君と俺の嘘塗れ。
神無桂花
君と俺の嘘塗れ。
嘘を一回吐くと百回嘘を吐かなきゃいけなくなる。なんてお説教を子どもの時に受けたことがある。最初に吐いた嘘をバレないように、嘘をまた吐かなきゃいけなくなるからと。だから嘘を吐いちゃいけないと。
それこそ、大人の嘘。とは言い切れないけど。世の中、嘘で塗り固められてる。高校生にもなれば、それくらい見えてくる。嘘は吐かないに越したことはないけど、必要な時があると理解できる。
「おはよ、春樹君」
「あぁ、おはよ。葵」
なんて言ったって、俺は今、現在進行形で、世間の皆様方に大きな嘘を吐いてる真っ最中なんだから。
「今日は来れたんだ」
「うん。収録無いからさ」
「そっか」
そして彼女は手帳にサラサラと何か書き込んで、机に置いてくる。
『だから一緒に帰ろ』
そう書いてある。
見上げると楽し気に笑っている。眩しい笑顔。テレビで見る余所行きではない。年相応の純真さを感じる。彼女の明るい人柄がよく現れている。
今話題の高校生タレント秋月葵。俺の彼女だ。
こんなこと、大っぴらに言えるわけがない。誰にも。いや、隠す必要はないかもしれないけど、公表する義務も無い。どちらも選べるとすれば警戒することを選ぶだろう。美少女タレントに男の影があるというだけで、暴れるファンもいないとは言えないんだ。彼女が今後も、高校卒業してからも芸能界でやっていくと言うのなら、今の高校生という名の特別性がある期間を大事にした方が良い筈なんだ。
しかしながら、一緒に帰るのか……気づかれないように俺は小さくため息を吐く。
「いや?」
「嫌ではない」
「ふふ、楽しみだね」
「……そーだな」
そして葵は友人の方に行く。誰もがよく知る、テレビの向こうで浮かべている静かな微笑み。いつカメラを向けられても、彼女は良い絵になるだろう。画面の向こうの人の視線を奪い、今はクラス中の視線を奪う。
葵のことは、こうして関わることになる前から知っていた。教室での姿は非常にレアでも、テレビで見ることがよくあったから。
それでいて彼女は成績もそれなり。決してトップではないけど。
「春樹が教えてくれるから」
と言うが。彼女自身のやる気がちゃんとなければ、取れない点数だ。
彼女の輝きの一端を自分が担っていると思うと、思わずほくそ笑む自分がいる。
「なーにニヤついてるの?」
小声でそう声をかけてくる彼女に。
「別に」
とだけ答える。大っぴらに仲良くするわけにはいかない。俺と彼女は教室では、偶々席が隣なだけの二人なんだ。
放課後、彼女は俺を文芸部の部室に連れ込み、自分の化粧道具を取り出した。鞄から自分のを取り出そうとした俺を手で制して。
「……自分でできるぞ。」
「良いから。私の楽しみなんだから。試したい奴買ってきたし」
彼女はそう言って笑う。
「春樹君、きれいだもん」
「……うん、ありがと」
彼女の手で、俺は仮面を被る。
彼女の用意した女子の制服、セーラー服に袖を通し、彼女が用意した、長い黒髪のカツラを被り。
「出来上がり―」
姿見に移る俺の姿は、自分の姿であるとわからなくなるくらい、女子だった。秋月葵というタレントと並んでも遜色ないと言える。そんな姿。所作を気を付ければ誰も俺を男とは思わない。現に、一度もバレたことが無い。何回か映画館のガールズデーで割引してもらっている。バレたら捕まるねと笑い合った。
「はぁ、帰ろっか」
「うん!」
夏の空が夕焼けに染まるにはまだ早い時間。
俺達は外では仲の良い女友達。
手を繋いでも腕を組んでも、抱き着いても、喫茶店で一つのグラスにストロー二本差していても、何のスキャンダルにもならない。高校生タレントなんて肩書を持っていても、学校では仲の良い友達がいる普通の女子高生だという微笑ましいエピソードでしかない。
この時ばかりは、俺の顔が中性的で良かった、声が男子にしては高めで良かった、なんて思っている。いや、彼女と付き合い始めてから、初めて自分の容姿が役に立ったと思っている。
