第50話 西の橋にて
View of ラキアン=ユロ ルモリア王国男爵 西の橋防衛責任者
「こんな戦場の端の橋を眺める仕事に就く羽目になるとは……」
「……」
私が不満を口にすると、何故か副官から冷ややかな視線を向けられる。
「……」
「……いや、待て、そういうダジャレ的な奴ではないぞ?配置された場所に文句がある、ただそれだけだ」
「なるほど……不満が溜まってくだらない事を口走ってしまったと」
「違うって言ってるよね?偶々って言ってるよね?」
「分かりました、大丈夫です。私は分かっています。誰にも言いません」
「うん、分かってないね?分かってないよね?」
私の言葉に副官は遠い目をする。
「……」
「とりあえずこっち見ようか?主人の言葉をちゃんと聞かない家臣がいるかな?今私、結構大事な事言ってるよ?」
「……」
鼻から大きく気を吐く副官……こいつは私が幼少の頃より我がユロ家に仕える家人であるのだが……何故か昔から私の事を揶揄う癖がある。
恐らく幼少の頃のあれやこれやを知っている分、私に対して使えるべき主人というよりも、家族としての情を優先してしまっているのだろう。
全く……仕方のない奴だ。
だが今は仕事中で、何よりここは戦場だ。兵達の目もあるし、何より一瞬の油断が死を招く……ここは一つ、主人としてビシっと言ってやらねばなるまい。
ビシっとな!
「そろそろ俺の話ちゃんと聞こうか?ん?あれだぞ?ちゃんと聞かないと、次の給料日とか、とんでもないことが起こるぞ?ん?どうだ?ビビっただろ?」
私の言葉に副官は、こちらを見ることもせずに目を細める。
「……お、怒った顔してもダメだからな?も、もう決めたからな?次からお前の給料は全部銅貨で支払うからな!ポケットが破れるくらいの金の重みに打ち震えるが良い!」
「ラキアン様、アホな事言っている場合ではありません。敵兵が近づいて来ています」
ついでの様に私を侮辱しつつ、聞き逃せない事を言い放つ副官
「な、なんだと!?あ、いや、数は!?」
「二百……ですね。本陣よりこちらは見晴らしがいいので、あの数がこの橋を渡って来たとしても奇襲にはならないでしょうが……」
「抜かせるわけにはいかない、我々の目的はこの橋の防衛だ……しかし、あの軍の動き……どう見ても寄せ集めの民などではなさそうだが……」
恐ろしいまでに揃った動きで行軍してくる相手を見て、私だけでなく副官も目を丸くする。
「あれは徴兵した民に出来る動きではありません。凄まじい練度です」
「……これは相手の主力か?マズいな……同数の兵力で勝てる相手ではなさそうだぞ……」
橋のこちらに布陣する我々の数は二百、奇しくも同数であるが故、数であっても有利は取れない。そして兵の質は……橋の反対側に布陣した相手の佇まいを見る限り……なんというか歴戦の戦士といった様子で、どう見ても弱兵には見えない。
対するこちらの軍は……私の周りにいるのは我がユロ家の私兵、そして残りは全てルモリア国軍だが……お世辞にも精鋭兵とは言いづらい。
そもそも国軍は実戦の経験が殆ど無い。精鋭になるはずがないのだ。無論、我がユロ家の私兵も同様だ。
「渡っては来ない様だな」
橋の向こう側で停止した敵軍を見つつ、私は呟く。
「そのようですね。もしかしたら我々と同じように、相手が橋を使って渡るのを阻止するための部隊なのかもしれません」
「ならばぶつかる事は無いか……?」
「相手は弓を持っている様子もありませんし……おそらくこのまま睨み合うだけになる可能性は低くないかと」
「……油断は出来ないが……とりあえず安心か?」
敵軍が攻めてこないことに、私はほっと胸をなでおろす。
「おや?橋を眺めるだけでは不満だったのでは?」
若干緊張した面持ちながら、それでも私に皮肉を言ってくる副官に私は笑みを返す。
上手く笑えている自信は無かったが。
「今はあの軍がこちらに渡ってこないで欲しいと、心の底から思っている」
