第185話 最後の王
View of ザナロア=エルシャン=ソラキル ソラキル王国新国王 元王位継承順位第七位
軍の中にあって一人だけ別の世界を構成している姉上は、王城の私室でお茶を飲んでいた時と様子は一切変わらない。
その静けさがこの状況にあって、これ以上ないくらいの異常さを辺りに振りまいているが、そんなことを気にする者はいないだろう。
しかし……私の名を呼んだか。
二人きりであれば普段通りのその呼び方でも問題は無いが、今周囲には兵達の目がある。
姉上がこの状況で失言をするはずがない……つまりは、そういうことなのだろう。
……だからこそ私も姉上と呼んだわけだしな。
私が馬から降り、数歩だけ姉上との距離を詰めると、気遣わしげな表情をしながら姉上が口を開いた。
「随分大変だったみたいですね」
「……伝令はちゃんと届いていましたか。では、戦の詳細だけでなく道中の事も?」
「えぇ、随分多くの貴族が犠牲になったそうね……とても悲しい事だわ」
そう言いながら悲し気な表情を見せる姉上は、心の底から悲しんでいるように見える……いや、おそらく周囲にいる兵や近衛騎士達にはそのように見えている事だろう。
だが、少なくとも私にはその様子は白々しいものにしか見えなかった。
「えぇ。多くの貴族がこの戦いで犠牲になりました。彼らの多くは最近当主になったばかりでしたし……後継となる者がいない家も多く、いくつかの家は断絶となるかもしれません」
「そうね……それに、兵の犠牲も相当な物。エスト方面を攻めた軍の事は知ってる?」
「いえ、我等も撤退するのに必死でしたので。どうなりましたか?」
ある程度予想は出来ているが……。
「エスト方面に攻め込んだ軍も壊滅……指揮官以下、多くの貴族の生死は不明。それとエスト方面軍は別動隊を出してエインヘリアの集落を襲う手筈だったみたいだけど、一か所も襲うことが出来ずに全滅したそうよ」
「……完封されたと言う事ですね。因みにどのような流れだったか、どのくらいで決着がついたかは御存知ですか?」
「えぇ、聞いていますよ」
にっこりと笑みを浮かべながら言う姉上だったが、すぐに困ったような表情になる。
「ですが、私は軍事に疎くてうまく説明できません。ですので、説明をお願い出来ますか?」
「畏まりました」
姉上の言葉に従い、隣にいた男が一歩前へ出るとエスト方面で起こった戦いの説明を始める。
「ソラキル王国軍は中央と右翼に軍を分けて小さな高台に布陣。左翼はクガルラン王国が受け持ちました。開戦直後、エインヘリア軍はソラキル・クガルラン連合軍へ突撃。そして両軍がぶつかる直前に突如広範囲で地面が隆起。現れた岩山によりソラキル・クガルラン連合軍は各所で分断されました。更に右翼では巨大な炎が発生、そして中央では雷の雨が降り注ぎ両軍は一気に壊滅。クガルラン王国軍は突撃したエインヘリア軍によって本陣が陥落。この全てが開戦から半刻と経たずに起こりました」
「……随分と詳細に状況が分かっているようだが、貴公は何者だろうか?我が国に貴公の様な人物がいたと私は記憶していないのだが?」
エスト方面侵攻軍の最後を、まるで見て来たかのように話す男。
青い髪に紫色の瞳……顔には珍しい形の眼鏡をかけ、その容貌は恐ろしいまでに整った美丈夫。
一度目にしたならば決して忘れることの出来ない様な存在感……間違いなくソラキル王国に仕えている人物ではない筈だ。
「あぁ、これは失礼。申し遅れました。私の名はキリク。エインヘリアにて参謀の地位を賜っております」
その男……キリクが名乗った瞬間、私の傍に控えていた近衛騎士が鎧を鳴らすが、彼らが動く前に私は片腕を上げて動きを制する。
