第176話 エスト方面決着



View of チェラ=フェローキン クガルラン王国子爵 エインヘリア侵攻軍副将






 開戦と同時に私達の軍の前衛は突撃を開始した。


 しかし、その進軍の足はすぐに止まってしまう。


「な、なんだ!?」


 私は指揮官用に組まれた物見台の上で狼狽の声を上げる。


 物見台が崩れてしまうのではないかというような揺れが辺りを襲ったかと思うと、次の瞬間高所にいる私ですら見上げんばかりの岩山が隆起する。


「儀式魔法か!?」


 私の横にいたロッセ将軍も驚きの声を上げる。


「ロッセ将軍!マズいです!一瞬見えましたが、この現象は我が軍の周囲だけではなく、かなりの広範囲で発動している様でした!おそらく中央からの援軍はおろか、我が軍内での連携も引き裂かれているような状態だと思われます!」


 一瞬だけだが、かなり遠くの方でも岩が隆起するのを確認した私は、すぐにその事をロッセ将軍に報告する。


「敵がこちらに向かって突撃してくるのは見えたが、この状況はマズい!兵達は浮足立っているだろうし、連携はおろか命令すら簡単には伝えられない……!」


 拳を強く握りしめながら、敵が襲い掛かってきているであろう方角を睨みつけるロッセ将軍が言う。


「退き太鼓を叩きますか!?」


「いや、敵は攻め寄せて来ている最中だ。この状況で退き太鼓を叩けば背中を討たれる……それに前衛はともかく、我等は陣を組み構えていただけ。退き太鼓を叩いたところで潰走するだけだ……」


「ですが!この状況では!」


「落ち着くのだ、フェローキン子爵。敵の狙いは明らか……連携や指揮系統を殺し、混乱した兵達を一気に刈り取っていく算段だ。今下がるように指示を出せば、確実に兵達は背を向けて逃げ出す。そして背後から襲い掛かられ、成す術なく我等は全滅だ」


「では……」


「太鼓はそのまま前方警戒で鳴らせ!陣形を乱すな!前だけに集中しろ!本陣の健在、そして司令部が混乱していないことを兵達に知らせるのだ!」


 将軍の指示を受け、陣太鼓が力強く鳴らされる。


 隆起した巨大な岩山に阻害され、全ての兵にこの太鼓の音は届かないかもしれない。


 しかし、本陣から聞こえるこの力強い音は、少なからず兵達に冷静さと勇気を取り戻させるはずだ。


 今の私と同じように……。


「申し訳ありません。取り乱しました」


「はっはっは!落ち着いたようだな。しかしこのような現象を目の当たりにしては、フェローキン子爵が取り乱すのも無理はない。私も相当面を喰らったからな!だが、我々上に立つ者は慌ててはいけない。私達が取り乱せば、数万の兵達がその命を落とす事となる。例えこの身を業火で焼かれようと、我等は冷静でなければならないのだ」


「……肝に銘じておきます」


「うむ。まぁ、私は少しの火傷でも大げさに騒ぐがな!痛いのはごめんだ!」


 そう言って相好を崩すロッセ将軍を見て、私の心は完全に平静を取り戻すことが出来た。


「フェローキン子爵も、あの状況でしっかりと遠く離れた味方の陣にまで目が向いていたようだからな。その冷静さや視野の広さは父君譲りだな」


「いえ、私なぞ……」


「謙遜する必要はない。彼とフェローキン子爵の違いは経験によるものだ。年寄りに経験値で負けたからと言って、何を嘆く必要がある。寧ろ私達の様な年寄りは、そこ以外若者に勝てるところなぞないのだからな!」


 私の肩を軽く叩きながらロッセ将軍は言葉を続ける。


「さて、こうなってしまった以上高所にいる有利はなさそうだ。下に降りて少しでも早く情報のやり取りが早く出来るようにするほかあるまい」


「はっ!」


「移動しながらで構わん、所感が聞きたい。この戦、どう見る?」


 私はロッセ将軍に続いて歩きながら、考えを口にする。


「敵軍はこちらに向かって突撃をしながらこの状況を作り出しました。しかし敵も自分達を巻き込むような形でこの岩山を生み出してはいない筈。タイミング的に、突撃をしていた我等の前衛はこの状況に巻き込まれていない可能性があります」


 ただの希望的観測ではあるが、他の軍よりも我等の軍が前に出ていたのは確か……効果範囲外に前衛が居てもおかしくはない。


「そして将軍の通達で太鼓が鳴らされ、後方が機能している事も前衛には伝わったでしょう。彼らが奮戦してくれれば、こちらは立て直すことが出来るかと」


「しかし、その時間を敵は与えてくれるかな?この状況が敵の策である以上、敵は迅速に行動を起こすだろう」


「例え前衛が抜かれ、この岩山で分断された小道まで敵が侵入してきた場合でも、兵達が冷静であれば侵攻を押し留められる筈です。小道での戦闘は数で押し込むということが出来ませんし、倒れた兵達が邪魔になり足は鈍ります」


