、それはそれでエインヘリアは自由自在に好きな場所に移動出来るという事に……いやいや、場所を指定したということは、何かしらこの場所に仕掛けがしてある……というか、しておいて欲しい。そうでなければ……いやいやいや……。


 帝都を出立してからずっと同じことを繰り返し考えているな。


 はっきり言って、早いところエインヘリア軍が現れて欲しい。


 かつてこれ程心労の溜まる敵がいただろうか……?


 いや、ないな……先帝陛下の下で戦いに明け暮れていた時は、ここまで訳の分からない相手はいなかった。


 精々英雄が二人いる国への対応等で悩んだくらいだろうか?


 当時は『至天』も今ほど規模はなく、周辺国への睨みも必要だった為『至天』を自由に動かすのが難しかった。それ故の苦労だったが……あの頃の苦労や悩みは……当時は相当きつい物だと思ったが……今回の状況に比べれば、何というものでもない事に感じる。


 戦力的に厳しかったあの頃の方が楽とは……当時の私が聞いたら憤慨しただろうな。


 ……先帝陛下がここにいらっしゃったら、どのような戦術を取っただろうか?


 あの方の戦術は理不尽というか、相手の奇襲や策の裏を取るのが本当に上手かった。


 逆にこちらの奇襲や策は訳が分からない程嵌った……まぁ、だからといって常勝無敗という訳ではなく、失敗する時は大きく失敗したし、それで窮地に陥る事も幾度となくあった。


 しかし、窮地に陥れば陥るほど勘が冴え渡り、致命的な危機とはならないのだ。


 完璧には程遠い人だが、あの方が居るとどんな状況であっても……いや、苦境であれば苦境であるほど、何とかなるという安心感があった。今この場に先帝陛下がいらっしゃったら……どれほど心強いか。


 正直『至天』が二十人いるよりも、先帝陛下が戦場にいて下さる方が心強いと私は思う。


 そんなことを考えた私は、自分の考えに苦笑を漏らしかぶりを振る。


 いかんな、弱気になり過ぎだ。


 今は現皇帝陛下の御世だ。


 今代の皇帝陛下は、先帝陛下に比べ戦を得意としている訳ではないが、それ以外の部分では先帝陛下を遥かに上回っているだろう。


 その事は退位される前に先帝陛下もおっしゃられていたし、現に即位されてからの十一年の執政を見ても間違いない。


 私は英雄ではないが、陛下を支える武官……その筆頭であり、今は帝国軍の総大将。


 先帝陛下並みにというのは非常に難しいが、それでもこの軍の主柱として動じぬ姿……己の足で立たねば示しがつかない。


 私は肩を大きく回し体をほぐすように伸ばした後、鎧の各部を確かめる。


 久しぶりに身に纏った鎧だが、手入れは欠かさず行っていたし、違和感は何処にもない。


 寧ろしっくりと馴染んでいて、ブランクを感じさせない程だった。


 書類仕事ばかりで体が鈍っているように思っていたが……肉体は思ったよりも元気だったようだな。


 とはいえ……寄る年波には勝てんが。


 私は各部を守る装備の中で、唯一誂え直した腹部を見ながら苦笑する。


 それと時を同じくして、天幕の外が俄かに騒がしくなった。。


 恐らくエインヘリア軍が来たのだろうが……少なくとも外の騒がしさ察するに、普通に行軍をして来たという訳ではないだろう。


 私は一度大きく深呼吸をしてから天幕の外へと出る。


 天幕の外には警備をしている騎士がいるのだが、天幕から出て来た私に気付くことなく遠くに視線を向けている。その視線を追えば……遠くの空に三つの何か……ほんの一ヵ月程前、帝都で見た物と同じものがこちらに向かって来ているのが見えた。


 その数は三艘……予想よりもはるかに少ない数ではあるが……これはどう見るべきだ?


 まさか千足らずの兵で攻めてきたわけでもあるまい……。


 恐らく……アレの到着と同時に、大軍が転移とやらで送り込まれてくるのだろう。


 よくよく考えてみれば、どちらか一方の方法で来る必要はないのだ。


 戦力としての飛行船と移動手段としての転移……そう考えると、転移で飛行船を移動させるのは無理という事か?


