初恋をなぞる

杜侍音

初恋をなぞる



『桜が綺麗ですね』


 私は隣の彼に、そう文字をなぞって見せた。


 中学生になってから二度目の春。

 学年160人が五つの新しいクラスへと表向きは無作為(本当は先生たちの意向が入ってることは分かっている)に振り分けられた。

 みんなはこれから一年を共に過ごす仲間や担任に一喜一憂しながらも新生活を楽しもうとしていた。

 ただ私は悲しいことに、数少ない友達とは誰一人として同じクラスになることは叶わず、自分だけもう一度最初から関係作りをしなければならなかった。

 先生に目をつけられるようなことはしていないのに。いつものように運がただただ悪かっただけなんだと思う。

 仲良しグループは既にできていたも同然で、元々内気な性格の私からは到底その輪に新しく入ることはできず、ただ本を読んでいるフリをしていた。


 けれどクラスでただ一人、知っている顔の人がいた。

 それが私の隣に座る彼、尾関おぜきくんだ。

 彼とは、一年次の図書委員会で知り合った、だけ。

 会話を重ねた回数は詩よりも少なく、お互いかろうじて名字を知っているくらい。

 黒髪の、男子としては長く、たまに寝癖が付いている日もあるほど自身の見た目にこだわりはなさそう。いつも眠そうな彼は綺麗な二重だなぁって思っていた、ぐらい。

 そんな印象しかなかったけれども、それでも少し面識があれば心も開きやすい。

 私は小さな声で「これからよろしく」と声をかけてみた。

 ただ結果は反応なし。

 無視されたのかと思って悲しくなったけど、ある話を思い出した。

 それは、軽度の聴覚障害を彼が持っているということ。補聴器を付けてはいるから普段の会話や授業は問題ないみたいだけど、盛り上がっていて騒がしいクラスの中から溜息のように小さい声を聞き分けるのは難しいのだろう。

 だからといって周りに負けないよう大きな声を出せば、注目されて恥ずかしい。

 そこで私は、見えるように彼の机を指で叩いてこちらに注目させ、恋愛小説の一文をなぞって見せた。

 窓の外に咲き誇る桜を見て、私は最初にこれを選んだ。ここは校舎の二階だから窓一面がピンク色だ。





『そうだな』


 私の行動に驚いたようだけど、彼もまた学校指定の鞄から本を取り出し、時間はかかりながらも同じように返してくれた。

 32人クラス、5列×6人の余り物の私たちは、これをキッカケにやり取りが始まった。




『昨日は何してたの?』


『ゲーム』


『どんなの?』


『魔法で』『無双』


『ねむい』『?』


『果てしなく』


 この学校では、毎朝20分の朝読時間が設けられている。家から、あるいは図書室で借りた小説を持ち寄って黙って読まなければならなかった。

 ただ二年目ともなれば、机に突っ伏して寝ていたり、本だけ開いて今日までの宿題を急いで終わらせていたり、近くの友達と喋ったり(その時は巡回に来た先生に怒られがち)で、真面目に取り組んでいる生徒は少ない。

 私たちだってそうだ。読んでいるように見えて、順番通りにページを捲らない。去年は模範生かのように読んでいたというのに。

 何度も読んだこの恋愛小説は大体なんとなくどこに何が書いてあるか覚えている。

 彼もまたそうだろう。巻は違えど同じ小説タイトルのシリーズを持ってきている。ジャンルは異世界転生してきた主人公が織りなす魔法ファンタジーみたい。

 私には触れたことがないジャンルの小説だけども、彼が好んで読むのならば、一度読んでみたいな。



『それほしい!』



『譲れない!』


 あ、文脈的に私がその本を寄越せと言っているみたいになってしまった。

 ちなみに図書室には貸し出されていなかった。

 本のタイトルを見せてもらったけども、あまりにも長くて、何となく断念してしまった。




『めっちゃねむい……』


『今日は』  『火焔剣バーニングソード


『何それ』



 小説の言葉のみで交わす特性上、制限が多く、上手い具合に会話が成立することはあまりない。きっと、火の入った言葉から『温かい』とでも言いたかったのだろう。

 突拍子もない言葉には、思わず声に出して笑ってしまいそうになる日もある。

 でも先生に怒られちゃうから。みんなから注目されちゃうから。声はそっと奥に仕舞い込んだ。



『髪切った?』

『ふふーん! 似合ってるでしょ!』

『うん、すごく似合ってるよ』



 一ヶ月も経とうとすれば、私たちだけの音のない会話はテンポよく行き交うようになり、長文も少しずつ使えるようになっていった。

 この時間のために使える言葉をストックしようと、家に帰っては寝る間も惜しんで何度も何度も同じ小説を読み尽くす。

 私の鞄の中には今小説が3冊。その代わりのように、今日は理科の教科書を家に忘れてしまった。

 授業時間に気付いた私があたふたしていると、何も言わずに彼がスッと教科書を見せてくれた。

 軽く先生に注意されたのち、私は机を彼のものと引っ付けた。

 私たちが直接喋ることはない。けど、時々肩と肩が当たると、なぜか心臓が飛び跳ねたようになる。

 散髪した彼の横顔。意外と精悍とした顔つきなんだなって考えてたら、まだ書き写していない黒板の文字を消された。

 授業に集中していなかったことを、隣の彼にもみんなにもバレたくないからジッと息を潜めた。




『貴様に言いたいことがある』

『何』


 それは金曜日の朝読時間だった。

 偉そうな文章選びの割に、少し迷ったような顔をした彼はページを最後の方まで捲り、彼はある一文を指でなぞった。


『好きだ』



 ……え?


