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繕光橋 加(ぜんこうばし くわう)

延々と続く葬式作業、焼骨は一秒 須らく消去

 場所は書斎の様でもあり、また職場の様でもある。我々作家であれば、一度は薄暗い部屋に、暖色の卓上燈の灯る、あたかも酒蔵のような書斎部屋に憧れの想いを膨らますものだ。

 しかし、残念ながら部屋は白々しい昼の陽光が差し込む、事務所のような、地方の図書館の勉強室のような、ありふれた場所

 吐き気を催すジプトーン柄の天井


 偏屈屋へんくつやが、だぶつく書類の端辺を、長机の上でトントンとまとめている

【偏屈屋】

 「…いやあ、この言葉は嘘だな。かねてより使い古された言葉、『好きの対義語は、嫌いではなく無関心』は、マザー・テレサの言葉とは認められない。」

俯いて聞いていた言霊が、怯えた顔をして男を見上げる

堀が深く、目元に隈のような影が見える

【好きの対義語は、嫌いではなく無関心】

 「…ちょ、ちょっと待ってくださいよ。私はマザー・テレサとは関係のない言葉なのですか。私の発言主は、彼女ではなかったのですか。」

【偏屈屋】

 「まあ、言葉としての力が素敵なものだということは、分かるよ。否定はしないよ。だが、マザー・テレサの言葉ではない。それだけは確かだ。」

否定はしないと口では言うが、世界で一番つまらないようなものを見る目で言霊ことだまを見る、また書類脇の金属瓶のコーヒーを見る

パイプ椅子に姿勢悪く寄りかかっている

【好きの対義語は、嫌いではなく無関心】

 「そんな、では私はどうすればよいのですか。今まで、彼女の言葉だと思われてきたではないですか。」

困り果てた様子で言霊は訴える

偏屈屋、イライラしだす

【偏屈屋】

 「しつこいぞ。認められないんだから認められない。処遇は後で通知する。そもそも、アンタ自身が最もよく分かっていることなんじゃないのか…?あえて自分を、マザー・テレサの言葉に見立てて、成り代わろうとしている、…そうなんじゃないか。」

偏屈屋、じわじわと体を前に起こす

言霊は聴衆が気の毒になるほどビクついている

【好きの対義語は、嫌いではなく無関心】

 「私は…本当に、本当に分からないのです。もう記録に残っているわけでもない。人間が残していないのです。ただ、需要に導かれるままに、ここにこうして立っているのです。」(懇願するように両手を組み、膝をつく)

 「ああ、どうか、納得する答えを下さい。」

【偏屈屋】

 「知らん。自力で考えろ。」

【好きの対義語は、嫌いではなく無関心】

 「そんな、待ってください。待ってください!あなたは態度で、『出口はそこだ』とでも言うように私をあしらっている。あなたはさぞ、私を好まないのでしょう。マザー・テレサをも好まないのでしょう。何よりあなたは、『マザー・テレサをまつりあげる、社会一般の大衆そのもの』を軽蔑していらっしゃるのです。」(言霊にヒステリックな様子が見え始める)

 「あなたは、嫌いではないのでしょう、もしくは嫌いなのかもしれませんが。だが、私自身の言葉の中に、あなたを測量する力があります。あなたは発言主が誰かに、何の関心もないのです。何の共感をも持っていないのです。『響かないから、』ただそれだけの理由で!どうか、どうか!お慈悲を!」

【偏屈屋】

 「いや、あなたの思い違いです。」(手を広げ、出口へ向かわせようとする)

 「さあ、さあ。あなたのような、出典不明で呼び出された言霊は沢山いるんです。それはもう、ものすごい数が。忙しいのです。はい、ご容赦ください。さよなら。」

【好きの対義語は、嫌いではなく無関心】

 「ああ、そんな。どうか、どうか…待ってくれ!!」

追い出そうとしている矢先、トントンとノック音が響く

一人の黒服が急ぎ足で部屋に入ってくる

文書を偏屈屋に渡し、言霊をそこに置きやり、何やらひそひそと話す

偏屈屋は怪訝そうな顔をして、言霊を見ている

【偏屈屋】

 「たったいま、情報の更新が行われた。どうやらあなたは、エリ・ウィゼルというノーベル文学賞受賞者の言葉らしい。」

言霊は「…ん?」と嘆息を漏らす

一息つくと、かまわず偏屈屋は話を続ける

【偏屈屋】

 「あなたは、私たちの編纂する語録辞典に、こう書かれることになるでしょう。

『好きの対義語は、嫌いではなく無関心』、

『マザー・テレサの言葉だと思われているが、本来の発言主はエリ・ウィゼル。記者会見上で述べたものと思われる。』この脚注付きで、あなたは私たちの辞典に載ります。記載が残ります。

