第194話 その頃の商人



View of レブラント=アーグル アーグル商会商会長






 エインヘリアでキリク殿と会合してから一ヵ月半程の時間が過ぎた。


 俺とロブは会合の後、行きとは違うルートでゾ・ロッシュまで戻って来たこともあり、行きよりもかなり時間がかかってもうたのは失敗やったな。


「流石に遠かったっスね」


「せやな。まぁ、ラーグレイ地方は治安もかなり良くなっとったし……そんなに大変やなかったやろ?」


「そっスね。兄貴が遠出する時は怪しい場所が多いっスけど、今回は楽なもんだったっス」


「不安定な所にこそ商機は転がっとるもんやからな。まぁ、俺もロブが居らんかったらよぅ行かんけど」


 馬車の向かい側に座るロブに肩を竦めて見せると、そう言われたロブは頷く。


「毎回今回みたいな場所だと楽……いや、目的地が人外魔境だったんでやっぱりいつもと一緒……あー、いつもより悪かった?」


 エインヘリア城で会った方々を思い出したのか、ロブがしんどそうに深いため息をつく。


「気は張ったかもしらんが……危険な事自体はなかったし、楽やったやろ?」


「なんていうか……常に喉と背中に剣を突きつけられている状態が楽かって聞かれると……強面相手に立ち回った方がかなり楽ですと答えるっス」


「じゃぁ、次は殴り合いが出来るような場所にしたるわ」


「いや、強面と殴り合いたいわけじゃないっスよ?」


 物凄く嫌そうな顔をしながらロブが言うと同時に馬車が停止する。


 それを確認したロブがすぐに扉を開き外へと出て行く。


 ロブはさっきエインヘリアが死地に等しいと言っとったけど……そんな人外魔境よりも地元の方が油断ならんってのは皮肉やな。


 アーグル商会は俺とロブ、それと本店の番頭任せとるルシオの三人が一代で築き上げた商会……お天道様に顔向けできんような商売はしとらんけど、危ない橋は結構渡って来た。


 当然、恨みはいっぱい買っとるし、右も左も敵ばっかりや。


 ロブやその部下達のお陰で安全は確保できとるし、最近は前程直接的な暴力に訴える輩は居らんくなった。


 それでもロブはいつも通り、俺の安全を最優先に動いてくれるし、俺はそれがあるから大手を振って行動できる。


「兄貴、地面がぬかるんでるんで足元に気を付けて下さいっス」


「お前は俺のおかんか……」


 軽口を叩きつつ馬車を降り、俺はようやっと帰って来たアーグル商会の門をくぐる。


「商会長、おかえりなさいませ」


「おう、ルシオ。変わりないか?」


 商会に入ってすぐ、本店の番頭のルシオが俺の下にやって来る。


「えぇ、特に問題は。商会長の方はどうでしたか?」


「……部屋に来てくれるか?上手く行ったら大商い……下手こいたら本店を移転させなあかん」


「……大事のようですね。畏まりました。すぐに向かうようにします」


 そういってビシっと礼をしたルシオが俺から離れ、部下に指示を出していく。


 キリク殿との賭けに負けたら、次の商会長はルシオに任せるつもりやし、その話もせんとな……。


 指示を出すルシオの後ろ姿を見ながらそんなことを考えていると、傍に居たロブが口を開く。


「兄貴、俺はちょっと部下の所に行ってくるっス。ここ数日情報が受け取れてなかったんで」


「あいよ。終わったら早めに部屋に来てくれ。多分ルシオと色々揉めるやろうしな」


「あー、賭けの話っスね?ルシオの旦那は真面目っスし……了解っス!ルシオの旦那の説教が終わった辺りに部屋に行くっス」


「いや、もっとはよ来いや」


 こういう時、コイツほんと役に立たんな……。


 そそくさと去って行くロブの後ろ姿に届くように、これ見よがしにため息をついたけど……あいつ全く気にせず逃げよった。


 まぁ、ロブやルシオの事はさて置き……執務室に戻るのは若干憂鬱やな。


 往復で二か月以上も空けとったんや……書類やら手紙やら死ぬほど溜まっとるやろうな。


 簡単な報告は道中ロブの部下が届けてくれとったけど、一から十まで報告上げてくれるわけやないしな。


 俺は覚悟を決めて執務室の扉を開き……そっと閉める。


 あかん……アレはアカンやつや……。


