第215話 ただの観光客



View of ディーク スラージアン帝国資源調査部職員






 我ながら間抜けな声を……とは思わなかった。


 一体何が起こった?


 私はほんの少し前、エインヘリアの外交官であるシャイナに言われ、瞬きよりは少し長い程度の時間目を瞑った。


 目を瞑ってすぐ空気が変わったかのような違和感を覚えたが、目を開けた後の光景は違和感どころではない。


 ここは何処だ?


「大丈夫ですか?ディーク殿」


「は、はぁ」


「ふふっ、驚きましたか?初めて転移を経験された方は、大体似た様な感じになってしまうのですが」


「て、転移……?」


「はい。ソラキル地方北部の街から、ルモリア地方まで移動してきました。この街であれば存分に我が国の様子を見ることが出来ます。希望はございますか?」


 ……いや、待ってもらいたい。


 希望を尋ねる前にこの事態について説明して欲しい。


「申し訳ない、シャイナ殿。理解が追い付いていないのですが……転移というのは、一体どういうことでしょうか?」


「……転移とは、つまり転送による移動です。技術的な話は私も分かりませんが、遠方への移動を一瞬で行うことが出来ます」


「……」


 遠くへの移動を一瞬で……?


「しゃ、シャイナ殿!その、それはどういった技術……いや、移動の制限などは……」


「申し訳ございません、ディーク殿。転移については機密となっておりますので、今回使用したのは特例と考えて頂ければ……」


「そ、そうでしたか。いや、そうですね……こちらこそ、申し訳ありません」


 あまりの衝撃にシャイナに詰め寄ってしまったが、相手はそれを予想していた様で、若干申し訳なさそうな顔をしたがきっぱりと断って来る。


 当然こんな技術について教えてくれる筈もない……寧ろこうして体験させたこと自体が破格で……いや、なぜ諜報員である私にこんな技術を見せた?


 こんなものの存在、隠しておけばどれだけ有利か、そしてバレてしまえばどれだけ警戒されるかは分かる筈……。


 エインヘリアは一体何を考えて……もはやこの件、それと裏切り者の可能性だけを国に持ち帰るだけで十分過ぎる成果だ。


 ……持ち帰る?


 その事を考えた瞬間ハタと気付く。


 今私がいるのは……シャイナの言葉を信じるならば元ルモリア王国の王都……大雑把な地図は頭に入っているが、移動手段を持ち合わせていない私が、ここから国に戻るには物資の調達が必須となる。


 しかし以前より各国に潜入していた工作員は、エインヘリア統治下になって以降一切連絡が取れていない……エインヘリアに来る前は身動きが取れない状況にあると考えていたのだが、もしかすると既に全員排除されている可能性もある。


 そんな彼らに接触を試みようとすれば……ここで逃げ切れたとしても確実に補足されるだろう。


 それにしても恐ろしいまでの防諜能力だ……自分達の国に諜報を仕掛けていた密偵ならともかく、他国に対して諜報を仕掛けていた者を即座に発見して無力化するとは……。


 いや……考え方を変えよう。


 エインヘリアからは逃げられない……昨日から何度も脳裏を過ってはいたが、いい加減その事実を認めた方が良い。


 今は、例え相手側から齎された情報であろうと拾える物は全てかき集め、持ち帰る事だけを考えよう。


 もともと私の任務はエインヘリアという国の表面的な情報を得る事……得た情報の扱いや取捨選択は私の領分ではない。


「えっと……では……大きめの市場を案内して頂けますか?その後は、貴族……あ、いや、貴国に貴族はいませんでしたね、上流階級向けの商品を扱っている店に」


「畏まりました。市場はここからそう離れていませんが……馬車で行くのは少々難しいですね。市場のある通りは、この時間帯馬車で乗り入れできないようになっているので」


「なるほど。私は歩きで構いませんが……」


「申し訳ありません、その御言葉に甘えさせていただきたいと存じます」


 申し訳なさそうな表情をしながらシャイナが頭を下げたので、私は首を横に振って見せる。


 しかし、この人の数と活気は凄いものがある。


 無論、我がスラージアン帝国の帝都であれば、このくらいの人出は珍しくはない。


 だが、ここはこの大陸の中心であるスラージアン帝国ではない。領土が大国並みに広がったとは言え、元は小国の王都……職業柄いくつもの国の王都を見て来たが、これ程の活気のある街は帝都以外では見た事がないレベルだ。