 転移による飛行船の奇襲はないと見るべきか……それともこれはブラフで、我々の後方に飛行船を転移させているという可能性もある……ダメだな。この手の事は考えだしたらキリがない。


 その可能性もある。


 そう頭の片隅に置いておくくらいが丁度良いだろう。


 迫り来る飛行船を見ながらそんな風に思考を巡らせていると、近くの天幕からリズバーン殿が出て来た。


「ふむ……三艘か」


「落とせますか?」


「お互いをフォローできるような陣形を取られると厄介じゃな。じゃが、落とさねばなるまい」


 リズバーン殿がそう言って、いつものように穏やかに笑う。


 それに釣られ私も笑みをこぼすが、同時に先程天幕の中で考えた百艘以上の飛行船の船団が飛来しなくて良かったと安堵する。


「む?ボーエン候、随分と余裕がありますのう?先帝陛下の片腕として戦場を駆け巡っただけはありますな」


「いえ、実は先程……エインヘリアが軍を飛行船で運ぶなら、百艘以上の船団が空を埋め尽くしてもおかしくないと考えていたので……さしものエインヘリアも、そこまで規格外ではなかったと安心していただけです」


「ほっほっほ、それは確かに。軍を輸送するならそのくらいの数がないと確かにおかしいですな。飛行船のインパクトにやられてそんな当たり前にも気付かぬとは、儂も存外慌てておったみたいですわい」


「悪い方に考えるのは癖みたいなものなので。しかし、こうなると、エインヘリアは件の装置とやらが無い場所にも転移が出来るということですか……それはそれでかなり厄介な話ですが」


 なんらかの仕掛けがこの場にしてある可能性はあるが、以前リズバーン殿から聞いた二階建ての建物程の装置は、少なくとも斥候が調べた範囲内には発見出来なかった。


 飛行船はかなりの速度で飛んでいるという話だし、現時点で地上に敵軍の姿が一切見えないということは、飛行船が先行してやってきたのか、それとも飛行船の到着に合わせて転移で現れるのか……何をしでかすか分からない相手というのは本当に厄介だな。


「ひとまず、警戒を厳にし、何があっても決してこちらからは攻撃を仕掛けないようにと通達を出さなくては。パニックになられて暴走されてはたまりません」


「ほっほっほ、そうじゃな。指定した場所に指定した日に現れたエインヘリアが、問答無用で先制攻撃を仕掛けてくる筈もないしのう」


 リズバーン殿の言葉に頷いた私は、すぐに部下に命じ伝令を走らせる。


 まだかなり遠くに見えるエインヘリアの飛行船だが、その船影はこうして見ている間にもどんどん姿を大きくしている。


 伝令が各所に行き渡る程度の時間はあるだろうが、逆を言えばそのくらいの時間しかないだろう。


「さて、儂は『至天』の者達の所に行くとするかの。あやつらが勝手に動くと厄介どころではないからのう」


「よろしくお願いします、リズバーン殿」


 何をと言わずに私が言うと、リズバーン殿は朗らかに笑いながら去って行った。






「想像以上に早かったな」


 私達の陣から離れた位置で止まった飛行船の姿を見ながら呟く。


 落ち着いて行動しろと伝令を出したものの、兵達の動揺はそう簡単に抑えられるものではなかった。


 飛行船がこのまま我々の頭上まで飛んでくるのではないか……どんどん迫って来る船影を見てそう考えなかった者は、恐らく私を含めて一人もいなかっただろう。


 向こうも軍を布陣しなければならないのだから、それなりに距離を空けるのは当然の事なのだが……あまり近くまで飛行船が来なくて本当に良かったと思う。


 飛行船があのまま近づいて来ていれば、恐らく兵達は恐怖心を抑えられずパニックになっていたに違いない。


 そのくらい、飛行船の威容は圧倒的だった。


 私が以前飛行船を見た時は、遥か遠くに浮かぶ姿だけだったので、これ程までに遥か上空を飛んでこちらを見下ろす姿が威圧感のある物だとは分からなかった。


 事前に飛行船が来ると分かっていたにも拘らずこれだけ動揺するのだから、あの時……帝都に飛行船が飛んできた時、その来訪を事前に知らされることも無く過ごしていた、外壁近くにいた者達の恐怖は如何程の物だっただろうか?大混乱の末、暴動等が起こらなかったのは……偏に陛下が素早く混乱を治める為に兵を手配したからであろう。


