第51話 弟と姉



View of ハリア=ルバラス ハーレクック伯爵四男 ハーレクック遠征軍総大将






 僕は今、父上の命令に従い、領軍を率いて戦場に向かっている。


 正直な所……初陣でいきなり三千の軍の総大将って、それを命じた父上は魔王か何かなんじゃないかと思うけど、伯爵家当主である父上のお言葉は……ほぼ、絶対だ。


 何故ほぼなのかというと、父上に逆らうことの出来る存在が、我が家には一人だけいるからだ。


 その名をエルトリーゼ=ルバラス。


 ハーレクック伯爵の長女にして、僕とは異母姉弟であり、今回の軍の軍監を務める人物だ。


 っていうか、姉上がいるなら僕必要ないよね……?


 軍の指揮も、個人の戦闘能力も、僕とは比べ物にならないくらい凄いし、兵の皆も、僕の指示ではなく姉上の指示で今も行軍している。


 父上に逆らうことが出来るというのは伊達ではなく、姉上の才覚は、当主は別に男でなくてもいいのではないか?そんな論争を家中で巻き起こしたほどである。


 その論争も姉上の一声で終息し、無事に長男であるモリス兄様が次期当主として確定したのだけど……父上や家臣団……それと一応僕も、姉上が当主となった方がいいのではないかと今でも思っている。


 それくらい、隔絶した能力を見せる姉上は……将来英雄と呼ばれる領域までたどり着くのではないか……そんな風に家中では噂されており、僕もそんな日が来ると思っているのだけど、ルモリア王国では何かと女性への風当たりが強いので色々と難しいらしい。


 学業でも武術でも非常に優秀な成績を収め、完璧すぎる故、結婚は難しいかもしれないと言われている姉上だが、家族や伯爵家の屋敷で働く者達の中では、別の理由で姉上が結婚するのは難しいと言われている。


 その理由というのも……。


「ハー君、疲れてない?大丈夫?ちゃんとお水飲んでね?」


 馬を近づけて来た姉上が笑顔で話しかけてくる。身内の贔屓目なのかもしれないけど、その笑顔はとても綺麗で魅力的だと思う。


 だが、僕ももう十五歳となり、成人を迎えた。その僕に対し、未だにその呼び方は如何なものだろうか。


 勿論、節目節目でその呼び方は……という話はしているのだが、この話題になるたびに涙目になられて勝負にならないのだ。


「大丈夫です、姉上。休憩も行軍計画に則って取っていますし」


「初陣だからね、気が張って知らない内に疲労が溜まるもの。少しでも違和感があったら、すぐにお姉ちゃんに言うんだよ?っていうか、お姉ちゃんと馬車に乗る?」


「いえ、姉上。今は行軍中なので馬車は……」


「ふふっ、分かった。でも本当に無理は駄目だからね?」


 そう言って姉上は僕の元から少し離れていく。その姿を見送った僕は、小さくため息をつく。


 姉上が家で結婚できないと言われている理由は……なんというか、僕にべったりだからだ。一日の内に、一度も姉上の姿を見なかった日は無いのではないだろうか?姉上どれだけ忙しくしていても、必ず姉上は僕の前に姿を現した。


 僕自身が過保護と思ってしまう程、姉上は僕に優しくしてくれる。


 兄弟の中で僕だけが母が違い、更に三人の兄達は年が少し離れている事もあり疎遠なのだが、その分というか……姉上が幼いころからずっと傍に居てくれた為、寂しいと思う暇はなかった。


