第206話 聖王の視察



View of アーネ ルフェロン聖王国近衛騎士






「陛下……何故護衛もつけずにこんなところに……」


「アーネ、ここはルフェロン聖王国の城下町、けしてこんな所ではありませんよ」


「そんな風に誤魔化すと言う事は、そういう意味の『こんなところ』ではないことは十分理解されているようですが?」


 にこにこと非常に可愛らしい笑みを浮かべてこちらを見つめてくる陛下だが……見た目通りの無邪気で可愛らしい、年相応の少女でないことは百も承知している。


「……今少し失礼なこと考えませんでしたか?アーネ」


 おまけに的確にこちらの考えを読んでくる。


「陛下、話を逸らさないで下さい。私は、何故御身が護衛の一人もつけずに街に出ているのかを聞いているのです」


 こういう時、下手に言い訳せずにゴリ押しをした方が良い事は、この数か月で身に染みている。


「あぁ、何を怒っていたのかと思っていたらそう言う事ですか」


「当然です。私達は陛下の御身を守る為に日夜命をかけているのです。それなのに陛下御自身が、このようにメイドだけを連れて街に出る等と……このような事をされては守るに守れません!」


 そう言って私は、供をしているメイドの方を睨む。


 本来であればこのような無謀な行いを咎めなければならない立場でありながら……いや、陛下に強制されれば断れはしないだろうが……陛下はそういった事を強要して、立場の弱い者に迷惑をかける様な事はしない方だ。


 恐らくこのメイドも共犯のはず……。


 当のメイドは私の視線から逃げるように顔を逸らし……やはり、どこかで見たような……。


「……」


「……」


 訝し気に見つめる私の視線に居心地が悪そうにしながら、それでも何も言わずに視線を逸らし続ける。


 それでも構わずにじっと見つめていると……。


「……ま、まさか……ヘルディオ伯爵ですか?」


 つっかえがとれたように目の前にいる人物が誰なのか分かり、私は若干呆けた様に相手の名前を口にする。


 次の瞬間、私から視線を逸らしていたメイド……ヘルディオ伯爵の顔が赤く染まりぷるぷると震えだす。


「あら、ふふふっ。私も変装を上手く出来たと思っていましたが、彼女の方が上手だったみたいですね。近衛騎士の目をこんなに長く欺けたのですから」


 陛下がとても楽しそうに笑っているが……ヘルディオ伯爵の表情はどう見ても羞恥に染まっている……。


 ちなみに、私は顔を青褪めさせているだろう。


 私は近衛騎士ではあるが、所詮地方の木っ端貴族の娘……対する彼女は女性ながら摂政閣下の片腕とも称される才媛で伯爵家の当主……。


 無礼な近衛騎士の首を物理的に落とすくらい、造作もない力をお持ちの方だ。


「も、申し訳……!」


「アーネ、大丈夫ですよ。私達は大商人の一人娘エフィ―とそのメイドのフィリスです。近衛騎士である貴方が遜る必要はありませんよ」


 頭のどこかで、そのお年頃でここまで貫禄のある商家の一人娘はいませんと突っ込んでいたが、現状はそれどころではない。


「……お嬢様のおっしゃる通り、私はただのメイドです……どうかお気になさらず。私も全てを忘れます」


 だから忘れろ。


 言外にそう言われた私は大きく頷く。


「ふふふっ……それとアーネ、先程の話ですが、流石に私も、護衛無しで無防備にフラフラとしたりはしませんよ。ちゃんと護衛はついて貰っています」


「……そうなのですか?そのような人物は見当たりませんが……」


 現在この路地には私達三人しかおらず、物陰から誰かがこちらを見ていると言った様子もない。


 そんな私を見ながら、陛下は人差し指を顎に当てつつ、小首を傾げながら言葉を続ける。


「そうですね……彼等はあまり人前に姿を現さないようにしているのですが……アーネとは職務上連携することもあるでしょうし、この機会に軽く顔合わせをしておいた方がいいでしょう。ここへ」


