閑章
第85話 修行中
「ルミナ、おすわり」
俺の目の前で、ルミナがこちらを見上げながら後ろ足を折りたたんでお尻を地面につけた。
いとうつくしうてゐたり。
「よーしよしよし!」
俺の指示をちゃんと聞いたルミナの事を大仰なまでに褒める。
「ルミナ、お手」
俺が差し出した手に、ルミナがぽふっと前足を乗せた。
とってもラブリーである。
「よーしよしよし!ルミナ賢い!可愛い!」
両手でわしゃわしゃとルミナを撫でた後、おやつ替わりの干し肉をルミナにあげると、嬉しそうに齧りつき、一生懸命噛みちぎろうとがんばる。
まだ顎が強くないから、柔らかめの干し肉でも十分顎を鍛えられそうだな。
前足で干し肉を支えつつ、一生懸命噛みちぎろうと頑張っているルミナを見ていると、心が癒されていくのを感じる。
最近城の中でも緊張を強いられているからな……ルミナとのひと時はこれ以上無いくらい心が軽くなる……もふもふもふもふ。
旧ルモリア貴族との謁見以降、俺自身が直接対応しなければならないような相手が来る事は無かったが、キリクやイルミットは連日かなりの人数の人間と会談をしている様だった。
問題や裁決が必要な内容であれば俺の所まで話が上がってくる筈なので、それが無いと言う事は、面談の内容もそこまで重要なものではないのだろうけど……キリク達にはあれもこれも仕事を放り投げているから、そろそろ何を今進めてくれているのか確認しないといけないよな。
ただ、俺も魔物の件や他国への仕掛けなんかでそれなりに忙しくしているから……どうしてもキリク達の事を後回しにしてしまっている。
これはあまり良くない事だろう。忙しいからと言って、仕事を振っている子達の状況を確かめないのは。
まぁ、こうしてルミナと遊んでいる俺が忙しいと言って説得力は全く無いが……今日はこれからリーンフェリアとカミラの二人と一緒に、元王都よりもさらに北の方にある森に魔物を討伐しに行く予定なのだ。
戻りが遅くなりそうなので、今のうちにもふもふ分を補給していたのだが……キリクと近いうちに会って労っておくか……イルミットは、この前酒に誘ったとはいえ……それなりに時間が経っているし、また何か息抜きをさせた方がいいだろう。
っていうか、二人だけじゃなく、皆に慰労はするべきだよな……なんか考えておこう。
View of エルトリーゼ ハーレクック伯爵の長女
「キリク様、各地の人口、および税収と資源、収穫物。それと、各国との貿易についての資料を纏めてきました」
執務室に資料を持ってきた私は、部屋の主であるキリク様に資料を差し出す。
「……書式の変更には慣れたようだな。お前程柔軟に対応してみせた者はいない、これからも頼むぞ」
「はい、お任せください」
渡した資料に目を落としながら、キリク様がねぎらいの言葉をかけて下さるが、そこには何の感情も込められていないように感じる。
文官としてエインヘリアに仕えることになり、イルミット様、キリク様の下で働くようになって数か月……非常に丁寧に指導して下さっているし、私も必死でこの国のやり方を学んだ。
その上でどうしても考えることがある。この国の在り方は異常だ。
何より税という物を軽んじすぎている……国を運営していく上で基礎となる収入、その徴収を破棄しているエインヘリアは、商人との取引で基本的な運営費を賄っている。
勿論、全ての税が撤廃されたという訳ではない。
街や村の運営には街で徴収された税を充てられているし、他国から持ち込まれる商品には関税がかけられている。
他にも多くの名目で税が徴収されているのだが……それらが一切国には納められていない、はっきり言わずとも異常事態だ。
国への上納が無くなった分、各所で税率が下げられ民も商人も自由に使える金が増えた。
税率は下がっているのだが、国への上納が無くなった分街の運営予算が増え、街は以前よりも明らかに活気が増し経済も活性化……その分税収が増えるという理想的な循環が行われている。
税金から収入を得ていた貴族達はそれがなくなり、代わりに国から支払われる年金で生活を保障されているのだけど……その支払われた金額が、どこから出たのか心配になるほどの高額だった。
