第102話 万全の構え



View of レグザ=サガ エスト王国 エスト王国軍大将






 私は、本陣を離れ、お互いの軍使の姿が見えるギリギリの所まで前に出てきている。


 前に出たと言っても鶴翼を作っている軍の三列目程度の位置だ。


 軍使の旗がお互い一本ずつ立っているのは確認出来るが、流石にその声まではここまで届かない。


 舌戦を聞くならば一列目まで行かなければ聞こえないだろう。


 しかし、私が前に出たのは舌戦を聞く為ではない。


 この戦での汚名……いや、汚名などという軽いものではないが、それを少しでも我が身に集める為に私自身の手でこの戦を始める必要がある。


 既に覚悟を決めていた私は、躊躇った様子を見せることなく馬上で剣を上に掲げ、敵陣に向かって振り下ろした。


 これは開戦の合図……今まさに舌戦が始まったばかりである敵への先制攻撃。


 我等は国家間での取り決め……互いの軍において軍使を意味する旗を双方掲げている際、いかなる攻撃をも禁じる……これを明確に破っての先制攻撃だ。


 これにより、我が国は非難されるだろうが……これはあくまで仕込みの一つに過ぎない。


 相手に与える損害も、そう大きなものでないことは理解している。


 何せこちらの攻撃は投石機三機を使った礫の散弾だ。


 拳大の礫をあの高さからばら撒くので威力はかなり高いが、攻撃範囲はさほど広くない。


 敵軍が密集している今であっても、二百も削ることが出来れば良い方ではないだろうか?


 無論、この攻撃の目的は敵兵を削る事ではない。


 条約を破り、舌戦の最中先制攻撃を仕掛け、相手を激昂させることにある。


 私は先制攻撃の効果を確かめることなく馬首を返し、本陣へと急ぎ戻る。


 私達の狙い通りなら、条約破りの一撃によって味方を殺された敵軍は、怒りのままに突撃を仕掛けてくるだろう。


 敵が攻めてくる可能性があるのは三カ所。


 その中で最も可能性が高いのは我が軍の左翼、次は右翼側に位置する丘。最後に本陣を狙った中央突破だろう。


 丘を無視して右翼を狙ってくる可能性もゼロではないが、こちらは中央突破以上にその可能性は低い。


 仮にそちらを狙ってきた場合は左翼と丘の軍を使って敵を包囲してしまえば良い。


 我等にとっての決戦は今日ではない。


 出来る限り敵兵を削りたいが、上手く包囲出来たとしても包囲を突破される可能性はある。


 そのくらい、敵軍と我等の間には兵の質の差があると私達は考えている。


 だからこそ、罠や奇襲に頼り、少しでも敵の数を減らそうとしているのだ。


 私が馬を走らせながら次の展開の事を考えていると、前線で喊声があがる。


 間違いなく敵が進軍を開始したのだろう。


 私は馬を走らせながら振り返り、なんとか敵の進軍先だけでも確認出来ないかと目を凝らす。


 右翼か、それとも丘か……敵の狙い次第でこちらの次の策が変わる……どちらに向かってくる?