 陛下がそう口にすると、私達のすぐ近くの壁際で影が揺らぎ一人の人物が私達の前に現れた。


 その姿を目にした瞬間、私は咄嗟に腰に佩いていた剣を抜き、陛下の前に立つ。


 タイミング的に陛下が呼んだ護衛なのかもしれないが、近衛として油断出来るはずもない。


 しかし、その人物も私がこう動く事は予想していた様で、私の間合いよりも少し離れた位置で綺麗な礼の形をとる。


「驚かせて申し訳ありません、アーネ様。私はルフェロン聖王国情報局局員のゼンと申します。私と後三名の局員が、現在聖王陛下の護衛の任につかせていただいております」


 ゼンと名乗った男の言葉に、私は構えを解かない。


 この者は先程、何もない壁から滲み出てきたわけではない……最初からそこに居たのに、私は気付けなかったのだ。


 陛下と会話をしながらも周囲への警戒は怠っていないつもりだったが、そんな私の警戒の内側に居ながらも、存在さえ気付かせることのない人物……私は背中に冷たい汗が流れるのを感じた。


「ありがとうございます、アーネ。大丈夫ですよ、彼は間違いなく情報局の局員で私の護衛です」


「……畏まりました」


 陛下にかけられた声でようやく私は構えを解く。


 ……しかし、この人物が敵だった場合、私は陛下とヘルディオ伯爵の二人を守る事は恐らく出来ないだろう……そのくらい実力の差を感じた。


 しかも、この男の言葉を信じるならば、他にも三人が陛下を護衛しているという……しかし、そう告げられた今でも、私はその三人がこの場にいるのかどうかさえ感じ取ることが出来ない。


 我が国の情報局の者がここまでの凄腕だとは、全く知らなかった。


「ありがとう、ゼン。任務に戻ってくれて構いません」


「はっ……失礼いたします」


 陛下の言葉に頷いたゼンは、目の前にまだいるにも拘らず存在が希薄になったように私には感じられた。


 そしてそのままこちらに背を向けると、ゼンは路地の向こうへと消えて行く


「陛下……彼は一体?」


「ふふふっ、凄いでしょう?ほんの数か月前まで、彼はあんな感じじゃなくって、普通の情報局の局員だったのよ?」


「どういう意味ですか?」


「今情報局の局員は、交代でエインヘリアに出向してもらい、ブートキャンプという訓練をして貰っているの。フェルズ様がおっしゃるには、最低限使えるレベルにまで訓練を施してからこちらに返すとの事でしたが……皆別人の様な凄腕になって帰って来るので、私も驚いているのですよ」


 全然驚いた風には見えないのですが……。


「情報局は私と叔父様の直轄ですから、アーネが知らないのも無理はありません。第一陣が訓練から帰って来たのも本当に最近の事ですしね。今後は彼等と連携することも増えると思いますが……仲良くしてくださいね」


「はっ……」


 彼等情報局は、副局長がソラキル王国の間者であったこともあり、一度組織を解体され、その後陛下と摂政閣下の手によって再編成された組織だ。


 以前までは国の上層部の一員として、情報局の局長は会議等でもそれなりに発言力があったのだが、今は完全に隠蔽された組織となり、その局長も表向き明らかになっていない。


「軍の再編をした時に、素養のある方は情報局へとスカウトしたので、現在の情報局はかなり人数も多く、精力的に活動して貰っています。全員がエインヘリアでの訓練を終えるにはまだまだ時間がかかりますが、今会ってもらったゼンと同期の出向第一陣メンバーが、まだ出向していないメンバーの訓練をして、少しでも早くエインヘリアから戻ってこられるように鍛えてくれています。第一陣である彼らには、テストケースとして多分に苦労をかけましたが……皆、脱落せずにやり遂げてくれて、本当に誇らしい限りです」


「そうでしたか……」


 たった数か月であれ程の手練れに……血反吐を吐く……それすらも生ぬるい程の訓練だったのでしょうが……。


「ブートキャンプに興味がありますか?」


 私の内心を見て取った陛下がそんな事を尋ねて来る。


「正直に言えばあります。先程のゼン殿……私は彼が姿を現すまで一切気付けませんでした。陛下の近衛として……これほどまでに無力だと……」


「アーネは近衛として良くやってくれています」


「……ですが実力不足は明らかです。無論、未熟であることは十分承知しておりましたが……」


 だからこそ訓練には一切手を抜かず、自らを鍛えて来た……しかし、私の訓練の先にあれ程の実力が手に入るとは……。


「ブートキャンプに参加してみますか?」


「近衛として、何か月も陛下のお傍を離れるわけには……それに情報局の者達とは必要な能力も違いますし……」


 私がそう言うと、陛下は再び指を顎に当てて考えるようなそぶりを見せた後笑顔を見せる。


「でしたら、陛下に相談してみましょう」


「へ、陛下とおっしゃると……」


 聖王陛下であるこの御方が陛下と呼ばれる方は一人しかいない。


「勿論、フェルズ様です」


「お、お待ちください陛下。流石にそれは……」


 一介の近衛騎士の……しかも実力不足に嘆くという情けない話を他国の王に相談されるというのはあまりにも……!


