閑章

第122話 続・温泉界



 岩で囲まれた窪みに溜まるお湯。


 立ち上る湯気。


 しかし、湿気はその場に留まることなく霧散していく。


 湯を囲む壁や天井が存在していない為、それも致し方なき事。


 ここは、所謂露天風呂。


 この湯殿の名はヴァルハラ温泉。


 傷つき倒れし戦士たちを優しく癒す、露天風呂。


 ここは現世か常世か……それを知るものはおらず、ただ湯に浸かるのみ。


 そして今……湯に浸かっている者は二人……。







「サルナレ。アレを見よ。鳥ではないよな?」


「……鳥ではありませんな。かなり距離があるので絶対とは言えませんが……恐らくあれはドラゴンですね」


「だ、大丈夫なのか?こっちに来ないよな?」


「……どうでしょうな?アレがどう飛ぶかなぞ、予想出来るはずもありますまい」


「……気休めで良いから、こちらには来ぬと言ってくれぬか?」


「気休めですが、こちらには来ませんよ」


「……」


「……」


「……」


「……ふぅ。やはり湯に浸かっていると心が解れますな」


「……私はこれ以上無いくらい、心がささくれ立っているぞ?」


「然様ですか。無粋ですな」


「私が悪いのか……?」


「そうですなぁ」


「……まぁ、いいか。確かに無粋であったな。」


「あのドラゴンも、この湯を燃やす様な愚行は致しますまい」


「そうだな……あの者も湯に浸かればそのような考えは捨て去るで……いや、ドラゴンは遠方から火を吐くのではなかったか?浸かる前に攻撃してくるのでは?」


「陛下は随分と細かい事を気にするようになりましたね。生前もそのくらい慎重であれば良かったのですが」


「お前は色々と吹っ切れすぎじゃないか?」


「まぁ、良いではありませんか。ここには面倒な輩も陛下以外いない訳ですし」


「……私、生き返る事があれば相当寛大な王と呼ばれる自信が出て来たぞ」


「重畳ですね」


「……ところで話は変わるんだが、ドラゴンを手懐けることが出来れば、我が国は最強になったと思わんか?」


「……ふむ、確かにドラゴンを手懐けることが出来れば図抜けた軍事力を得られるでしょう」


「幸い我が国にはドラゴンが居るとされている龍の塒があったからな。龍を使役か……悪くないな……その場合私は龍王となるわけだ」


「そうですね。まぁ、相変わらずどうやっての部分がスッカスカな事を除けば完璧です」


「……悪くないな……龍王……」


「こういう所は死んでも変わりませんね……おや?陛下あちらを」


「ん……?あれは……人影か?」


「えぇ、湯気で視界が悪かったので気付きませんでしたが、私達以外にもこの湯に浸かっている人がいたのですね」


「ふむ……この不思議な状況で出会うというのも何かの縁だな」


「折角です、挨拶でもしてみましょう。そちらの御仁、宜しければこちらで一献如何ですか?」


「……ん?私……ですか?」


「うむ、何処から出て来たとも分らぬ酒だが、味は非常に良い。火照った体に染み渡るぞ?」


「……では、お言葉に甘えて、ご相伴預かろうと思います」


「ではこちらの杯を……おや?」


「……なにか?」


「いえ……もしや、貴方はルフェロン聖王国のランガス宰相殿ではありませんか?」


「……私が……宰相……?」


「ん?サルナレ知っているのか?」


「えぇ。以前ルフェロン聖王国に訪問した際にお会いしたことがあります。まぁその時は服を着ていたので、少し印象が違いますが」


「……服装は大事だからな。印象もがらりと変わるだろうが……間違いないか?」


「えぇ……流石にランガス宰相殿程の重要人物間違えて覚える事は無いですね」


「……ランガス……宰相……ルフェロン聖王国……?」


「どうやら、意識がはっきりしていない様だな」


「そういえば、我々も最初はそんな感じだった気がしますな」


「……そう、ですな……えぇ、私はリガロ=ランガスです。何故そんなことを忘れていたのか……」


「どうやらここに来た直後は、皆あの様な状態になるみたいだな」


