第184話 暗澹冥濛
View of ザナロア=エルシャン=ソラキル ソラキル王国新国王 元王位継承順位第七位
まさかここまで差があるとはね。
私は馬を常足で進めながら、内心苦笑する事を押さえられなかった。
軍事力に諜報力……桁が違うと言うのは簡単だが、現実にそれを実感出来る事は滅多に無い。
軍事力の差は……私としては比較的どうでも良いのだが、諜報力……ここで大きく負けている現状はあまり看過出来るものではない。
友人達の罪状……高札に事細かに書かれたあれは、ちょっとやそっと調べた程度では分かるものではない。
もはや、異常とも言える情報収集能力だ。
友人達の遊びは外に漏れないように極力注意……出来ていない者もいるが、基本的には外に漏れないように気を付けていたし、あれ程の詳細が他所から漏れることは考えにくい。
迂闊な者の罪状を確定させてから、処刑ついでに情報を抜いたか……?
いや、口は割るだろうが……拷問で得た情報だけで、あれだけ正確な罪状を述べる事は出来ないだろうな。
少なくとも彼等の罪状として高札に書かれていた物に、嘘や間違いは一つも無かった。
どうやったのか想像もつかないが、我等の遊びはその詳細に至るまで調べ上げられているのだろう……エスト方面を任せた軍の情報は一切こちらに入って来ていないが、既に向こうも似たような状況になっていると考えた方が良い。
そうなると両軍合わせて二十万の被害と言う事になる。
二十万の兵の内どれだけが生き延びたかは分からないが、再びエインヘリアと戦うとなった時、生き残った兵達が果たして使い物になるだろうか?
恐らく無理だろうな。
特にユラン方面を攻めた十五万は、圧倒的兵数の差と英雄の存在があってなお、完膚なきまでに叩き潰された……兵として再び戦場に立つ事は出来るかもしれないが、少なくとも対エインヘリア戦では案山子程度の役にしかたたない……いや、下手をすれば恐慌に陥り、案山子以下になり果ててもおかしくはない。既に十五万の兵は全滅したと考えるべきだ。
大帝国の援軍が来るまで最低でも一月余り……敗戦当初はどうにかして時間を稼ぎ持ちこたえる方法を考えていたが……この逃避行を経て、分かってしまった。もはや状況は覆る事は無いのだと。
それよりも今日、これからが問題だ。
我々はエインヘリアとの戦争に敗れ、逃走……百余名と共に北上を続けて来た。
敵軍による追撃は見られないが、連日行われた不可視の襲撃により供回りは十名程にまで減っている。
彼らの犠牲のお陰……ではなく、ただ単にここまで生かされた我々は、本日ソラキル王国南方の大都市に到着する。
死の恐怖に怯える供回りたちは、そこまで逃げきれば助かるはずだという希望を抱いて居ているようだが……そうはなるまい。
敵による見えない襲撃は、こちらが警戒していようと、昼だろうと夜だろうと、室内だろうと室外だろうと関係なく、こちらが気付かぬ間に行われる。
我等が気付いた時には既に誰かが我等の前から消えている……恐らく野外だろうと王城だろうと関係なく、敵はこちらを暗殺できるだけの技量を持っていると考えた方が良い。
我々が生かされているのは……ただ単に相手の趣味だろう。
もし私が敵だとすれば……助かる直前……もしくは助かったと思わせてから一気に絶望に叩き落とす。
これは既に戦いではない……我々が何時もしている遊び、それを逆に仕掛けられていると考えるべきだ。
生殺与奪は敵の掌の上……ここから逃れるには敵の思惑から外れなければならないのだが、敵は今この瞬間も我々の一挙手一投足を見逃さず監視を続けているのだろう。
人数の少なくなった今、監視の目を誤魔化す事は不可能。既に状況は詰んでいるという訳だ。
く、くくく……あぁ、凄い……なんて凄い……ここまで状況を完璧に操るとは……。
一体どの時点でこの結末までの道が作られていたのだ?どこから私は誘導されていた?
