第214話 エインヘリア観光の始まり
View of ディーク スラージアン帝国資源調査部職員
私がエインヘリア国内に足を踏み入れたのは昨日の事……状況に混乱するばかりで一切まともな対応が出来なかったと言える。
いや、一晩おいて頭を冷やした今でも、混乱が完全に収まったとは言い難い。
夜の間に逃げることも考えた。だが、それが相手の想定通りなのか、それとも思惑を外れる行為なのか計りかねる……。
私が逃げることが相手の想定外である可能性は……恐らくない。
この状況で私が逃げるはずがないと考える者がいたら、その者の脳は恐らく木石で出来ていることだろう。
そして私が逃げた場合、当然裏切り者がいる可能性を国へと報告する。
この裏切り者がいるかもしれないという情報は、国に絶対に持ち帰らなければならない情報ではあるが、逆に言えば絶対に持ち帰えられては困る情報でもある。
もし、夜の間に私が逃げる事が相手の狙い通りであるなら……裏切り者が居るという情報を持ち帰らせることが相手の狙いである可能性が高い。
不確実な情報を持ち帰らせることで、エインヘリアは苦も無く資源調査部……つまりスラージアン帝国の暗部を混乱させることが出来る。
裏切り者が居るという確実な証拠……それは無理でも何かしらの情報を得てから情報を持ち帰らなくては、無駄に帝国を混乱させるだけに終わってしまうだろう。
報告する事自体が我が国の不利になる。
その考えに至れば、軽々に逃げるという選択は選ぶことが出来なかった。
そして……私がその考えに至る事が想定済みであるなら……相手の狙いはこのまま私が大人しくしている事になる訳で……駄目だ、この状況に陥っている時点で、私はもう相手の思惑に完全に捕らえられている。
ただ一つ分かる事は、相手が私を殺すつもりがないという事……ただそれだけだ。
相手の思惑に絡めとられている私には、この流れのままあのシャイナという女性の案内でエインヘリアを見学するという選択肢しか選べないのだ。
幸い、あの女相手であれば、隙をついて離脱することも可能かもしれない。
……いや、他の監視者を欺かねばならない事も考えると厳しいか?
……駄目だ、こうやって時間を与えられて状況を整理しようとすればするほど思考が泥沼に沈んでいく。
思考を放棄することは愚かとしか言えないが、一晩で何度諦めてしまいそうになったことか……。
いや、結局空が明るんでくるまで考えがぐるぐると同じところを周った挙句、まずはシャイナの案内を受けてから判断をするという我ながら情けない結論に達した。
……手持ちの情報が少ない以上、この判断は仕方ない。
そう言い訳しながら。
「ディーク殿、おはようございます。お迎えに上がりました」
「ありがとうございます、シャイナ殿。準備は出来ているのですぐに出られます」
朝の食事を終えた私の元に、シャイナが昨日と変わらぬ様子で現れた。
昨日の彼女は立ち上がった際にふらついていたこともあり、本来の身長よりもさらに小さく見えていたが……背筋を伸ばしている今でもやはり小さい。私自身平均的な背の高さしかないが、そんな私の胸元程の位置に頭がある。
「ディーク殿?どうかしましたか?」
「いえ、今日は何を見学させていただけるのかと思いまして」
そんなにじろじろと観察しているつもりはなかったが、見られている事に気付いたシャイナが尋ねて来たので適当に誤魔化す。
私の視線に気づいたのは偶然か……?
