第180話 英雄無き戦場



View of ザナロア=エルシャン=ソラキル ソラキル王国新国王 元王位継承順位第七位






「陛下、エリアス殿が!」


 私が馬を走らせてようやく戻った本陣の天幕には、慌てふためく指揮官達がいた。


 この狂騒、悪くはないが……流石に私もこの状況で趣味を優先する訳にもいくまい。


「分かっている。まさか英雄があのようにあっさり敗れるとは予想出来なかったな」


 馬を走らせながら後ろを窺っていたが……エリアスはエインヘリアの王こそ英雄級だと言っていたが……その王に刃を届かせるどころか、護衛にやられてしまうとはな。


 あれだけ自信に満ちて英雄と呼ばれた男があっさりと敗れる様には、笑いを殺しきれなかった……あぁ、傍で見られなかったのが本当に残念だ。


 いや、そんなことを言っている場合ではないな。


「エリアス殿は死んではいないようですが、敵の捕虜となりました。何とか返してもらえるように交渉を……!」


「馬鹿な!捕虜となった英雄を誰が解放するというのだ!そもそも、英雄を捕虜とした所で手痛い反撃を受けるだけだ!おそらくもう殺されておるわ!」


「捕虜とした以上、捕虜とする価値があると判断したはずです!おっしゃる通り英雄を捕虜にするというのは大きな危険を伴いますが……エリアス殿を倒した者が居れば抑えきれるという判断でしょう。殺すつもりならばあの場で殺したはずです!」


 舌戦が始まる前までは一切口を開くことのなかった旧臣達が気を吐いているが……少し視野が狭いようだな。


 エリアスを完全に封じ込められるのは既に分かっていることだしな……。


「恐らく相手の狙いは、捕虜となったエリアス殿を解放する条件に、こちらの軍を引かせることでしょう」


「……」


 それはどうだろうか?


 あの王の立ち居振る舞い……あれはこちらを敵と見なしていなかったように見えた。


 恐らく、相手の狙いはこちらを引かせるなどという消極的な物ではない。


「ここまで軍を進めておいて、一戦も交えることなく引くのか?」


「それも仕方ないだろう?エリアス殿を捕虜にされたというのはかなりマズイ。大帝国に何と説明する?」


「それはそうだが……」


「そもそも、英雄を倒す様な相手が居るのだぞ?兵力三倍とは言え勝てるのか?」


「何を弱気な!いくら相手がエリアス殿を倒したからといっても所詮は個人!十万もの兵力の差を覆せるものか!」


 確かに十万もの差となると、個人では一局面でしか対応出来ない以上手が足りないだろう。そして、いくら英雄が倒されなかったとしても、他の兵が全滅してしまっては勝ちとは言えない。


 盾を振り回して戦っていた女もエインヘリアの王も鎧姿で、魔法使いといった感じには見られなかった。軍相手に強力な魔法を使い、一気に一掃すると言ったタイプの戦い方をする訳では無さそうだし、十五万対五万という数の差を覆せないようにも感じられるが……。


 ふむ……やはりエリアスを失ったのは痛いな。


 英雄という存在がどの程度危険で、十万という兵力差を覆すことの出来る存在なのか、今の我等には確認する術が無い。


「一つ、皆に言っておくことがある。エリアス殿を倒した敵方の英雄とは別に、エインヘリアの王も英雄級の力を持っている可能性がある」


「え、英雄が敵方に二人!?」


「……敵方が十五万の我等に対し五万で対峙してみせたのは、二人の英雄に絶対の自信を持っているからだろう。だからこそ、野戦で堂々と三倍もの兵力差のある相手に対し布陣しているのだ」