「ハー君、疲れてない?お水いる?」


 先程離れて行ったばかりの姉上が、あっという間に戻って来て、僕に水筒を差し出してくる。


 本当に寂しいと思う暇がない。


「大丈夫です、姉上。自分の水筒にまだ水は残っていますし」


「そっかー、でもこの水筒は持っておいてくれる?それとこっちの荷物も」


「……?分かりました」


 姉上は、偶によく分からないお願いをしてくることがある。


 しかし、そのお願いを聞いておいて、損をした事は無い……寧ろ、その後何か問題があった時、そのお願いが僕を助けてくれたことが多々ある。


 毎回毎回そうという訳ではないけど、聞いておいた方がいいのは間違いない。これから戦場に向かう訳だし、尚更だ。


「それとハー君、一つ約束して欲しいんだけど……」


 姉上の台詞と共に、僕達の周りにいた護衛の兵達が、少し距離を開ける様に移動していく。恐らく、姉上が話の聞こえない位置まで下がるように根回ししたのだろう。


「なんでしょうか?」


「この戦いが終わるまでの間、私の指示に従って欲しいの」


「それは構いませんが……」


「絶対に悪いようにはしないから……変な指示を出すこともあると思うけど、お姉ちゃんを信じて欲しいの」


 そういう姉上の表情は、いつもののんびりした雰囲気とは違い、何処までも真剣な色を帯びている。


 その雰囲気に押されたわけではないが、僕は真剣に答える。


「僕は姉上の事を誰よりも信頼しています。姉上がそうおっしゃるのであれば、僕は姉上の指示に必ず従うと約束します」


「ありがとう、ハー君」


 姉上は嬉しそうに笑うけど……そんな姉上の様子に僕は疑問を感じる。


「その御様子、僕が初陣だから……ではないですよね?何かあるのですか?」


「うん、ちょっと……今回の戦かなり面倒というか……マズい相手みたいなんだよね」


 姉上の言葉に、僕は首を傾げる。


「……相手は野盗と、それに脅されている民の集まりでは無いのですか?」


「それは違うの。王都の連中は、相手の事をちゃんと調べなかったみたい。今回の相手はエインヘリアって国」


「国ですか?ヨーンツ領は国境から離れていますよ?」


 そんな場所に突然他国が侵攻してくるなんてありえない。しかし、姉上もそんなことは百も承知だろう。だが、あまりにも突拍子が無さ過ぎて、僕は首を傾げざるを得なかった。


「そうなんだけどねー。でも相手は国を名乗ってて、王様はフェルズって人みたい。私は聞いたことが無いんだけど、ハー君知ってる?」


 小首を傾げながら姉上が尋ねて来る。その姿は弟の僕から見て非常に愛らしいもので、姉上が民から人気が高いのも分かるという物だ。噂では、兵達の中に姉上の親衛隊の様な物がいるとかなんとか……。


 僕がいなければ……いや、僕から少しでも離れれば、簡単に結婚出来そうなのに……って、姉上の質問に答えないと。


「聞いたこと無い国名です。僕の知らない新興国……可能性としては西側でしょうか?」


「商協連盟?うーん、確かにあそこは国がどんどん興っては無くなってるけど……ちょっと遠すぎるかなー?」


「確かにそうですね。あそこで興った国が、突然ルモリア王国に現れる意味も変わりませんし」


「うん。私が気になってるのは……ヨーンツ領には、ヨーンツ領であってヨーンツ領じゃない場所があるよね?」


「それって……龍の塒の事ですか?」


 禁足地龍の塒……姉上は、あそこに国があったと考えているのだろうか?


「そう。あそこはルモリア王国だけではなく、周辺国にとっても決して触れられない土地。調べる事さえ出来ない土地なのだから、そこに国があってもおかしくないんじゃないかな?」


「龍の塒の範囲は、流石に国を名乗るには小さすぎるのでは?いえ、それ以前に、グラウンドドラゴンが何時現れるとも知れない土地に、国を興すことが出来るとは思えません」


 入植するどころか、過去の調査隊すら、グラウンドドラゴンとの遭遇で壊滅されていると記録には残っている。そんな危険な土地に国を興すなんて、子供でも考えない暴挙だろう。


 いや、姉上はそう考えているみたいだけど……。


「もしかしたら、ドラゴンが国を興したのかも?」


「……そんなことが起こったら、周辺諸国は一瞬で併呑されてしまいますよ」


「そうだよねー」


 そう言ってニコニコとする姉上。その笑顔を見て、僕の背筋に冷たい物が流れる。


 ……本当にドラゴンが国を?


