第49話 ある日、森の中、が(ry



View of リーナス ルモリア王国 斥候部隊 隊長






 森の外から喊声が聞こえてくる。


 どうやら開戦となったようだ。


 とはいえ、斥候部隊である我々の戦いは、開戦よりもかなり早い段階から始まっている。


 だから、そんなものが聞こえたところで俺の部隊の連中は「向こうも動き出したか」程度の感想しか持つ事はないだろう。


 そんな我等斥候部隊はこの森の中にあって、敵の伏兵や斥候が潜んでいないか調べ続けている。


 個人的には敵軍に潜入し、相手の情報を少しでも得る方がいいのではないかと思うが……上からの命令は絶対だ。


 それに、この位置にある森から奇襲を受ける可能性が高いという首脳陣の警戒はもっともな物だし、不服は無い。


「隊長、かなり上流の方まで川は調べましたが、敵軍がこちら側に渡ったような痕跡は発見出来ませんでした。橋や船を用いた様子も、土や草木が踏み荒らされた様子もありません。恐らく敵軍が森のこちら側に伏兵を送り込んでいるってことは無いと思われます」


「お前達が痕跡を発見出来ないのであれば、敵兵が渡河している可能性は無さそうだな。一般の兵がそこまで高度な偽装を出来るはずもない」


 しかし、そうなって来ると……相手はどんな手を使ってこの戦いに勝つつもりなのだ?


 てっきりこの森を盾に奇襲を仕掛けてくるものだと思っていたが……いや、もしかすると開戦まで川の向こう側に隠れているのかもしれない。


 開戦直後はどんな軍でも多少は浮足立ってしまう物……だからこそ戦の中で最も危険かつ死者が出てしまう時間帯だ。


 ここでの躓きは今後の戦の趨勢を決めかねない程の大怪我になりかねない、だからこそ軍の動きにお互い注視している。


 奇襲を仕掛けるとしたら、この時間帯は避けるはず……今は周囲への警戒が最も強い、奇襲を仕掛けようにもすぐに見つかってしまうだろう。


 奇襲とは相手の意表をつかなければ何の意味もない物だ。


 だからこそ、相手はこれ見よがしに広がる森に兵を伏せておかず、戦闘が始まってから奇襲部隊を動かすつもりなのではないだろうか?


 敵陣近くに伏兵を配置……確かにそれが出来れば理想的ではあるが、現実は口で言うほど簡単ではない。


 敵軍に痛手を与えられるほどの人員を敵陣近くの森に隠れさせておくなど、到底不可能な話だ。


 相手は絶対にそれを警戒して森を調べさせるのだから。


 そして調べてしまえば、人がいる痕跡なんてものはすぐに見つかってしまう。一人や二人ならいざ知らず、百人単位の人の痕跡だ、隠しきれるものでは無い。


 ならばどうするか……一度相手に森を調べさせることで油断を誘い、本命は自陣近くの森に潜ませておく。要は部隊が森に入る所さえ見られていなければ、場所はどうでもいいのだ。


 戦が始まってから森に潜ませた部隊を移動させれば、痕跡云々は関係なくなる。


「川の見張りを増やす。恐らく奇襲部隊はまだ森のこちら側にはいない。これからやってくるのだ」


「伏兵はまだ渡河しておらず、川の向こう側にいると?」


「恐らくな」


「川の向こうを調べますか?」


「……部隊を一つ送る。だが、奇襲部隊だけではなく、防諜用の斥候も放たれている筈だ。十分気を付ける様に、敵発見時は情報を持ち帰ることを最優先だ。足止めは我々の仕事ではない」


「畏まりました。では、私の隊で……」


 そこまで返事をした部下の身体がぐらりと揺れる。その事を疑問に思う前に、俺は後ろへと跳び退り、首にかけている笛へと手を伸ばし……手に走った激痛に顔を顰めた。


 右手にナイフが刺さっている……一体どこから飛んできたのか……胸元に伸ばした手に刺さったのだ、ナイフが飛んできた方向は正面に決まっている……だが、それが自分の手に刺さるまで、俺は影すら認識できなかった。