 正直、あの時私は混乱するばかりで、まともに頭が回っていなかったが……陛下におかれては流石としか言いようがない。


 陛下の胆力と冷静さに改めて感服しつつ飛行船の事を眺めていると、ゆっくりと飛行船が高度を落とし始めた。


「まだ敵軍の姿は見えないのか?」


「はっ、物見からはまだ見えないとのことです」


「ふむ……」


 そうなると、やはりここに直接転移してくるということか……全く持ってふざけているとかし言えないな。


 一ヵ月耐え凌ぎ、この地で勝利することが出来たとして……それは本当に帝国の勝利と言えるのだろうか?……いや、そうではない。此度の戦争の最終目標は帝国が有利な状態での講和だ。


 技術力では一歩や二歩どころではない程遅れを取っているが、帝国には圧倒的な物量と『至天』がいる。


 敵英雄の質はかなり高いようだが、それは『至天』にも言えることだし、何よりこちらは数が多い。そして、敵英雄さえどうにかできれば我々が負けることは考えにくい。


 エインヘリア軍は戦争を繰り返していた分、実戦の練度は高いだろうが……兵の数はさほど多くはないと考えられる。消耗品……とは言いたくないが、それでも戦えば必ず兵は損耗する……そしてそう簡単に補充が聞かないのが兵というものだ。


 国土の広さに反比例するように、エインヘリア軍は数が少ない……そう考えるのが自然だろう。


 ……やれやれ。いざ戦が始まってしまえば、余計な事を考える暇はなくなるのだがな……。


 こうして固唾を飲んで相手の動きを待つだけというのは、思考ばかりが回ってしまっていかんな。


 私の周りには部下達がいる為に苦笑する訳にもいかず、私は無表情を作りつつ飛行船の動きに注視している風を装う。そんな私の視線の先で、地面すれすれまで降りて来た飛行船からタラップが下ろされる。


 そして三艘の飛空艇から、それぞれエインヘリアの兵達が降りて来る。


 その姿は一糸乱れぬという言葉がふさわしく、遠目から見ると一つの棒で繋がっているのではないかというくらい兵それぞれの動きが揃っている。


 正直少し気持ちが悪いくらいだ。


 ……しかし、妙に降りてくる兵が多い。


 それぞれの船から既に二百以上は降りてきていると思うが……未だ途切れることが無い。


 地面に降りた兵は綺麗に整列しているので、これだけ距離があっても大体の数は掴めるのだが……。


「ふむ……儂が想定しておったよりも、かなり搭乗できる数が多そうじゃな」


 私の隣に立ったディアルド殿が目をすぼめ、飛行船から降りてくる兵の事を観察しながら話しかけて来る。


「ディアルド殿……どうやらそのようですね。既に三百は超えていますが、まだ兵が途切れる様子が無い。それに将官の姿もまだ……」


 恐らく小隊長か中隊長クラスの者は降りているのだろうが、あまり上位の者が先に下りて指揮を執っているようには見えない。


「凄まじい練度のようじゃな。あれほど揃った行進、見た事無いわい」


「紐か何かで手足が皆繋がっているのではないかと思うくらい揃っていますからね……どれほど行進の練習をしたのか……もしや、アレは全て儀仗兵なのでは?」


 兵としての練度よりも、見栄えという部分を重視して訓練を積んだ儀仗兵であれば、あのような一糸乱れぬ姿を見せるのも頷ける。


「わざわざ儀仗兵を戦場に連れてくるかのう?式典という訳でもないのじゃぞ?」


「自己顕示欲が強いエインヘリア王であればもしかすると……」


「ふぅむ……」


 私達がそんな話をしている間にもエインヘリアの兵は飛行船からどんどん降り続け、既に各船から五百は超えただろう。


「……少々多すぎませんか?乗組員が全て兵だったとしても、既に五百は超えましたぞ?」


「うむ、確かに異様な数じゃな」


 私は極力動揺を表に出さないように気をつけながら尋ねるが、ディアルド殿も少々様子が硬い。


 そんな私達の動揺が伝播したわけではないだろうが、どんどん飛行船から降りて来るエインヘリア兵の姿に帝国軍の中で小さくないざわめきが起こる。


 しかし、そんな帝国軍を気にする筈も無くエインヘリア兵は飛行船からどんどん降りて来て……その姿が途切れるまで、非常に長い時間がかかった。


「……あり得ない」


 その呟きが誰の物かは分からない。


 もしかしたら私の物だったかもしれないし、隣で呆然と佇むディアルド殿の物だったかもしれない。


 私達の視線の先で整列するエインヘリア軍……三艘の飛行船から降りて来たその兵の数は、およそ六万だった。


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