「大丈夫ですよ、アーネ。フェルズ様はとてもお優しく聡明な方です。必ずアーネの事も良きように取り計らってくれます」


 凄まじい信頼を見せる陛下だが……私の懸念はそこではない。


 エインヘリア王陛下の話になると、陛下は年相応というか……憧れの人物について語る少女といった感じになるので、非常に可愛らしいのだが……その相談は本当に胃が痛い上に恥ずかしいし、何より不敬だ。


「あの、陛下……」


「帰ったら早速陛下にお逢いしたいとエインヘリアに使者をだして……いえ、いっそのこと直接……」


 ……これ、私をダシにしてエインヘリア王陛下に会いに行きたいだけなのでは?


 キラキラとした表情を浮かべながら嬉しそうに言う陛下の姿に、不敬ながらそんなことを考える。


 ヘルディオ伯爵がため息をつきながら首を振っているし……。


「ところで陛下!護衛の件は納得しましたが、まだ陛下が何をされていたのか聞けておりません!」


 寧ろ予定を変更して今からと呟きだした陛下の考えを遮るように、私は話を最初に戻す。


「あ、そうでしたね……当初の予定では孤児院を視察するつもりだったのですが……でも、アーネの相談の件もありますし……」


「孤児院!それは、今建設している……!?」


 力技で強引に話題を逸らす、出来れば相談の件は忘れて貰いたい。


「いえ、そちらではなく、普通の孤児院ですね。今建設している方は……まだ完成まで時間がかかりますし……」


 それはそうだろう。


 今陛下が進めている巨大孤児院計画……学校という名だが……それは、軍の施設の様な広大な土地に、城でも建てるのかというような巨大な建築物を建てているものだ。


 これもエインヘリアから提唱された計画の様で、千人規模の孤児を集めその巨大孤児院で勉学を教えながら生活させるのだとか……初期費用も運営費用も馬鹿にならない金額なのだが、その大半をエインヘリアが出すと言う事で進んでいる計画だ。


「学校で働く職員も探す必要がありますし、孤児院は……あまり良くない場所も多いですからね。視察して、直接現場を見ることで分かる事もある筈です。幸い商家の一人娘の道楽程度であれば、欺くのは容易いでしょうからね」


 そう言って、笑顔ながら凄味を見せる陛下。


 ……まぁ、見た目だけなら侮られてもおかしくはないでしょうが、そんな凄味を出していたら確実に警戒されますよ……。


 陛下はまだ成人されていないこともあり、式典等に出る時は顔をヴェールで隠しているので、顔を知る一般の民は殆どいない……だからこそ、身分を隠してこっそり視察すると言う事なのだろう。


「まぁ、王都にあるあくどい孤児院は、現在情報局がどんどん摘発していっています。今日行くところはまともな場所ですよ」


「なるほど……しかし、この大規模な孤児院の計画……本当に成功するのでしょうか?」


「色々と難しい部分はあるでしょう。現在の孤児院経営者たちも、そこまでの大人数の面倒は見たことありませんしね。ですが、ノウハウに関しては、先行してこの制度の実施を始めるエインヘリアから学べますし、職員も現地で研修させて貰える手筈となっています」


 なるほど……先行してくれる相手がいるのであれば、色々と教えて貰えるし致命的な失敗とはならないか?


