第100話 最初の策は……
View of レグザ=サガ エスト王国 エスト王国軍大将
「実際この目で見ても信じられぬ……なんだあの行軍速度は」
「全員が騎兵であったとしても、あのような速度で行軍してくれば戦い始める頃には馬が疲弊しきっているでしょうが……」
「だが、敵に騎兵はいないのであろう?」
「……」
敵軍の陣容は情報を信じるならば
彼方よりこちらに向かって来る敵軍を視界に納め……その軍影がみるみるうちに近づいてくると言う理不尽に副官とため息をついていたのだが、この様子では本当にあっという間にここまでたどり着くだろう。
「全軍に伝令を、敵軍が到着次第策を実行する。その後は大櫓の信号旗を見逃すな。必ず夜まで耐えるのだ、夜まで耐えられれば勝機はこちらにある。各自の奮戦を期待する。以上だ」
「はっ!」
さぁ、エインヘリア軍よ。
我々は名を捨て、全てに抗う覚悟を決めたぞ。
先に手を出したのは確かにこちらだが、もはやそんなことは関係ない。
我等にとってお前達は侵略者で、どんな非道に手を染めようと必ずお前達を殲滅する。
「サガ将軍!決死隊から伝令が来ました!」
敵軍の姿を見る為に本陣の天幕の外にいた私の元に一人の兵が報告に来た。
「中で聞く!通せ!」
私は兵に返事をしながら天幕の中へと戻る。流石に報告を外で聞く訳にはいかない……必ずしも良い報告とは限らないからだ。
決死隊……我等の中でも偵察や斥候と言った裏方仕事を得意とする者達を中心に結成した特攻部隊。
敵陣に侵入し裏工作をして貰う策であったが、その任務内容から生きて戻る事は不可能と考えられた。
その狙いは敵の輜重隊……彼らの運ぶ糧食を狙ったものだ。
遠征軍にとって一番頭を悩ませる物、それは言うまでもなく兵達の食事。
食事は活力だが、万単位の人間が取る食事の量とは、そういったことに携わったことのない人間にしてみれば目を丸くするような大量な物となる。
軍で配給される食事は、普段家で食事をする時程満足できる量が食べられるわけではないが、それでも食うに困っているような者達からすれば十分な食事量と言えるだろう。それを一万の軍勢が一度食事をすれば、必要な食事量は当然一万食……一人が十年に渡って食べる食事量よりも一食に消費する食料が多いのだ。
人はある程度食べなくても生きることは出来るが、食べねば十全に戦うことなど不可能。
糧食とは軍の生命線であり、アキレス腱でもある。
故に、食料を保管する場所は本陣並みの厳重な警備が置かれ、更にリスクを分散する為に複数の保管場所を用意したりするのだ。
そんな軍の中でも最も警戒の厚い一角である食料を狙って我等が取った作戦は、毒だ。
食料の大事さを理解していながらも、行軍中はそれを守るために兵を割くことは中々難しい。
勿論輜重隊にはそれを守る部隊が随行しているが、その規模は決して大きなものとは言い難い。
輜重隊は食料や装備の類を運ぶ為、その行軍速度は非常に遅いものとなる。当然本隊によって安全が確認された中を移動するのだが、陣で守られている食料を狙うよりも、輜重隊の行軍中に食料を焼いたり略奪を仕掛けたりすることの方が話は簡単だろう。
しかし、それでは駄目なのだ。
糧食を失えば、彼等は軍を引いてしまう。
引けば必ず彼らは略奪を行う……エスト王国奥深くまで侵攻して来ている彼等は死に物狂いで食料をかき集め……結果、王都以南の土地は荒らされる。
当然我等は引く敵軍の追撃を行うが、それによって敵軍が離散した場合、統率を失った彼等は凶悪な野盗となり、エスト王国に深い爪痕を長年に渡って残すこととなるだろう。
ただでさえこの辺りの村落は、私の命で焼き払われ、井戸には動物の死骸や糞尿を投げ入れてある。現地での食料や水の確保が出来なくなれば、遠征軍がどうなるかは火を見るよりも明らかだ。それ故、我等は敵軍の食糧を焼いたり奪ったりするのではなく、毒を混ぜることにしたのだ。
その為、決死隊は敵の警戒厚い野営中を狙って敵陣に侵入、毒を食料に仕込むと言った無茶な作戦を課せられたのだ。
毒と言っても、摂取後すぐに死に至るような強力な物ではない。そんな強力な毒を使ってしまえば、やはり敵は食料を破棄して一度拠点としている街まで引き上げるだろう。
まぁ、運が悪ければ命を落とす者もいるだろうが、基本的には軽い発熱や強めの腹痛を促すような……傷んでいる物を食べてしまった程度の効果しかない。命を懸けるには不十分な効果と考える者もいるかもしれない。
しかし、それで十分なのだ。
戦う前から相手の体力を削ぎ落す……全ての兵の食事に毒を混ぜることは不可能だろうが、それでも決死隊に持たせた毒の量はかなりの物だし、仕込むことさえ成功していれば敵軍の戦力低下は否めないだろう。
「決死隊より報告に上がりました!」
「首尾は?」
「それが……申し訳ありません!」
「……失敗したか」
敵軍のあの進軍速度を見る限り、毒で弱っている様には見えなかった……それはつまりそういう事なのだろう。
陽動と侵入する手勢、総数三百。
例え作戦が失敗だったとしても、命を賭して作戦を遂行しようとした彼らの死は決して無駄とはさせない。
策はこれだけではないのだ……寧ろ本命はこれからよ……。
「……失敗ではありますが……決死隊はまだ策に取り掛かれていないのです」
「……どういうことだ?」
私は伝令の言葉に思わず呆気にとられたような表情をしてしまった。
彼等程の勇士が、命を惜しんで尻込みした等と言う事はあり得ない。
一人や二人ならまだしも、彼らは同じ時に死すと誓った決死隊。
国の為、家族の為、友の為……己の全てを投げうつ覚悟を決めた彼ら一人一人の顔を、私は死ぬまで忘れる事は無い……そう確信出来る程、彼らの決意を秘めた顔は勇壮で非常に美しかった。
だからこそ、策を決行していないと言うのはあり得ない。だから不測の事態が起きたのは間違いない。彼らが策を実行に移せない程の事態……一体何が起こったと言うのだ?