 おお、良かった良かった。ねえ。」

偏屈屋が手を言霊の背中に回し、親しげに叩く。

【好きの対義語は、嫌いではなく無関心】

 「…え?ま、まあ……。ところで、その出典、記者会見上に登場した言葉だという出典は、きちんと残され、参照できるものなのですか?」

【偏屈屋】

 「さあ、さあ。もうお帰り下さい。いいじゃありませんか。発言主が、現実的な形で見つかったんだから。納得もするでしょう。さあ。さあ、次の方、入って下さいー!!」

『好きの対義語は、嫌いではなく無関心』、顎に手を当て、小首をかしげるが、文句は見つからず出ていく

うやうやしく第二の言霊が登場する

第一の言霊の書類に、何やら書き込み、脇へ積み上げた偏屈屋は、第二の言霊に書類提出と着席を促す

【偏屈屋】

 「ああ、君ね。『目には目を、では世界が盲目になるだけだ』。君、ガンディーの言葉として、社会に受け入れられてるらしいじゃないか。」

【目には目を、では世界が盲目になるだけだ】

 「ええ、ま。そういうことに落ち着いております。」

第二の言霊、元気がなさそうに言う

肩をすぼめて、目を伏せ、両手をこすっている

しばらく沈黙が流れる

【偏屈屋】

 「君も、…嘘だな。そんな事実はない。確認できなかった。私たちの辞書からは退場して頂くことになります。と、で。原稿上からは、消されなければいけないみたいねえ。真実にそぐわない、分からない者は、もう消します。」

言霊は元からくすんだ顔をしていたが、更に顔色が悪くなる

思いつめたような顔で偏屈屋にすがる

【目には目を、では世界が盲目になるだけだ】

 「ああ、ああ、お待ちになって下さい。分からないだけでしょう。発言主と発言内容が、一致しているかどうか分からない。否定も肯定もできない場合は、外向けの説得力は同じではありませんか。」

【偏屈屋】

 「そういう時代なんです。発言主の分からぬ言葉に、存在する権利はないんです。知らしめられる権利はないんです。はい、分かって下さい。」

言霊、驚いて立ち上がり、長机に詰め寄る

【目には目を、では世界が盲目になるだけだ】

 「そんな、私はどうなってしまうんですか。私の言葉を欲している人々が、世間にはいるんじゃあないのですか。あなたも小さい頃、見たことがある筈ですよ。白黒の写真の中、私の言葉を背後に記しながら、ガンディーがあなたに微笑みかけているポスターを、フレームを!

 また、今も見渡せば、そこいらに見たことがあるはずです。ガンディーの功績を分からぬ人間が、こぞって私たちを指さし、笑うのです。ガンディーの生きてきた足跡そのものを。苦しみや飢え、葛藤に溢れた、彼の生き様を。あなたは彼らの仲間…いや、それが正しいかは分かりません。私は、私はあなたにそんな酷いことを当て嵌めて、考えてしまってはなりません。ああ、どうかお慈悲を!」(急に、ゆっくりと諭して)

 「…改削作業そうしきを、やめて下さい…」

【偏屈屋】(あっけらかんとした様子で)

 「ハ。いや、私たちも悲しいよ。でも、ね。うん。君は紛い物だ。それを語録辞書に遺し続けるわけにはいかない。前の版からどうすればより良い辞書になるかを、吟味して吟味して、そうやってようやく編むのが、私らの仕事だからさあ。」(わざとらしくため息をつく)

 「私たちを叩く人間、いっぱいいます。読み手があなたの表舞台への登場を望んでいないんですよ。だから、分かってくれ。さ、何も言わず帰ってくれ。後ろに呼び出された言霊が控えている。」

【目には目を、では世界が盲目になるだけだ】(涙声で)

 「…!?いったい、私の発言主は誰なのですか!?私の発言主は誰なのですか!

ああ、答えて下さい!誰でもいい!!


 私の誰なんだ!


 誰だと、いうんだ……」

(よろよろと後ずさる

パイプ椅子に踵がぶつかり、椅子は後ろでそっぽを向く

絶望して膝を落とし、床に両手をつく)

 「もう、もう生きていけない。」

【偏屈屋】

 「名もなき親。知らぬ大衆がどこかで言った戯言。それでいいではありませんか。何が問題なんです。」(少し強めな口調で言葉をつなぐ)

 「それこそ、あなた自身はどうなんです。ガンディーから生み出されたか分からん言葉が、ガンディーの言葉の振りをしていいんですか?どう思っているんですか?」

ほとほと困り果てた様子で、言霊が男を見上げる

【目には目を、では世界が盲目になるだけだ】

 「…分からない。」(ゆっくりと首を横に振る)

 「何も見えない。目を奪われてしまったかのように。あなたにはあなたの親がいる。名前を持つ人間の親がいて、自立するまで育て上げた。しかし、ガンディーは私の本当の親ではなかった。そうですか。では、私は、ただ、親を失ったのです。

 私に生命の息吹を吹き込んだ該当人物が、消えてしまったということなんです。

 …誰が何の為に、私を生み出したのだ…呼び主は誰だ!?

 答えろ!答えろ…答っ…、応えろぉ…! 応えてみ……」

駆け付けた黒服の男たちが、彼を組みしだいて部屋から退場させる

幕の外に「この人でなし!」という言葉が響いている

【偏屈屋】(遮るように)

 「君はもう、死語だ!淘汰されるべき言葉だ!はい、次~!!次の言霊ー!!入ってくれ!」

偏屈屋は床に直置きされた段ボール箱に、第二の言霊の書類を放り投げる

前の審査対象を気にする様子で、後続の言霊が控えめに入ってくる

第三の言霊が偏屈屋に、前の言霊を指さしながら目配せするが、あれはいらない物だと言わんばかりに偏屈屋は手を払う

【偏屈屋】

 「ああ、気にせず。さ、書類頂きますね。

 …ううん、そうね。『板垣死すとも自由は死せず』、さんね。はい、座って。」


舞台はゆっくり消灯して閉幕する

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