 帝都と比べこの街の規模がかなり小さい事を考えれば……下手をすれば帝都よりも民一人一人の所得は高いのかもしれない。


「先程までいた街以上の活気ですね」


「えぇ、この街はエインヘリア統治下になってからもうすぐ一年になりますし、その間多くの政策が実施されましたので。景気は上々……最近では一般の家庭であっても魔道具やドワーフ製の品を購入できる程ですね」


「それは……凄まじいですね」


 一般的に、街で暮らしている家族が一ヵ月を過ごすのに、大体金貨一枚かかると言われている。


 対して魔道具やドワーフ製品は非常に高価なもので、世間に出回っているランプの魔道具は安めのものであっても金貨五枚は下らない。


 そんなものをあっさりと民が購入に踏み切ることが出来るという事自体、とんでもない話といえる。


「特に需要の高い、日々の生活を楽にする類の魔道具は生産が追い付いていなくて……少々値段が上がっているのが現状ですね。とは言っても物価の上昇率は想定内です。特に魔道具に関しては、大量生産の仕組みが出来たこともあり、価格上昇は抑えめですね。今値段が特に上がっているのは嗜好品の類やドワーフ製品です」


「生活に余裕がある証拠ですね……」


 日々の生活に追われていれば、そんなものに手を出そうとする者はいない……これが公共事業の効果だとでも?


「大規模な公共事業と治安の向上、税を下げ市場に商品とお金を増やす……大まかに言えば我が国の取り組みはこんな感じですね」


「口で言うのは簡単ですが……」


 市場に金を増やし過ぎれば物が足りなくなる……物が無くなれば物価が上昇し、以前より手元に金があっても物が買えなくなるという悪循環が生まれる。


 逆に物が余り物価が下がれば、今度は同じ分だけ働いても生産者に金が入らなくなり、採算が取れず生産者が減る……。


 そのバランスは国が主導したとしても先の読めない流れがあると聞く……そこを完璧にコントロールできるのであれば、経済的に破綻する国は出ないという事になるが……現実に坂道を転がり落ちる様に国が経済的に破綻することはある。


 その流れは、例え我が帝国であったとしても容易に手を入れることが出来ない部分と言われているが……それをエインヘリアはコントロールしているのか?


「ディーク殿、ここが市場になります」


 私が色々な意味で衝撃を受けていると、立ち止まったシャイナが通りの一角を指し示した。


「こ、これは、凄まじい人の数ですね……」


 そこには今まで歩いて来た通り以上の人……まるで祭りでも開催されているかのような人ごみだ。


 道幅が広く歩くのに支障があるほどではないが、それでも目的の店に辿り着くには苦労が必要だろう。


「この市場は、この街でも一番賑やかな場所になります。その分トラブルも多いのですが、要所要所に治安維持部隊の人間が立っていますし、警邏している者も多くいるので混雑具合の割に治安は良いのですよ?」


 こういった場所ではスリが多くいそうなものだが……パッと見た感じその様子はない。


 なんというか、そういった臭いというか雰囲気が一切ないのだ。シャイナの言葉通り、警邏の者達が相当厳しく目を光らせているのだろう。


「道の右側と左側で人の流れの様な物が出来ていますね……これは?」


「移動をスムーズにするために、歩く際は道の左側を歩くように布告しているんです。こうすれば人とぶつかる可能性も減りますし、通りのあちこちで人の流れが滞り渋滞が出来にくくなります」


「……なるほど。では、あの道の真ん中に植えられている木は、道の左右を区切っているという事ですか?」


「そうです。それと、木の傍であれば立ち止まっても問題はありません。行きたい店が通りの反対側にある場合は一つ先の木まで行ってから逆の流れに乗って戻って来るという手間がいりますが……不便という声よりも、トラブルが減って便利になったという声の方が大きいですね」