「商会長?何をなさっているのですか?」


「……随分早い到着やな」


 いつの間にやらルシオが俺の傍に立って底意地の悪そうな笑みを浮かべとる……番頭であるルシオは、当然この部屋の状態を知っとるからな。


「商会長の時間は貴重ですから。今日はこれから……恐らく明日か明後日くらいまでは寝る暇もないでしょう?」


「……俺、長旅から帰って来たばっかで疲れてんけど……」


「えぇ、分かっております。そのような状態であっても、勤勉にお仕事をなさる商会長のお姿には頭が上がりません」


 俺はルシオの笑顔から視線を逸らす。


 俺の執務室……執務机の上には勿論、応接用のローテーブルの上にまで山積みにされた書類は、処理しようと思ったら間違いなくルシオの言う通り明後日くらいまでかかるやろう。


 ……よし、ロブが来たら手伝わせよ。


「まぁ……ええわ。部屋で話しよか……茶を飲むスペースもないけどな」


「今回は随分と長く空けていましたからね。こちらで処理出来るものは処理しておきましたが、それでも三か月近く空けられていましたので……このくらい溜まるのは仕方ないかと」


 俺が扉を開けて部屋に入ると、若干苦笑しながらルシオが言う。


 いや、分かっとるけどな?でも別に遊んどったわけやないんやし、もう少し優しくしたってや……。


「処理の優先度が高いのは……」


「執務机の右側の物から処理していってください。それと、商会長宛の手紙には手をつけていないので早めに確認された方がよろしいかと」


「了解や。じゃぁ、とりあえず書類がめっちゃ邪魔やけど応接テーブルの方で話しよか」


「はい、失礼します」


 長い付き合いやっちゅうに、ほんと真面目な奴や……。


 軽く一礼してからソファに座るルシオに内心苦笑しつつ……これから話す内容を思い出し、内心冷や汗を流す。


「エインヘリアはどうでしたか?」


「予想以上って言葉じゃ足らん位とんでもない場所やったな。ロブが顔を青褪めさせとったで」


「ロブ殿が……?」


 ロブの素性を知るルシオが驚いた表情を浮かべる。


 まぁ、その気持ちはよく分かるけどな。


「ロブが言うには、メイドさんらですらロブの部下が勝てん位強いらしいし……エインヘリアの王様やその護衛なんかは確実にロブより強いって事やった」


「……お、王が英雄級ということですか?しかも英雄が二人……?」


「いや、ロブが見たんは王様含めて三人やな。下手したらもっと居るで?」


「……とんでもない国ですね」


「せやろ?でもな……本当に怖いのはこっからやねん」


 俺の言葉にルシオの顔が引きつる。


 店に出取る時は笑顔の仮面を被っとるような奴やけど、裏で話す時はこうやって表情の変化を見せる辺り、真面目さは変わらんけどそれなりに肩の力抜いてくれとるんやろうな……ルシオの表情の変化を見ながらそんなことを……あかん、現実逃避しとる場合とちゃうわ。


 自分で話といて、一番に逃げてどうする。


「ロブやその部下がポーションについて探った事はあっさりバレとるし……何よりあれだけ巧妙に隠蔽しとった癖に、その道筋をわざと残して、エインヘリアに辿り着ける奴を選別しとったっちゅう話や」


「……商会長、それは相手の強がりではないでしょうか?あの偽装工作は、普通正解までたどり着けませんよ。ロブ殿だからこそ辛うじて見つけられた糸……いや髪の毛程の正解ルートですよ?」


「いや……アレはマジやった。何せ、ロブの事もおもっきしバレとったしな」


「な、なるほど……」


 今まで何度もロブという規格外の存在に助けられた俺達や、その凄さは誰よりもよく分かっとる。そのロブの事があっさりバレとる時点で、相手さんの方が何枚も上手っちゅう証拠になるわけや。


「顔青くするのはまだ早いで?俺が喋った相手は参謀のキリク殿やってんけど……俺らの裏技一瞬で見抜かれてもうた」


「……は?いや、ちょっと意味が分からないのですが……裏技ってあのロブ殿の頭の中で会話するやつですよね?え?商会長、もしかして口に出して喋ったりしたんですか?」


 呆けた様なルシオの顔はめっちゃ見物やけど、そこまでアホの子とちゃうわ!


