第217話 スラージアン帝国皇帝



View of フィリア=フィンブル=スラージアン スラージアン帝国皇帝






 大会議室での会議が終わり、私は自分の執務室へと戻って来た。


 基本的に私は一日のほぼ全てをこの部屋で過ごすことになるのだが、それは私だけではなく皇帝補佐官という名の私の部下達も同様だ。


 まぁ、補佐官たちは書類を持って部屋の外を走り回る事も多いのだけど……。


 私直属の部下である補佐官たちの多くは平民の出で、補佐官となるまでは権力とは縁遠い生活をしていた者が殆どだ。


 それゆえに、大会議場で行われる重鎮達との会議には一部の者しか参加することが出来ないのが面倒な部分でもある。


 そのような慣例は早めに取り払いたいのだが、そういった改革にはまだ着手出来ておらずそのせいで余計な手間が発生してしまう。


「私は隣の部屋で今後について纏める。緊急時以外は部屋に誰も通すな。お前達は議事録を基に情報共有を行って、すぐに動ける様に準備をしておけ。それとラヴェルナ補佐官は一緒に来てくれ、意見を聞きたい」


「畏まりました」


 私は執務室の奥にある私専用の休憩室へと入る。


 休憩室とは真逆の位置に執務室とつながる応接室があるのだが、あちらの部屋での会話は全て執務室に聞こえるようになっているのでそちらは使えない。


 こちらの休憩室は防音されているので、多少騒いだところで外に音は漏れない。


 安全面を考えて窓すらないのは息苦しいところだが、そこは仕方がない事だろう。


 一緒に部屋に入ったラヴェルナが扉を閉めたのを確認した私は、柔らかいソファへと飛び込むように倒れる。


「きっついわ~。ほんっとしんどいわ~」


 私のそんな態度に、ラヴェルナがため息をつきながらお茶の用意を始めてくれる。


「そんなに大変な会議じゃなかったと思うけど?」


 私の態度から、完全にプライベートの時間と判断したラヴェルナが砕けた口調で話す。


 ラヴェルナは現在私の筆頭補佐官という肩書だが、元々公爵家の娘で私にとっては幼馴染であり従姉妹のような存在だ。


 まぁ、おじい様の弟君の家系なので、従姉妹というには少し離れているのだけど。


「会議自体は今回楽な物だったけど、問題は内容よ。分かってるでしょ?」


 彼女が筆頭補佐官の地位にいるのは縁故ではない。


 彼女の優秀さがその地位に立つに相応しい物だった故……勿論、一番の側近とも言える立場の者とこうやって気軽に話すことが出来るというのは非常に助かるのだが、それを差し引いてもラヴェルナ以上に補佐官として優秀な者はいない。


「まぁ……この報告書を信じるなら、そう言いたくなる気持ちは分かるけど」


「貴女はこの報告が嘘だと思うの?」


「いえ、それはないわね。その辺の貴族が仕入れて来た話ならともかく、資源調査部の報告書ですもの。でも重鎮の方々が信じられないのも無理はないわ……この内容じゃぁね」


 お茶を持ってきたラヴェルナが、机の上に置かれている分厚い報告書に目を落とす。


 確かにそこに書かれている内容は、その殆どが信じがたい物ばかりだが……捨ておくことが出来ない物でもある。


「……情報を得ている以上最低限共有はしないといけなかったけど、エインヘリアの情報は何処を切り取っても嘘くさいから厄介ね」


「でも一番の問題は……」


 資料の最初に書かれた一文に目を落とし、沈痛な面持ちとなるラヴェルナ。


 そう……一番頭の痛い問題はこれだ。


「資源調査部の情報流出の可能性あり。少なくともこの報告書を作った者の所属、作戦内容、個人情報は全て漏れており、入国と同時に捕捉された……諜報機関としてあり得ないでしょこんなの」


「その気持ちは分かるけど……そんな目に遭った本人が書いた報告書だからねぇ」


「おかげで調査部の機能が完全にマヒ……今は身内を洗うので大忙し、完全にしてやられたわね」


「得た情報はとんでもない内容ばかりだけど、それでも国としての表面的な事だけ……転移というのが本当にあるとすれば……これも公開情報なのでしょうね」


 本当に厳しい一撃だ……エインヘリアに情報を流している者がいるかどうか、非常に大きな問題だし即対応が必要な内容ではあるけど……黒を黒と断定するのは難しい仕事ではあるけど簡単な話だ。でも白を白と断定するのは非常に困難極まりないと言える。


