第21話 ある騎士の憂鬱
View of ハリス ルモリア王国 ヨーンツ領 私設騎士隊 中隊長
私の名はハリス。ルモリア王国、ヨーンツ領に仕える一兵士です。
平民からは騎士と呼ばれることもあるが、立場的には準騎士で……王都あたりで平民から騎士などと呼ばれると、非常に肩身の狭い思いをすることになります。
因みに中隊長という偉そうな地位にありますが、腕に覚えがあるわけでもなく、指揮能力に優れている訳でもありません。ついでに言うとおべっかやゴマすりが得意と言う訳でもなく、私が中隊長なのは唯々勤続年数の長さによるものです。
個人的には出世には一欠けらも興味もなく、出来れば面倒な事には関わらず平々凡々な生活を送りたいと考えていました。
とりあえず通った王都の騎士学園をそこそこの成績で卒業した後、同期達が血眼になって王国騎士や大貴族の私兵になり出世競争に身を投じる中、私は出来る限り面倒事を避けるためにヨーンツ領で雇われることにした。
ヨーンツ領は大して大きな領でもなく、交通や交易の要所でもなく、他国と面している訳でもなく、治める貴族も新興という訳でも大貴族と言う訳でもない程々の地位……この上なく私に理想的な職場でありました。
そして私は若い頃の理想のまま、面倒事にも巻き込まれず特に起伏の無い順調な人生を歩んできました。
勿論兵である以上、争い事と完全に無縁だったと言う訳ではありません。野盗や魔物の討伐や国境争いの救援等……当然、仕事である以上戦いに身を投じる事に異論はありませんでした。無いに越した事は無いと思いますが……完全に無くなってしまうと我らの存在意義がなくなってしまいますね。
そんな風に生きて来た私の下に、先日ある命令が下された。その命令は、村の近くの森の中にゴブリンの集落が発見されたので討伐せよとの事……。
「はぁ……」
「どうされたのですか?ハリス殿。ため息などつかれて」
今回の作戦の副官に任じられたルンバート殿が声を掛けて来る。
「あぁ、すみません。ルンバート殿。お恥ずかしいところを見せましたね」
「いえ……何か心配事ですか?」
至極真剣な顔をしたルンバート殿が顔色を窺うように尋ねてくる。実に真面目な好青年といった感じですね。
「ルンバ―ト殿は……ゴブリンの事は御存知ですか?」
「ゴブリンですか?あまり詳しくはありませんが……人に害為す魔物とだけ。気を付けなければならないのは……繁殖力が強く、発見次第早急に対処しなければ、群れの数が大変なことになると」
「なるほど……」
ゴブリンについての正確な知識はない……いや、これは当然の事と言えます。ルンバート殿は去年王都の騎士学校を卒業したばかり。実戦的な知識はこれからといった所ですからね。
ですが、非常に優秀な成績で騎士学校を卒業した後、王国騎士に取り立てられており……今は経験を積むと同時に王都以外の事を学ぶ為、ヨーンツ領に出向して来ているわけだから、これも学ばなければならないことの一つではありますね。
ゴブリンの事を話すのは……私としては非常に憂鬱な事ではありますが、仮とは言え、今は彼の上司という立場……これは上手く伝えろという上からの命令ということですね。まぁ、この任務に彼が同行している時点で分かっていたことではありますが……。
「ルンバート殿、これから話すことは基本的に他言無用に」
「……?承知いたしました」
私の言葉に一瞬疑問を抱いたようだが、すぐに受諾するあたり生真面目さが良く表れていますね。
「ついでにもう一つ。これは気持ちの良い話とは言えません……特に貴方の様な方にとっては、納得しがたい事柄かもしれません。ですが、私は先達として貴方にそれを伝えなければならない。そして、貴方はそれを聞いた上で命令に従わなければならない」
「騎士である限り、それは避けて通れない事だと存じております」
曇りのない瞳でそう言い切るルンバート殿を見て、少しだけ憂鬱さが増す。
こんな純粋な若者に、どうしようもない現実を教えなければならないのか……恨みますよ、大隊長。
「……分かりました。では、ゴブリンについてお話ししましょう。まず最初に、ゴブリンは別に繁殖力の強い生物ではありません。我々とほぼ変わらない程度ですよ。十月十日の妊娠期間を経て……生まれてくるのも基本的に一人ですね」
「……そうだったのですか。……一人?一匹でなく?」
敢えてそう表現した所にちゃんと気づきましたか。優秀な生徒というのは教える側にとっても非常に楽しい存在ですね……内容も楽しければ良かったのですが。