私は背中に冷たい汗が流れるのと感じる。
「……食料が……敵軍の食糧がどれだけ調べても見つからなかったのです!」
「食料が……?分散して保管されている食料の全てを発見する事が出来なかったと言う事か?」
確かに全ての食糧を見つけるのは難しいかもしれないが、全ての食料に毒を仕込む必要はない……彼らもそれは分かっているはずだが……。
「いえ、違います。小麦の一粒たりとて発見する事が出来なかったのです!」
「……そんな馬鹿な。一万人分の食糧だぞ?最低でも数日分、多ければ数十日分の食料だ。一切発見出来ないことなどあるものか」
「事実です!野営中はおろか、行軍中でさえも……輜重隊すら発見する事が出来なかったのです」
「……」
伝令が嘘をついている様には見えない。いや、困惑は見て取れる……だがそれは、どうやったらこの荒唐無稽な話を信じて貰えるのだろうかと言った類の物の様に私には見える。
「馬車や荷車が偽装されていると言う事か?」
「違います。あの軍には一台の馬車も存在しておらず、兵達も荷を背負っている様子はありません」
「……なんだそれは。食料も装備も手持ちの物だけということか?」
食料は、携行できる保存食のみを渡され、それで既定の日数を過ごさせるということだろうか?
いや、食料だけなら相当苛酷な軍と称する事も出来るが、武器や薬はどうするのだ?
矢に限らず、全ての武器は消耗品だ。
兵が支給された武器一つで戦争を戦い抜けるはずがない、下手をしなくても武器は一日も持たない。当然武器は戦場に落ちているものを使って戦い続けるのだろうが……新しい武器を支給しなければ、二日目には武器も持たずに戦わなければならない兵も多数出て来るだろう。
それに負傷兵はどうするつもりだ?槍を交えるのだから傷病兵が出るのは当然だ。それを馬車や薬も用意せずに、治療や後方への搬送を一体どのように行うと言うのだ?
そんな軍はあり得ない……となると……。
「輜重隊は一日遅れで本体に合流するのではないか?」
「その可能性も勘案し馬車で二日程度の距離まで調べましたが、影も形もありませんでした」
「……そうか」
何が何やらさっぱり分からないが……今重要なのはそれではないな。
私は思考を切り替え、敵軍の不気味さを一旦忘れる。
「分かった。決死隊はそのまま敵に見つからぬ位置で待機だ。だが、本陣の大櫓だけは見える位置に居てくれ。奇襲の合図は分かるか?」
「左から、黄色、赤、黒、白、白で間違いないでしょうか?」
伝令の確認した色は大櫓に掲げ合図をするための旗の色の事だ。
決死隊となった彼等には旗による合図は関係ない物だったが、しっかりと頭に入れてくれていたようだ。
「問題ない。決死隊の諸君は装備が軽装の者達ばかりとなるが、後方奇襲部隊とは別方向からの奇襲……やってもらえるか?」
「既に我等は命を捨てた者達です。明日のエスト王国の礎となれるのであれば、これ以上ない誉となりましょう」
「諸君等の献身に敬意と感謝を……」
「皆も将軍にそう言って貰えて、また一つ誉を得た思いとなるでしょう。それでは私は隊に戻ります」
「武運を」
「閣下、エスト王国をどうかよろしくお願いします」
そう言って伝令は天幕を後にした。
毒を盛るという策は失敗に終わったが、代わりに命を惜しまぬ最強の奇襲部隊を一隊増やすことが出来た。けして失敗したというだけの結果とは言えまい。
敵軍については色々と納得は出来ぬし、狙うべき弱点の一つが見つからないのは悔やまれるが、他の策は基本的に敵本隊へ仕掛けるものだ。
最初の策は失敗となったが、まだこちらが失った物は何もない……用意した策はまだまだある……しかし、この戦が勝利に終わったとしても、エスト王国は非常に危険な立場に追いやられるかもしれない。
願わくば私の首一つで他国による追及を躱したいものだが……恐らく首一つでは足りないだろう。
私は出陣前に陛下にその事を相談したのだが……陛下は策に賛同し、私と共に責任を取るとおっしゃられた。
臣下として不甲斐なくはあったが、陛下のそのお心に勇気づけられたのも確かだ。
私は恐らく地獄に落ちるだろう……だが、エインヘリア軍……必ず貴様らも地獄へと引きずり込んでやろう。
それが陛下に捧げられる最後の奉公だ。
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