「新興国故に情報が少ない……それを物凄く上手く使って来ている。より多くの情報を得ようにも諜報機関が動けない以上表から探るしかないけど……」


 もっと深い情報を得たいけど動かせる手駒が無い……かと言って放置は出来ない。


 もし放置してしまえば……。


「表から調べられそうな話は、全部報告としてあがっているわね。でも正直、資源調査部に裏切り者はいないと思うのだけど?」


 資料をテーブルの上に戻し、自分でいれたお茶を飲みながらラヴェルナが言う。


「それはそれで問題よ。資源調査部の事はうちの重鎮達だって実態を殆ど知らないのよ?そんな組織について、エインヘリアは完璧に把握している。内通者がいないという事は……こちらの諜報機関は相手の諜報機関に丸裸にされたってこと……彼らは防諜力でもあるのよ?もうこの時点で情報戦において完全敗北してるじゃない」


「うーん、資源調査部って育成機関出の人達だし……諜報力で負けたってよりも裏切り者がいるって考える方が自然なのかなぁ?」


「でもラヴェルナは、裏切り者はいないって考えているんでしょ?」


「うん。勿論資源調査部の全員を知ってるわけじゃないけど……私の知っている資源調査部の人達の、貴女に向ける忠誠心は本物だと思う。そんな彼等が、同僚の裏切りに気付かないかなぁってね」


「……私はあまり忠誠という言葉は信じないの。たとえどれだけ忠義に厚い者でも、避けられない状況と言うものは必ずあるわ」


「……それって、五年前の話よね?」


「えぇ……あの時は、本当に腹立たしい想いをさせられたわ……」


 今思い出してもはらわたが煮えくり返る……首を刎ねるだけじゃ絶対足りない……!


「うん……物凄く怒ってるのは分かるけど、それって伯爵に対してじゃないよね?」


「あの件は私に落ち度はあれど伯爵にはないわ。領民を救う為の決断ですもの」


 ラヴェルナの言う五年前の話……私が皇帝として即位してから六年目に起こった……いや、起こりそうになった地方貴族の独立騒動だ。


 帝国西方の果てにある領地で、その地を治める伯爵が独立を画策しているという情報が急遽齎されたのだ。


 どうも領地内の干ばつ、交易路ががけ崩れにより寸断といった、立て続けに起こった自然災害により領内が苦境に立たされ……救援を求めるも、派閥争いのあおりを喰らい帝都まで届かず、その領地を治める伯爵が独自に商協連盟に助けを求めるという事態が起こったのだ。


 スラージアン帝国は東西に広い版図を誇っている国なのだが、元々は大陸の東側にあった国という事もあり、征西を繰り返し領土を拡大していった国だ。


 件の伯爵領は現在の版図の中でも一番と言っていいくらい帝国に加わってからの期間が短い……父が最後に併呑した地方であった。


 それ故、その伯爵領は帝都との太いパイプを持たず、西側派閥に管理を任せていたのだけど……それ故に起こった悲劇だ。無論、当の本人達からすればそんなことはどうでもいいから助けろと言った話だろうし、だからこそ手を差し伸べて来た商協連盟の手を握ろうとしたのだろう。


 そんな地方領の窮状を私に伝えたのは……世間では病没したことになっている先帝……つまり私の父だ。


 先帝は生きている……というか元気が有り余っている。


 これは父の事を良く知る者達であれば何の疑いもしない話だと言える……アレが病気で死ぬわけがない。無論この事を知っているのは帝国上層部の中でもほんの一握りだけだが……。


 皇帝という責務から離れた、父はその役目も責任も放り捨てて、お供数人と共に諸国漫遊を満喫している。


 先々代皇帝である御爺様は本当に立派な方だと思う。小国に過ぎなかったスラージアン帝国を一代で大国と呼ばれるまでに強く大きくした。しかし後継者の選択は間違えたのではないかと私は思う。


 確かに父は、御爺様が育てた帝国をさらに飛躍させた偉大なる皇帝と言える……御爺様が強き下地を作っていたとは言え、いくつもの小国と当時権勢を誇っていた二つの大国を下し、スラージアン帝国を大陸で一番の大国へと拡大させたのだから。