「はい。一人です。ゴブリンは……魔物ではありません。エルフやドワーフと言った、所謂妖精族という奴ですね」
「そうだったのですか……」
少しだけ驚いたように目を丸くするルンバート殿。まだ余裕はあるでしょうが……本題はこれからですよ。
「つまり……ゴブリンと言うのは理性無き魔物ではなく、会話が可能な妖精族ということです」
「……なるほど」
「そして、ここからが本題なのですが……」
私の言葉に、ギョッとしたような表情になるルンバート殿。えぇ、気持ちは分かりますよ。ここまでの話でも十分衝撃的な内容ですからね。
民達の間ではゴブリンは狂暴な魔物と認識されています。まぁ、言葉を操るくらいは知られているでしょうが。
「基本的に、ゴブリンは人を襲ったりしません」
「……どういうことですか?」
「そのままの意味です。理由なく人を襲うような蛮性のある存在ではありませんよ、ゴブリン達は。寧ろ非常に文化的な生活を送っています。私は見たことありませんが……とあるゴブリンの集落では農耕をしている場所もあったみたいですね」
「農耕……」
「勿論、ゴブリン達も人それぞれですからね。悪人もいるでしょうし、そういった者が人里を襲う事もありますが……まぁ、野盗の類と同じですね。違うのは……被害にあうのは食料くらいなもので、金品や女子供が攫われたりといった事は殆どないですね。ゴブリン達がもっと多く存在すれば人族を奴隷として連れ帰ったり、金品を奪ったりするのでしょうが……幸いにして村以上の規模のゴブリンの集落は発見されていません」
「……」
そう、ゴブリンにも悪人は当然いる……ですが、裏を返せば普通に暮らしているだけの……善良なゴブリンもいるという事。
私の話が進むにつれて、ルンバート殿の顔色が悪くなっていく。しかし、まだ話をここで終わらせるわけには行きません。
「今回森の奥で見つかったゴブリンの集落ですが……近くの村から何か被害が出ているという報告は受けておりません。これは即ち、我々に見つからぬようにひっそりと暮らしている集落……言わば、ただの小さな村に過ぎないといったところでしょう」
「……それは……つまり……」
ルンバート殿の手綱を握る手が震えている……それは恐怖でも武者震いでもなく……。
「私達がこれから討伐するのは……ただの村人に過ぎません。老若男女問わず、村ごと全て討ち滅ぼさねばならないのです」
「……ば、かな」
私もこれを初めて知った時……いえ、任務が終わった時……泣き崩れましたね。
無抵抗の子供や老人を斬り捨てる……彼らは何も悪い事はしていない、ただ種族が違うと言うだけで殺さねばならない。正直、同族の野盗の討伐や、戦場の方が気楽に剣を振れますよ。
そんなことを考えていると、表情を硬くしたままルンバート殿が絞り出す様に声を出す。
「何故……ゴブリンを討伐する必要が……?本当に会話が出来るのであれば、エルフやドワーフ達同様自治を認めるなり、税を取り民として取り入れるなりしても良いのでは……?」
「……これは、私が昔王都の知り合いに聞いた話で、他の誰にも教えた事のない話ですが……まだルモリア王国が建国されるよりも以前、この辺りにはゴブリン達の大国が存在していたのです」
「……ゴブリン達の……国?」
「何万、何十万とも言われた軍勢を有し、我々の祖先と血で血を洗う戦争を繰り広げたそうです。知っての通り、今ではそんな国は存在していないので祖先の勝利で戦争は終わったのでしょうが……それ以降、人族は徹底的にゴブリンの排斥に乗り出しました。再びゴブリン達が集結して、自分達を脅かすほどの力を着けさせないために」
「そんな理由で……?」
ルンバート殿が驚き、言葉を失くしたような表情になる。
「まぁ、ゴブリンを恐れる気持ちは分からなくも無いですけどね。一説では今の中原の覇者である大帝国……あれよりも広い版図を誇っていたそうですよ、ゴブリンの国は」
「あ、ありえませんよ。それはもはや、戦争でどうにか出来るような国ではありません。どんなに我等の祖先が一丸となったとしても不可能です」
中原の大帝国……この大地のおよそ半分という馬鹿げた版図を持ち、それを維持している最強の国。それすらも超える程の版図を持った国を倒すなど、まぁ現実的にあり得ませんね。いいとこ内側から内部分裂を誘発させ、自滅に追い込むといった所でしょう。