 しかし、私の予想に反し敵軍は一丸となり中央突破を目指してきた。


 鶴翼の陣の弱点は一点突破による攻撃で、相手を受け止められなかったことにより包囲できずに陣を引き裂かれるところにある。


 しかし、普通は左右どちらかの陣を包囲される前に一気に突き抜ける策を取る所だが……中央か……やはり相手は相当自軍の強さに自信があるらしい。


 正直、初日に中央を狙ってくるとは思っていなかったが……中央を狙われた場合の策が無いわけではない。


 私が本陣に戻るまでもなく、次の動きは既に指示が出ている。


 大櫓に掲げられている旗が、敵の中央突破を知らせ、本陣を守り敵を包囲するように両翼が動き始めた。


 その動きを感じると同時に、私は後衛に配置された本陣へと辿り着く。


「将軍!」


「まさか中央突破とはな。二日目以降の仕掛けになると思っていたが出番が早まったようだ」


 私は、乱れた呼吸を整えながら本陣に詰めていた者達に言葉をかける。


「初日は敵をあまり焼きたくはなかったのですが……」


「仕方ないな。罠を中途半端に使う意味はないし、落とし穴は一度しか使えないからな」


 敵が中央突破を仕掛けてきた際の罠は落とし穴だ。


 魔法を使った吶喊作業だが、人の背丈よりも少し深いくらいの穴をかなりの広範囲に掘ることが出来た。


 穴の底には油を大量に流し込んでおり、敵が落ちたら火矢を打ち込む手筈となっている。


「もう少し時間があれば、もっと大きく深く穴を掘って敵前衛を多く処理できたかもしれないが、仕方あるまい」


「本陣の前は既に両翼の後衛が塞ぎました。しかし、相手の侵攻速度が速く両翼の包囲は間に合いそうにありませんね」


 指揮用の高台に登りながら前線へと視線を向けると、確かに副官の言う通り我等の前方を塞ぐ両翼の後衛と、すさまじい勢いでこちらに向かって突き進んで来る敵軍の姿が見えた。


「落とし穴があるだけで相手は警戒して進軍速度を上げられません。その隙に包囲を完成させられましょう」


「……うむ」


 想定以上の進軍速度ではあるが、あの勢いであればすぐにでも仕掛けの所に辿り着くだろう。


「火矢の準備が間に合わないな。もう敵軍は落とし穴に辿り着いてしまうが、想定以上の速さでこちらの包囲が追いついておらん」


 落とし穴という仕掛けは、先頭が穴に落ちてから後続が停止できるまで、かなり時間がかかる。


 後続は落とし穴があるのが分かっていても、更にその後ろを走る兵に押し出され落とされてしまうからだ。


 故に深く穴を掘っておけばそれだけでかなりの数の兵を倒すことが出来たのだが……いや、それを今言ったところでどうしようもないな。


 しかし、この進軍速度は本当に驚異的だ。両翼の包囲が全く追いついていない。


 これでは先頭を走る数人を行動不能にするだけで手一杯かもしれぬ……最初の方に落ちた者達は後から落ちて来るものによって圧殺されるだろうが、穴があまり深くない為、後から落ちる者は先に落ちたものを踏み台にすぐに這い上がる事が出来るだろう。


 それを防ぐための火だったのだが、いや、副官の言う通り落とし穴に関しては相手の行軍速度を遅らせる物と割り切った方が良いだろう。


 そう考えながら迫り来る敵軍の動きを見ていると、そろそろ落とし穴地帯に差し掛かるといったところで敵軍が突然動きを止めた。


「なんだと……!?」


 バレたのか!?


 急な敵軍の停止に、私だけではなく指揮台の上に居た者達の間に動揺が走る。


「穴に落ちる前に気付いたと言うのか!?」


「馬鹿な!個人ならともかく、あの速度で動く軍が落とし穴に気付いて止まれるものか!」


「策の事が漏れていたのでは!?」


 確かに、我等の策がバレていたのなら落とし穴の手前で止まる事は可能……いや、それはおかしい。


「落ち着くのだ。事前に落とし穴がある事がバレていたのであれば、普通はその一帯を迂回して行軍してくるはずだ。基本的に穴は本陣の真正面の一帯に仕掛けているのだからな。先の動きは直前になって気付いたと言う感じだった」


「確かに……ですが将軍、あの動きは……」


「言いたい事は分かる。事前にあの場で止まると決めていたような急停止。あんな風に軍を動かせるはずがない……何らかの仕組みが……」


 私がそこまで口にしたところで、敵軍は行軍を再開したのだが……その動きは明らかに罠のある一帯を避けて移動してくるのだが、その避け方は最小限と言った感じで無駄が無さすぎた。