「んなことするかい!ばっちりいつも通りやっとったわ!でもなんかゼッコツキンがどうとかで見破られたわ!まぁ、それ以上に相手に向ける意識の切り替わりを悟られたのが大きかったんやろうけど」


「……初見でそんなこと分かる物でしょうか?昔ならいざ知らず、最近の商会長とロブ殿の会話は、いつも二人と接している私でも気付けないレベルですよ?」


「それを初見で看破してくる人がおんねん。ロブは王様とか護衛の人ら見て顔面蒼白やったけど、俺からしたらキリク殿の方が万倍怖いわ」


 正直、今ここで話しとる会話も、キリク殿やったら聞いとるんやないかって思えてまう。


「……それは一度くらい見てみたいですね。あ、対峙したくはないので商会長の斜め後ろから見ておく感じで」


「……もしかしたら、ルシオにはキリク殿とやり合ってもらうことになるかも知らんで?」


「……どういう事でしょう?流石に、私が一国の重鎮と直接やり取りをすることなんてないと思うのですが……」


「まぁ、そういう可能性もあるっちゅう話や」


 俺は親指で顎を掻きながら、ルシオから視線を逸らす。


「……商会長。ところで先程からエインヘリアの感想ばかり喋っておられますが、肝心の商談はどうなったのでしょうか?」


「あ、あー商談、商談な。かなり良い条件もろたで?資料は……荷物の中やから後で見せたるわ」


 荷物は今頃馬車からこっちに運び込まれとるはずやし、必要なもんは多分ロブが持って来てくれる筈や。


「なるほどなるほど、それで、他に何かありますよね?」


「……まぁ、なんちゅうか……ちょいとゲームをな?」


「ほう?」


 いや、ルシオアカンで……その視線、雇い主に向けるもんとちゃうわ……。


「ま、まぁ、あれやな。ちょっとしたお遊び的なヤツやから、わざわざ報告するまでもないことやったしな?」


「なるほど、そうでしたか。それでは、どのような事をして楽しんだのか、私にも共有させて貰えますよね?実に、楽しみですね?」


 楽しそうな人はそんな笑顔はせんで……?


 そうツッコミたいのは山々やったけど、仕方なく俺はキリク殿との賭けの内容をルシオに伝える。


 終始にこにこと笑顔を見せとったルシオやけど、こめかみに青筋浮かんどるし……めっちゃ怒気まき散らしとるし……ロブの奴絶対どっかで見とるやろ!?本気で助けにこんつもりか!?


 どう見てもこれ以上無いくらいにピンチやろが!助けにこんかい!


