第70話 確保



「今のは……」


 少し離れた位置から聞こえて来た悲鳴に反応した俺を見て、リーンフェリアが首を傾げる。


「どうかしたのですか?」


「いや、ちょっと悲鳴が聞こえて来てな。まぁ、別に緊急性がある訳でも無いだろうが……」


 そう口にした俺の耳に再び短い悲鳴が聞こえてくる。


「……」


「フェイ?大丈夫ですか?」


「あぁ……問題ない」


「私には聞こえませんでしたが……問題があるようでしたら、ウルルに対処させますか?」


 リーンフェリアが少し緊張した様子で訪ねて来る。


 自分には悲鳴が聞こえていないにも拘らず、俺がそれに気付いているという事態に不甲斐なさを感じているのだろう。


「いや、気にする必要はない」


 だが……恐らくリーンフェリアには悲鳴が聞こえていない訳ではない……これが悲鳴だと認識できていないだけだ。


 再度聞こえて来た悲鳴で俺は何処から聞こえて来たのか、凡その方角を把握する。


 流石に距離までは分からないが、あまり近くではなさそうだ……少なくとも今いる市場となっている広場の中ではないだろう。


 首を突っ込む必要は全く無いが……また聞こえて来た悲鳴に俺は舌打ちをする。


「リーンフェリア……手は出すな」


「はっ!」


 少し苛立ってしまった為、思わずリーンフェリアと呼んでしまったが……今はそれを訂正する気分でもない。


 俺は足早に悲鳴の聞こえた方へと足を向ける。


 先程から聞こえてくる悲鳴は位置が動いていない様に感じる……事故にあって動けないとかであればまだ良いのだが……そんなことを考えながら進んでいくと、近くから複数人の笑い声と悲鳴が聞こえ、俺は駆け出した。


 市場から外れ、若干ごみごみとした路地裏を走る事数秒、数人の男たちがこちらに背を向け何やら楽しそうに騒いでいる袋小路に辿り着いた。


「あ、クソ!よけんじゃねぇ!」


「ぎゃははは!へったくそ!お前一点かよ!今夜はお前の驕り確定だろ!」


「うるせ!お前だって二点で大して変わんねぇだろうが!ってかコイツ意外とまだ元気だぞ?くそ……もう少し順番が遅けりゃ……」


「……随分と楽しそうだな」


「あ?」


 俺は目の前の光景に苛立ちを覚えながら、背を向ける男たちに声をかける。


 振り返った男の肩越しに、地面に伏せる薄汚れた毛玉が見えた。地面に伏せている毛玉……アレは子犬だ。


 昔、犬を飼っていた経験から俺は犬の悲鳴に非常に敏感で、俺にはその鳴き声が悲鳴と認識できたが、リーンフェリアが聞こえて来た犬の鳴き声を悲鳴だと認識出来なくても無理はない。


「ん?あぁ、おっさん勘違いしてるぜ?」


「勘違い?」


 ニヤニヤとした笑みを浮かべながら、一番後ろにいた男が俺の方に向き直り馬鹿にしたように言う。


「そう。コイツは魔物だ。あーレッサーウルフとか言ったか?どこぞの金持ちがペットとして街に連れ込んで、それが逃げたりしたんだろうよ。スラムの方じゃ結構問題になってるんだぜ?」