 私の投じた一言で、天幕の中は更に混沌としていく。


 ただでさえ厄介な英雄が二人だからな……そもそもエインヘリアに英雄が居るという事自体が、彼らにとっては想定外であるはず。


 そもそも英雄という存在は、大国と呼ばれるような国以外で見ることは殆ど無い……敵に回すこと等、考えた事も無かったのだろうな。


「陛下……それは、その……」


 友人の一人が窺うような面持ちで言葉を濁す。


 王の言葉を疑うなどと到底許されることではないからな。


「私の所感ではない。エリアス殿が飛び出す前に私に教えてくれたのだ。エインヘリアの王は恐らく英雄級の力を持っていると」


「そ、そうでしたか……」


 エリアスから聞いた話だと伝えると、若い指揮官たちは顔色を青褪めさせる。


 逆に少々年のいっている旧臣たちは、個人の武力に戦況が左右されることはないと強気の姿勢だ。


 普通は若い者達の方が血気盛んで、年齢が上の者が慎重論を唱える気もするが……これには理由がある。


 今血気盛んに声を上げている旧臣達は……処分予定の者達だ。


 今まで日の当たる事の無かった彼らは、今回の戦で指揮官して私に取り立てられ、捨て駒にされるとも知らず自らの価値を私に示そうとしている。


 だからこそ、弱腰な態度を取ることが出来ないのだ。


 逆に若い連中は私の旧友であり、手柄にそこまでこだわる気質ではない。どちらかと言えば、楽に面白くやりたいと考えるタイプだ。


 強引にでも手柄を立て、私にアピールしたい年寄りと危ない事は避けて楽をしたい若者……実に面白い構図だし、それが見たくてこんな歪な編成をしたのだが……まさか、それを楽しんでいるような場合ではなくなってしまうとはね。


 もはや戦う意欲はなく、無事にこの状況を切り抜けたいと考える友人達と、たかが個人にこの圧倒的有利な状況を覆せることはないと主張する年寄り達……さて、この場合私はどう動くべきか……。


 まず、エリアスの奪還……これは優先したい。


 大帝国より出向して来ている英雄だ……真正面から戦って普通に捕獲されたわけだし、我等が責められる謂れはないと思うが、そんなことを正面切って大帝国相手に言える筈もない。


 あそこで止めを刺されていればまだ言い訳のしようもあったのだが、捕虜となってしまっては奪還の為に動かなくてはならず、面倒が多い。


 この場合、捕虜返還の条件に軍を引けと言われれば、すぐにでもこの場は引いて構わない。


 即位後の外征で一つの成果を上げることなく撤退となっては私の名に傷がつくだろうが、そんなことは一切構わない。


 この戦いはただのデモンストレーションであり、エインヘリアという国がどのような国か私自身が見る為でもあった。


 後者の目的はこの短い時間で十分果たされているし、私としては満足な結果だ。


 敗戦という結果を受け、国内は荒れるだろうが……私としては一向に構わない、遊戯の場が再び国内に戻るというだけの事。それが落ち着いてから、再びエインヘリア相手に色々仕掛ければ良いだけだ。


 私としては早仕舞い……かつエリアスを取り戻すことが出来れば御の字。


 友人達も同じ意見だろう。


 しかし、エインヘリアとしてはどうだろうか?彼らは間違いなく五万という寡兵でこちらを圧倒出来ると考えている。捕虜返還に応じる気も恐らくないだろう……軍を引かせずとも倒してしまえば良いのだから。


 十五万対五万……余りにも馬鹿げた戦力差だ。


 しかし、あのエインヘリアの王はそれを可能だと考えているのだろう。


 そこでハタと気付く……今回我等は万全を期してエインヘリアへと攻め込んだつもりだったが……相手の掌の上だったのではないかと。


 エインヘリアに英雄が居る事自体は別に不思議ではない。


 確かに英雄は大国に多く囲い込まれてはいるが、在野の英雄と言うものが存在しない訳ではないのだから。


 勿論、大国でもない国に英雄が二人もいるというのは異常ではあるが、問題はそこではない。


 二人の英雄が、この戦場に固まっていたという事だ。


 我等は現在エインヘリアに対し二カ所同時に攻め込んでいる。普通に考えれば、英雄と言う最強の駒が二つあるなら、それぞれの侵攻軍に差し向けるのではないか?


 ソラキルの切り札である英雄がどちらにいるか分からないのだ、攻める側ならともかく、守る側としては万全を期す必要があるだろう。


 何故それをしない……?