「ほう……エインヘリアの参謀。我が国とは敵対関係にある国の重鎮が、一体ここで何をされているのかな?」
「敵対関係……ですか?我が国は一方的に攻め込まれそれを撃退しただけです。こちらには特に被害は出ておりませんし、敵対、という程の事ではありませんよ?それに、その件については既に話はついておりますし」
そう言って微笑を浮かべるキリクからは、私に対する敵意は一切感じられない。
やはりそういうことだったか……これ以上無いくらい綺麗に嵌められたようだ。嵌められた張本人でありながらも、もはや怒りすら感じず……ただただ感服するばかりだが、まだここで終わりにする訳にはいかない。
道化には道化なりの役割と言うものがあるのだから。
「……話がついている?これは異なことを、王である私の知らぬ間に、国家間で何やら約定でも交わされたのかな?」
「その件ですが……」
肩を竦めて言う私の言葉に反応したのは、キリクではなく姉上。
やはり、貴女と手を組んだのは正解であり失敗でしたね。貴女の恐ろしさは分かっているつもりでした……だからこそ基本的には不干渉で、そして最大限望みを叶えるつもりでしたが……そう考えた時点で話は終わっていたのでしょう。
「ザナロア。申し訳ないのですが、貴方には王位から退いてもらうことになりました」
にこやかに告げて来たその言葉が終わると同時に、周囲に控えていた兵達が一斉にこちらに向けて槍を構える。
その動きに即座に反応した近衛騎士達が武器を構えるが……たった四名では相手が一般の兵であったとしても、ざっと千人近くはいる兵を相手出来るはずがない。
彼らは英雄と言う訳ではないのだから。
「武器を下ろせ。多勢に無勢だ、無駄に命を散らす必要はなかろう」
近衛騎士達の絶望の表情は心地良いが、忠義とやらに命を散らす様を私は美しいとは思えない。
人はもっと己の欲に生きるべきなのだ、結果的に他人の為となったとしても、そこに必ず我欲が無ければいけない。
私が操り盲信させたのであれば、最後の一瞬まで大事に使い潰すが……この状況でただ忠義というものに駆られて命を散らす様は、何一つ面白くはない。
「しかし……!」
「戦うのは無駄。馬に乗って逃げたとしても、槍で刺されるか……運よく走りだせたとしても矢で討たれて終わりだ。近衛騎士として私を最後まで守ろうとしてくれるのはありがたいが、無為に命を散らす必要はないだろう?」
「……」
私の言葉に、完全に武器を下ろすことはしなかったが、近衛騎士達は構えをといた。
「何故、私を王位から引きずり下ろすと?」
「貴方のこれまでの罪状を上げて行けばキリが無いので割愛致しますが……王にあるまじきその罪の重さ、流石に看過できないと言う事です。まぁ、それも今回の様な大敗が無ければ目を瞑っていたかもしれませんが……」
「なるほど、弱き王であることこそ最大の罪というわけですか。それで、私から王位をとりあげ、どうするのですか?姉上が次の王になると?」
「本当はやりたくないのだけど、それも仕方ないわね。それに、王になると言っても少しの間だけの話ですし」
「……どういう事でしょうか?我等の他に王族は……」
私が王位を継いだ時点で姉上以外に継承権を持つ者はいない。それにもかかわらず姉上が王であるのは短い時間と言う……つまりその真意は。
「私がなるのはソラキル王国最後の王。ソラキル王国は、私の即位と同時にエインヘリアに降ります。今後ソラキル王国はエインヘリアのソラキル地方と名を変えるという訳ですね」
「……国を売りましたか、姉上」
戦に負けた王を廃し、次の王が他国に降る……どちらの方がより罪深いのだろうか?