「……」


 色々な音で騒がしい筈の森の中から、一切の音が消えた。


 逃げるべきだ。


 俺は斥候……情報を得て、それを持ち帰ることが役割……だから俺は常々部下達に言い続けた。まず逃げろと。


 俺達の仕事は危険を避けることは出来ない、だからこそ、逃げることを最優先しなければならない。


 十の情報を得て死ぬより、五の情報を得て持ち帰るのが斥候であり、持ち帰った情報をの価値を決めるのはそれを受け取った者達だ。


 だから、何が何でも生き延びて情報を伝えなくてはいけない……そう部下達に厳命して来た俺が、動くことが出来ない……!


 辺りには一見すると誰もいないように見える、だが……異様なまでの静けさが、俺の長年に渡る斥候としての勘が、そして何より離れた位置で倒れている俺の部下が、ここは危険だと……死地であると告げて来る。


 だというのに、何故俺は脱兎のごとく走りださないのか……。


 いや……誤魔化すのは止めよう。俺は怯えているのだ。未だかつてない程身近に感じる、死の気配に。


 何があっても生き汚く、最後まで生きることを諦めないことを信条としてきた……だからこそ、いつ死んでもいいだけの覚悟はしていたつもりだった。


 そんな矜持が、砂の城の様に崩れていく……。


「……最初の反応は……良かった。でも……後が悪い……後ろから……狙われようとも……逃げるべき」


 ぼそぼそと呟くように喋る声が聞こえてくる。こんな喋り方にも拘らず、はっきりと聞こえてくることに疑問を感じるが、一瞬で血が凍ったような冷たさを感じた。


 何でもない事の様に……日常の一コマの様に話しかけられ、一瞬、先程まで感じていた恐怖を忘れてしまった……そのくらい自然に、スルっと俺の内側に入り込んできた。


 その事実に、再び底知れぬ恐怖を感じた俺は、逃げ出そうとして、倒れた部下の傍に立っている人物がいることに驚く。


 黒髪の女。


 森での活動には不都合のありそうな露出の多い服装だが、薄着で動きやすさを重視したような服装と雰囲気は、俺の同業といった装いに見える。


 ただし……俺よりも相当格上の……。


「……」


「……死んでないよ」


 再び聞こえてきた呟く様な言葉に、俺は自分のすべきことを思い出す。


 最小の動作で右手に刺さったナイフを抜き、倒れ伏した部下の首目掛けてナイフを投げる。そして、その結果を見届けることなく身を翻し走りだそうとして……襟首をつかまれ地面に引きずり倒される。


 衝撃で息が詰まり、すぐに起き上がろうとするも、まるで地面に縫い付けられたかのように指先一つ動かすことが出来ない。


「……今度は……いい判断。でも……逃がさない……よ。それと……殺したら……ダメ」


 そう言ってこちらを見下ろす黒髪の女の手には、血に汚れた短剣がある。よく確認するまでもなく、先程俺が部下の口を封じるために投げた短剣だろう。


「……十七人……みんな……無力化した。強さは……大したことない……皆同じくらい……でも……君は……一番反応が良かった……」


「……」


 十七人……副隊長を含め、どうやら全ての部下が制圧されているようだ……この森は……とっくに、この女の支配下にあったということか。


「心配……要らない……皆……ちゃんと生きてる……よ」


「……化け物め」


 斥候部隊丸ごと生け捕りだと?……いや、この実力であれば容易いことか。


 この女が我々の本陣に向かったら……首脳部は全て暗殺されてしまうかもしれない。そんな想像が容易く出来る程……こいつからは隔絶した物を感じる。


 しかし、絞り出した俺の言葉に圧倒的な実力を持つ女が傷ついたように顔を顰める。


「……化け物なんて……ひどい……私は……ただの……可愛い……外交官……」


 ……お前の様な外交官がいてたまるか!?


 俺はそう叫びたかったが……それは能わず、ゆっくりと視界が暗くなっていくのを感じた。


 本当に……敵軍は寄せ集めの弱卒なのか……?俺達は……まず相手の情報を詳しく調べるべきだったのではないか……?


 その思考を最後に、俺の意識は完全に途絶えた。


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