 誰しもがその才を認める姉上……その姉上が言うのだから、何かしらの情報に基づき口にしているに違いない。


「まぁ、それは冗談なんだけどね?」


「……」


 にへらっと笑いながら姉上が言い、僕は肩の力が一気に抜ける。


「……姉上?」


 僕がジト目を向けると、姉上は楽しそうに笑いながら謝って来る。


「あはは!ごめんね、ハー君。でも、ドラゴンが国を興したって言うのはともかく、龍の塒で何者かが国を興したって言うのは……結構ありそうなんだよね」


「……確かに、ヨーンツ領の位置から考えるとその線はありそうですが……あり得るのでしょうか?」


 僕の言葉に、姉上はかぶりを振る。


「……私が調査させた限り、エインヘリアという国は、ヨーンツ領の何処にも本拠地を構えていないの。なのに、各街や村はエインヘリアの支配下に納まっているし、あちらこちらでその軍の姿が見られるのよ。おかしいどころの話じゃないでしょ?」


「……本拠地が見つからないって……その兵達の後をつければ良いのでは?」


「これが、とんでもない話なんだけど……その兵っていうのがね……忽然と消えちゃうらしいのよ」


「……どういう意味ですか?」


「もうそのままの意味。見失うとかそんな話じゃなくって、突然ふっと消えちゃうのよ」


「そんな馬鹿な」


「私もそう思ったんだけど、調べさせてた複数人が同じことを言うのよ。全く別の場所に派遣した人達がよ?」


「もしかして……かの魔法大国が関係しているとかでしょうか?」


 他のどの国よりも魔法の扱いに長けたあの国であれば、そう言った訳の分からない魔法を生み出していても不思議ではない。


「うーん、あの国に、兵の姿を消したりする魔法があるって話は聞いたことがないけど……商協連盟以上に、ルモリア王国に手を出してくる国じゃないと思うな」


「確かにそうですね……」


 魔法大国……あれは大陸東側を統べる国だ……途轍もない魔法技術により他国を圧倒、中原の大帝国が一番警戒している国と噂されているくらいの強国だ。距離的にも相当離れているルモリア王国如き小国に、ちょっかいを出している暇はないだろう。


「そんな訳で、兵が突然消えちゃう謎は解けてないんだけど……ヨーンツ領内で活動しているにも拘らず本拠地が見つからない、それはもう、調べられない場所に本拠地があるとしか考えられないじゃない?本拠地ごと見えなくされていたら、お手上げだけどね」


「……分かりました。つまり、エインヘリアという今回の戦の相手は……周辺国との協定によって定められている禁忌を犯している。姉上はそう確信しているのですね?」


 僕の言葉に笑みを浮かべたままゆっくりと頷く姉上を見て、手綱を握る手に力が入る。


「父上はその事を御存知なのでしょうか?」


「知らないでしょうね。それどころか敵を甘く見ている……多分、私達が戦場に着く前に、お父様達は敗れるわね」


「そ、そんな!?姉上!それは真ですか!?」


「敵軍には、恐らく英雄がいる。そして兵数は互角……万が一にも国軍に勝ち目はないでしょうね」


「英雄というと……姉上のような?」


 僕の言葉に姉上はかぶりを振る。


「ううん、私は英雄にはなれないよ。多少優れている程度の存在じゃないの、英雄っていうのは。たった一人で戦況を変えることの出来る存在。それが英雄。私がこの先どのくらい成長できるかは分からないけど、きっと私がこのまま成長した先に、英雄という存在は居ないと思う。道が違うというか、次元が違うというか……存在そのものがどこか違っている、そんなナニカが英雄って呼ばれる存在かな?」