「売った、と言うのは正しくありませんね。完全に崩壊する前に譲った、と言うのが正しいでしょう」
「歴史あるソラキル王国を、突如現れた得体のしれない国に譲り渡したのですよ?ただの売国と何が違うのですか?」
「ふふ、ザナロア、貴方がそれを言いますか?」
悪意の一切籠っていない笑みを向ける姉上に、私は思わず苦笑してしまう。
「無論、言いますとも。私はソラキルの王としてこの国を正しく導かねばなりません。私が王となったのは、けして他国に膝を屈する為ではないのですから」
「なるほど……では、なぜ貴方は王となったのですか?」
「私が一番ふさわしかったからです」
「そうね、それは正しいわ。貴方は王位継承争いで一番優秀だったから王位についた。そして、この場で嘘をつかなかった貴方は本当に素敵だわ」
私の返答に満足した様子を見せる姉上。しかしそんな姉上とは裏腹に、私達の問答に近衛騎士達もそして姉上の傍に居る兵達も首を傾げる。
この会話の意味が伝わっているのは私と姉上、そしてキリクと言う男だけだろう。
「では、もう一つ。貴方は王になりたかったのですか?」
「いえ、特には」
今度の返答には近衛騎士も周りを囲む兵達もギョッとした表情を見せる。
その様子は私に軽い喜びを与えてくれたが……ソラキルの王という道化役はここまでだ。
「貴方、いえ、王族の血でしょうか?何よりも自分の欲を優先してしまうのは。貴方が王であるのは結果に過ぎず、ただ王位継承争いという骨肉の争いを全力で楽しんだだけに過ぎない。そうですよね?」
「おっしゃる通りです」
姉上は私の全てを見抜いている。逆に私は姉上の事を一切見抜くことが出来なかった……間違いなく敗因はそれだろう。
「楽しかったですか?」
「えぇ、自らを高貴だと、優秀だと考え右往左往する彼らの狂騒は本当に楽しかった。ですが、遊びにはいつか終わりがくる。兄上が処刑され……これ以上ない程の絶頂感を覚えると同時に、全部終わってしまった事への寂寥感がありました。姉上は遊んで下さりませんし」
「それはごめんなさい。私は私で違う事をやっていたから」
「……だから仕方なく、新たな土壌を作ることにしたのですよ。国内と国外……遊び相手は沢山いますからね。今回の戦は、その土壌作りの第一歩だったのですが……見事にしてやられましたよ」
そう言って肩を竦めると、姉上は珍しく苦笑したような表情になる。
「私のやりたい事の為には、お兄様達も貴方達も貴族達も排除する必要があったから。お詫びという訳でも無いけれど……最後は貴方の趣味に合わせてみたのだけど、楽しめたかしら?」
「そうですね……見事としか言いようがありませんでした。まぁ、一つ残念だったのは、私自身の絶望を知れなかったことでしょうか?」
「ごめんなさい。最初から壊れている子を壊すには、貴方の趣味に合わせた時点で無理なのよ。もっと別のやり方でないと……」
「それは残念です。あ、ですが絶望とまではいきませんでしたが、悔しくはありましたよ。何度も何度も考えました……私が自分の手でやりたかったと。それは本当に悔しかったですね」
友人達の絶望……私の手でそれを成したかった、それだけは本当に心残りと言う奴かもしれない。
「少なからず満足できたなら良かったわ。悔しさや嫉妬も悪くなかったでしょう?」
嫉妬……そうか、友人達を弄ばれ私は嫉妬したのか……。
「それもそうですね、今更ながら発見がありましたし。それとお聞きしたいのですが……姉上、これはいつからでしょうか?」
「最初からよ。貴方と私が手を組む前からもう決まっていたの」
「はははっ!やはりそうでしたか!そしてこの絵図を描いたのはキリク殿ですか?」
「えぇ、及ばずながら」
挨拶以降、黙って私達のやり取りを見ていたキリクが綺麗な礼を見せながら言う。
その姿を見て、ふと心に後悔の様なものが過る。
「あぁ、残念です。私はこれまで人に教えを請うと言う事は殆どありませんでしたが、初めて教えを請いたいと思いました。私が始まったと考えていた時点よりも遥かに前から決着がついていた……それに気づいた時は本当に心が締め付けられましたよ」
「貴方はとても良い素質をお持ちでした。もし貴方が十年早く我が王に出会えていたのなら、貴方は自分の欲を程よくコントロールして、稀代の謀略家となれていたでしょう」
そう言ったキリクが一歩下がると、姉上が周りを囲む兵達に指示を出す。
「ザナロアを捕縛なさい、このまま王都に移送します。近衛騎士達は武装解除して投降しなさい。貴方達の職務は理解していますが、彼はこれから多くの罪で裁かれる罪人です。最後まで付き従うと言うのであればこの場にて討ち取りますが……そこに名誉はありませんよ?」
姉上の言葉に、近衛騎士達は武器を落とした。
そして私は手足に枷が嵌められ、動きを封じられた。
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