第203話 続々・温泉界
岩で囲まれた窪みに溜まるお湯。
立ち上る湯気。
しかし、湿気はその場に留まることなく霧散していく。
湯を囲む壁や天井が存在していない為、それも致し方なき事。
ここは、所謂露天風呂。
この湯殿の名はヴァルハラ温泉。
傷つき倒れし戦士たちを優しく癒す、露天風呂。
ここは現世か常世か……それを知るものはおらず、ただ湯に浸かるのみ。
そして今……湯に浸かっている者は三人と……。
「ふむ……まさかドラゴンが湯に浸かってうっとりした表情を見せるとはな」
「一部の生物は体温調整が苦手で、暖かい場所を好むそうですからな。ドラゴンも似たようなものかもしれませんな」
「……お二人とも、凄まじい胆力ですな。正直私はあのドラゴンがいつ火を吹くかと気が気でないのですが」
「はっはっは!ランガス殿、確かに恐ろし気な風体ではあるが、気にすることはあるまい!なんせ我々はもう死んでいるのだからな。これ以上死ぬ事は無いだろう?」
「……それは、そうかもしれませんが……」
「ランガス殿大丈夫です。陛下はこうおっしゃっていますが、最初は相当遠くに見えたドラゴンにビビり倒しておりましたから」
「ふぅ……サルナレこそ、恐怖で幻覚でも見ていたのではないか?我龍王ぞ?ドラゴンにビビる龍王が何処にいるというのだ」
「まぁ、普通の龍王であればそうでしょうが……自称な上に、この前唐突に言い出した二つ名ですよね?それ意味あります?」
「ふっ……こういう物は名乗ったもの勝ちだろう?自分で名乗る以外、どうやればそう言った二つ名で呼ばれるようになるというのだ?」
「……普通二つ名というのは、偉業を成したりして自然と周りから呼ばれたりするものでは?」
「……そんなことがあるのか?」
「寧ろそちらが主流でしょう。まぁ、国や所属する組織が授けたりすることもありますが……自分で名乗り出す奴は、基本痛い奴だけですよ?」
「……まぁ、私は王であるわけだし?二つ名を与える側の存在な訳で……何も問題ないという事だな?」
「……そうですね。陛下が空しくないのであれば問題ないでしょう」
「……」
「……」
「……あー、それにしても、この湯に浸かっていると時間の流れが良く分からなくなりますな」
「確かにランガス殿のおっしゃる通り、時間の感覚は曖昧ですね。何か月もここに居る様な……つい先程ここに来たような……不思議な感じです」
「そう言えば、飲みたいと思った時に、いつのまにやら手の中にあるこの酒も不思議だな」
「陛下にしてはよい気付きですね。私自身気付きもしませんでしたが……確かにこれも不思議ですね」
「……不思議とは思っていても、お二人とも飲まれるのですね?」
「不思議である事は酒を止める理由にはならんしな」
「そうですね。これ程の美酒、少し不思議であっても問題ないでしょう」
「やはり、お二人の境地にはまだ辿り着けそうにありませんね……」
「そういいながらランガス殿も酒を手にしておるではないか」
「……おや?」
「馴染んで来ている証拠ですね」
「いや、お恥ずかしい……」
「はっはっは!細かい事は気にせずこの湯と酒、そして会話を楽しむ。実に良き時間ではないか!」
「そうですね。今日陛下は中々良いことをおっしゃる……酔っておられるのですね?」
「ふんっ、サルナレの皮肉も些細な事よ。ちょっとドラゴンの炎をその身に浴びて欲しいと思う程度だな」
「いえ、程よく熱い湯に包まれておりますれば……これ以上温度を上げる必要はありますまい」
「……サルナレ殿は凄いですな。私は死した後でさえ、陛下をそのように扱う事は出来ませぬ」
「ふぅむ。ランガス殿は見たところ、まだ浮世のしがらみを捨てきれていないように見えますな」
「そうなのでしょうか?」
「そうだな。私にもそのように見える。どうだ?ここは一つ、酒と湯の力を借りて、胸の内を洗いざらい話してみるのは?」
「……」
「陛下。それは強要することではありません。陛下は単純なので、一切合切を脱ぎ捨てることにためらいは無かったようですが、普通は多かれ少なかれ、死した後でさえも誰にも知られたくない胸の内と言うものがあるのですよ」
「ふむ?ここに来てしまっては、恥も何もあったものではないと思うがな……」
「恥じしかない人生を歩まれた陛下が言うと説得力があるように聞こえますが……優れた人生を歩まれた人こそ、小さな恥が最後まで消えずに残る物なのですよ。死した後であればなお……人生そのものが恥だったと思えてしまうくらいにね」
「そういう物か?」
