第99話 王国の盾



View of レグザ=サガ エスト王国 エスト王国軍大将 






 およそ三か月前のことだ。


 我が国の南西に位置するルモリア王国が突如として崩壊、領土の全てがエインヘリアという聞いたこともない名の国へと置き換わった。


 あっという間の出来事だったこともあり、当初はルモリア王国が国名を変えたのかと思った程だ。


 しかしどうやら内情は違ったようで、どうやら内戦のようなものが勃発したとの話が流れて来た。


 恐らく地方貴族が反逆……王都を制圧してルモリア王を殺し、王位を簒奪したのだろう。


 当然と言えば当然だが、中央は荒れに荒れているようで、我等との国境付近に配置されていた軍までもが姿を消したのだ。


 これには王位を簒奪した物が地方に残された軍を警戒して地方領主を転封したり、領軍を解体して再編を行っているのだろうと軍部は推測した。


 これを機に領土をかすめ取るべきだとの声も上がったが、こんなあからさまな隙は何かの罠に違いないと声を上げる慎重論の方が最初は優勢だったと思う。


 しかし、この議論はとある情報が入ってきたことで一転する。


 エインヘリアの更に南に位置するフレギス王国が挙兵し、エインヘリアへ進軍開始、早々に国境を守る砦を制圧したという情報だ。


 やはり、旧ルモリア王国内の混乱は本物だったのだという声が大きくなる中、フレギス王国とそれを迎撃するエインヘリア軍それぞれの陣容が明らかとなった。


 フレギス王国四万に対し、エインヘリア軍は二万五千。


 籠城戦であれば、そこまで問題ない兵力差であるし、野戦であっても作戦次第でひっくり返せない数ではない。


 だが、フレギス王国は既に砦を落としているのだ。


 その相手に対して寡兵で攻めると言うのは如何にも臭い。


 何らかの策をもってフレギス王国を追い返すのだろうと誰もが考え、慎重にこの戦いの推移を伺った。


 しかし、蓋を開けてみれば、フレギス王国とエインヘリアの戦いは一進一退、砦を取り返すことも出来なければ、フレギス王国がさらに奥深くへ侵攻する事も出来ない。


 睨み合っているわけではなく、数の多いフレギス王国が若干有利と言った戦況なのだ。


 これを見た軍部の者達は声高に叫んだ。


 エインヘリアは二万五千の軍でフレギス王国を追い返すのに十分だと考えて送り出したわけではない。二万五千しか送り出すことが出来なかったのだ。だからこそ、我々も挙兵するべきなのだ。今しかない。国境の軍を引き上げ、再編をしている今こそが領土を奪う好機なのだと。