「こうなった以上、兵達に犠牲を強いねばならぬ。そういうことだな?」


「……はい。陣形がズタズタに引き裂かれている以上、全ての部隊を助けることは不可能です。指揮官となる者がいる場所もあれば、兵卒しか存在しない集団もあるでしょう。ならば、我等に出来ることは兵達を前に向かせ、少しでも多くの時を稼がせること。その上で急ぎ指揮系統を復活させることです」


 非道だとは思う……だが、恐らく相手は初日の開戦直後にも拘らず、ここでこの戦争を決めに来ている。


 立て直すことが出来なければ、我等の敗北は確定だろう。


「冷静な判断だ。最優先は指揮系統の立て直し……指揮を殺された軍はただの暴徒にも劣るからな。私もそれが最優先だと思った、だからこそ兵達に前に注意を向けろと太鼓を鳴らさせたのだが……見落しをしていた」


「何をでしょうか?」


 突如表情を険しいものにしたロッセ将軍に私は問いかける。


「強力な個……英雄の存在だ」


「……エインヘリアに英雄がいると?」


「先程、フェローキン子爵は小道での戦闘について言及していたな?確かに、小道で軍……いや部隊同士がぶつかれば、その狭さにより上手く身動きが取れずに戦いは膠着するだろう。しかし、強力な個がそこに突撃してきたらどうだ?」


「それは……」


 一人で軍を相手出来ると言われている様な存在……それが英雄だ。


 そのような存在を強制的に少人数に分断された部隊で相手をするなど、出来るはずもない。


「……剣戟の音が近すぎる。敵の刃は、すぐそこまで届いているぞ」


 ロッセ将軍が前方を睨みながら剣を抜く。


 音が反響していて正確な距離は分からないが、確かに将軍の言うようにかなり近くまで戦闘音や叫び声が近づいているように感じられる。


「そ、そんな馬鹿な!いくら分断されたとは言え、突撃した前衛は一万。中後衛は三万ですよ!?無人の野ではないのですから、こんな短い時間でここまでたどり着けるはずが!?」


「だから言ったろう?相手は英雄だと……以前見た英雄は味方ではあったが、とても恐ろしく見えたものだった……だが、あの姿はなんだ?あれが戦場を切り裂いて来た姿か?」


 将軍の言葉と共に、岩山の影から一人の人物が姿を現した。


 抜き身の剣を片手に持っているが、その刃も体も返り血一つ浴びていないように見える。


 剣戟の音がまだ鳴り響いている事から、この場に来たのはこの人物だけではないのだろう。


「おっと、ここがゴールでござるか。殿の指示が無くても辿り着けるものでござるなぁ」


 とても戦場を駆け抜けて来たとは思えない程、朗らかな声でしゃべる男。


 どこまでも自然体な男の姿に、私は体の震えが抑えられなかった。


「さて、一応確認でござるが……そちらがクガルラン王国軍の指揮官殿で間違いないかな?」


「……如何にも。私がクガルラン王国将軍、プルト=ロッセ侯爵である」


「ロッセ将軍!?」


 何故身を明かしてしまわれたのですか!?


「フェローキン子爵。今更隠し立て手も仕方あるまい?ならば武人として己を偽る様な振る舞いはするべきではない」


 ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる男に対し、剣を構えながら言うロッセ将軍。


 この場には私だけではない、直衛である兵達も百人近くが将軍を守るように武器を構えている。


 ……この状況で立場を偽るのには無理があるかも知れないが、しかし敵に対してそれを伝えなくとも……。


「拙者はジョウセンと申す。役職ではないが、殿より剣聖の称号を賜っておる」


「ほう……剣聖」


 なんとも大仰な称号だと思うが、得てしてそういった箔付けを王や国は好むものだ。


 しかし、この者が今ここにいるという現実が、その称号がただの誇張ではないことを物語っている。


「さて、そなた達にはここで一つ選択してもらわねばならない。すぐさま降伏する、もしくは拙者に叩き伏せられる。どちらを選んでも結果は変わらぬでござるが、拙者としては降伏する事をお勧めするでござる」


「それは何故かな?」


 こちらを馬鹿にした風ではないが、絶対的な強者という立場から降伏を促してくる姿に怒りを覚えなくも無い。だが、それ以上にこのジョウセンという男と戦うのは無謀だと本能が叫んでいる。


