第52話 開戦直前

 


View of ハルクレア=エル=モーリス=ルモリア ルモリア王国十七代国王 自称英雄王






「貴公等は己が領分を弁えず、我等エインヘリアの領土に足を踏み入れている!しかし、正式な発布が無かった故、ここが未だ自分達の領土であると誤認してしまうのも無理からぬ事!故にこの一度だけ、貴公等の愚かな振舞いを許そう!即刻転身し、尻尾を撒いて逃げるというのであれば、その背中を討たぬと約束する!しかし愚昧にもこの場に残り、エインヘリアに弓を引くというのであれば、根切りにされることも覚悟せよ!もう一度言おう!自らの愚鈍さを悔い、この場より引くというのであれば許そう!これは慈悲である!」


 耳朶に触れる軍使の声……その内容を理解するまでに私は愚かにも一瞬の時を要する。


 初め、川の向こうに軍使の証である旗を掲げた女が姿を現した時、不覚ながら私はその美しさに目を奪われてしまった。


 金色に輝く豊かな髪は、日の光を反射するように煌めき、その眼差しは、相対する我が軍に些かも怯えることなく強き意志を宿しており、鎧の上からでもそれとなく伺える、女として均整の取れた姿、王である私でさえも惹かれずにはいられない美貌、そして、私に並ぶ程の侵しがたき神秘性……どれもが唯人とは異なる存在だと告げている。


 ルモリア王国において、女が鎧を着て戦場に立つなど、忌避されてしかるべき所業ではあるが、威風堂々たる姿で立つ彼女は、我が近衛騎士でさえ傅いてしまうのではないかと思える程、完璧な姿であった。


 敵軍より進み出て来た神々しいまでのその姿を見て……私は思わず前に足を進みだしてしまったのだ。


 そんな私の動きに気付いたハーレクック伯爵が、私を引き留めようと何やら言っていたが……全く耳に入らなかった。


 前に出ようとしていた者を押さえつけ、川を挟んで彼女と相対し、鈴の音の様な涼やかな声が聞こえ……投げかけられたのがあの言葉だ。


 ……よし、大体把握した。


 つまり、どういうことだ?


 ……今、私は下賤な反逆者に嘲弄されたのか?


 この賢王にして軍神である私が……野盗如きに?


 その事実に思い至った私は、怒りに染まりそうになった心を制御する。


 こんなものは、何の意味もないただの雑談の様な物、戦前に交わす品の無い挨拶だ。


 このような些事で私が心を煩わせる必要はない。私はこの戦いを初陣として、いずれ英雄となる身。恐らくは英雄王と讃えられることになるであろう。道理を知らぬ相手とはいえ、寛容な心をもって接するべきだ。それが英雄王たる私の務め。


 恐らく相手は、見目麗しい彼女を使い、こちらの注目を集めた上で自らの正当性を訴えようとしたのだろう。賊軍とは、よくわからない理論で自らの正当性を訴えようとするもの……斯様な言葉……私には何の痛痒も与えはしない。


 しかし、このまま黙っていては、相手の言葉を認めたと言っているようなもの。


 急ぎ私は返答を考える。


「……貴公等の主張は分かった。厚顔無恥甚だしいとしか言いようがないが、それでも軍使の言葉である。程度が知れるといったところではあるが、たかだか野盗の群れ如きに教養を求める方が愚かという物だな」