「……」


 驚いた……歩いている者達にまで、馬車の様な移動のルールを適用させるとは……しかし、これは理にかなっている。


 現に私達もこの人ごみの中、何の問題も無く歩くことが出来ている……普段であれば、既に何度も肩をぶつけたり立ち止まったりしているだろう。


 この一点だけを切り取ってみても、エインヘリアという国の文化水準が非常に高い事が窺い知れる。


「シャイナ殿、そこの食料品を扱っている店を見ても良いでしょうか?」


「えぇ、勿論」


 相手に店を指定される前に、適当な食料品店を見たいと申し出る。


 いくらエインヘリアが私の想像を遥かに超えた事をしていたとしても、私が適当に選んだ店の品ぞろえや価格を操作出来るはずもない。


 それに複数の店舗を確認すれば、正確な価格帯も量ることが出来るだろう。


「……随分と価格が低いですね。野菜がここまで安いということは、農村部の民は相当安い値段で買い叩かれているのでは?」


「値段に関してはそうですね。ですが、農村部の方もかなり景気は良いですよ?良ければ後程ご案内いたしますが……」


「この価格でやっていけているのですか?」


「えぇ。農村の民は殆ど税を納めていないので、生産した物の九割以上が自分達の懐に入っているんですよ」


「きゅ、九割!?」


「ですので、野菜や果物は少々値段が下がっていますが、農村部の民も街に来て色々と買い物をする余裕があるくらいですね」


 ……待て、それはいくら何でもおかしい。


 エインヘリアは税を下げているとは聞いているが、農村部の者達にまでそれを適用しているのか?


 ならば今までの戦争で消費したであろう兵糧は、一体どこから出ているというのだ!?


 それにソラキル方面の食糧不足解消の為に国が食料を配ったと……その食料は一体どこから?


「その、貴国では街の民からも殆ど税を取らず、農村部からも税を取らないのですよね?」


「えぇ。そうです」


「……一体どのように国家を運営しているのでしょうか?公共事業で使う金も、兵に支払う給金も……兵糧や食料不足の地域に配る食料も……どうやって捻出しているのですか?」


「そこは、私の口からは……遣り繰りを頑張っているとしか」


 国家予算を家計みたいに言うな!


 にっこりと笑みを浮かべるシャイナに、思わずそんなツッコミを口に出してしまいそうになったが、理性を全力で動員して堪えながら野菜を販売していた店の隣の店を覗いてみる。


「ま、まぁ、それは当然ですよね。……おや?野菜に比べると、肉はあまり安くはないですね。他国とほぼ同じか……少々高いくらいですか」


「えぇ、農村部で食料に余裕が生まれたので、畜産業を始めた村も増えたのですが、流石にまだ始めたばかりで市場に出るようになるのはもう少し時間がかかりそうですね」


「あぁ、なるほど。確かに野菜は今まで生産していた物が普段よりも多く出回って安くなっても、畜産を始めたばかりでは売る物もないですしね……おや?この隣の店の肉は随分と安いですね?」


 肉を売っている隣の店も肉を売っている……客の取り合いになりそうだが……しかも片方の店は明らかに値段が安いし……。


「こちらの肉屋は羊肉専門ですね。我が国は羊を特産の一つとしておりまして、上質な羊肉が非常に安く手に入るのですよ」


「そうだったのですか。確かに、良い色艶をしているように見えますね。羊毛や皮も安いのですか?」


「えぇ、勿論。ただ、特産品と言っても国営農場から出荷している物だけなのですが」


「国営農場ですか……先程おっしゃっていた公共事業の一つですね。特産品として羊を出荷出来る程ということは、かなりの広さでやられているのですね」


「はい、許可があればそちらも見学して貰えたのですが、一応国の重要施設という事で今回はご案内出来ないのです」


「そうですか、一度見てみたかったですが……残念です」


 国が主導する農場……まさかそこだけで兵糧を賄っているわけではないだろうが……一端を担っているのは間違いない。


 畜産も羊という全身余すことなく利用できるものを選んでいるようだし……農産業の面でも、やはりこの国は相当進んでいると見た方が良いだろう。


「機会があればご案内させていただきます。多くの野菜や果物、羊が畑に並んでいる様は、中々圧巻ですよ」


「なるほど……機会があれば、是非見学させてください」


「はい。あまりこの辺りでは見られない果物や野菜もあるので、見るだけでも色々刺激があると思います」


「そんなに推されると、気になって仕方ないのですが」


「ふふっ……ごめんなさい」


 私が悔しそうな表情をしながら言うと、やはりいたずらに成功した様な笑顔でシャイナが謝る。


 国営の農場か……最初に転移というとんでもない代物を見せられていなければ、色々と驚いたかもしれないが、いくらエインヘリアが規格外であってもアレ以上の衝撃はないだろうな。


 私は、シャイナからエインヘリアの実施している色々な施策について聞きながら、見学を続ける。


 無事に帰る事が出来たなら……報告書は相当分厚くなりそうだ。


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