第30話 領主語られる



 View of カルモス=フィブロ=ヨーンツ ルモリア王国 ヨーンツ領 領主



 狂人。


 私の目の前に座る男の言葉は、狂人のそれである。


 若しくは、現実が見えておらぬ大馬鹿者。


 一笑に付すべき言葉だ、私はそう理解している。


 だが、私の目が、心がそれを否定する。


 私の理性は男の言葉を全てが狂人の妄言、ただの世迷言だと言っているのだが……私の目と心は、目の前の人物を英傑の類だと告げている。


 先程から語るおよそ身の丈に合わない言葉、それを大言壮語と一笑に付すことが出来ないのは、それを語る人物の目だ。


 狂人の目でも、王という役割に殉じようという無機質な目でも、夢想家の現実を見ていない目でもない。


 様々な感情、想いを宿しながらも己を貫くという強い意志が色濃く見える。


 その瞳を見ていた私は、ふとあることに気付いた。


 目の前に座る人物……いや、この天幕の中にいる全ての人物から、私に対する敵意を感じないのだ。


 既に戦いは終結しているとは言え、ほんの少し前まで我々は矛を交えていた。確かに、こちらから被害は殆ど与えられていないだろうが、それにしてもここまで悪感情を捨てて敵方の総大将を見られるものだろうか?


 そこまで考えた瞬間、私は一つの事実に気付いてしまう。


 彼らは私を敵と見なしていない……いや、敵足り得ないのだ。


 確かに先の戦い、防御寄りの陣形を敷いた我が軍は、まるで紙でできた兵のように敵先陣にその全てを薙ぎ払われた。後ろに控えていた我等が退却する暇もなく、だ。


 我が軍を薙ぎ払った将もこの天幕にいるが……疲れは一切見えないどころか、戦場を駆け回った直後だというのに、泥や返り血による汚れすら見えない。圧倒的な実力差……その言葉が生易しく感じる程の格の違い。


 恐らく私がエインヘリア王に害をなそうとすれば……いや、もしかするとそれを考えただけでも、私は死を迎えるのではないだろうか……そのくらい隔絶したものを感じる。


 私は、一瞬だけエインヘリア王から意識を外し、その周りを固める者達に意識を向ける。


 この場にいるエインヘリアの将官達……その誰もが、王に向けて畏敬の念を抱いているように見えるが、そこに狂信的な色は存在せず、ただ有るがままにその存在を受け入れ、その上で忠誠を捧げているように見える。


 彼らの様な清廉さを感じさせる将官が忠誠を捧げる人物……その人となりに興味を持つなというのは、まがりなりも人の上に立つ立場の者として無理というものだろう。


 おそらく、ここで得た情報を持ち帰ることは能わないだろう……だが、それでもこの規格外の英傑のこと私は知りたいと思いながら口を開いた。


「……私はただの一地方領主に過ぎません。おっしゃられていることの崇高さは理解出来ますが、とても人の身で成し得る事とは思えません」


「これを崇高と言うから為政者として足りないのだ。領主とは国からその一部を任された物であろう?お前達の王は民に安寧を齎すものでは無いのか?」


「……陛下は民を愛し、慈しんでおります。全ての民を救う事が出来ないのは、偏に家臣である我等が至らぬ故」


「子爵等の王は民を慈しんでいると?」


「はい」


 少なくとも、私が忠誠を捧げた王は民の為に身を粉にして働いておられた。今代の王は……少し違う考えの様だが。


「王が民を愛するのは当然だが……慈しむというのは傲慢だな。王が居らずとも民は生きていけるが、民がいなければ王は生きていけない。王は民を統べ守るものではあるが、それは役割としてそうだというだけだ」


「王の言葉とは思えませんな。王とはただそこにあるだけで権威を放ち、その指の一振りは多くの者を従わせ、その一声は国の行く末を決める。王は民の上に立ち、王であるが故に絶対者であり、絶対者であるが故に王なのです」


「はっはっは!凄いな、ルモリア王国の王位とは。絶対者か。はっはっは!」


「何がおかしいと……?」


 心底可笑しい……いや、王という存在そのものを嘲るかのように笑う姿は、自身が王という自覚がないのではと錯覚するが、目の前の人物の言動は間違いなく王のものだ。


「一つ聞くが、ルモリア王国とはどのくらいの歴史を持つのだ?」


「我がルモリア王国は二百五十年の歴史を持ちます」


「ほぅ。二百五十年前に何があってルモリア王国は出来たのだ?」


「ゴブリンの大国を制し、その戦で功を上げた英雄が建国王となり、ルモリア王国は始まりました。この辺りの国は、新興国を除けばその殆どが同じ起源に辿り着くかと」


「ふむ……なるほどな」


 そう言って納得したように頷くエインヘリア王。そもそも、この王……いや、この軍は一体どこから現れたのか。ルモリア王国の周囲には当然エインヘリア等という国は存在していなかった。


 なんとかその事を聞きだしておきたい所だが……。


「二百五十年前の王は自ら剣を取り、国を興したのだろうが……今の王は祖先が英雄というだけで、絶対者には程遠いのではないか?」


 嘲るような笑みを湛えながら、エインヘリア王は言う。


「初代より連綿と続くその血こそが尊いのです。自らが血を流し、民の為に戦った初代様を貴び、また初代様と共に戦乱を駆け抜けた我らが父祖を貴ぶからこそ、我等は国に仕え、家を守るのです」


「始まりは英雄であっても、その子孫である今の王も貴族も唯人だろ?偉業を成したのは王の祖先。偉業を支えたのは貴族の祖先。血が尊いなら、採血でもして血を祀ったらどうだ?体も頭もいらんだろ?」


 不遜どころの話ではない……自らも王でありながらどうしてそこまで王をくだらない物と断じることが出来る!?