 私が肩を竦めながら言うと、川の向こうに立つ女の顔が訝しげに歪む。


「しかし残念だな。貴女の美しさは野盗の群れの中にあるには、些か勿体ないように感じる」


 正直に言えば些かどころか、非常に勿体ないと考えている。野盗如き下賤な者でなければ私の妾として迎え入れてやっても良いくらいだ。


「ふむ、そうだな。邪道を捨て正道に戻るというのであれば、庇護下に置いてやっても良いぞ?無論首魁であるお前達野盗の主の首は差し出してもらうが……」






View of サルナレ=ルバラス=ハーレクック ルバラス家当主 ハーレクック伯爵






 長年、あの傀儡の傍であれこれと世話をしてやっていたが、今日という日程、この役目を放棄して誰かに代わって貰いたいと思った事は無かった。


 どうやらあの愚物、敵の軍使の姿に魅了されたようで、我が軍の軍使を押しのけて前に出てしまったのだ。


 ……確かに目麗しい女ではあるが、相手は下賤な野盗だ。


 わざわざ王が言葉を交わす様な相手ではないし、そもそも王自ら舌戦に出るなどあり得ない話である。


 外交の場で、ある程度取り繕えるように最低限の教養は身に着けさせたつもりだったが……所詮は付け焼き刃だな。


 基本的には扱いやすい傀儡ではあるのだが、偶にこうして自分で糸を切ってふらふらと動く癖だけは矯正したいものだな。


 そんな事を考えながら様子を見ていたのだが……ふむ、野盗如きが軍使を出す程の教養がある事には驚いたが、その立ち居振る舞いにはそれ以上に驚かされるな。


 下賤の出には思えぬが……もしやどこかの没落貴族だったりするか?。


 もしあれが国外の者であれば、いい外交カードになるかもしれん……あの女は極力生け捕りにするべきだな。


 傀儡が妙な下心を出さなければ良いが……いや、いくらアレがアレとは言え、野盗相手に発情することもあるまい。そのくらいの分別はあるはずだ。


 最悪、あの傀儡が妙な事を口走ったとしても、敵を殲滅してしまえば問題はあるまい……あそこにいる民共は、気の毒だが賊と一緒に屠るしかないだろう。


 私の領民となる大事な種ではあったが……変に醜聞が知れ渡るのはマズい。恨むなら勝手に動き出したお前達の王を恨んでくれ。


 今の所、やり取り自体は問題が無さそうだが……ふむ、この分なら問題なく開戦となりそうだ。


 いや、私が想像していたよりもまともな応対が出来ているではないか。正直、最初の相手の言葉に憤慨して、全軍に突撃命令を出すのではないかとヒヤヒヤしたものだ。


 恐らく、後一言二言交わせば開戦と相成るだろうが、上手く締めてくれるかが問題だ。あの傀儡が我が手を離れている間は、何をしでかすか全く予想出来んからな。


 ここが外でなければ強引に引きずり戻したい所だ。


「ふむ、そうだな。邪道を捨て正道に戻るというのであれば、庇護下に置いてやっても良いぞ?無論首魁であるお前達野盗の主の首は差し出してもらうが……」


 そこで突然、言葉を止める傀儡。調子よく喋っていたように感じたが……どうかしたのか?


「……」


 私が疑問を抱いた次の瞬間、陛下の上半身が地面へと落ちて行った……下半身はその場に立ったまま。


「……は?」


 我ながら間抜けな声だと思うが……思わず口から出てしまった。


 目の前の光景が理解出来ない……陛下の上半身は……何故地面に落ちているのだ……?


「き……貴様!な、何が!?何を!?何をしたのか分かっているのか!?」


 私の傍に居た我が軍本来の軍使が声を上げたのを切っ掛けに、私は思考を取り戻す。


 私の王が弑された!?


 一体どうやって……!いや、今はそれどころではない!まさか王が開戦前に殺されるようなことになろうとは……!敵軍の蛮性を甘く見過ぎていたか!?


「何を……?礼を弁えぬ愚か者を斬っただけのこと……別に不思議なことでもあるまい?」


 いつの間にか抜いていた剣を鞘に納めながら、何でもない事の様に言ってのける相手の軍使。


「軍使が軍使を斬るなど、とんでもない蛮行ぞ!?貴様等!楽に死ねると思うなよ!?」


 動揺しているのか、こちらの軍使が顔を真っ赤にしながら叫ぶ。


 いや、軍使どうこう以前に王が弑されたことが問題であろう……?


 どこか冷静になった自分が、味方にツッコミを入れる……いや、そんなことを考えている時点で、私自身混乱の真っ只中だな。


 馬鹿な事を考えている場合ではない……この場合……私が取るべきは……あの傀儡の子供を擁立するしかないか。


 幸い、まだ歩くこともままならぬ乳飲み子……私が摂政となり、十五年は強権を持つ事が出来る、その間に次の人形としての教育を施せば、あの馬鹿よりは使いやすい人形となるはず。


 厄介なのは公爵家だ……継承権を破棄しているとは言え、王家の血筋……そこを上手く抑えられなければ……いっそのこと公爵家にも消えてもらうか?


 くそっ!せめて爵位の販売をある程度進めてからくたばってくれれば、もう少し余裕があった物を!あの欠陥人形、どこまでも私の足を引っ張ってくれる!