「意気地のない主人をもって誇らしいですよ。もし彼らがこちらに来ようと動き出した場合……ラキアン様は本陣にそれを伝えに行ってもらえますか?」
「……男爵の地位を預かる者として、いの一番に敵に背を向けることは出来ん」
「それでも、お願いします。恐らく、我々ではあの軍の足止めは不可能です。ユロ家のご当主として、我々の為にも引いて頂きたいのです」
普段口を開けば、主人である私を馬鹿にするような事しか言わない副官の口から、真剣な表情で告げられたそれは……許容し難い物ではあるが、それでもその忠誠を嬉しく思ってしまった。
「奴らの狙いが、この橋を見張る事であることを祈ろう。幸い我等は現時点で与えられた任務を完璧に遂行中だ。こちらから手を出す必要はない……兵に矢は番えぬように厳命して置け」
「畏まりました」
情けなくはあるが……このような軍と戦うくらいなら、橋を落としてここから下がってしまいたい。そう考えてしまう程度には、私は敵軍の雰囲気に吞まれている。
このまま何も起こらなければ……戦場にあってそんな願いが通じるはずがないことくらい、守るべき領地を持たぬ、木っ端貴族である私にも分かっている。
それでも、祈らずにはいられない……臆病者と謗られようとも、私はあの軍を相手に戦いたく無いのだ。
しかし……そんな私の願いも空しく、暫く睨み合っていただけだった敵軍に動きがあった。
「ラキアン様……敵軍に動きが……あれは……あの部隊の将でしょうか?」
「将でしょうねぇ」
「……」
「……」
「……」
「何か言ってくれ」
「常々思っていたことですが、確信いたしました」
「なんだ?」
「この主人……頭が終わっている、と」
「ひどくない?」
「……」
「ねぇ」
「あ、話しかけないで貰えますか?忙しいので」
「……」
「まぁ……」
「……」
「この状況で、随分余裕が御有りな所には、感心しました」
「私もそう思う」
小さく笑みを浮かべつつ普段の軽口を叩き合い、私は覚悟を決める。
「向こうが将一人で近づいてくるのだ、私が行くしかあるまい」
「お供を……」
「駄目だ。私一人で行かねば……開戦のきっかけになりかねん」
「……ですが」
理解はしているのだろうが、それでも容認出来ないと食い下がろうとしてきた副官を抑え、私は一人部隊から離れ、橋に向かって歩き出す。
緊張する……もう既に口の中はカラカラに乾いている。
将が一人で前に出てきた以上、向こうは対話を求めている筈……一騎打ちだったらかなりまずいことになる。剣には自信が全くないし……相手は対話を望んでいると祈ろう。
一歩一歩祈りを込めつつ歩み続け、私は橋の手前に辿り着く。
敵将は橋には足を踏み入れず、その手前で槍を抱え込むようにしながら腕を組み、こちらの事を観察している。
橋の手前で私は一度大きく深呼吸をしてから、腰に差してあった剣を鞘ごと外し地面に突き立て……思いのほか堅かった地面に、剣は突き立つ事は無く、鞘ごとぱたりと倒れた。
……もう帰っていいかな?
あまりの恥ずかしさに私はゆっくりとした動作で倒れた剣を拾い……橋の欄干に剣を立てかけてから中央に戻った。今だけは、鬱陶しいフルフェイスの兜を被っておくべきだったと、心の底から思う。
穴があったら入りたい……いや、いっそ目の前に川に沈むか?
そんなことを考えていると、橋の向こうからこちらを観察していた将が動き、地面に槍を突き立てた。
暫くその槍を眺めていたが倒れる様子は無く……私は観念して橋へと足を踏み出した。
私と同じ歩調で敵将も橋を渡って来たので、丁度、橋の中央で敵将と邂逅することとなった。
それにしても……近づいて初めて気づいたのだが、この将……女性だ。
耳が見える程短く切られた緑色の髪に小柄な体躯……活発そうな印象を受ける顔立ちで、恐らく年の頃十七、八といったところだろう。
戦場に来る様な女性には見えないが……やはり徴兵された民なのだろうか?