「この戦が終わり次第、我等はクガルラン王国に向かって侵攻するでござる。国を想うのであれば、ここは潔く降伏して停戦するべきでござろう?」


「馬鹿な!これより我等の国に侵攻すると言っている者に対して降伏するなぞありえぬ!」


 ロッセ将軍ではなく、護衛の騎士の一人が叫ぶ。


 その姿は勇ましいというよりも、恐怖から叫ばずにはいられなかったように私には映った。


「あぁ、捕虜にはするでござるが、無体をする気は毛頭ござらん。希望するのであれば、クガルラン王国に帰って貰っても良いでござるよ」


「ここで我等が投降すれば、解放されると?その場合、我等は必ず貴公等と再び槍を交えることになるが?」


「解放を望むのであれば解放するのは問題ないでござる。しかし、我等に先んじて国に戻る事が出来るかは微妙でござるなぁ。ロッセ将軍達だけなら早馬で駆ければ間に合うでござろうが、軍を引き連れてとなると確実に間に合わぬと思うでござるよ」


「……」


 捕虜を解放……?何を考えているのだ?我らを人質に侵攻を有利にしようというのではないのか?


 軽い様子のジョウセンは嘘をついている様には見えないが……相手の意図が読めず困惑する私の耳に、遠雷が聞こえて来る。


 遠雷……?空は快晴だったはずだが……。


 私と同じく、その音に疑問を感じたのか、何人かが空を見上げるようにしている。


「ふむ、カミラは張り切っているようでござるな。やはりオトノハのアレが原因でござろうが……やりすぎは逆効果ではなかろうか?」


 同じように空を見上げつつ、何やら呟いているジョウセンだったが、すぐにロッセ将軍へと向き直り問いかけて来る。


「さて、ソラキル王国軍の方も決着は近いようだし、そろそろ返答をお聞かせ願いたい」


「……ジョウセン殿。捕虜の身の安全、それと数名で良いので解放して頂けませんか?それを約束して頂けるのであれば、我等は降伏いたしましょう」


 ロッセ将軍の言葉を最後に、開戦から一刻と経たず私の初陣は敗北で終わった。






View of シェランザ=ビヒラ ソラキル王国子爵 エインヘリア侵攻軍総大将






「シェランザ、これからどうするんだ?」


 僕の横で座り込んでいるユーインが、力なく問いかけて来る。


「正直、僕もまだ混乱してて、どうするべきか決めかねているんだ」


 あの時……地面が突然隆起して岩山が生まれ、視界を塞がれた僕達が慌てふためいていると、今度はその岩山を吹き飛ばすような勢いで雷が辺り一面に降り注いだ。


 その瞬間、敗北を悟った僕はユーインや近くにいた騎兵と共に戦場から離脱する事を選び、全速で馬を走らせた。


 逃げる最中、右翼の方でとんでもない大きさの炎が立ち上っていたが……あの様子では右翼も全滅してしまっただろう。


 しかし、そんなことを悔いる暇もなく、半日程かけてここまで必死に逃げて来たが、遂に馬が潰れてしまい今は休息を取っている状態だ。


「軍は間違いなく壊滅……左翼の方は確認してないけど、中央は雷の嵐、右翼は炎に包まれていた……儀式魔法にしても、範囲と威力がおかし過ぎるね」


「最初の山を作ったやつもな。でも儀式魔法を使ってる様子は無かったんだろ?」


「うん……少なくともうちの斥候は見つけられなかった。でも最低でも三発の儀式魔法……いくら間抜けでも見落とせるとは思えないね」


「だとしたら儀式魔法以外であんな規模の魔法を使えるってことか……?陛下にこの事伝えないと向こうもヤバイんじゃないか?」


「向こうももう開戦してるだろうし……今から伝えに行っても間に合わないかもしれないけど……確かにそうだね」


 ユーインにそう返事はしたけど、僕は別の事を考えていた。


 果たして、これだけの敗北を喫した僕らを陛下は許すだろうか?


 陛下は基本的に他人を使えるかどうか、そして面白いかどうかで判断する。


 聡明であると同時に嗜虐性が強く、例え長年の友人としての付き合いがあったとしても……何のためらいもなく自分の楽しみに使ってしまう、陛下はそういう人だ。


 流石に僕も、自分の破滅を楽しめる程極まってはいない……のこのこと陛下の前に行けば、たとえ許されたとしてもこの先の人生を不安と共に生きねばならなくなるだろう。


 よし、このまま姿をくらませるか……。


 ソラキル王国が負ける事は無いと思っていたけど、あの魔法は相当規格外の代物……エインヘリアにも英雄が居ると見た方が良さそうだ。


 魔法使い系の英雄は戦場に置いて相当厄介だ……あれだけの魔法を連発できる魔法使いが個人でいるとしたら、陛下の方の十五万も蹴散らされてしまうだろう……いや、もしそれが出来るなら、最初から本隊の方にその魔法使いを配置するよな?