「完全に罠のある位置がバレてます!やはり内通者がいるのでは!?」


「馬鹿な事を言うな!我等は外道との謗りを受けようとも王国の為に戦う覚悟を決めているのだぞ!?その中に裏切り者なぞいるはずがない!」


 困惑する者、激昂する者、敵軍の動きに注視する者……敵軍の動きを確認している者はともかく、指揮台に登っている将官達が慌てふためくのは非常にまずい。


「落ち着けと言っている!策の一つが破られただけのことだ。大した問題ではない。それよりも我等が混乱する事の方が問題であろう?さぁ、戦場は次の段階に進んだ。火矢はもう良い!毒矢に変えさせろ!あの行軍速度では両翼の囲みは間に合わん!正面の軍で受け止める。味方の誤射にだけは気をつけろ!」


 私の指示に従い副官が大櫓に向けて指示を飛ばすと、櫓に掲げられた旗が変更される。


「我等の陣営に裏切り者なぞ居らん!そんな事よりも我等が混乱する事こそ王国の滅亡に直結すると知れ!」


「「はっ!」」


 私の一喝で表面上は副官たちに冷静さが戻る。


 副官たちの懸念する通り、敵の動きは不可解で情報の漏洩を疑うのも無理はない……だが、別に罠を仕掛けたエリアに目印等があるわけではないのだ。例え情報が漏れていたとしてもあそこまで綺麗に罠を避けて進軍出来るはずがない。


 何らかの手段で罠の位置を見破っていると考える方が正しいはずだ。


 左翼側にも色々と仕掛けがしてあったからな……それを察知して中央突破を狙ったのかもしれん……。


 私は目の前で起きた事を分析しつつ、過ぎた事を振り払うように次の事を考える。


 先程指示を出した毒矢は、食事に混ぜようとした軽い毒ではない。


 大型の魔物を討伐する時に使うような代物で、人であればかすり傷程度でも死ぬような強力な物だ。


 毒の数はあまり多くなく、取り扱いも難しいので弓の扱いに長けている一部の者にしか支給していないが、それ以外の者達の矢にも家畜の糞などが塗られており、こちらは先の毒程の即効性はないが、病毒により敵軍をじわじわと蝕んでいくものとなるだろう。


 敵軍が本当に輜重隊を揃えていないのであれば、その被害は相当なものになるに違いない。


 みるみる近づいてくる敵軍を見据え、本陣の前に布陣した軍が大型の盾を地面に突き立てて構える。


 あの大盾は騎馬の突撃に堪えるられるように、盾の下部が杭の様に地面に突き立てられるようになっており、更に盾の上部を槍で支えつっかえ棒のように抑えることが出来る。


 機動性は皆無となるが、その防御力は歩兵の突撃程度では決して破る事は出来ない。


 この盾で敵の突撃を抑え込み、魔法や矢による攻撃で敵を削りつつ敵を包囲して殲滅する……これが基本的な戦術となるのだが、今回に限っては魔法による攻撃や包囲後の殲滅は考えていない。


 魔法攻撃を一切行わないのは怪しまれるかもしれないが、魔法兵は今回の策の肝となるので配置を変えることは出来ない。


 現在戦闘に参加している魔法兵はごく一部の者だけで、彼等は防御魔法だけに集中させている。それ以外の者達は本陣よりもさらに後方で今夜発動する儀式魔法の準備を進めているのだが……彼等を守り、今日……そして明日の夜を迎えることが出来れば、我等の勝利は間違いないだろう。


 彼等が用意している魔法……それは儀式魔法と呼ばれる物だ。


 通常、魔法兵一人で行使できる魔法は英雄と呼ばれる人外の者達でもない限り、発動こそ早い物の敵軍にとっては大した脅威になり得ない。


 魔法兵が隊を作り、同時に火力を集中させることで初めて脅威足りえるのだ。


 そんな通常の魔法とは異なり、儀式魔法は大人数の魔法兵が時間をかけて準備を行い発動させる魔法の事で、その威力は自然災害にも劣らない威力がある。


 勿論儀式魔法にも多くの種類がある為、全てがそんなとんでもない威力という訳ではない……儀式をする人数、それにかける時間や触媒の数々……そう言ったもので大きく威力が左右される儀式魔法だが、その儀式魔法の中にはいくつか禁忌とされているものがある。