「何を言っている?その愚者は軍使ではないだろう?軍使とは、この旗を持った者の事を言うはずだ」


「そ、それは……」


 私が今後の事に考えを巡らせている間に、軍使同士で話が進められている。


 正直、そんなことはもう私にとってはどうでもいい……まぁあの、人形の遺体は回収する必要はあるが……今までの礼として、精々国葬で派手に弔ってやるとしよう。


 問題は、旧貴族達だけではない……新興貴族も下手をすれば派閥が割れてしまう可能性が……。


「この辺りの国では、軍使を使ってやり取りをするのが作法であり、軍使であることを証明する旗を掲げなくてはならない。軍使の言葉とはその軍の総大将の言葉。戦の前にお互いの言葉を戦わせ、兵達の士気を高め開戦へと繋げたり、講和や停戦の申し入れを行ったりするのが総大将の口である軍使の役割だ。それを円滑に行う為の旗であり、旗を攻撃する事があればその国は一切の信用を失う。そんな強権が旗にはあるからこそ軍使という存在は危険で、旗を持たぬ軍使と名乗る者が、のこのこと敵陣に近づけば殺されても仕方ない。違うか?」


「……」


 今は私の元に全ての新興貴族が集っているが……それは王という傀儡を手にしていたのが私だからに過ぎない。


 権力の象徴であった人形が壊れた今、私の地位を狙ってくる者達が出て来るのは必然……。


「しかもその愚か者は、軍使でないにも拘らず、我等が王を侮辱した!そのような輩許せるはずがないだろう!軍使であるというのであれば、そういう作法であるからと我慢……出来なくもない!だがその者は違う!ただの兵に過ぎぬものが、王を侮辱したのだ!痛みすら与えなかったことに感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いはない!」


「こ、この方は我等が王!ハルクレア=エル=モーリス=ルモリア陛下であらせられる!しかも、軍使の旗を掲げながら攻撃を仕掛けるなど……」


 もう、ここに留まるべきではない……今すぐ王都に戻って王妃と王子を確保せねば……幸い、あの人形が壊れた事はここにいる者達しかまだ知らない……。


 そうか……今こちらに向かって来ている、ハリア達を王都に向かわせるのが良い。ハリアだけではまだ頼りないが、エルトリーゼがいれば上手く立ち回ってくれる筈だ。


「王だと?王がのこのこと敵軍の前に無防備に姿をさらしたのか?愚昧にも程がある!己が分を弁えず、ただ無策に敵軍に身を晒す王。そんなものは王ではない!仮に、その者が王であったのなら、何故お前達は無謀な王を止めなかった!」


「ぐっ……」


 ハリア達の軍に急ぎ伝令を送り王都に向かわせ……ここにいる貴族たちは敵軍とぶつからせて足止めをすれば時間は稼げる。


 名目上、私もここを離れられなくなるが、エルトリーゼが王都に辿り着いてしまえば、敵を殲滅せずとも引き上げてしまって問題ないだろう。


 ヨーンツの土地は惜しいが……足元を固めてから、改めて軍を送り込めば済む話だ。


「忠義無き者達よ!愚王を戴く愚か者たちよ!もはや転身は許さぬ!剣を置き、自ら首を差し出せば、楽に逝かせてやろう!これが最後の慈悲だ!あくまで抗うというのであれば、相応の死を与えよう!」


「何を……!」


 そうなると、当初の予定通り矢を降らせ、相手の動きをけん制する形で時間を稼ぐのがいいだろう。


 そう考え、私は軍の後方へと下がっていく。いつまでもここにいては、あの傀儡人形の二の舞になりかねないからな。


 そういえば、アレの遺体の回収は命じておく必要があるが……開戦前に回収しないと面倒なことになりそうだ。


 最悪、空の棺で国葬をすることになりそうだが……遺体はあった方が分かりやすいからな……とはいえ、凍らせるにも魔法使いの手を取らせることになるのは頭の痛い問題だ。


 ふぅ、死んだ後も私を煩わせて来るな……。


「貴様等はエインヘリアに弓を引き、至高の王であるフェルズ様を愚弄するという大罪を犯している。だが、案ずるが良い。貴様らの罪は、我等が剣で全て断罪してやろう」


「……」


「ではこれより……」


「ま、待たれよ!せめて、王の亡骸だけは後方の本陣に運ばせて貰いたい!」


「……いいだろう。生前がどうであれ、その死には敬意を表そう。三十分後開戦とする」


 どうやら王の遺体を回収する時間を得たようだな……聞こえて来たやり取りに、私は考えを一度整理する。


 開戦前に旗頭を失ってしまったとは言え、我々がやることは変わらない。


 末端の兵にとっては、かなり士気を落とす結果となってしまったかもしれないが、上層部にとっては動揺と今後の不安はあれど、この戦に関しては特に問題なく動くことは出来るはずだ。


 寧ろ私達が頭を悩ませるのはこの後の事だ……戦はこのまま進めるとして、今後について本陣で話をしなければな……敵味方の仕分けも必要だ。


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