確かに最近は商人との交渉も活発に行っているようですが……旧ルモリアの貴族達にエインヘリアの旧臣……いくらなんでも元ルモリアの貴族たちが元から仕えていた方達よりも高給取りなんてことはあり得ないでしょうし……この財源は一体どこから……いえ、そもそも税を徴収しないでこれから先どうやって国家運営を……。
「輸入品目と輸出品目、それぞれ取引相手ごとの取引量の詳細はあるか?」
私は思考を中断してすぐにキリク様の問いに答える。
「申し訳ありません、そちらは現在、担当していた者が先の戦で戦死したため、過去の資料から詳細を洗っている最中になります」
「……貿易を担っていた者が戦に出ていたのか?」
「はい。ですがキリク様も戦場に出ておられたのでは?」
私がそう問いかけると、初めてキリク様は資料から目を話し私の事を見ながら答えた。
「私は陛下の参謀。陛下が戦場で指揮をとられ、それをお支えすることが私の仕事……私はどちらかというと軍事寄りだ。こうして金回りの事を処理しているのも次の戦に備えての事だ」
「……次の戦が起こると?」
ルモリア王国を落とした直後だと言うのに、キリク様は既に次の戦争に向けて動き始めている。
勿論それは正しい考え方ではある。戦争とは必ず起こるものと考えて動いておかないと何もかもが手遅れになるからだ。
それに、エインヘリアの転移技術……アレと精強なエインヘリア軍が居れば、戦力という点では周辺国とぶつかっても問題は無いだろう。
だがその場合敵となるのは必ずしも一国とは限らない。
「既に陛下はそのつもりで動かれている。陛下の遠謀深慮は私如きでは計り知れぬが、少しでもそのお考えに近づき、いざという時に迅速に動けるように準備しておくことが私の役目だ」
「……」
対策を考えるのであればともかく……一つの国を得て、国内を安定させることなく次の戦争を起こす……普通に考えればあり得ない行為だ。
だが、キリク様が準備をしていると言う事は、恐らく遠からず戦争が起こるのだろう……相手はどこになる……?
キリク様は貿易品を調べられていた、つまり資源を狙った戦争ということ?
旧ルモリア王国領は平地が多く、大地も肥えており食料の自給率は非常に高い。
反して鉱山資源に乏しく、金銀鉄は常に不足気味だ……となると狙いは……。
「エルトリーゼ。君が今辿り着いた結論は、私と同じだ」
「では……」
「鉱物資源……確かに現状一番欲しい資源はそれだ。だが、恐らく陛下はそれを越えた一手を打たれているはずだ」
あっさりと私の考えを読み取り、鉱物資源を狙った戦争を起こすと言い当てたキリク様が、少しだけ嬉しそうな雰囲気で言う。これは、私の考えがキリク様と同じ物だったからではない。
軍事の責任者である参謀……その頭を越えて手を打っている王の事を、喜びを見せながら語るキリク様。
普段は鉄面皮で人らしい感情を一切見せないこの御方が、唯一感情を見せるのは陛下の事を話す時だけだ。
自分の仕事を無視するように王が動いているにも拘らず、嬉しそうにしているキリク様からは、陛下に対する絶対的な信頼が感じられる。
「エルトリーゼ。人口に関する資料はイルミットの方に渡してくれ」
「イルミット様には弟の方から提出させていただいております」
「そうか」
弟であるハー君もイルミット様達の指導を受け、仕事を頑張っている。
暫くは私同様文官として職務に励む予定だが、国内がある程度安定した所で、私達はそれぞれ代官として街を任せられる予定になっている。
これは、早めにエインヘリアに降った者達全員がそうなっている。
カルモス様とグスコ様だけは、代官をしつつエインヘリア城内で文官をこなしており、その忙しさは私達以上だろう。そんな働き方が出来るのも転移技術のお陰だけど、文官にとっては頼もしくもあり恐ろしくもある技術だ。
このエインヘリアで働く限り、ハー君の将来は安泰と言えるでしょう……貴族ではなくなったとはいえ、元々四男。遅かれ早かれ家から放逐される身であったことを考えれば、現状は十分とも言える。
元々上昇志向は弱く、権力に執着しない子だったので、エインヘリアにて代官という地位が約束されたのであれば最高の結果になったと思う。
後は……出来れば代官に任命されるハー君の補佐になりたかったところだけど……まだ自分の希望を言えるほど、キリク様達の信頼を得ているとは言えない。
ハー君との生活の為、もっと頑張らないと……!