エインヘリアとの戦争が始まる前からなのは間違いないが……そうなると……。
そこまで考えた私は、一つの可能性に気付く。
あぁ、なるほど……そうなると、私を待つのは……。
私達が旧王都まで、後一刻もかからない程度の距離まで近づくと、我々を迎える様に布陣した軍が街道の向こうに姿を現した。
そこに掲げられた旗は、エリンヘリアを示す物……などと言う事は無く、ソラキル王国の旗、その横には王家を示す旗が掲げられていた。
「た、助かった!あそこまで行けば、もう誰も我等に手出し出来るものか!」
そう叫び列を乱し、馬を走らせる一人の友人。それに釣られた様に他の友人達も馬を全速で走らせる。
この場に残ったのは私と、近衛騎士四名だけだ。
駆け出してしまった友人達の気持ちは分からなくもないが、私にはその後ろ姿が断頭台に喜び勇んで登る死刑囚にしか見えなかった。
まぁ、そんな陽気な死刑囚は、今まで一度も見た事は無いが。
「陛下、我々も急ぎ友軍に合流しましょう」
「急ぐ必要はないだろう?姿の見えぬ暗殺者も、今この状況で手を出してくるほど愚かではあるまい?まぁ、周囲の警戒は続けてもらわねば困るが」
私がそう口に出すと、近衛騎士達は少し残念そうな表情を見せる。
彼等も既に限界なのだろう。
目の前に映る希望に飛びつきたくて仕方が無い……早くこの絶望から逃げたい、早く楽になりたい……鍛えられた近衛騎士であっても、その根源的な渇望からは逃れられないのだ。
その気持ちはよく分かる……そういう想いこそ、私が今まで操り、刈り取って来たものなのだから。
「例え敗残の将であったとしても、私は王だ。彼らに情けない姿は見せられんのだよ」
「……はっ!申し訳ありません、気が急いておりました!ですが、陛下の安全の為にも、出来得る限り早く友軍に合流すべきだと具申いたします」
「あぁ、そうだな。ここで立ち止まるつもりは無い。進むとしよう」
そう言って私は馬を進める。
それにしても王家の旗を掲げるか……まさか出迎えまでしてくれるとは予想外だったな。
私は内心苦笑しながら風になびく王家の旗を見る。
あの旗を掲げられる人物……考えるまでもない。
既に前王の関係者は軒並み命を落としている……残っている血縁は私を含めて三人。
そのうちの一人は大帝国に逃げ王家から既に抜けている為、あの旗を掲げる資格はない。
まぁ、クーデターを起こせばその限りではないが、彼がこの状況で国に戻り私に反旗を翻す意味は無いだろう。
そんな迂遠な事を考えつつ、私はゆっくりと軍に近づいていく。
それにしても、共に進んでいる近衛騎士達はこの状況を疑問に思わないのだろうか?
何故、彼等は迎えすら出さずこちらを待っているのか。
何故、王を守るために動き出さないのか。
殺気立っている様子は無いが、少なくとも彼等は王を迎え入れるのに相応しい態度とは言えない。
絶望と希望に目が眩み、近衛騎士達も現実が見えていないのだろう……そして、彼ら以上に現実が見えていなかった友人達は、既に軍に合流してその姿はこちらから見えなくなっている。
傍から見れば異様な状況だと言うのに、当人たちだけがその異様さに一切気付くことが無い……あぁ、完璧だ。
十日余り。
たった半月程度の時間で、本人達に一切肉体的な損傷を与えることなく完全に心を壊している。
さらされ続けた恐怖と絶望。
恐らく彼らは何度も己の生を諦めたに違いない。眠りにつくたびに二度と目覚められないと恐怖に怯え、目覚めた時は無事であることへの安堵と終わらない絶望を噛み締めた筈。
そしてその果てに見せられた希望……それが作られ、欺瞞に満ちた希望であったとしても、盲目的に縋りつくしか彼らには出来ないのだ。
……かく言う私も彼らと大差はないがね。
定められたシナリオに沿って動くだけの役者……アドリブをいくら入れようと決められた脚本からは逸脱する事は出来ず、既に終幕までの道筋は出来上がっている。
この脚本を書いたのは誰なのだろうか?
恐らく、これから会う人物が書いたものではないだろう……もし、彼女がこれを全て書いていたのなら……私は恐らく、この状況であっても彼女に求愛してしまうだろう。
その光景を想像した私は、苦笑を噛み殺すことが出来ず表に出してしまう。
「陛下?どうかされましたか?」
「……少し先の事を考えてしまってな」
「……あの国を相手に、大帝国の援軍が来るまで持ちこたえられるのでしょうか?」
この期に及んで的外れな心配をしている近衛騎士に、私は小さな笑みを見せる。
「その心配は必要ない」
我等には関係のない話だ。
その言葉は続けずにいると、隣を進む近衛騎士は少し安心した様子を見せた。
やはり、完全に壊れているな……彼の様子を見て、その壊れ様を楽しむことが出来ないことを嘆いている内に、我々は整列した軍の眼前に辿り着く。
程よい距離で馬を止めると、布陣した兵の前面が左右に割れ、その奥から軍に似つかわしくない服装……ドレス姿の女性が歩み出て来る。
たおやかな笑みは慈愛を感じさせ、兵に囲まれてなお辺り一帯に穏やかな空気を作っているように見える。
「おかえりなさい。ザナロア」
「……ただいま戻りました。姉上」
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