「ほう?」


「まぁ、コイツはまだガキみたいだが……成長したら衛兵でも手を焼くような魔物だ。早めに駆除するのが街の為ってもんだろ?」


「なるほど……お前の言い分は正しいな。だが……俺にはお前達が真っ当にその魔物を駆除している様には見えないのだが?」


 子犬の首には縄が絞められており、逃げることが出来ない様にされている。その上でこいつらはあの子犬を嬲っていたのだ。


「少し遊ぶくらい構わねぇだろ?こいつ等は夜に吼えてうるせーんだ。多少のお仕置きは必要経費って奴だ」


「……なんかその言葉おかしくねぇか?」


「馬鹿が難しい言葉使おうとして失敗してるやつだな」


 俺に話しかけていた奴を馬鹿にするように他の連中が笑うが……正直そんなことはどうでも良かった。


 今すぐにでもぶっ飛ばしたい所だが……いや、そうもいかない。


 あの子犬が本当に魔物であり、駆除対象であるのならば……胸糞悪くともこいつ等を罰する事は出来ない。


 お忍びとは言え、俺は為政者だ。理性的かつ公平でなければならない。


「お前の言い分は分かった。確かにそれが魔物であるなら駆除の対象であるのだろうが……だがそいつはまだ幼体だろう?」


「おいおい、おっさん聞いてなかったのか?成長したらやべーんだって。簡単に処理できるうちにしとくってのが、じょーしきってヤツだろ?」


 馬鹿にしたように肩を竦めた男は、俺を追い払うように手を振る。


「分かったらどっかいけよ。コイツを殺して駆除報酬を貰って呑みに行くんだからよ。それともおっさん、俺達から獲物を奪う気か?」


 駆除報酬……なるほど、そういう物もあるのか。あの魔物を討伐すること自体は街が推奨しているということだな。


 苛立ちは収まらない物の、ちゃんと話を聞いておいて良かった。


「……ならば、俺がそいつの駆除報酬とやらを払ってやろう。いくらだ?」


「はぁ?」


「俺がお前らに金を払ってそいつを処理してやる。何、街に迷惑が掛かるし、逃がしたりは絶対にしない。いくらだ?」


 俺が目に力を込めて尋ねると、先程まで饒舌に喋っていた男が気圧された様に一歩後ろに下がる。


「な、なら銅貨……」


「金貨五枚だな」


 俺と話していた男ではなく、更にその後ろにいた男が皮肉気に笑みを浮かべながらそう言い放つ。


 金貨五枚は高すぎだろ……五人家族が五か月暮らせる金額だろ?


 あんな子犬一匹相手にぼったくりにも程があるだろ。そんな高額報酬が貰えるなら、養殖して荒稼ぎをする外道が出そうだ。


 確実に嘘だろう。


 ……もう面倒くさいし、ぶっ飛ばすか?いや、覇王としてこの程度の小物相手に我を忘れるようではな。


「どうした?払えないのか?ならすっこんでろよ。これからゲームのケリをつけて呑みに行くんだからよ」


「……分かった、いいだろう。だが金貨五枚は高いな。少しまけろ」


「はぁ?頭の悪いおっさんだな!消えろって言ってんだよ!」


 声を荒げる男には取り合わず、俺は手に持っていた染料となる実のついた枝を上に掲げる。


「おいおい!そんな木の枝で戦おうってのか?無理すんなよおっさん!こっちは五人、あんたは一人、こんな魔物の為に大怪我してぇのか?」


 馬鹿にしたような笑い声をあげると、他の男たちも追従するように笑いだす。


 俺はそんな男たちには取り合わず、右側の建物に向かってスキル『スラッシュ』を発動させ、手にした枝を振り下ろした。


 壁に叩きつけたはずの枝は何の抵抗もなく振り下ろされ、木の枝を叩きつけられたはずの石の壁は、振り下ろされた軌跡のまま大きく切り裂かれている。


「……おっと、染料となる実が落ちてしまったな」


 俺は振り下ろした枝を目の前にかざしながら呟く。


 枝についていた色とりどりの実が壁や地面に飛び散り、中々えぐい感じに辺りを汚している。


 元々路地裏で汚いところではあったが……この辺りの人には申し訳ない事をしてしまったな。


「さて、銅貨一枚でどうだ?」


「「……」」


 驚愕に目を見開いている五人に軽い口調で声をかける。


「聞こえなかったのか?銅貨一枚でどうだ?」


 俺は手にした枝をゆっくり振り上げながら尋ねた。


「ま、待ってくれ!駆除報酬は銅貨三枚だ!嘘じゃねぇ!」


「そうか。じゃぁ、銅貨一枚でいいな?」


 俺は懐に手を突っ込み財布を手に取ろうとして……おばちゃんに説教された結果、財布をリーンフェリアに預けた事を思い出した。


 えぇ……ここまでクールに決めておきながら、銅貨の一枚も持ってないとかあるぅ?


 ダサいにも程があるんじゃが……?


