第71話 覇王と子犬

 


「さて……なんと名付けるべきか」


 俺は部屋の隅の囲いの中でこちらを警戒し偶に低く唸っている子犬……レッサーウルフの子供を眺めながら物思いにふける。


 それにしても、レッサーウルフっておかしくない……?


 狼は魔物なのだろうか……?


 レッサーウルフって……つまり狼の下位ってことでしょ?なのに魔物なん?


 っていうか魔物と動物の違いってなんだろ?


 いや、まぁ別にいいんだけどさ……それよりも、コイツの名前をどうするか……いや、そもそも飼えるのだろうか?


 とりあえず水と御飯と寝床は用意したが……いや、懐かれない分には問題ないんだが、ストレスで体調不良になられても可哀想だしな。


 街に戻すのは無理だが……いざとなったら野生に返すか?


 体中に負っていた怪我は、全てエイシャに治してもらったけど……まぁ、そう簡単に心を開くはずもない。


 っていうか……子犬っぽいけど魔物だし……面倒見たからといって懐くとは限らんしな。


 まぁ、名前を付けるのはもう少し様子を見てからにしよう。





 一日目・夜



 お腹は空いている筈だが、まだ用意したご飯に手を付けない。


 水だけは飲んだようだが……ストレスを与えないように、なるべく子犬の方は見ない様に気を付ける。


 目が合うと唸られた。






 二日目・朝



 昨晩置いておいたご飯は減っていない気がする。魔物だから子犬用のご飯ではお気に召さないのだろうか?


 水はしっかり減っていたのでとりあえず良しとする。


 御飯と水を用意して、トイレの片付けをしてから今日は書類仕事に精を出すことにしよう。


 いつもなら執務室に行くところだが……今日は私室で仕事をすることにした。





 二日目・昼



 覇王の私室はかなり広いので、例え同じ部屋に俺が居ても、そこまで子犬もストレスを感じない筈だ。


 折角なので昼食もこの部屋に運ばせて取ることにした。


 俺の食事の匂いが気になるのか、囲いの隙間から鼻を出してふんふんと鼻を鳴らしている姿は、どこからどうみてもただの犬だった。


 とりあえず、君は用意したご飯を食べなさい。






 二日目・夜



 俺の用意したご飯を嗅いだり、器の近くをうろうろしている。


 そこまで警戒しなくても、毒なんか入ってませんよ……思わずそう呟いた俺をじっと見つめて来る子犬。


 目が合ってしまったので、そのまま見つめ返すことおよそ一時間……微動だにしない俺達の戦いは、まだ始まったばかりだ。





 三日目・朝



 目が覚めると、昨日の夜用意していた御飯が空になっていた。ようやくご飯を食べたようだ。






 三日目・夜



 俺がご飯を用意して、囲いの傍を離れると凄い勢いでご飯を食べる様になった。


 小型犬の子犬に合わせた量を用意していたが、もう少し量を増やしてもいいかもしれない。


 明日はオスカーを城に呼んで色々と話をしなければならない為、コイツに付きっ切りという訳にはいかない。






 四日目・夜



 朝にトイレやご飯の世話をした後、一日中ほったらかすことになってしまった。


 一応メイドに様子だけは伺うように指示していたが、特に問題はなかったようだ。


 メイドと言えばオスカーの野郎だ。


 アイツ、城に来て吐きそうなくらい緊張してやがった癖に、仕事の話をして雰囲気に慣れたのか、後半うちのメイド達に色目を使ってやがった。


 いや、なんだったら声をかけそうな雰囲気だった。パティさんにチクる必要がある。


 後、髪の毛も没収する必要があるかも知れない。


 まぁ、アイツの事はさて置き、俺が部屋に戻ってくると、子犬が俺の事をじっと見る様になっていた。


 相変わらず、ご飯を用意しても俺が傍を離れるまで手を出そうとはしなかったが、少しずつ警戒が薄れているような気がする。






 五日目・昼



 囲いから離れた位置で仕事をしている俺の事を、じっと子犬が見ている。


 俺が立ち上がり、部屋の中を移動すると首を動かし視線で俺を追いかけて来る。こちらに興味を持っているように感じる。


 それと、俺が部屋の中に居ても子犬が昼寝をするようになった。






 七日目・朝



 もはや日課であるトイレ掃除を終え、いつものようにご飯を囲いの中に置くと、囲いの中に入れた俺の手を子犬が舐めた。


 そのまま手を差し出してみると、ご飯を食べずに俺の手をぺろぺろと舐めだした。


 心を開いてくれたと見てもいいだろうか?