「例えるなら、陛下の人生は汚れまくって悪臭を放つ服です」
「おい」
「汚れが酷すぎて、新しく汚れが増えたところで誰も気にはしません。ですが、普通の人の人生は概ね白い服なのですが、所々に汚れが付いてしまうのです。その少しの汚れがあるだけで、服全体が汚く見えてしまう……そう言う事です」
「言いたい事が山ほどあるんだが」
「それは結構。そのまま胸の内に納めておいてください」
「……」
「はははっ……すみません、お二方。もう少し気持ちの整理がついたら話を聞いて貰えますか?もはや死したこの身……挽回のチャンスはとうに失われ、後はこの恥を笑い話とする度胸がついたら……お話しさせていただきたい」
「えぇ、その時を楽しみにしておきます」
「うむ。他人の失敗談は良い娯楽だからな!」
「クソ野郎ですね」
「お前に言われたくはないな」
「ははっ……おや?お二方あちらを……」
「ん?あれは、人影か?」
「……どうやら、新しい客人の様ですね。少しすれば湯気が晴れて来るでしょう」
「恐らく、我等同様に最初は自分の事もはっきりとしない様な状態な筈だ。暖かく迎え入れてやるとしよう」
「なるほど……ここに人が増える時はあんな感じなのですね……ん?もしや、あれは……殿下!?」
「殿下?ルフェロン聖王国に王子はいなかったと思ったが……」
「そうですね。ルフェロン聖王国には聖王となった先代の王の幼い娘が一人いただけです」
「なら、アヤツは何処の殿下だ?」
「さて……?」
「ザナロア殿下!貴方が何故ここに!?」
「ん?失礼。どこかで会ったかな?」
「し、失礼いたしました。私は情報部の者です……その、ルフェロン聖王国に……」
「あぁ、なるほど。ルフェロン聖王国の宰相か、顔を見るのは幼き頃以来故すまぬな……」
「はっ。役目を全う出来ず大変申し訳なく……」
「あぁ、そういうのは良い。父上が進めていた計画だし、中止を決めたのも父上だ。情報部が私の部下だったとは言え、私が進めた作戦ではないからな。ところで一つ聞きたいのだが、ここはどこだ?」
「申し訳ありません。その御質問には明確な答えを返すことが出来ません……」
「なるほど……くくっ……面白いな。これが死後の世界とでもいうのか?」
「……恐らく、殿下の御推察の通りかと」
「一つ訂正をしておこう。私は殿下と呼ばれるような者ではない。一度は王位についたが、廃位されて、その後処刑されたからな」
「廃位!?国で一体何が……!」
「父上が崩御、王位継承権争いで私が勝ち即位した。その後外征を行いあっさりと返り討ち、その後は先程言った通りだ」
「まさか……ソラキル王国は……」
「うむ。良くて属国、普通に考えれば滅亡しただろうな」
「そ、そんな……」
「おい、サルナレ……なんかアイツ、姿を見せた直後なのに自分が誰なのかも分かっているみたいだし、状況の把握も滅茶苦茶早いぞ?」
「そのようですな。陛下と違いとても優秀な方なのでしょう」
「……それと、ランガス殿がソラキル王国と言っていたが……ルフェロン聖王国の宰相だったよな?」
「そうですね……ですが、ソラキル王国と何らかの関わりがあったのでしょう」
「ランガス殿の出身がソラキル王国だったとかか?」
「かもしれませんね」
「それにしても……公開処刑の後温泉とは……なんとも不思議な感覚だな。私は本当に死んでいるのか?それとも完全に死ぬまでの一瞬の夢なのか?」
「その問いに答えられるものは、少なくともこの場にはいないな」
「そちらは?」
「我はルモリア王国十七代国王、ハルクレア=エル=モーリス=ルモリアだ」
「ルモリア王国……?私は元ソラキル王国国王、ザナロア=エルシャン=ソラキル。廃位されているのでザナロアと呼んでいただきたい」
「ではザナロア殿。気になる事も多々あるだろうが、時間はいくらでもある……ゆっくりと話をしようではないか」
「……そうですね。良ければ色々と話を聞かせて貰いたい」
「初めましてザナロア様。私はサルナレ=ルバラス=ハーレクック……生前はルモリア王国にて伯爵位を持っておりましたが、ここでは意味のない爵位故、どうぞサルナレとお呼びください」
「よろしく、サルナレ殿」
「うーむ……それにしてもザナロア殿は、随分と落ち着いていますな。突然このような状況に遭遇してその落ち着き様……若くとも大国ソラキル王国の王ということですな」
「いえ、十分混乱していますよ。末後の夢にしては、生前関わりの無かった方々が目の前にいますし……これが父上や母上であればただの夢と思えるのですが……」