「そうですね、私も不可能だと思います。人はどんな時でも一枚岩にはなれませんしね。とは言えここで重要なのは真実ではなく、ゴブリン達が集結すると、そのような大国を作ることが出来るかもしれないという話です」
「……」
「エルフやドワーフと違い、我々人族という種を脅かす存在になり得るゴブリン……その歴史がある以上、ゴブリン達を討伐する事は、我々人族にとっては正義の行いなのですよ」
「……それは、本当に正義の行いなのでしょうか?」
「正義です。それは疑いようもありません」
私はルンバート殿の目をしっかりと見つつ、きっぱりと言い放つ。何故なら……その大義名分が崩れてしまっては、我々は剣を振るうことが出来なくなります。特に若く真面目なルンバート殿は絶対に……。
「我らの後ろには民がいます。しかもこの件に関しては我等ルモリア王国だけではなく、この大地に住む全ての民がいるのです。私達の意志が……剣が鈍り、ゴブリンを逃がした先に……ゴブリンの英雄が誕生するかもしれない」
「……」
「英雄が生まれた時……それは既に事が成った後という事です。だから、我々は汚泥を被り、手を血に染めようとも……その意志を緩めてはならないのです。我等の守るべき民に血の涙を流させない為に」
「……分かりました」
唇を噛み締めながらルンバート殿は言う……かなり厳しそうですね。まぁ、だからこそ私の副官に着けたのでしょうが……いくら小規模な部隊とは言え、指揮官や副官が直接剣を振ることはありませんしね。
彼の今の状態で前線に立つのは自殺行為でしょう。村人と変わらないとは言え……ゴブリン達も無抵抗と言う訳ではありません。
しかも今回は森の中にある集落です……魔物との戦闘経験豊富なゴブリン達であってもおかしくないでしょう。本来ならばそう言う相手の方がやり易いのですが……迷いがあっては危ないですからね。
「色々威勢のいい事を言いましたが……私の様に長年この件に携わってきたとしても、やはりため息くらいは出てしまうのですよ」
「……それは、仕方のない事かと」
「ルンバート殿は真面目な方ですから、色々と思う所もあるでしょう。深く考えるなとは言いませんが、騎士としての役割と割り切った方が楽だと思いますよ」
「……ありがとうございます」
「もう一度言いますが、ゴブリンの件は他言無用です。重い、の一言では生ぬるい程の罪になるのでお気を付けください」
私の言葉に生唾をごくりと飲み込みながらルンバート殿が頷く。うん、その様子なら大丈夫でしょう。そろそろ脅すのも終わりにしないといけませんね。
「ルンバート殿がこの件に関わったのは上からの指示ですからね……恐らく、相当ルンバート殿は期待されていますよ」
「は、はぁ」
極力軽い感じでルンバート殿に話しかけて行く。
「ルンバート殿ほどの若い方がゴブリン討伐に参加するのは、異例中の異例だと思いますよ。これはあくまで私の予想に過ぎませんが……王都に戻ったら、ルンバート殿は近衛騎士に抜擢されるのではないでしょうか?」
「こ、近衛騎士ですか!?」
「あはは、あくまで私の予想ですがね。ですが、国家レベルの機密事項を、学園を卒業したての若人に明かすのですから……それなりの重職に着けるつもりなのだと思いますよ」
「……私が……近衛騎士……」
先程までとは違った様子で茫然としてしまいましたね。まぁ、無理もありませんが……近衛騎士になるという事は騎士にとって最高の誉れ。王の盾となる近衛騎士は、武力、知力、礼節、忠誠……その全てを国が認めたという事ですからね。
少なくとも出世争いに心血を注いでいる人物がなれるものでは無いですね、近衛騎士だけは。
かく語る私は、近衛騎士とは程遠い存在ですが……近衛騎士の知り合いは三人程居り、どの人物もとても立派な騎士で尊敬すべき友人です。
流石に今のルンバート殿が彼らと肩を並べるには早いと思いますが、数年もすれば任命されてもおかしくないですし……まるっきり嘘という事もないでしょう。
そんな感じで、副官であるルンバート殿と色々な話をしつつ行軍を続け、私達はゴブリンの目撃報告のあった村へと辿り着く。
道中は特に問題も起こらず、順調な行程であったと言えます。一つ前の街で先触れを送っており、彼らは三日ほど前に村に着いている筈……なのですが……。
「我が名はリーンフェリア!覇王フェルズ様に仕える騎士である!」
問題発生の様ですね。
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