 しかしその実……父はただ単に戦いたかったから戦争を繰り返していただけという事を私は知っている。


 だからこそ当時の我が国は、国内の状況はあまり良いとは言えず……ただただ軍事の特化した超大国であったのだ。


 そんな父が皇帝の座から降りたのは、ただ単に戦う相手がいなくなったからというふざけた理由からだ。因みに商協連盟や魔法大国の事は、『なんか違う』というよく分からない理由で一度ずつ戦うに留まっていた。


 とは言え……アレ以上帝国が戦い続けるのは無理だったとも思う。


 あの時、父が退位したのは……帝国がこれ以上領土を拡大するのは無理だと考えたからと見て良いだろう。戦の象徴であった自分を病死したことにして、私に玉座を明け渡し、外側に力を向けるのではなく内側に力を向けろと……そういう意図だったのだろう。


 本当に腹立たしいが、私は父の思惑通りこの十一年国内の安定に尽力して来た。


 しかし、五年前のあの日……伯爵領の話を父から聞かされ……。


「あのね?気づいてないかもしれないけど、今貴女、ものすごい顔してるからね?嫁入り前の娘がして良い顔じゃないからね?」


 ラヴェルナが若干引きながら言うが……はっきりいってそんな事よりもこの怒りのやり場をどうにかして欲しい。


「あの時のジジイの台詞……ほんっと何なの!?『あれれ?フィリアちゃん、儂より上手に国を治められるのでは?あれれ?おかしいねぇ?西方領地を任せている伯爵が離反を考えているなんて……ねぇ、どんな気持ち?今どんな気持ちなのぉ?……まぁ、しかしあれだな?上手とは一体……?ぶふっ!』って、私よくあのジジイ殺さなかったと思わない!?褒められて良くない!?」


「うーん、まぁ、叔父様らしいというか……いや、フィリアは凄い頑張って耐えたと思うよ?」


「だよね!?何なのアレ!?ほんとガキ!いい年して信じられないくらい子供!」


「あはは……まぁ、そこが叔父様の魅力でもあるから……」


 困ったような表情で笑いながらラヴェルナは言うが……確かにそうなのだ。


 あの子供っぽさというか無邪気さというか……そういう所が、何故か他人には魅力的に映るのだそうだ。身内としては欠点以外の何物でもないけど!


 ただ……人気のあった人だという事は認める。私は全く理解出来ないけど!


「はぁ……まぁ、いいわ、あのジジイの話は。今はそれよりエインヘリアとうちの貴族達についてね」


 私は憎たらしい表情をしながらこちらを煽って来るジジイの顔を、強引に頭から追いやる。


「今回の情報を見て、貴族達が変な動きをしなければいいのだけど……」


「でも、情報が一切なければ、それはそれで勝手に動く連中がいると思ったから公開したんでしょ?」


 真剣な表情に戻ったラヴェルナが資料に手を置きながら言う。


「えぇ……でもやっぱり一番の問題は資源調査部が身動き取れなくなったことね。本来であればそういった暴走しそうな連中を見張る役目も担っていたのに……」


「嫌な流れね……宰相やボーエン候を呼ぶ?」


 確かに嫌な流れだ。恐らくエインヘリアの思惑通りの……エインヘリア王は相当性格が悪いみたいね。


「親皇帝派や好戦派は大丈夫だと思う。親皇帝派はそもそも統率がとれているし、好戦派はウィッカには絶対に逆らわない。軍人気質ってありがたいわ」


「ボーエン候は、本当に好戦派を押さえるのが上手いわね」


「それが出来る人だからこそ、好戦派の筆頭になってもらったんだもの」


 我が帝国内でも最大の派閥と言える好戦派……先帝信者が多く、積極的な外征を行わなくなって十年以上たった今でも、やれ戦争やれ外征と言い続けるアホ共だ。


 ウィッカにはジジイの時代から片腕として働いていた実績があり、侯爵という地位もあるので、そんなアホ共を上手くコントロールするために筆頭の座に着いて貰っているのだ。


 先の会議での強気で考え無しな発言は、彼等に溜まっている鬱憤や不満を代弁し吐き出しているような物で、宰相であるキルロイもそれを分かった上でウィッカを挑発するような態度を取っているのだ。