「はっはっは!確かに、夢で初対面の挨拶というのもおかしな話だな!」
「死後に初対面の挨拶をするのも相当変ですがね」
「ふっ……それは変ではあるまい?死んでみなくては死後の世界があるかどうかはわからんのだ。死んでみたら死後の世界があった……ただそれだけの事。何らおかしくはあるまい?」
「陛下にしては見事な論理です。生前使わずに残しておいた知能を、死んでから活用されるとは……感服致しました」
「お前がしているのは感服じゃなくって侮蔑だからな?」
「中々面白い御関係の様ですね。生前からご友人だったので?」
「いや、違うな」
「えぇ、間違ってもそのような事はありません」
「そうなのですか?随分と気の置けない間柄の様に見受けられましたが」
「いや、それはコイツが死んで、色々吹っ切れたからそう見えるだけだな」
「ルモリア王陛下はそれでよろしいのですか?」
「うん?あぁ……別に構わんよ。死した後まで現世の権力を振りかざしても空しいだけだろ?」
「ルモリア王陛下は、器が大きくいらっしゃいますね」
「いえいえ、器が大きいのではなく器が壊れているので、いくら中身を注いでも全て出て行ってしまっているだけですよ」
「サルナレ……お前はもう少し歯に布を着せた方が良いぞ?それとザナロア殿、貴方も王位にあったのだろう?ルモリア王陛下等と呼ぶ必要はない。ハルクレアと呼んで欲しい」
「分かりました、そう呼ばせていただきますハルクレア殿」
「まぁ、国力の差を考えれば、ソラキル王陛下と呼ばなければならないのはハルクレアの方ですがね」
「お前は龍王陛下と呼べ」
「はっ」
「……今まで多くの『はっ』という返事は聞いて来たが、ここまで馬鹿にするような『はっ』は初めてだな。まあ、コイツに関しては今更だが……それよりもザナロア殿、先程からランガス殿が固まってしまっているが、良いのか?」
「えぇ、実に良い……」
「ん?」
「いえ、色々と飲み込むのに時間がかかるのでしょう。今はそっとしておくのが良いかと」
「ふむ、それもそうだな。では、ザナロア殿一献どうかな?」
「これは……酒ですか?これは凄い……まさか処刑後に湯と酒を楽しむことが出来るとは……」
「うむ……心地良いであろう?」
「えぇ、この痺れるような心地良さ……夢とは思えませんね。死後にこのような世界が待っていたとは……」
「ここでは俗世の柵も何もない……ただ有るがままを楽しむことが出来る。素晴らしい時間の使い方だと思わないか?」
「えぇ、ハルクレア殿のおっしゃる通り……身も心も溶けだしてしまいそうな……はー、絶望した顔が見たい」
「なんて?」
「いや、失礼。少し心の声が漏れ出てしまったみたいです」
「そうか……」
「しかし、ここには我等四人しかいないのでしょうか?」
「少なくとも、私は今ここに居る者達しか見ておらぬな」
「それは、少々残念ではありますね。死の間際に何を感じたのか、どのように苦しんだのか……何を思い、何を残して死んでいったのか……色々な者達の面白い話が聞けたかもしれないというのに……」
「うむ……おい、やべーやつがきたぞ?」
「若者特有の病気じゃないですか?陛下も色々と妄想していたでしょう?見たところザナロア殿はまだ若い……大人は黙って見守ってあげるのが礼儀と言うものです」
「私は英雄譚の方に憧れたが……なるほど、私とは逆に悪にあこがれるパターンだな?」
「そう言う事です。王という責務から解放され、童心に帰っているのでしょう」
「しかし、本当に心地良い、体の芯から痺れる感じがたまりません……そういえば以前私の友人が、人はどのくらいの温度まで耐えられるかという実験を、捕まえて来た者でやったことがありましてね……」
「へぇ……おい、やっぱ本格的にやばいぞ」
「まぁまぁ、恐らく尋問官の友人ですよ。彼らは職務上、人の限界を知る必要がありますからね」
「そ、そうか……いや、本当にそうか?あのとろけそうな表情……心の底から楽しんでいる感じじゃないか?」
「悪ぶりたい年頃なのですよ……」
「そう言えば、別の友人の話なのですが……」
湯煙の向こうに消えていくヴァルハラ温泉。
龍と共に湯に浸かり、さらに新たな客人を迎えた完結した世界。
新たな客人が何を齎すことになるのか、それは誰にも分からない
やがて、四人と一匹は白く塗りつぶされていく世界に覆い隠されていく。
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