いや……それにしては動きに迷いが無さすぎる。槍も倒れなかったし……。
「私は、ルモリア王国にて男爵位を授かっているラキアン=ユロ!」
「自分はエインヘリアのサリアであります!役職はありませんが、槍聖の称号を頂いているであります!」
そう言って彼女は、右腕を曲げ右目あたりに掌を斜めに翳す様なポーズをとる。様になっている動作だが……何をしているのかよく分からない。
しかし、ハキハキとした彼女の語り口から邪な物は感じられず、私は少しだけ肩の力を抜きながら話しかけた。
「貴殿がそちらの将であられるのか?」
「その通りであります!自分はフェルズ様よりこの部隊を預かっているであります!ところで、ユロ男爵とお呼びすれば良いでしょうか!?」
「それで構わない」
非常にきびきびとした動作と言葉遣いの女性……サリア殿は、続けてこちらに言葉を投げかけて来る。
「ではユロ男爵!貴方がたの本隊には既に同様の話をしておりますが、聞いておられないと思うので同じ勧告をさせていただくであります!」
「勧告……?」
勧告とはまた随分と上から物を言う……軍使の言葉にしては横柄だが、いや、この少女は正式な軍使ではない。言葉の綾か?
「貴公等は己が領分を弁えず、我等エインヘリアの領土に足を踏み入れている!しかし、正式な発布が無かった故、ここが未だ自分達の領土であると誤認してしまうのも無理からぬ事!故にこの一度だけ、貴公等の愚かな振舞いを許そう!即刻転身し、尻尾を撒いて逃げるというのであれば、その背中を討たぬと約束する!しかし愚昧にもこの場に残り、エインヘリアに弓を引くというのであれば、根切りにされることも覚悟せよ!もう一度言おう!自らの愚鈍さを悔い、この場より引くというのであれば許そう!これは慈悲である!」
「……サリア殿。今の勧告を我が軍になさったので?」
「そうであります!あ、私が言ったのではないでありますが……リーンフェリアさんが行った勧告を、一言一句違えずお伝えしたであります!」
「……」
めちゃくちゃ煽ってくるじゃん……いや、流石にこれを言われたからって、本隊が川を渡河して突撃したりはしないだろうけど……木っ端男爵程度じゃ軍議には参加出来ないし……どんな風に受け取ったか分からないが……。
乗せられたりはしないと思う……いや、本隊の事は私が悩んでも意味はない。それよりもこの少女からもう少し情報を聞き出すべきだ。
「サリア殿、わざわざ勧告を伝えて頂き感謝する」
「どういたしましてであります!」
「ついでと言っては何ですが、もう少しお聞きしたい事があるのがよろしいか?」
「構わないであります!フェルズ様からは、この橋を渡って来る軍がいたら迎撃するように言われているでありますが、それ以外の行動は一任されているであります!」
「失礼、そのフェルズ様とおっしゃられる方は……」
「フェルズ様は、我がエインヘリアの絶対君主であります!とても聡明で、とてもお優しく、とてもお強い……自分程度では、その魅力を十全に伝えられないのが口惜しいでありますが……とにかく素晴らしい御方であります!」
「なるほど……」
エインヘリアにフェルズ……?どちらも聞いたことが無い名だが……敵は野盗の集まりと、強制的に集められた民ではなかったのか?
「どうも、私達の知っている情報とそちらの言い分に大きな齟齬がある様だ。戦の最中ではあるが……少し詳しく話をさせて貰っても?私には守らなければならない仲間がおり、無為にその命を散らすわけにはいかぬのだ」
「勿論問題ないであります!あ、でも橋を渡ろうとしたら、容赦なくやらせてもらうであります!」
そう言った瞬間、とてつもない殺気が放たれる!
今この瞬間……この少女の形をした化け物相手に、尻もちをつかなかった自分を褒めてやりたい。
しかしそんな殺気も、瞬きをする程の一瞬で霧散し、目の前の少女は快活な笑みを絶やすことなくこちらを見ていた。
「しょ……承知した。けして橋はこれ以上渡らないと誓おう。それと、サリア殿の話を聞く者を増やしてもいいだろうか?勿論、武器は全て外させる」
「問題ないであります!フェルズ様から対話を求められた時は、必ず応じる様に厳命されているであります!」
「感謝いたす」
私はサリア殿に目礼をしてから自分の部隊へと戻る。サリア殿の勧告は大音声だったため、彼等にも聞こえていただろう。
私を迎え入れるその表情は覚悟に染まっている。
それもそうか……私が戻れば、戦が始まる。そう考えているのは当然の事だろう。
私はそんな彼等の顔を見つつ、小さく笑みを浮かべながらこう告げた。
「私はこれから交渉を始める。危険はないと思うが、警戒だけは怠らぬように」
戦の最中に交渉を始めると言った私の顔を、家人達も王国兵達も訝しげな表情を向けて来た。
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