「……あ、姉上がそこまで言うような存在が、敵軍にいるのですか?」


 口の中も喉もカラカラに乾いて、上手く言葉が出なかった。それでも絞り出した問いかけに、姉上は迷うことなく頷いて見せる。


「行軍を早めましょう!姉上!このままでは大変なことに!」


「ハー君、落ち着いて。もう間に合わないの。行軍をどれだけ早めても、私達の到着は、開戦から二日は経ってしまう……私の予想では、お父様達は一日も持たないわ」


「そ、そんな……」


 何故姉上はそんな何でもない事の様に、こんな話を淡々と言ってのけるのであろうか?


 いつも優しい姉上が、全く別の存在のように見えてしまう……。


 そんな僕の胸中が伝わってしまったのか、姉上が少し寂しそうな笑みを見せた。


「ハー君は、ルバラス家やハーレクック領が大事?」


「……それは勿論です」


「それらが無くなってしまうのは嫌?」


「……」


「ハー君が一番心配しているのはルバラス家?ハーレクック領?」


「……ハーレクックの地に住む民の事です」


「もし民達が今までと変わらず、もしかしたら今よりも幸せになれるとしたら……ルバラスやハーレクックって言う名前は要らない?」


「要らないとまでは言いませんが、無くても大丈夫かな?」


「ふふっ!ハー君は旧貴族的思考をしているね」


「そうなのですか?あの、姉上はどうお考えで?」


「私?私は……新興貴族的でも旧貴族的でもないかな?どちらかと言えば民に近い考え方だと思うよ」


「民に?」


「うん。大事な人が無事ならそれでいいの。上が誰であろうと、枠がどう呼ばれていようと関係ない。大事な人の傍にいて、大事な人が笑って、大事な人が私を見てくれればそれでいい」


 確かに、民を守るために私心を殺す必要のある、貴族の考え方ではないだろう。でもとても姉上らしい考え方だとも思う。


「それでね、ハー君。民の生活が大事って言うなら……うん、問題ないと思う!お姉ちゃんに任せて!」


 突然、結論に至ったらしい姉上が、急に晴れやかな笑みを浮かべる。


「えっと……姉上?」


「大丈夫大丈夫、お姉ちゃんがいい感じに纏めてあげるね!」


「あの、もう少し間を説明してくれませんか?」


「え?あ、そうだね。いきなりじゃ、びっくりするよね。えっとね、もうすぐ伝令が来ると思うの。内容は、敵軍発見の報告だね」


「……え!?」


「その時点で、私達は行軍を停止します。後はお姉ちゃんとハー君の二人で敵軍に赴いて、この軍の事は副将に任せます!」


「……いや、あの、姉上?」


「後は向こうの出方次第。最悪の最悪は二人で逃げることになるけど、多分それは無いから大丈夫!何があってもハー君の事は絶対守るしね!」


「……まぁ、言う事を聞く約束ですし、姉上がそう言うなら、それが最善なんだと思います」


 僕がそう言うと、姉上は嬉しそうな笑みを浮かべながらもじもじとする。


「命どころか、存在そのものが掛かった選択を、あっさりと委ねてくれる信頼は嬉しいけど……も、もう少しじっくり考えないと駄目だよ!そんなんじゃ変な人に騙されちゃうんだから!」


「さっきも言いましたけど、姉上以上に信頼できる人はいませんから」


 僕がそう言うと、姉上は顔を真っ赤にしながら僕の肩をバシバシと叩く。


 姉上がこう言うのだから、もう敵軍は僕達の近くに居るのだろう。


 緊張しない訳ではないけど、隣に姉上が居てくれるのであれば、僕は自分に出来ることを全力で尽くせばいいだけだ。気負いは必要ない。


 そんな風に考えながら行軍を進めていくと、姉上の言葉通り……僕達の元に伝令が駆け込んできた。


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