 確かにその通りだろう。


 簒奪によって得た権力では人を従わせるには不十分だ。だからこそ先制して軍を動かし、地方の力を削り、自分の良いように指揮系統を再編する。


 ルモリア王国が国軍と領軍の二種類の軍を基軸に編成されていたからこそ、簒奪はやりやすく、しかし軍の完全掌握が難しかったのだろう。


 故に、混乱が生じている今……フレギス王国によってエインヘリアの混乱が明るみになった今こそ、隙を突いて領土を奪い取るのは合理的と言えた。


 それになにより、我が国には領土を広げ、力をつけなければならない理由がある。


 それはエスト王国の西に位置するユラン公国の存在だ。


 あの国は、もともとエスト王国の一部に過ぎなかったのだが、突如公爵家が反旗を翻し独立、そして北に位置するソラキル王国を後ろ盾にユラン公国の建国を宣言したのだ。


 それがおよそ五十年前の事、それ以来二国の間では幾度となく戦争が起こり、時期を見計らってソラキル王国が仲裁に入るという事が繰り返された。


 ユラン公国の独立もソラキル王国による謀だと言う事は公然たる事実ではあるが、それを口に出すことは出来ない。


 ソラキル王国は例えエスト王国が全盛期の頃であったとしても正面から戦うのは……いや、そうでなくともあの国は奸智に長けた国。あらゆる意味で敵に回すことは出来ない。


 だが、ユラン公国は違う。


 エスト王国を裏切っただけではなく、常に虎視眈々と我等の領土を狙っている。


 奴らを潰す為にもより多くの力が我等には必要だし、何より我等が動かずとも、弱っているエインヘリアをユラン公国が狙うのは間違いない。


 出遅れるわけにはいかない。


 軍部の者のみならず、王や文官たちの間でさえそういった考えに至るのは無理もない事だった。


 さりとてユラン公国との国境を守る戦力を動かすわけにはいかない、故にエインヘリア侵攻軍はそれ以外の部分から派兵することなる。


 編成された軍は三万、彼らは行軍速度を第一にエインヘリアとの国境に向かい、電光石火の勢いそのままに国境の砦を奪取。南に続き北東からも攻め寄せられ慌てたエインヘリアは、一万の兵をもって彼らの迎撃に当たった。


 その情報に宮中は沸きに沸いた。フレギス王国に二万五千しか向けられなかったことは策でも何でもなく、それが限界だったと分かったからだ。


 我等の侵攻軍に当てられた一万は、本来フレギス王国との戦いに送られる援軍だったのだろうと予想出来た。


 それくらい、我等の侵攻に対する守りが早かったからだ。


 もう一歩遅らせて出兵すれば、援軍は南に向かった後だったのではないかという声も上がったが、それ以上に、一万も用意することが出来た相手の事を褒めてやるべきだと揶揄するような嘲笑の方が多かった。


 しかしその余裕も、西のユラン公国の出兵の知らせが来るまでだった。


 我等よりも少しだけ遅れて出兵したユラン公国が、エインヘリアとの国境を侵したとの知らせを受け、我等に緊張が走った。


 恐らくエインヘリアにはユラン公国を迎撃するだけの兵力はもう残っていないだろう。


 それはつまり、我等が敵軍と相対している間に、ユラン公国が漁夫の利を得ると言う事……。


 それだけは何としても避けたかったのだが、嫌な予感は的中してしまった。


 ユラン公国の迎撃に出たエインヘリアの軍はおよそ五千程度……対するユラン公国の侵攻軍は我等とほぼ同数……これで先行した我等が順調に進行していれば良かったのだが、エインヘリアの兵は我等が想像していたよりも遥かに精強で、我等の侵攻軍は三倍という兵力差があるにもかかわらず攻めあぐねていたのだ。


 しかしいくら精強な兵とは言え、六倍程の兵力差があるユラン公国の侵攻軍を止められるとは思えない……ユラン公国を利するくらいなら、砦を返還し停戦交渉を行うべきではないかとの声が文官たちからは上がり始めた。


 確かに、我等が兵を引けば、相対していた軍はすぐにでも対ユラン公国に回されるだろう。


 ユラン公国の兵の練度は我等より幾分か劣る為、一万が救援に向かえば必ず進行を止められる筈。


 ただし停戦してしまう以上、一定期間は我等が再侵攻をすることは出来ない……絶好の機会を不意にしかねない……故に宮中では再び激しい論争が繰り返された。


 強引に攻めるべきか引くべきか……その論争は遅すぎたのかもしれない……だが、現状を見るに、そこが最後のチャンスだったかもしれないのだ。


 もしあの時、急ぎ停戦交渉を進めていれば、このような事にはならなかったのだろうか?