View of ラキアン=ユロ 元ルモリア王国男爵
いや、ほんと無理……ほんと吐く。
私は壁に手をつき支えにしながら辛うじて自分の足で立つ。
そんな私の周りには死屍累々と言った様子で倒れ伏す、家人達……。
「まだ休むには早いでありますよー!」
私達が無様を晒すこととなった原因……サリア様が軽い様子で走って来ながら叱咤激励を飛ばす。
その姿は、汗一つかいていないように見えるが……はっきり言って異常だ。
私達は今、エインヘリア城にある訓練所にいる。
私は先の戦争で、戦場西にある橋の防衛部隊として配置されていた所、サリア様と接触……そのまま槍を交えることなく部隊全員で投降した。
その後見ることになった本隊の壮絶な最後は、投降してよかったと言う安堵と同胞たちを見捨ててあっさりと投降したという罪悪感を齎し、頭がおかしくなりそうだった。
だが、状況はそんな風に気落ちしている暇を私達に与えてはくれない。
部隊に所属していた兵達は武装解除後、いくばくかの金を渡されて解放された。
そして指揮官であった私や、その周りを固めていた家人達は文官としてエインヘリアに取り立てられることになった。
イルミット様の元、エインヘリアのルールをしっかりと叩き込まれた私達は、ルモリア王国第二の都市と呼ばれている街の代官として派遣された。領地すら持たない元男爵の身には大きすぎる役どころだ。はっきり言って胃が痛い。
しかし、家人達のサポートもあり、なんだかんだで運営を進められるようになって来た今日この頃……私は油断していたのだろう。
文官として勉強して、代官として歩み始め……順調に仕事をこなしていた私は、イルミット様への報告の為エインヘリア城へ訪れたのだが、移動中にサリア様と会ったのだ。
そこで世間話というか、その場の流れで「書類仕事ばかりで体が鈍ってしまいそう」そんなことを言ってしまった。
私の言葉を聞いたサリア様は、それはもう晴れやかな笑顔で……。
「偶には運動するのも良い気分転換になるであります!一緒に軽く汗を流してみてはどうでありますか?」
こうおっしゃられた。
勿論、仕官したばかりである私達にそれを断ると言う選択肢は無い。
イルミット様への報告を終えた私達が訓練所に向かうと、サリア様がランニングをされており、とりあえずウォーミングアップがてら一緒に走って、その後で軽く手合わせをしようと誘われた。
そしてランニングを始めたのだが……その結果がこれである。
まだ手合わせすら始まっていない……ランニングで全滅したのだ。
ただ訓練所の中を走り続けるだけなのだが、サリア様の合図で全力ダッシュとランニングを切り替えながら走るという不思議なランニングだった。
いつ終わるとも知れないランニングは精神を摩耗させ……休むことなく動き続けた体は、いくら呼吸をしても何も取り込めていないかのように苦しいまま。
ウォーミングアップ……ウォーミングアップという言葉の意味何だった?体を温める的な感じではなかったか?もう燃え尽きて、燃えカスも残っていないんだが?