 ……よし、ここは覇王の力の見せ所だ。


「……どうした?早く消えろ」


「え?あの……銅貨は……?」


「は?」


 俺が眉間にしわを寄せながら一言発すると、怯えた表情を見せる男たち。


「お、おい……行こうぜ」


「あぁ……」


 よし……あふれ出る覇王力の勝利だ。


「リーン、適当に払ってやれ」


「はい」


 俺は後ろに控えていたリーンフェリアに一言伝えると、男達をすり抜けて袋小路の奥に向かう。


 後ろの方でドタバタと走り去る音が聞こえるが……もうそいつらの事はどうでもいい。


 地面に伏せている子犬……レッサーウルフだったか?その首にかけられた縄の先端は重しが乗せられており、子犬の力では逃げるのは無理そうだ。


 それにどうやら足を怪我している……というか、体中血だらけ傷だらけだな。


 治してやりたい所だが、俺は聖属性の魔法は使えないし……リーンフェリアやウルルも使えない。ポーションとか携帯しておいた方が良かったかもな。


 うちの子達が怪我をすることもあるだろうし、余りまくってるポーションを聖属性が使えない子達に配って……販売する量はまた少し考えないと……っと、今はそれ所じゃなかったな。


 俺は首に巻かれている縄を引きちぎり、子犬を抱き起そうと手を伸ばし……思いっきり噛みつかれる。


「……全然痛くないな」


 子犬は甘噛みではなく全力で俺の事を噛んでいるいようだけど……フェルズの防御力を貫けない様だ。頑丈過ぎるわ、覇王。小指をタンスの角にぶつけてもタンスの方が壊れるかもしれん。


 まぁ、それはさて置き……見た目が子犬とはいえ、一応魔物らしいけど……ふむ……この程度の攻撃力であれば問題無さそうだな。


 俺は右手を噛まれたまま左手で子犬を抱き上げる。右手にはこのままおやつの代わりになってもらっておこう。


 色々と血まみれで泥まみれだけど……傷を治して体を洗って……抱いたらあばら骨にがっつり触れる感じだし……食事もあげる必要があるけど、犬用の食事で大丈夫だろうか?


 後は、病気とかないといいけど……そう言えば、ゲームの頃は状態異常で病気とかいうざっくりしたものがあったけど、それを治す魔法はあったな。


 状態異常の病気が、何を示すのかは分からないけど……誰かが病気になったら魔法で治せるか試そう……いや、治療院とか病院とかないのかな?カルモスに確認してみるか。もしあるようならそこで実験すればいい……教会の領域だったりしないかな?


 そんなことを考えつつ、俺は子犬を抱いたまま立ち上がる。


「フェイ……その魔物、どうするのですか?」


「……連れて帰る」


「噛みついていますが……」


「まぁ、仕方ないだろう。人に虐められていたんだ……寧ろ噛むだけの元気があって安心したくらいだ」


「そ、そうですか……」


 俺が事も無げにそう言うと、リーンフェリアが少し狼狽える。


 ゲームの時は魔物を仲間やペットにしたりは出来なかったし……リーンフェリアが狼狽えるのも無理はないかもしれない。


「リーンフェリア。俺が壊してしまった建物の持ち主に金を渡してきてくれ。城に戻るから、手持ちを全て渡してしまって構わん」


「畏まりました。処理しておきます」


 リーンフェリアに指示を出してから歩き出そうとして、腕の中にいる子犬の事を見下ろした。


 未だに俺の右手を噛んでいるが……暴れまわる元気はないようで、腕の中でじっとしている。


 中々愛らしいが魔物のようだし、このまま連れて行くのは色々と目立ちそうだな。


「ウルル、ボロ布で構わんから用意してくれ。コイツを隠しておいたほうがいいだろう」


「……どうぞ」


 どこからともなく現れたウルルが、綺麗な布を差し出してくる。


 うん……どうやった?


 ボロ布を頼んだ次の瞬間、綺麗な布を差し出されたんだが……こんなこともあろうかとって奴なの?


 布を差し出しながら、俺の腕の中にいる子犬をじっとみつめるウルル。


 彼女は、うちの子達の中で一番優秀なのかもしれない……そんなことを考えながら、俺はウルルに布をかぶせて貰い、領都に設置してある魔力収集装置の元へ向かった。


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