「それにしても、やはりエインヘリア……いえ、フェルズ様は素晴らしい御方ですわ。孤児や浮浪児の問題については以前から何とかできないかと頭を悩ませていたのですが、具体的な案に纏められず叔父様を説得できなかったのです。そこでフェルズ様に相談した所、エインヘリアで実施予定の学校という制度について教えて下さり、ルフェロン聖王国でも導入を勧めてくださいました」


「……ですが、陛下。国庫を使い孤児たちを救済するというのは立派な事ですが……今まで通りの孤児院に、監査を厳しく入れるというやり方でも良かったのでは?」


「それでは孤児院の数が多すぎて、国の目が行き渡らないのですよ。国営で国が一括管理すればそう言った無駄な時間が削減できますし、結果的にコストも下がるでしょう。それに孤児や浮浪児の救済は、何も善意だけで行われるものでもないのですよ?」


「どういう事でしょうか?」


 陛下の言葉に私は首を傾げる。


 孤児たちの救済は、これ以上無いくらい分かりやすい、弱者への施しの様に思えるのだが……。


「国庫を使い孤児を救済……ですがその実、十数年後に我々は投資した以上のリターンを得られるのです」


「リターンですか?」


「えぇ。孤児達に勉学や実技を学ばせることで、子供達の中から優秀な人材を早期に発見することが出来ますし、優秀とまではいかなくとも、貴族の子女たちの様に教育を受けた子供達が多く社会で働くようになります。彼らの生む金銭や技術は国に多くの恩恵を齎す事でしょう」


「……なるほど」


「それから、孤児や浮浪児たちは……残念ながら犯罪に巻き込まれたり、自らが犯罪者となる事も少なくありません。それは他に生きる術を持たないからであり、環境が彼らを犯罪へと導くからです。だからこそ、ちゃんとした生活の場を作り、学ばせる。これにより治安が向上することにもなるのです」


 ……まさか孤児院を作る事で、経済の発展や治安の改善まで視野に入れているとは。


 これが、成人までまだ数年は必要な年齢の人物が考えられることだろうか?


 滔々と語る陛下を見ながら、私は小さく身震いをしてしまう。


「勿論、環境を整え勉学を教えたからと言って、犯罪者にならないという訳ではありません。中には手に入れた知識を使い、犯罪に転用する者も出て来るでしょう。ですがそれでも、大多数の子供達は、今よりも確実に良い未来を選ぶことが出来るはずです。殆ど与えられていなかった選択肢が増える……それだけでも、この試みは成功と言えるでしょう」


 恐らく、私が想像できない様な問題や不安は山積みなのだろうが、それでも子供達の未来の為に前に進むことを恐れない陛下は、やはり尊き御方だ。


「エインヘリアでは貴族制を採用していませんが、その事について少しだけ話を聞いたことがあります。フェルズ様は、貴族とただの民の違いは環境だけとおっしゃられていました」


「環境だけ……?」


「えぇ。貴族と民の差は血の尊さではなく、学ぶことが出来る状態であったか否か……貴族と民が同じ教育を受けた時……そこに生まれるのは個人の資質と努力の差だけなのだと」


 ……確かにそれはそうだろう。


 平民でも賢い者、才能ある者はいくらでもいるし、高等教育を受けている貴族であってもどうしようもない者はいる。


 貴族の端くれとしてある程度の教育を受けている私だが、頭を動かすよりも体を動かす方が得意だし、性に会っている。


 優秀であるかどうかの話に、血筋は何も関係ないのだ。


「だから、エインヘリアに貴族は必要ないのだと」


「……とても革新的なお考えかと」


「ふふふっ……エインヘリアだからこそ言えるのでしょうね。でも、間違っていないと思いますわ」


「……もしかしたら十年……二十年後には、孤児院出身の近衛騎士がいるかもしれませんね」


「それはとても素敵な考えですね。その頃には……私は三十歳くらいですね」


「に、二十年後……」


 陛下と私の会話を黙って聞いていたヘルディオ伯爵が、茫然としながらよんじゅう……と呟く。


 気付かなかった振りをしよう……いえ、私もほぼヘルディオ伯爵と同じくらいの年齢ですが……。


「……仕方ありませんね、予定の変更は無しとしましょう。フィリス、孤児院に向かいましょう。アーネは……」


「私もお供いたします。軽装ですし、大商人の一人娘であれば護衛の一人くらいいてもおかしくはありませんよね?」


「ふふふっ……じゃぁ、行きましょう。アーネはなんて呼ぼうかしら?」


「そのままで大丈夫かと……エフィ―お嬢様」


 私がそう呼ぶと嬉しそうに陛下が笑う。


 こうして私の休日は、陛下の視察に同行することとなったのだった。


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