 七日目・夜



 囲いにご飯を入れに近づくと、興奮したように後ろ脚で立ち上がりピョンピョン跳ねだした。


 ご飯を心待ちにしていたのかと思ったが、御飯の入っている器を置いても俺の方に向かって飛び跳ねている。


 そろそろ囲いの外に出しても大丈夫かもしれない。


 俺が手を差し出すと頭を擦り付けて来たので、そのまま暫く撫でてやった。


 毛がごわごわしている……風呂に入れてやりたい所だが、さすがにまだ早いだろう。


 今度濡らしたタオルで体を拭いてやろう。






 八日目・朝



 相変わらず俺が囲いに近づくと嬉しそうにしている。


 この様子なら囲いの外に出しても大丈夫そうだ。


 囲いの一部を外してやると、囲いから飛び出し一目散に俺に向かって駆け寄り、俺の足に体を擦り付ける。


 暫く好きにさせていると、気が済んだのか今度は部屋の中を凄い勢いで走り回りだした。


 狭い囲いの中に閉じこもっていたからストレスが溜まっていたのだろう。


 念の為、危険なものは退けてあるし問題はないと思うが……部屋を掃除してくれるメイドの仕事は確実に増えそうだ。






 十日目・昼



 俺が部屋に戻ると、子犬が一目散に駆け寄って来て甘えて来る。


 抱き上げると、俺の顔に抱き着くように体を伸ばし小さな舌で舐めまわしてきた。


 まだお風呂に入れてやっていないが、タオルでしっかりと拭いてやった為、少し毛が柔らかくなっている。


 ブラッシングもしてやったほうがいいし、犬用のブラシを開発する必要があるかもしれない。


 それと、これだけ懐かれているし名前を付けることにした。


 ルミナだ。


 特に名前に理由はない、敢えて言うなら女の子だったので女の子っぽい名前にしただけだ。


 今後はルミナと呼んで名前を覚えさせる必要がある。


 当然まだ理解していないと思うが、今日からお前の名前はルミナだと伝えると、お礼とばかりに顔中を舐められた。


 傍に居たメイドの子に物凄い目で見られた……覇王らしくないという事だろう。


 でも覇王っぽくペットと戯れるとか、無理筋もいいところなので勘弁して貰いたい。






 十四日目・昼



 今日はルミナを風呂に入れることにした。


 城の中庭で水浴びでも良かったのだが、ここは城の大浴場を使うことにした。


 ついでに俺も風呂に入ろうという魂胆だったが……流石に一人でルミナの体を洗い、それから自分の体を洗うのは難しかったので、キリクに手伝ってもらうことにした。


 流石に、メイドの子を風呂場に連れ込むわけにはいかないからな。


 うちの大浴場は中々素晴らしい設備を備えているが、シャワーは存在しない為、桶を使ってゆっくりとルミナの身体を流していく。


 水を怖がらないか心配だったが、寧ろ水遊びが好きなタイプだったようだ。


 身体がまだ小さい為、洗うのは簡単だと思っていたのだが、流石に元野良ということもあり、洗っても洗っても汚れが落ち切らないので結構時間がかかってしまった。


 慣れない作業だったせいか、キリクがずっと息を切らしていたので先に上がっていいと伝えたのだが、頑なに最後まで付き合ってくれた。


 真面目で律儀な奴だ。完全な私事に付き合わせて申し訳なくなる……後で背中でも流してやるか?


 汚れをしっかりと落としたルミナの毛は、若干白っぽい灰色と言った色合いになった。


 中々の美人さんだ。そのうち旦那さんを見つけてやる必要があるだろうか?






 十五日目・昼



 ルミナの散歩がてら、二人で城内をうろつくことにした。


 訓練所に行くとマリーとサリアがジョウセン相手に稽古をしていたのだが、俺達の姿を見て駆け寄ってきた。


 マリーとサリアはルミナを抱っこしたり撫でたりしていたが、ルミナは嫌がるそぶりを見せず、寧ろ二人に構われて嬉しそうにじゃれていた。


 元野良としての警戒心は無くなったのだろうかと思っていたのだが、ジョウセンが頭を撫でようと手を伸ばしたら吼えられていた。


 ジョウセンは若干ショックを受けていたようだが、訓練を再開するとのことで、俺達は三人と別れ再び城内をブラブラすることにした。


 次にカミラと会ったのだが、どうやら犬が苦手らしく若干腰が引けていた。


 犬型の魔物であれば倒せばいいだけだから問題ないけど、倒すわけにはいかない犬は怖いらしい……なんとも複雑な感じだ。


 そんな腰の引けているカミラが面白かったのか、ルミナがカミラを追い回す一幕があった……本気で涙目になりながら逃げ回ったカミラは最終的に俺に抱き着き、図らずも彼女をお姫様抱っこしてしまった。


 そこに偶々、リーンフェリアとイルミットが通りがかり、一瞬物凄い怒気を放ったかと思うとカミラを連れてどこかへ行ってしまった。


 ルミナの躾がちゃんと出来ていないと思われてしまったようだ。まだ出会って十日程度しか経っていないのだから許してもらいたい所だが……怖がる相手を追いかけていたのだから、飼い主としては止めなくてはいけなかったのだ。リーンフェリア達が怒るのも無理はない……飼い主の責任を果たせていなかったことを深く反省する。


 とりあえず、理解は出来ないだろうが、ルミナに嫌がる人を追いかけてはいけないと諭しておいた。


 元気にわんと返事をしていたが、理解はしていないと思う。


 そろそろ部屋に戻ろうとした所、バンガゴンガが廊下の向こうから姿を現した。


 ルミナは俺の足に体を隠しつつ、滅茶苦茶吼えまくる。


 そんなルミナの様子に、バンガゴンガは苦笑しながら、驚かせてすまなかったな嬢ちゃんと言って立ち去った。


 どうやら、ちらっと見ただけでルミナの性別が分かったようだが……凄いなバンガゴンガ。


 久しぶりに沢山運動をして疲れたのか、部屋に戻ったルミナはすぐに自分の寝床で丸くなる。


 そんなルミナの寝息を聞きつつ、俺は書類の処理を始めた。


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