とりあえず、次にサリア様に会った時は、間違っても運動不足だなどと口にはしない。
そう心に誓った私は、目の前が真っ白になっていくのを感じた。
View of リーナス 元ルモリア王国斥候部隊 隊長
「クーガー様。質問しても良いでしょうか?」
「いいっスよ!寧ろどんどんするっス!分からないことは、分かるまで聞くのが正しいっス!」
私が上官であるクーガー様に質問する許可を求めると、非常に嬉しそうな笑顔を見せながら上官は応じる。
「ありがとうございます。私はエインヘリア軍の斥候、或いは密偵として迎え入れられ、今まで修行してきました」
「うんうん、そうっスね」
「暗殺術、尋問術、対尋問術、諜報術、防諜術、隠密術……以前習得していた技術とは隔絶したレベルであらゆる技術を教え込まれました」
「頑張ったっスね」
「まだまだクーガー様達に比べれば未熟としか言いようはありませんが、それでも数か月前とは別人のように成長したという自負があります」
「色々教えた俺も鼻が高いっス」
「その私が……何故外交官見習いになったのでしょうか?」
「流石にまだ独り立ちは早いっス!見習いから始めるのは当然っスよ!」
私の言葉に眉尻を上げ、説教をするかのように声を上げるクーガー様。
しかし、私が言いたいのはそう言う事ではない。
「申し訳ありません、クーガー様。私が言いたいのは何故見習いなのかと言う事ではなく、何故外交官なのかということです」
ついでに言うと、外交官見習いという立場その物の響きがおかしい。
「……どういう事っス?」
私が質問をしていたはずなのに、本題に入った瞬間私が質問をされる側になってしまった。
「外交官とは、他国へ常駐、または派遣され、国の顔として意思の表明や交渉等を行い、窓口として相手国からの要請や情報を受け自国へ報告、そして何より派遣先の国と友好的な関係を促進するために活動する立場ですよね?」
「……ふむ?」
何故今、疑問形で返事をされたか気になるが……先に進めよう。
「私達が行うのは、破壊工作や情報の奪取、要人の暗殺や誘拐……友好を促進する立場とは程遠いと思うのですが」
「なるほどなるほど、リーナス君の言いたい事は分かったっス。どうせぶっ殺すのに友好的に出る必要は無いって事っスね?」
「え?……いや、そうでは……ない、かと」
「リーナス君の言う通り、外交官の仕事は他国に常駐、または派遣されて、相手の考えや意見を確認。場合によっては
……私の言う通りって……そんなこと言ってないよな?
言ったか?もしかしたら言ってたのか?いや、絶対言ってないな。
「確かに見習いという下積み期間は面倒だと思うっス。でもそう言った下積みがあるからこそ将来的に一人前になれるっスよ。リーナス君は元々隊長だったから、また下っ端からなんてって思うかもしれないっスけど、ところ変わればやり方も変わるっス。少しだけ初心を思い出して頑張って欲しいっスよ」
最終的に見習いなのが嫌だってことで決着がついてしまった。
この曲解は密偵として大丈夫なのだろうか……?
「……分かりました。ありがとうございますクーガー様」
とはいえ、恐らくここは噛み合わない……エインヘリアにおいて外交官とはそういう物なのだと納得するしかないのだろう。
「お礼なんていいっスよー!後輩の面倒を見るのは先輩の務めっスからね!じゃぁ、基礎トレーニングから行くっスよ。今日は軽く三十キロにしておくっス。一時間で行くっスよ!」
「……はい」
エインヘリアの推奨する距離と時間の単位……密偵……いや外交官見習いとして、ある程度体感で計れるようになってはいるが……その距離をその時間で走るのは絶対に無理だ。
しかし、私に否はない……出来る出来ないではない、やるしかないのだ。
「それじゃー行くっス!」
あっという間に開く彼我の距離……それでも私は歯を食いしばり走り続ける。
一人前になれる日は……来るのだろうか?
View of グスコ=ハバル 元アッセン領領主
今日も日課である礼拝堂の清掃を終え、祈りをささげる時間がやってきた。
私の前では神々しさを湛え、さざ波の一つ起らぬ湖面のような静謐さでエイシャ様が祈りをささげている。
その美しさに目が眩む……いや、目が潰れそうになるが、私は色々な想いを振り払い真剣に祈りをささげた。
私の信仰は、エイシャ様のそれとは違う場所に向かっていると理解はしている。
しかし、在り処は違えど、この信仰に一片の曇りもないと私は胸を張って言えた。
はぁ……エイシャ様は今日も尊い。
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