 王を貶めるという事は国を貶め、そこに仕える家臣を貶めることに他ならない。


 それを一番理解している筈の王がそれを言うのか!?


 全ての言葉が自分に、そして周りに控える家臣に返って来るのだぞ!?


「先程から……エインヘリア王は王を名乗りながら王を蔑ろにするのか?王とは、権威とは然様な言葉遊びで貶められる物に非ず!父祖らの願いの果てが今代を担う王である!王とは我等全ての願いの結晶である!全ての貴族、全ての民が仰ぎ見る存在!それこそが王である!」


 そうでなくてはならない。そうであるからこそ、我等貴族は王に仕え国を富ませるのだから。


 その前提が崩れるようなことがあれば……それは、国としての体面を保つことが出来ないという事に他ならない。


「なるほどな。面白い話だった。俺の考えとは相容れぬが……子爵の戴く王と話をする時の参考にさせてもらおう」


 私の興奮を全く意に介さず、この話はここまでと言う様にエインヘリア王は言う。


 ……私自身、何故ここまで心が揺さぶられたのか分からない。いや、心の底に澱のように溜まったこれは不安だ。はっきりとは分からない……だが、私の根幹を揺るがしかねない言葉をこの王は放っている。


 いや!今それはどうでもいい!それよりも、この王は今何と言った?私が戴く王と会話をする……そう言ったのか?


 この状況で友好的な外交を始める等と言うはずがない……それはつまり、明確な侵攻の意志。


「ここはルモリア国内。その土地を不法に占拠し……さらに戦火を広げようとおっしゃるのですか?」


「戦火を広げる?人聞きの悪い事を言う。我らが何時、貴国に刃を向けた?何度も言うが、我等は請われたに過ぎぬ」


「……では、返還交渉をさせて頂ければ」


「子爵。かの村の者等は既に俺の民だ。返す場所は何処にもない」


「……」


 あの程度の規模の村……少なくとも、ルモリア国内では掃いて捨てる程存在する規模の村だ。ルモリア王国としても奪われたところで何の痛痒もない。


 だが、そんな問題ではないのだ。


 今はまだ、ヨーンツ領とアッセン領、そして王都の一部の者しか、国内に他国の軍を名乗る者達が現れたことを知らないが、我が軍が敗れた以上、王国中……更には近隣諸国までこの件は届いてしまうだろう。


 自国領内に突然新たな国が出来た等、国が正常に機能していないと宣伝するようなものだ。


 当然、他国はこの隙にルモリア王国の領土を切り取りにかかるだろう。


 その傷を最小限に抑える為、必ず王はエインヘリア軍の討伐に乗り出すだろう。そして、今回の我々の敗戦を重く見て、恐らく一万は下らない数の兵を送り込んでくる筈。


 しかし……勝てるか?


 私を捕えた将……あの将と伍することの出来る英雄が、ルモリア王国にいるだろうか?


 仮に、策を講じてあの将を封じ込めることに成功したとして……もう一つ、我等の撤退を封じたあの大魔法だ。恐らく、数十人から数百人規模の魔法使いが、儀式を経て放つことが出来るという魔法の類だろうが、あの魔法を受ければ間違いなく王国軍は瓦解するだろう。


 少なくとも、防御魔法で防ぐことの出来る範疇にないと私は感じたのだが……魔法隊の使う防御魔法で防ぐことは出来るのか?戦場経験に乏しい我が身でははっきりとは分からない。だが……私には、あの将の強さもあの炎の壁も、数を揃えればどうにか出来るといった物には到底思えない。


 国軍が敗れるようなことがあれば、確実に周辺国は動く。


 更に国境付近の領を預かる者達は、こぞってルモリアから抜ける筈だ。後詰となるべき国軍が敗れた以上、他国の侵攻を防ぐ術はないのだから。


「それに戦火を拡大すると言ったが……」


 やがて来る未来を想像し、私は顔を青褪めさせていたに違いないと思うが……エインヘリア王はそんな私に構う事無く言葉を続ける。


「我等は降りかかる火の粉を払うだけだ。払われた火の粉がどこを燃やそうと知ったことでは無いよ」


 燃えるのはルモリア王国……そう雄弁と目で語りながらエインヘリア王は肩を竦める。


「鎮火してやることは吝かではないがな。無論その場合、その地がルモリアを名乗ることは二度とないだろうが」


「……」


 ダメだ。


 この軍と戦ってはいけない。


 例え十倍の兵を連れて来ようとも……炎に包まれるのはルモリア王国だ。この軍は……エインヘリアという国は、そのくらい容易くやってのける……そう確信させるだけの凄味をこの王からは感じる。


「ルモリア国王は絶対者なのだろう?ならば、国内に出来た傷をそのままにしておく筈がない……そうだろう?」


「……それは……」


 もう、どちらの主張が正しいとか……そんなことを話す段階ではないのだ。そして、その段階に進めてしまったのは……私だ。


 軍を送るべきではなかったのだ……送るべきは……使者だったのだ。


 この王は人の話に耳を傾けぬ独裁者ではない。


 それは、この場で他国の子爵程度である私と、正面から話を続けているという事からも明らかだ。


 最初の邂逅がいけなかった……その印象で、私達は不法に村を占拠している賊とこの軍の事を考えてしまったのだ。


 彼らは最初から国を名乗っていた……なればこそ、慎重に行動するべきだったのだ。私が暗愚だったが故に……二百五十年続いたルモリア王国は滅びるのだ。



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