 何かしら制約がある……もしくは向こうにも同じような化け物が配置されている……そんなところかな?


 とりあえず、今はもうそんな考察はどうでも良い。それよりも今後だ。


 暫くどこかに潜伏するとして、今回の戦争の結果次第ではエインヘリアに行くのもいいかもしれない。


 本当は大帝国の方に行きたいけど、大帝国は市民権がないと生きづらいからな……。


 エインヘリアがこの戦争に敗れるようであれば、商協連盟の方に足を延ばすのも良いだろう。


「ユーイン。今回得られた情報を陛下の元に届けて貰えるかな?」


「お前はどうするんだ?」


「流石にエインヘリアを野放しには出来ないからね。身を隠しながら動向を探っておくよ。身軽な方が良いから、僕は十人位連れて行く。残りはユーインが使ってくれて構わないよ」


 一緒に逃げて来た騎兵は百騎程……あまり数が多いと撒くのも面倒だからね。


「分かった。まぁ、どちらにしろ、動けるようになるのは明日だな。馬も俺達も今日は動けそうにない」


 陛下に伝えないとヤバイとか言ってたけど……こういう所はやっぱり友人だなぁと思ってしまう。本当に急いで向かうつもりなら、近くの村から馬を徴発なりなんなりすればよいのだ。ここはもうソラキル王国内だしね。


 まぁ、自分が一番って考えは分かり易くて嫌いではない。


「話は終わったっスか?じゃぁそろそろお仕事を始めさせてもらうっス」


 僕がそんなユーインの言葉に内心笑っていると、何処からともなく若い男の声が聞こえ、次の瞬間、僕達を護衛していた騎士達が突然倒れた。


「……な、なんだ?」


 ユーインが動揺したように声を上げながら立ち上がると、少し離れた位置に突如一人の男が姿を現した。


「そっちの君はユーイン=バレア子爵、そしてそちらの君はシェランザ=ビヒラ子爵っスね」


「襲撃者だ!集まれ!」


 動揺するよりも早く、僕は騎士達を呼び寄せようと叫ぶ。


 不意打ちとはいえ護衛の騎士がやられた以上、僕達が戦えるような相手ではない。


「中々素早い判断っス。でも残念ながら誰も集まってはくれないっスよ。もう、皆いないっスからね」


 肩を竦めながら男が口にしたセリフと共に、血の匂いが鼻を突く。


 非常に嗅ぎなれた匂いだが……今は嗅ぎたくなかった匂いだ。


「な、なんだ、貴様……?」


 男の不気味な雰囲気に、ユーインがじりじりと後ろに下がりつつ尋ねる。


「ただの外交官っスよ。といっても今日の仕事は交渉じゃないっスけど」


 そう言って無造作にこちらに向かって歩いてくる男。


 その無造作な様子に、僕はユーインの背中を蹴りつけて男にぶつけると、踵を返し走り出す。


「ぎぃあああああぁぁぁぁぁ!?」


 次の瞬間凄まじい悲鳴が聞こえ、僕はユーインの最期を悟ると同時に地面に倒れた!


「ああああああああぁぁぁぁぁぁっ!?」


 ユーインの叫び声はまだ続いている……今のうちに走って逃げなければいけないのに、どうして僕は転がったまま立ち上がらないんだ!?


「ああああああああああああ!!」


 さっきから聞こえるユーインの絶叫が、物凄く近くから聞こえる。それになんで僕は地面を転がりまわっているんだ!?


「いや、この一瞬で友達を石の代わりにぶつけるなんて、惚れ惚れする程の下種野郎っぷりっスね。まぁ知ってたっスけど。とりあえず、そんなおいたをする足は没収っスよ」


 そう言って男は、痛みにのたうち回る僕の傍に何か太い棒のような物を投げ捨てる。


「あ、あ、あ、あああああああああ!?」


 痛み……?そうだ、僕は痛い、さっきからとても痛いんだ!


 どこが……?足……?没収……?足だ!足が!僕の足が!?


「あれ?大丈夫っスか?まだ始まったばかりっスよ?君たちのグループの話は聞いているっスからね。しっかりとお返しをして欲しいと、色んな人からお願いされているっス。ユーイン君は気絶しちゃったっスから、先に君からおもてなしっス。えっと、名前何だったっけ?」


 ユーイン?気絶?あぁ……そうか……さっきから聞こえていた声は……僕の。


「俺に任せるっス。痛いのが好きなんスよね?ちゃんと全身で味合わせてあげるっスよ。最後まで余すことなくね」


 そう言って笑みを浮かべる男を見て僕は悟る。


 僕の人生が終わるには、まだ長い時間を過ごさなければならない様だと。



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