いや、彼女が手練れであり実力を隠しているのであれば、私の視線に気づかない振りをするべきだ。わざわざそれを明かしたという事は……やはり偶然と見るべきか。
人はコンプレックスには過敏な物だし、身長や体型の事を結構気にしているのかもしれないな。
私がそう結論付けると同時にシャイナはにっこりとほほ笑みながら口を開く。
「ディーク殿は生のままのエインヘリアを見学なさりたいのではと考えまして、まずは街の様子を、それからエインヘリアの特産品や商業、農業について。後は、口頭となりますが、エインヘリアの体制等を説明させて頂こうと思っております」
「それは……とてもありがたいお話ですが、中々大変なスケジュールになりそうですね」
「移動は迅速に行う予定なのでそこまで駆け足という程でもありませんが、もし重点的に見ておきたい事があったらお申し付けください。特別こちらで何かをご用意させていただいているという訳ではありませんので、時間はディーク殿の好きなようにお使いくださって構いません」
「承知いたしました。本日はよろしくお願いします」
諜報員としては情けない限りだが、少なくともエインヘリアが何を考えているのか、これで判明するだろう。
見せられる物、隠される物、その両方から相手の真意を見つけられれば……後はありのままを、
諜報員として報告するだけで良い。
相手の意図を量る事は大事だが、報告に私見を交える事は許されない。
しかし意見を求められれば答える必要があるので、考えることを放棄してよいということでもない……それ故に現状に翻弄されてしまっているのだが。
私は再び思考の渦に呑まれそうになった頭を切り替え、シャイナに一礼をする。
「それでは、早速ですが移動しようと思います」
「楽しみですね」
「必ずご満足いただけるかと……とはいえ、この街はまだエインヘリアが統治するようになって日が浅く、エインヘリアを知ってもらうというには少々適さないかと存じます」
「では、他の街へと?」
「はい。私共といたしましては、ルモリア地方にある街が一番長くエインヘリアの統治下にある為分かりやすいかと」
「……ルモリア地方というと随分と南の方になりますね。ここからだと三か月程かかるでしょうか?」
旧ルモリア王国領まで行くとなると、以前の地図で考えれば二か国を縦断することになる。まさか早馬での移動という訳でもないだろうし、往復するだけでも半年……流石に時間がかかり過ぎる。
エインヘリア統治下ではそれ以前に構築していた情報網が寸断されており、簡単に本国と情報のやり取りが出来ない……通常手段では連絡に時間がかかり過ぎるし、確実に死亡判定をされるだろう。
「馬車だとそのくらいかかるのでしょうか?ですが今回に限り、移動時間は気にせずとも大丈夫ですよ。許可が出ておりますので」
「許可……?」
「ふふっ、これもエインヘリアを知る為の一歩です。きっと驚いて頂けるかと」
そう言って、悪戯をする子供の様な笑みを浮かべるシャイナ。先程まで浮かべていた大人びた笑みよりも、こういった笑い方の方がしっくりくる気がする。
……流石、外交官を名乗るだけあって相手の懐に入るのが上手いようだ。諜報員としての訓練と経験が無ければ絆されていたかもしれないな。
まぁ、それはさて置き……エインヘリアの移動手段か。
話の感じ、馬車よりも随分と早く移動が出来るようだが……早速手の内を一つ見せるという訳か。
そんなことを考えつつシャイナに案内され宿の外に出ると、ごくごく普通の箱馬車が止められていた。
「どうぞ、お乗りください」
「……普通の馬車ですね?」
「えぇ。……あ、この馬車でルモリア地方まで移動する訳ではないのでご安心ください。この街の中心地に移動するだけです。それと、この街に戻ってくるまでの間、ディーク殿が乗ってこられた馬車と馬の世話はこちらでやっておきますのでご安心ください」
「ありがとうございます。助かります」
馬車も馬も乗せている品も、全て偽装の為に用意しただけなのでどうなっても構わないが……節約できるところは節約しておかねば、色々と嫌味を言われるからな。
かなりの期間預けるとなればどこかで売却してしまっても構わないのだが、流石にそれを頼むのもな……。
「移動距離は大したことありませんが……軽く、さわりの部分だけでも我が国についてお話をさせて頂こうと思いますが、宜しいですか?」
「えぇ、よろしくお願いします」
私の向かいに座ったシャイナの言葉に、私は意識を集中させる。
「我がエインヘリアは現在人口およそ二千万人。この大陸では上から数えた方が早いくらいの人口まで増えましたね」
増えた……というのは少々語弊があるだろう。その民は他国を滅ぼして奪い取ったものなのだから……。
とはいえ……確かに二千万の人口を持つ国は、スラージアン帝国と魔法大国くらいしかないので、この大陸で有数の人口を持つ国というのは間違っていない。
商協連盟傘下の国々を合わせれば二千万以上いるだろうが、アレは一つの国という訳ではないしな。
「しかし、エインヘリアが統治する以前……民達の暮らしは酷い物だったようで、国のいたるところに貧困が蔓延しており、陛下は非常に心を痛められました」