 我等エスト王国は魔法の研究が盛んな国とは言えない。


 故に使用できる儀式魔法で敵軍を打倒できるものなぞ、これくらいしかなかったのだ。


 その儀式魔法は『大規模死霊術』。


 死者を冒涜し、その尊厳を踏みにじる禁忌の儀式。


 戦場に散った英霊達の肉体を、敵味方問わず儀式によって操り使役する魔法だ。


 蘇った死者たちは、単純な命令しか受け付けないが、頭を潰されようと四肢を斬り飛ばされようと、体が動く限り命令に従い動き続ける。


 今日戦場で散った者達を、その肉体だけを蘇らせ敵軍へとけしかけるのだ。


 死者による夜襲……いくら精強な兵であっても夜は休まなければならないし、視界も相応に悪い。


 だからこそ夜襲は効果が高いのだが、襲い掛かって来るのは不死の軍団……しかも、その中には自分達の仲間であった者達すら含まれているのだ。


 この魔法がどうして禁忌なのか、深く考えるまでもなく分かるだろう。


 これを使用すると決めた時、当然反対する者しかいなかった……だが、私はそれを押さえつけ、死者冒涜の咎は私が背負う故、邪魔だけはしないで欲しいと説得したのだ。


 禁忌魔法を使ったことはすぐに他国に流布されるだろう……そして、その時、エスト王国は非難されるだけでは済まない。


 儀式を行った魔法兵達、それを命じた私……そして陛下。


 最低でも処刑は免れない……私に出来ることは出来る限り連座する者達を減らし、その悪名を一身に背負う事だけだ。


 魔法兵達には申し訳なく思うが、彼等は私と共に汚名を被る事を受け入れてくれた。


 だが、陛下だけは、私という愚か者を制御できなかったという罪だけで裁かれるように根回しをしてある。


 共に咎を背負うとおっしゃってくださった陛下を裏切る形となってしまうが、これだけは絶対に譲る事は出来ない。


 史上に名を遺す外道となろうとも私はエスト王国を守る。


 それが将軍……いや、エスト王国に住む民として最後に出来ることだ。


「そろそろ敵前衛がこちらとぶつかる。大盾によって敵の進軍が止まったら奇襲の合図を出せ!敵本陣を狙い、敵を混乱させるのだ!」


 出来れば本陣を打ち取ってしまいたいが、その場合敵は撤退してしまうだろう。混乱の中撤退する前に大半を打ち取ってしまう事が出来れば問題は無いが……それは難しいだろう。


 基本的に我等は今回、策に嵌めて時間を稼いで敵を削るというやり方を選んでおり、奇襲で本陣を潰してしまって本隊の兵力を削れないまま撤退させてしまっては元も子もない。


 故に奇襲部隊には本陣を混乱させることを主として命じてある。


「はっ!」


 私の言葉を受け、副官が敵の動きを確認しながら大櫓へと指示を出すタイミングを計る。


「……敵はあのまま盾に突撃するつもりか?魔法による牽制すらないようだが……」


 既に十分敵を引き付けた我が軍は、毒矢による攻撃を始めている。


 しかし、敵軍は雨あられと降り注ぐ毒矢を物ともせず、変わらぬ速度で我が軍を目指して駆けて来る。


「これだけの距離を速度を落とさず駆け抜けるだけでも驚異的だと言うのに、一切毒矢に怯まぬとは……我が国がここまで押し込まれるのも分かるという物だな」


「……ですが、奴等の進軍も此処までです。如何に精強な兵であろうとあの大盾を前にすれば動きは止まる。一点突破を仕掛けながらも、その足を止められた軍は脆いものです」


「……そうだな」


 一瞬、心に何か嫌な物が過る……しかしそれがなんであるのか自問する暇もなく、敵軍は我等の鉄壁の構えに突撃し……人が空を舞った。


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