 考えられるのは……こちらの十五万に対し、もう一方の軍は五万……こちらが本隊であることは火を見るよりも明らかだ。だからこそこちらに英雄二人を配置して防ごうとした。


 この場合は特に問題はない。


 最大戦力を激戦区に投入するのは至って普通の事だからだ。


 若しくは、エスト方面の軍にも同等の存在……英雄がいるという場合。これならば攻め寄せる我が軍の規模の差から、こちらに二人の英雄を配置していてもおかしくは無いだろう。


 しかし、一人国に存在するだけでも切り札となり得る英雄が、一つの国に三人も所属することなぞありえるだろうか?


 大帝国のように戸籍をつくり民を管理し、長い時間をかけ突出した才能を持つ者を常に探しているような政策を取っているのならまだ分かるが……そもそもエインヘリアという歴史の浅い国にそのような事は不可能だろう。


 三人目の英雄がいるという線は、常識的に考えてあり得ないが……常識とは目を曇らせる要因とはなり得ても、状況を正確に計る要因とはなり得ない。そもそも、二人も英雄級が居ることが異常なのだから、三人目がいてもおかしくはないと考えるべきだ。


 まぁ、我々としては絶望的な内容ではあるが。


 そして最後に、全て敵に読まれていた場合だ。


 ソラキル王国に英雄と言う切り札が居ることは周知の事実だが、エリアスという個人の事に関しては秘匿されている。


 内政には一切かかわらず、式典にも代理を立て一切顔を出さないエリアスを、英雄と特定するのはまず不可能だし、実際今まで見破られた事は無い。


 今回の戦争に参加する折も、事前にどちらの軍に参加するかは本人にはおろか、私の側近にも知らせていなかった。情報漏洩はありえない。


 そうやって秘匿して来たこちらの英雄を、狙い撃つように現れたエインヘリアの王ともう一人の英雄……王とその護衛が、主戦場であるこちらに現れたという単純な話であれば何も問題は無いが、そうでなかった場合……全てが相手の掌の上だった場合、相手の狙いは?


 そこまで考えた私は、天幕の中に意識を戻すと皆に聞こえるように声を上げる。


「和睦の使者を送るべきだな」


「和睦ですと!?陛下一体何を!」


 戦うべきだと主張を続けていた伯爵が、信じられない物を見るような目で私を見る。


 一度も槍を交えることもなく和睦……普通に考えればあり得ないが、恐らく今回はこれが最善となろう。


「確かに英雄と言う一個人が十万と言う兵力の差を覆せるとは考えにくい。だが、エリアスと言う切り札を早々に失っているという状況は看過できない。エリアスはただの英雄というだけではない、大帝国からの客将でもあるのだ」


「……」


「仮に戦況が有利に進んだとして……彼の命を盾に取られた場合、我々は自由に動けるかな?」


「……それは……」


 あの場で殺されていたのならばともかく、捕虜として生きたまま捕らえられている方が厄介なのは、大帝国の存在があるからだ。


 処分予定の伯爵であっても、その程度の理解はあるだろう。


「幸い、まだ我等は本格的にぶつかり合ったわけではない、今ならば槍を収め、領土を踏み荒らし騒ぎを起こしたと言う事に対しての賠償をするだけで話を纏められるだろう」


 かなりこちらに都合の良い解釈ではあるが、まずはこの天幕内の意志を統一するべきだ。


「しかし……一方的に攻め込んだ挙句、殆ど何もせずにこちらから一方的に和睦の申し入れとなると……相当足元を見られるのでは?」


 活躍する機会を奪われ、非常に渋い顔をしながら伯爵が言うが、私はその言葉を斬って捨てる。


「構わん。それとも伯爵はエインヘリアと戦いながら大帝国ともやり合いたいのかな?」


「それは……」


「ならば、急ぎ停戦の使者を送れ。相手が動き出してからでは遅いぞ?」


「五万の軍が我等に先んじて攻め寄せて来るでしょうか?」


「数の優位は捨てて考えろ。相手は規格外の英雄を二人も有する軍だぞ?寧ろ少数の部隊を率いて強襲なぞ、相手が得意とするところだろう」


「っ!?畏まりました、すぐに使者の手配を……」


 私の言葉に伯爵が頷いた瞬間……遠くから喊声が聞こえ、我々は一歩出遅れた事を悟った。


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