語りを続けるシャイナの目に、今までと違う色を見つけた。
それは自らの王に捧げる深い忠誠、敬愛、そして誇り……ほんの一瞬の事だったが、間違いなく今シャイナはそれを見せた。
私が何故それに気付けたかというと……諜報員としての観察眼というよりも、よく見かけるものだったからだ。
それは我々が陛下に捧げているものと同じ。だからこそ気付くことが出来たのだ。
「だからこそ、陛下は大々的に公共事業計画を立ち上げ、積極的に民を雇い入れる事にしました。現在エインヘリアの各地では国主導の道路の敷設に治水工事、それと国営農場の開墾等の公共事業、それと各街での清掃業等の軽作業の斡旋が行われております」
帝国においても道路の敷設は帝都を中心に進められているが、そこにかかる費用は莫大で中々作業は進まないと言われている。
迂回路の設置や作業員や石材の確保に輸送。そして作業中の護衛等、大規模に事業を行えば行う程、出費と採算が合わなくなっていくらしい。
無論長い目で見れば道の舗装は大きな効果が出るのだろうが……道の利権というのは想像以上に複雑で政治の絡むものということのようだ。
「貴国の様に戸籍管理を行い正確な統計がとれるわけではありませんが、これら公共事業の効果で殆どの民が何らかの職に就き給金を得ております。その結果、各地のスラムが急速に縮小しており、街の治安も向上しております」
「……それは凄い」
人が多く集まる街において、スラムと言うものは必ず出来る。
これは避けようのない事だし、諜報員である私としてはそういった場所は非常に便利なものだ。
恐らく無くなる事はないだろうが……スラムを縮小させられたというのは、国の政策としてかなり大きな成果と言えるだろう。
「ソラキル地方は、まだ他の地方程そう言った恩恵は多くありませんが……」
「そうなのですか?道中の様子を見る限り、この辺りも随分と景気が良いように感じましたが?」
到着早々気を失ってしまった為、街中の様子を見ることは出来ていないが、この街に着くまでに見かけた商人達の運んでいる品からある程度の予想は出来る。
「あぁ、そちらはですね。ソラキル王国時代の税率の変更や、食料が不足している村落に対しての食糧支援の結果ですね」
「なるほど、そういう事でしたか」
ソラキル王国は元々税率が相当高かったし、それを常識の範囲内に下げるだけで民達の暮らしはかなり楽になるだろうが……だからと言って一ヵ月や二か月でその効果が出るだろうか?
それに、食料の支援と言ったが……ソラキル王国の旧領全土でそんなことを?
これは……想像以上にエインヘリアの国庫は潤沢のようだ。
公共事業に食糧支援、その上で税の是正……下手をすれば、小国の数年分の予算をばら撒いているのではないだろうか?
この一年戦争を続け、普通の国であれば既に青息吐息でもおかしくない状況で、これ程の余裕を見せる……この国がどうして今まで息を潜められていたのか……。
どれほどの国力を保有し、何処までが見せかけだけではない本当の姿なのか……しっかりと見極める必要があるな。さわりの部分だけとは言っていたが……最初から中々強烈な一撃を放ってきたシャイナは、やはり油断して良い相手ではない様だ。
私はシャイナの話に感心したように頷きつつ、気を引き締める。
「そろそろ目的地に到着しますね。続きはまた後程お話しさせていただければ……」
「えぇ、大変興味深いお話でした。ありがとうございます」
私が礼を言うと同時に、速度を落としていた馬車が完全に停止した。
暫くして外から扉が開かれ、シャイナが先に降車していく。
「ディーク殿、こちらへ」
「……これは?」
馬車の外に出た私の目に、見上げる程に大きい建造物が映る。
「こちらは魔力収集装置と言うもので、これを使って今から移動をします」
「……申し訳ありません、シャイナ殿。少々意味が分からないのですが……これは移動用の……魔道具か何かで?」
「移動専用という訳ではありませんが、そういう機能もあるという事です。百聞は一見に如かずと言いますし、まずは体験してもらうのが良いかと」
そう言ってにっこりと笑うシャイナは……先ほども見た、どこか悪戯をする前の子供のような表情を浮かべている。
「……わかりました」
「では、目を瞑って頂けますか?慣れないと少々混乱されると思うので」
少々不安を覚える言葉だが……ここまで来て否やはあるまい。
私は小さく頷き目を瞑る。
「ありがとうございます。それでは移動しますね……はい、もう目を開けて頂いて大丈夫ですよ?」
あまりに一瞬の事でその意味に疑問を感じたが、それ以上に目を瞑っていた私は不思議な感覚を味わう……一瞬、周囲から聞こえていた街の雑踏が途切れ、別の物に切り替わったような……それに周囲の気温が上がった?
目を瞑りながら周囲の状況を読み取ろうとしていたのだが、突如その感覚が狂ったような気がした私はゆっくりと目を開け……辺りの光景に思考が止まる。
「エインヘリアのルモリア地方、以前は王都と呼ばれていた街に到着しました」
「……は?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます