第183話 逃避行
View of オレット=エスピナ ソラキル王国近衛騎士
我がソラキル王国が、急激に領土を拡大している売り出し中の国相手とは言え、あのようにあっさりと負けるとは……王に従い王都を出た時は考えもしなかった。
しかし、あの戦場で十五万の軍が五万の軍にあっという間に敗れたのは事実だし、何よりソラキル王国の最高戦力、かの英雄エリアス殿が敵方の英雄に倒されたと言うのだから敗北を受け入れるより他ない。
ソラキル王国は近年外征を行っていなかったが、それでもその戦力は周辺国では敵なしと考えられていたし、実際動員できる兵数は複数の国の集合体である商協連盟には劣るモノの、一国という区切りで見れば大帝国、魔法大国に次ぐ戦力のはずだ。
陛下はつい先日即位したばかりで、今回の外征は友好国であるユラン公国の為と銘打っているが、実際は新王となった陛下の力を内外に知らしめる為であった。
その為の一歩……これから続く陛下の治世を盤石とする為の一歩目で躓いてしまった……。
あまりにも大きな失敗……この失敗によって、今後陛下は内外に多くの敵を抱えることになるだろう。陛下は聡明な方だ……その事は十分にご承知のはず……だが、我等の指示に従い、冷静なまま撤退する陛下からは、一切の怒りも憂慮も感じられなかった。
陛下は元々王位の継承順位が七位と、そこまで王位に近い方ではなかったのだが……あれよあれよというまに継承順位上位の王子たちが失脚していき、継承順位三位である王女の推薦もあり王となった方だ。
無論、ソラキル王国と言う国の中枢に近しい位置にいる近衛である私は、継承順位上位の王子たちの失脚が偶然でない事は知っている。
しかし、だからこそ陛下は王に相応しい方なのだ。
ソラキル王国がそういう国であり、王とはそうあるべき……それが我が国の不文律であり、ソラキル王国の力の源でもある。
そういった意味で、ソラキル王国の王としてこれ以上相応しい方はいないのだが……今回の敗戦は、その根幹を揺るがしかねない程大きなものだ。
しかし、そんな中であっても陛下は冷静さを失わず、ただ淡々と成すべきことを成そうとされておられる。
この街に辿り着いた時に私へと一つの事を尋ねられた。
「敵に利用されぬようにこの街は焼き払う必要がある。現在の人員で可能か?」
戦場より這う這うの体で逃げ戻り、自国内の最初の街について即下す判断とは思えなかったが、近衛である私に否という権利はない。
しかし、現在の人員でこの街を焼くのは人手が足らず、この街の組織と渡りをつける必要がある事を説明すると、明日陛下達がこの街を発ち次第実行できるように手筈を整えるよう命を受けた。
幸いこの街は、国境沿いの街でユラン公国とのやり取りでよく使われた街。
他国との情報が行き交うこの街には情報部の者が複数潜伏おり、各組織に潜り込んでいる。その者達を使えば……時間的には厳しいが不可能ではないだろう。
陛下の命を受け一人宿を出た私は、情報部の者と連絡を取る為に人気のない裏通りを進み、彼らと落ち合う為の酒場を目指している最中だ。
街を焼く……あまり気の進む仕事ではないが、敵に奪われてしまっては元も子もない。これはソラキル王国の未来の為に必要な犠牲。
「……そういうの……良くない……」
「っ!?」
不意に横手から聞こえたそんな言葉を最後に……わたしのいしきは……。
View of ジェラ=シルミオール ソラキル王国男爵
くそっ!?
まさか我等が敗走する羽目になろうとは!
陛下が今回の戦にあまり積極的でないことは分かっていたが、だからと言って英雄まで引っ張り出しておいてあっさり負けるか?
今回は侵略戦争ということで、色々楽しめると期待していたってのに……自国の者相手ではやはり色々と遠慮してしまうからな……だからこそ堂々と大手を振って色々試すことが出来る今回の件は、非常に楽しみにしていたのに……。
だが、まぁ、こうなってしまっては仕方ない。
幸いと言うか、陛下は道中にある集落は全て焼き払うと言われていたし、その前に少し楽しませて貰っても誰も文句は言わないだろう。
今の所焼かれた所は見ていないが、どうやら陛下は近衛騎士に命じて我々が発った後の村を焼いているようだ。
今はあのエインヘリア軍がどこまで追ってきているか分からない為、今まで通過して来た街や村がどうなったのか確かめることは出来ないが、追ってきているのは五万の軍、対する我等は百人程度の集団だ。移動速度は比べるべくもなくこちらの方が早いだろう。
追いつかれる心配は無いのだから、この辺りで多少遊んでも良いのではないか?
鬱憤が溜まっている者は私以外にも沢山いるはずだし、恐らくそれは陛下も同じだろう。
陛下に上申して、この村の処理は私に任せて貰うか?
数人誘って少し遊んでからこの村を焼き払えば、少しは気分もスッキリするだろう。
それに、小さな集落とは言え、村一つを焼くなんてことは中々経験できるものではない……いつもの遊びとは違った面白さがあるかもしれないな。
そんなことを考えていると、部屋の扉がノックされた。
「誰だ?」
「……お食事……持ってきた……」
「入れ」
俺が声をかけると、扉を開き入って来たのは黒髪の女……村人らしく貧相な体つきで言葉遣いもなっていないが、その顔は今まで見て来たどんな女よりも美しかった。
思わずその顔に見惚れ生唾を飲み込んでしまう……これは、思わぬ掘り出し物だ。
この女……おそらく間借りしているこの家の娘あたりだろうが……絶対に俺が貰う。
「……お邪魔しました……」
水とパンとスープ、質素な事この上ない食事を机の上に置いた女は、覇気のない様子で部屋から出て行く。その姿を呆然と見送った俺は、自分の中に生まれた興奮を抑える事が出来なくなっていた。
あの娘は絶対に俺の物にする……陛下や他の友人に見られたら取られる可能性が高い……先に確保する必要があるな。
ははっ……こんなしょぼい村になんて勿体ない……信じられないくらいの宝石がゴミ捨て場にあるだなんて、しかも俺がそれを最初に見つけた……何という幸運だ。
この村は大して大きくなく、我々全員が寝泊まりできるような宿が無かったため、比較的マシな建物に分かれて寝泊まりをすることになった。そしてこの家にいるのは俺だけ……僥倖だ。
こんなに胸が高鳴るのはあの時……娘に毒を飲ませ、その両親に殺し合いをさせ勝った方に解毒薬を渡すという遊びをした時以来だ。
アレも実に面白かった……自殺をしたり手を抜いたりしたら絶対に解毒薬は渡さないと言ったら、両親は泣きながら本気で殺し合った。ハンデとして夫の方は手錠をしていたから、勝ったのは妻だったな。
その後、解毒薬と言って渡した毒を娘に与えさせ……全身を襲う激痛にのたうつ娘を前に呆然とする母親の姿は本当に爆笑物だった。
最終的に母親は夫と娘を殺害した罪で投獄して処刑したんだが……その頃には完全に抜け殻みたいになっていて微妙だった……まぁ、あの母親も庶民にしては悪くない顔立ちだったな。
あの黒髪の娘はどんな風に使おうか……あれだけの美貌、すぐに殺してしまうのは勿体ない……出来る限り長く、隅々まで堪能してやりたい……いっそのこと手足を切り落として飼うか?
そんなこと考えながら、机に置かれた水を一口飲んだ次の瞬間……俺の右手にとんでもない激痛が走る!
「ぐあああああああああ!?」
「……近所迷惑……」
何故か先程部屋から出て行ったはずの黒髪の娘が痛みに蹲る俺の傍に現れるが、それどころではない!
「……とりあえず……声は封じる……」
黒髪の娘が何やら呟くと、叫んでいる筈の俺の声がぷつりと途切れる、俺は今も叫んでいる筈なのに!
「じゃぁ……説明……。貴方が飲んだのは……『蟲毒王のポーション』効果は……全身へと……徐々に広がる激痛。および……精神異常の回復……怪我や疲労の回復……。安心していい……気絶もしないし……自殺も出来ない……。でもポーションの効果は……半日……明日の朝には切れる……ポーションの効果がきれたら……残るのは毒の効果だけ……すぐに死ぬ」
何やらブツブツと言っているが一切耳に入ってこない!それよりも痛みがどんどん広がって!?
「っ!っ!っ!?」
「じゃぁ……これでおしまい。……あ、最後に一つ……キモイ」
その言葉を最後に、部屋の中から娘が姿を消し、後には凄まじい激痛と共に俺だけが残る。
ああああああああああああ、何故俺がこんな目にいいいいいいぃぃぃ!?
View of ヘンダーソン=コロン ソラキル王国近衛騎士
敗残の軍からは脱走兵が後を絶たないと言う話は聞いたことがあったが、まさか我等近衛騎士でさえもそうなるとは……。
私は陛下の側で馬を走らせつつ、すっかりと減ってしまった部隊の様子を見る。
エインヘリアとの戦いに敗れてから十日余り、百余騎は居た同行者たちが、今では三十にも満たない数しかいない。
陛下は一切の弱音を吐かず、黙々と馬を走らせて気丈にされてはいるが、やはり憔悴されているようにも見える。
それも無理のない話だ。
五日程前からだろうか?陛下を護衛する近衛兵の数がかなり減り、陛下の共をする貴族達にあまり護衛を割けなくなってからというもの……陛下の友人でもある貴族達が、見せしめの様に殺害されて行っているのだ。
そして昨日の夜も二人の貴族が姿を消している……今までのパターンからその内、その二人も死体となって発見されるのだろう。
これだけ犯行が行われているにも拘らず、一切の痕跡を発見する事が出来ない。いつの間にか一緒に逃げていた者が姿を消し、死体となって帰って来る……この繰り返しに、精神をすり減らさない者はいない。
明日は我が身……そう考え、泣きわめき部隊から離れ逃げ出した者もいたが、翌日には死体となって我等の元に帰って来るのだ……今は近衛騎士も貴族達も身を寄せ合って、とにかく逃げることしか出来ないのだ。
だが、この逃避行も後二日……二日もあれば、ソラキル王国の南部にある大都市へと辿り着く。
そこに辿り着けば、今起きている異常事態からもきっと逃げられる筈。皆の心はその根拠のない希望に縋らなければ正気を保てない程に疲弊しきっている。
だが、その希望は一概にも仮初にすぎないとは言い切れない。
そこは数代前の王が遷都するまでは王都だった都市で、街は大きく街壁もかなり高い、防衛向きの都市だ。
既にその都市や王都には伝令を送っており、防備を固め兵を集めるように陛下は指示を出されている。
恐らく我等が辿り着くのを待たずに、都市から迎えの軍が送られてくるはずだから二日と言わずに我等の安全は確保されるだろうが……それでも軍と合流するまで気を抜くことは出来ない。
「……陛下。申し訳ありません、そろそろ休息を入れねば馬が持ちません」
「分かった。どこで休む?」
「小さくはありますが、そこの丘で」
なるべく見晴らしの良い場所を選んで休憩を提案する。
こういった小休憩の最中、姿を消す者もいるのだ……出来る限りの警戒はしなくてはならない。
すっかり数を減らしてしまった近衛で警戒を厳にしつつ丘へと登ると……そこには磔にされた二人の遺体があった。
私がぱっと見で選んだ休憩地点に、当たり前のように設置された二人の遺体を見た時、私は膝から崩れ落ちそうになる身体を支えることに注力した。
「……ボッセン子爵とウォードホード伯爵だな。疲れているところすまないが、彼らの戒めをといて埋葬してやってくれるか?」
「……畏まりました」
表情を一切変えることなくそう告げてくる陛下の心境は如何程だろうか……?
私は急ぎ、磔にされた二人の身体を下ろし、地面に横たわらせる。
二人が磔にされていた傍には高札の様なものが置かれており、今まで通り、二人が何故殺されたのか、その罪状と処刑方法が事細かに書かれているのだろう。
だが、そんなものを見ずとも、二人の身体を見ればどれだけ壮絶な死を迎えたかはすぐに分かる。
一人は両足がぐちゃぐちゃに、もう一人は両腕がぐちゃぐちゃになっており、更に首には細い紐で縛られたような跡がいくつも残っている。
本来であれば何か布をかぶせてから土に埋めてやりたい所だが、ここ数日布などの物資は補給できていない為、それすらもしてやることは出来ない。
穴を掘る道具も無い為、近衛騎士が数人がかりでなんとか埋葬の為の穴を掘っていく。
私は二人の遺体に祈りをささげた後、立ち上がりふと目に入った、高札を見つめる陛下にぞっとする。
その眼差しは普段通り怜悧なもので、感情を感じさせない物だったが……間違いなく今陛下は……うっすらと笑みを浮かべていた。
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