「ここは一体……?む、そう言えばあなた方……いえ、貴方はルモリア王国のハーレクック伯爵でしたな?」


「えぇ……今となっては意味のない爵位ですが。それより、ランガス宰相殿もここに来たと言う事は……」


「ここに来た……?いえ、それよりここは一体?」


「ここが何なのかという質問には答えられんな。我等も死んだ直後に気付いたらここで湯に浸かっておったのでな」


「……死んだ直後?そういえば……私は処刑されたはず……」


「ランガス宰相殿が処刑?ルフェロン聖王国で政変でもあったのですか?」


「えぇ、残念ながら……隣国の介入があり、一瞬で……」


「ランガス宰相殿ともあろうお方が……その隣国と言うのは?」


「エインヘリアという国です」


「エインヘリア?聞いたことがないな?」


「……いえ、陛下。その名聞き覚えが……しかし、何故か胸の奥がざわつく様な……」


「エインヘリアは、ルモリア王国を併呑して出来た国ですよ」


「あの野盗共が興した国か!?」


「野盗……ふむ、確かに他国をどんどん掠め取っていく様は盗賊の類と言えなくもありませんが……」


「他国へ戦争を仕掛けているのか?やはり我が民は虐げられているのか?」


「……我が民?もしや貴方はルモリア王国の国王陛下ですかな?」


「うむ。ルモリア王国十七代国王にして龍王とは我の事よ」


「は、はぁ。然様ですか」


「ランガス宰相殿、そちらの方の事は適当に流しておくのが一番ですよ。あぁ、国王陛下であることは残念ながら事実ですが」


「……ハーレクック伯爵は、少し様子が変わりましたか?」


「そうですね。俗世から切り離されたおかげか、色々な柵から解き放たれたような気がしていましてな。ランガス宰相殿もいずれ分かるかと」


「そういうものですか……正直今の状況は訳が分からないのですが……これが死後の世界と言うのであれば、なんとも空虚に感じますな」


「はっはっは!ランガス殿と言ったか。空虚なことなどないぞ?ここでは王も伯爵も宰相も……いや、国の垣根すら関係ない!何を話そうと何をやろうと自由だ!」


「自由……ですか?」


「陛下のおっしゃる通り、お互いの人生を肴に酒を飲む……生きていた頃はそんな余裕はついぞありませんでしたが、意外と悪くない過ごし方ですよ」


「……お二人は良き主従だったようですな」


「それは誤解だ、ランガス殿。コイツ、言うに事欠いて私を傀儡にしていいように操っていたとぬかしおったからな」


「いや、微妙に言う事を聞かない時があるのでそこそこ苦労しましたし……謝る事より恨み節の方が多いくらいですな」


「何度湯の中に沈めてやろうと思った事か」


「……それは……色々とよろしいので……?」


「もはや死したこの身。これ以上我慢も苦労もする必要はありますまい。今も陛下とはお呼びしていますが、敬う気持ちは微塵もありませんしな」


「お前はもう少し気を使ってもいいと思うがな?とは言え、サルナレの言う事も確かだ。ここでは俗世の権力なぞ何の意味もない。裸で湯に浸かり、酒を飲み、話をする……ただそれだけよ」


「ただそれだけ……ですか」


「自らの失敗談を笑って話せるようになる日も遠くないぞ?ランガス殿。手始めに今日は私の失敗談でも話してやろう」


「陛下は人生そのものが失敗談みたいなものですから、話題が尽きなくて羨ましいですな」


「道半ばで死んだお前だって似たようなものだろうが!」


「私の人生は大半が嫌味なくらい成功談ですよ。まぁ、最後の最後で失敗したことは認めますが、陛下の道化っぷりにはとてもとても……」


「……これが死後の世界。確かにこんな所では、現世でどんな行いをしてきたとしても酒の肴程度にしかならぬということだな」






 湯煙の向こうに消えていくヴァルハラ温泉。


 騒がしい主従と新たな客人を迎え、ただここに在り、在るだけで完結している世界。


 遠くを飛ぶドラゴンの儚げな鳴き声が遠くに聞こえる中、辺りは白く塗りつぶされ三人を覆い隠していく。


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