 両者の対立は計画通りな物だし、それにより外征を行わない皇帝である私への不満を上手く逸らしてもらっている。


「それにしても……あのアホ共にはいい加減理解してもらいたいわ。帝国はこれ以上領土を広げるべきじゃない……いや、広げられないって」


「戦って領土を広げれば豊かになるって考えている人達には、理解出来ない話だと思うけどなぁ」


「頭が痛いわ……ほんと、無能は全部首を落としてやりたい……」


「人手不足で喘いでいるって言うのに、更に人を減らす様な事を言わないで……一定の仕事はしているから、無能であっても今の地位にいるんだから」


 そう……我がスラージアン帝国はとにかく人材が足りていないのだ。


 無論他の国に比べれば圧倒的に優秀な人材は多いし、後進の教育も行っている。


 しかし、そういう問題ではないのは……偏にその国土の広さ故だ。


 大国を飲み込みながら領土を広げた帝国は、魔法大国の三倍以上の国土を持っている……だから人材も三倍必要……などと言う単純な話ではない。


 少なくとも、どんな部署であっても他の国の数倍の人数を抱えて動いているが、それでも全く足りない……そしてなにより、肥大化した国土は情報の伝達が非常に困難にしている。


 先程の伯爵領の件もそうだが、遠方になればなるほど目が行き渡らず耳も遠くなる……こちらとしては問題が発生したことを耳にし、すぐに対策を講じ実施したつもりであっても、情報が行き交う間に数か月単位で時間がかかってしまう事はざらにある。


 そんな状況で、まともな領地運営が出来るはずがない……だからこそ各地の派閥が強い力を持ち、地方を治めているのだが……。


「正直、国土は今の半分でもギリギリだと思うのよねぇ」


「それ、絶対外で言わないでよ?」


 私のぼやきにラヴェルナが真剣な表情で苦言を呈する。


「流石にそのくらいの分別はあるけど……はぁ……弟とか妹がいれば、国を半分に割るのになぁ」


「残念ながら貴女は先帝陛下の一粒種。貴女以外に皇帝は務まらないわ」


「……あれだけジジイは外で遊びまわっているんだから、弟妹の一人や二人位どこかにいるんじゃないかしら?」


「叔父様は叔母様一筋ってずっとおっしゃっているし、それはないんじゃないかしら?」


「ふん、どーだか」


 確かにお母様が生きていた頃はとても仲睦まじい夫婦だったと思うけど、お母様は私が帝位を継ぐよりも前に身罷られた。


 その時の父の姿は今でも覚えているけど……。


 少しだけ沈んだ気持ちを咳払いで払う。


「ラヴェルナも皇族の血筋なんだし、どうかしら?帝国の半分いらない?」


「遠慮するわ。貴女の姿を一番傍で見てきた私が、皇帝になりたいと思うとでも?」


「ほんとそれよねぇ……必死にこの椅子を狙う奴の気持ちが分からないわ」


「苦労の部分は見えないからね。想像だけで憧れているんでしょ?っていうか、そんなに大変なんだったら、早く旦那を娶りなさいよ」


 そうすれば少しは楽になるでしょ?とラヴェルナが言葉を続ける。


「それは……本当に難しいわね。少なくとも、私より優秀な相手じゃないと駄目よ」


「……乙女的な思考で言っているんじゃないのは分かってるんだけど、その条件が相当難しい事なのは理解しているのよね?」


 そう言って大きくため息をつくラヴェルナ。


「そんな事無いわよ……私より優秀で顔と性格の良い男は必ずいるわ」


「ちょっと願望が混ざって、果てしなく困難になったわよ?」


「……最悪、後継は養子ね」


「それは最悪の最悪よ……優秀な養子をとるにしても、貴方に伴侶がいなかったら、血が繋がっていないことがバレバレじゃない」


 ラヴェルナの言葉に、鏡を見なくても自分が凄くげんなりした表情をしているのが分かる。


「だって、いい男がいないんだもん!」


「そうやって、突然かわいこぶるのは……叔父様にそっくりね」


「……謝るからその評価は止めて」


 ……ちょっと自分が既婚者だからって……とは思うけど、この問題も解決しなければならないのは事実だ。


 エインヘリアと言いこの件と言い……頭の痛い問題ばかりね。


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