 いや、この状況こそ相手の狙いだったのだとすれば、停戦交渉を受けてはくれなかったかもしれないな。


 私はふと沸き上がった益体も無い考えを苦笑で塗りつぶし、目の前に広げられた地図に集中する。


 我等がエインヘリアに侵攻を開始してからおよそ一か月半、何がどうなっているのか全く理解出来ない速度で、我等エスト王国は亡国の瀬戸際まで追い込まれていた。


 ほんの少し前まで戦勝に浮かれていたはずが、今や敵軍は王都目前まで侵攻して来ているのだ。


 その数は一万……決して少ないとは言わないが、それでも一国を蹂躙するにはあまりにも少なすぎる数と言える。


 しかし、実際この軍はそれをやってきたのだ。


 国境から王都までの間、いくつもの街や小さな砦があったにもかかわらず、その全てが一日の足止めさえ出来なかったのだ。


 要所要所で数日休養を挟みながらも怒涛の勢いで進軍を続ける敵軍に、我等は早々に個別での対応を諦め、戦力を王都に集中させた。


 その数は五万。


 宿敵であるユラン公国との国境を守る精鋭達も、わずかな兵を国境に残し集結させている状況だ。


 万が一、我等が敗れるような事があれば……もはや王都を守る兵は治安維持隊と王城に詰める近衛兵のみ……。


 いくら近衛が最精鋭と言えど、圧倒的兵力差の前にはなすすべもないだろう。


 彼らは英雄という訳ではないのだから。


 そんな近衛も百人程がこの軍に参じている。


 王城に残った二百は、いざという時陛下達を御守りして王都を脱する手筈となっているが、逃げたところでもはやエスト王国に軍は残されていない……。


 故に、この戦、何が何でも勝つしかないのだ。私は大将としてこの軍を預かるが、我ら一人一人が王都の盾。最後の砦となるより他はない。


「サガ将軍、揃いました」


「うむ。忙しい中良く集まってくれたと言いたい所だが、状況は極めて悪い。諸君等も重々承知のことだとは思うが、はっきりと口に出させてもらう。我等にはもう後がない。我等がここで敗れるような事があれば、敵軍を止められるものはもういない。王都は陥落し、王は殺されエスト王国は滅亡するだろう」


「「……」」


 私の容赦ない言葉に、幾人かの者達が表情を暗い物に変える。


「……だが、仮にここで勝ったら、我等は救国の英雄だぞ?」


 しかし、続けた私の言葉に別の者達が苦笑を見せる。


「化け物の代名詞である英雄ではない。真の意味での英雄だ。化け物にはなれんが、真の英雄にならばなれるのだ。だから、私は諸君等と共にここで死力を尽くそう。勝てば英雄、負ければ亡国……このような大一番、もはや二度と味わえぬぞ?」


 私の言葉に、小さく笑い声が起こる。笑う者達の中には最初表情を暗くしていた者達もいた。


「敵軍はおよそ三日後、この地に現れると予測されている。残された時間で我等はあの軍に対抗するだけの準備をしなくてはならない」


 少し雰囲気が軽くなったことを受け、私は話を先へと進める。


「無論、いくつか策は用意して来ているが、もっと色々な手立てが欲しい。どんなに卑怯な物でも、どんなに下劣な物でも良い。人道に背こうと外道と謳われようと構いはせぬ。汚名は全て私が背負う。故に、貴殿等はこの残された時間をギリギリまで使い、ありとあらゆる策を講じ準備して貰いたい」


 私の言葉に天幕にいる将官たちが力強く頷く。


「戦が終われば我等は英雄よ……戦に勝ってしまえばどれだけ卑怯と言われようと真実は隠せる。後の歴史には精々美談と勇壮な我等の姿を残そうぞ」


 続けた私の言葉に、今度は小さくない笑い声が響く。


「よし、では軍議を始める。まずは敵軍の陣容と集められた情報を皆に共有するから、しっかりと頭に入れてくれ……」


 軍議が始まる前よりも天幕の空気はかなり良くなった。


 このくらい軽い空気でなければ、良い策など思いつくはずもないからな。


 ……敵は寡兵なれど、化け物じみた強さを誇る軍だ。だが、大軍である我等が策に頼り、なりふり構わないともなれば、敵も今まで通りとはいくまい。


 状況は絶望的だが、光明がないわけでもない……情報の共有を終えた面々がそれぞれの意見を言い出す様子を見て、私は気を引き締める。


 こうして我等は、三日後に迫る決戦に備え死に物狂いで勝ち筋を探していった。


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