 俺は怒れる番頭さんを前に、薄情な部下に対して内心悪態をつきまくる。


「……ふぅ。確かにどちらに転んでもメリットは大きそうですが……賭けに負けた場合、商会はどうするのですか?エインヘリアでの役目と兼任は厳しいでしょう?」


 一通り怒気をまき散らしたルシオがため息とともに冷静になる。


 でも、油断したらアカン……これは表面を取り繕っただけで、内心グツグツに煮えたぎっとるからな。


 それはさて置き、大事な話や。俺は心持背筋を伸ばす。


「商会は……ルシオ、お前に任す。俺とロブは抜けるけどロブの部下は残すし、いざとなったらロブも貸す」


「……商会を私に?」


「せや。エインヘリアの商売の窓口になるんはアーグル商会や。ルシオ以外にそんなん回せる奴はおらんやろ?頼むで?次期商会長」


「……はぁ。個人的には私もロブ殿と一緒に商会長に付いて行きたいのですが……」


 ルシオが顔を顰めながら言うけど、俺は笑って首を振って見せる。


「そらあかん。三人とも抜けたら従業員が路頭に迷ってまう。押し付ける形になって悪いけど、ルシオ以外にはよう頼まれへん。受けてくれんか?」


 俺はしっかりと頭を下げる……いや、下げるつもりやったけど、積まれた書類が邪魔で結構中途半端な感じやな。


「直接エインヘリアを見た商会長は、どちらに転ぶと踏んでいるのですか?」


「……正直わからへん。普通に考えれば一ヵ月でソラキル王国の王都を陥とすなんて無理や。でもパッと見ただけでもあの国は普通やあらへん。キリク殿の狙いが賭けに勝つ事なんか、それとも負ける事なんかすら読まれへんかった。どっちに転んでもおかしない……だからどっちに転んでもええように準備だけはしとくんや」


「分かりました……賭けの結果は……そろそろ出るのではないですか?」


 エインヘリアとソラキル王国の戦争が始まってから、そろそろ一ヵ月になる。


 流石に遠すぎてロブの部下達をフル活用しても情報はいくらか遅れるしな。


「せやな……」


「向こうで待っていた方が良かったのではないですか?」


「それも考えてんけど、この話はルシオと直接する必要があったからな。かと言って、ルシオをエインヘリアに呼び出したら戻る家が無くなるかも知れんやろ?」


 そう言って肩を竦めると、ルシオも苦笑しながら頷く。


「商会長のいない間に、結構ちょっかいを出して来るところはありましたからね」


「まだそんな阿呆がおったんかい」


「えぇ。少しでもいいから利権をもぎ取ろうとしたみたいですね」


 そう言ってにこりと笑みを浮かべるルシオ。


 あぁ、キリク殿の笑い方に既視感があると思ったけど、ルシオそっくりやな……。


「その連中は、俺がおった時にちょっかい出し取った方が幸せやったかもなぁ」


「心外ですね。商会長がやるよりも穏便に話はつけましたよ」


 お互いにお前の方が酷いとけん制し合いながら笑っていると、確実にそれを見計らっていたであろうロブが部屋に入って来る。


「あれ?なんか楽しそうっスね?」


「白々しいわ、ぼけ。それより情報はどうやった?」


「えっと……それなんスけど……ちょっといいっスか?」


 そう言ってロブが俺の執務机の方に向かい、手紙の束を手に取り戻って来る。


「えっと……あ、これっスね。兄貴、これを読んで欲しいっス」


「なんで口で言わんのや……?って、これエインヘリアの紋章か?」


「そっス。何日か前にエインヘリアの人が直接届けに来てたらしいっス」


 ロブの言葉に俺がルシオの方を見るが、ルシオは驚いた表情を見せながら首を振る。


 ルシオが知らんかったって……ロブの部下の報告は……まぁ、伝えたところでルシオにはどうしようもないけどな……。


「ロブ、ルシオにもちゃんと情報伝える様に教育しとけや」


「うっス、すんません。ルシオさんも、本当にすんませんっした!」


「いえ、私は一番頭に過ぎませんので、ロブ殿の部下の方がそう判断したのは仕方ないですよ」


「二度とこんなことが無いようにきっちり扱いておくっス。今後はルシオさんの下にも、微に入り細に入りうちの奴等から報告が入るようにしとくっス」


「……ロブ殿、謝っているように見せて脅していますよね?」


 ただでさえ多忙を極めるルシオに更に仕事をぶつけるとは、ロブも大概鬼畜やな。


「兄貴、それよりも早く手紙を読むっス」


 若干笑みを深めたルシオから目を逸らし、ロブが露骨に話題を元に戻す。


「あぁ、せやな。でもタイミング的に開戦した日時を知らせるとかやろ?」


 紋章印の押された封蝋を壊さんように剥がして中の文章に目を落とす。


「ん、やっぱりキリク殿から開戦日の知らせと……はぁ!?」


 手紙に書かれた簡潔な内容に思わず叫び声をあげてしまう。


「商会長?大丈夫ですか?」


「……嘘やろ」


 キリク殿がこんなしょうもない嘘をつくとは思えんけど……それでも俺の口からはそんな台詞が出る。


「……兄貴、まさか……」


 ロブが俺の表情から内容を察したように絶句する。


「……ソラキル王国……一ヵ月どころか、半月で陥ちよった」


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