 そこで朝読が終わった。

 声を押し殺したまま思わず立ち上がってしまい、やってきた教師に心配され、彼以外のクラスメイトに笑われてしまった。

 身体が熱い。きっとこれは恥ずかしいだけじゃない。

 私たちが想いを交わすのは、この時間だけ。

 授業中はもちろん、休み時間も放課後も、彼と意思を伝え合うことは他になかった。

 それなのに、私のどこを好きになったのだろう。もしくは、制限がある中でそう伝えざるを得なかっただけで本当は別のことを言いたかったんじゃ……いや、でもたった三文字のこの言葉に他の意味なんてないよね。

 ずっとずっと私は私を否定し続けていたら、いつのまにか放課後になっていた。

 明日から休みだからか、テンション高めのみんなが部活だったり塾だったりと教室から出て行くというのに、いまだ立てずにいた。

 すると、彼は綺麗に切り取ったノートの一ページを、そっと私に渡した。


『返事はいつでも待ってるから』


 震えた字で書かれた文章。

 顔が赤く染まっていたのを夕日のせいにするのはまだ早い。

 私の心は穏やかじゃないまま週末を迎えた。


 初めてだった。

 告白されると、こんな気持ちになるなんて。

 知らなかった。

 私が彼に抱いていた感情の名前を。


 でも、きっと、私はとうに気付いていたんだと思う。


 じゃあ、どうしたらいいんだろう。

 こういう時は、読んでいる恋愛小説に解答例がいくつもあるはず。

 ヒロインのような素直な想いで答えるべきなのか、優柔不断な幼馴染みたいにちょっと返事を待ってもらえばいいのか、うーん、このキャラクターはちょっとキザに決めているから違うかな。それとも──


 けど、その言葉どれもが私に当てはまらないような気がした。

 私はこの小説の中のキャラクターじゃないから。

 私と彼のことは、私たちだけにしか分からない。

 じゃあ、返事は直接思ったことをそのまま伝えればいいのかな。

 けれど私には声を振り絞れる勇気がない。声が裏返って変なとこで恥かきそうだ。

 それなら彼と同じように手紙を書いて渡そうかな。

 でも、目の前で読まれるのもそれはそれで恥ずかしい……‼︎


 と、一ページを眺めながら、ベッドでゴロゴロと考えをグルグル巡らせているうちにすぐに月曜日はやってくる。自分の世界に閉じこもっていると、時間が流れるのはとても速い。

 浮ついたまま登校すると、さっそく席替えをすることとなっていた。

 全然知らなかった。けど、金曜のホームルームで先生から伝えられていたみたい。もうその時には考え事をしていたから気付かなかった。

 そしてクジを引いた結果……私はやっぱり運が悪い。

 彼は一番右前の入口近い席に、私は後方真ん中の全体が見渡せる席になった。

 もう彼と会話する機会がなくなってしまった。





 ……あ。


 尾関くん。


 放課後、教室の掃除当番だった私はゴミ箱に溜まったものを捨てに行き帰ってきたところだった。

 班の他の子達は、私を待たずして既に帰ったみたい。

 練習中の吹奏楽部の演奏や運動部の掛け声がここまで聴こえてきて、案外騒がしい。


 彼は何かを言おうと口を開いて、やめて。

 折れた短いチョークで後ろの黒板に何かを書き出した。


『 ごめん 』


 始まりは謝罪の言葉だった。


『 あの時からずっと不安で、

        じっとしていられなかった


  席替えは知らなかった

  もう話す機会がないかもしれないと思って

     待ち伏せみたいなことをしてしまった


     ごめん               』


 私は首を横に振った。

 彼もまた、私と同じことを考えて、同じことに悩み、時間を過ごしていたようだ。


『 だから、改めて言わせてほしい

     あの日、君が声をかけてくれた時

     僕は嬉しかった

     今までのやり取りも全部楽しかった 』


 彼の書く手が止まると、白い粉が涙のように落ちた。

 そして彼の覚悟を決めた横顔に、私はしっかりと最後まで見届けた。



『 小坂さんのことが好きです。

          僕と付き合ってくれませんか 』



 これが彼の言葉。

 真っ直ぐこちらを見つめる彼の頬は、あの日の桜のように染まっていた。


 私の気持ちは、うん、分かってる。

 もう、あの日々のような秘密の会話はできない。次は制限も何もない、自由に好きにお話をしよう。


 片割れのチョーク。

 最後に、いつものように、私はこの初恋をなぞる。




『 小坂さんのことが好き────です。

          僕と付き合ってくれませんか 』


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