仮面を被らなければ表舞台に立てない。そんなの当然じゃないか。だからこれだって、普通なんだ。
ただ、ふとした時に思う。俺は本当に、好かれているのだろうか。
俺に女の子というメッキを貼り付ける時間、彼女の楽し気な様子を思い出す。
「どしたの?」
「なんでもない」
寄り道しながら向かった先は彼女の家。マンションの高層階から見える景色は、現実感が無い。眼下に広がる景色、建物一つ一つに誰かの日常がある。そう考えてもうまく想像できなかった。
「おいでよ。電話でしか会えなくて寂しかったんだから」
「うん」
いつもなら一回着替えさせてくれるけど、葵は女の子としての俺のままを求めて来た。わからなくなる。彼女は、どっちなんだろうかと。
女みたいな顔しやがってとからかわれた小学生時代。それから教室の隅に座って目立たないように過ごしてきた中学生時代。そんな調子のまま高校に上がって、俺は彼女に出会った。彼女は俺を俺のまま認めた。
今でも思い出せる。夕暮れの教室。作り物めいた彼女の姿から目が離せない。手が伸びてきて、頬を挟んで、目を見開いた彼女が覗き込んできて。澄んだ瞳に俺が映っている。
「きれいな顔だね」彼女はそう言って鼻先がくっつきそうなくらい近づいてきて。親に返せるなら返したかったけど。彼女は「好きだな。ずっと見ていたいくらい」なんて言って唇が重なる。
それから彼女は「私の傍にいてよ。誰よりも近くで、君を見せて」と。そして今の関係になった。
「そろそろ帰るよ」
「うん」
マンションを出る時も気を付けなければいけない。俺は一人。女の子の仮面を被ったまま外に出る。彼女のファンの夢を壊さないため。俺は嘘の上から嘘を塗る。塗り固める。
だから。こんな場面も。
「君、秋月葵の部屋から出て来たよね」
上手く、切り抜けなければならないんだ。
マンションを出てすぐのところ、俺は男に声をかけられた。
落ち着いて、俺は呼吸を無理矢理整えて、身長に声を出す。
「どちら様ですか?」
「見ればわかるよ、君、男でしょ。どういう関係?」
「誰ですか、何なんですか、急に」
記者なのか、それともファンなのか。
俺のこの恰好を見て男と見抜く。下手な誤魔化しは通用しないのだけはわかる。わからない。何なんだ、こいつ。
近づいてくる。伸びてくる手。
怖い。仮面が通用しない。俺を包んで守ってくれていたものが剥がされて晒されて。じくじくと刺すような痛みが心臓に直接突き刺さってくる。
浅くなっていく呼吸。どうにかしなきゃ。守らなきゃ。
俺が彼女と一緒にいることを許されるための。俺は男として隣にいられない。俺が彼女と一緒にいられるのは女の子として。そうでないと周りは誰も許さない。
いやだ。
誤魔化さなきゃ。
伸びてくる手を、払わなきゃ。彼女のために俺の嘘はバレてはいけない。俺を綺麗と認めてくれた。初めて認めてくれた、彼女と、一緒に、いるために。
「触るなっ!」
振りぬいた手はパシッと音を鳴らして男の手を払った。
「何なんですか、暴行ですか。警察呼びますよ」
男は早口でまくし立てる。
「話聞かせてもらうだけですよ。何が駄目なんですか?」
畳み掛けるように。男は、俺に、嘘の鎧を脱げと責め立てる。
ふざけるな。
一歩、また一歩。男は俺から葵を奪おうと、近づいてくる。
「春樹に、触るなー!」
その時だった。
突き刺すような声と共に男の横っ面が歪んで、そのまま吹っ飛び道路に転がったのは。
葵だった。葵が、木刀片手に肩で息しながら立っていた。
「春樹に、触るな」
「葵、だめだよ。葵。逃げなきゃ」
「なんで」
「だめだよ、こんなの。木刀、渡して、今からなら、俺がやったことにできるから」
「無理だよ。ここ、防犯カメラに映ってるし」
「あ、あ」
「それに、ほら」
サイレンを鳴らして近づいてくる白と黒を基調にした二台の車。誰かが呼んだのだろうか。警官が四人降りてくる。
「あはは」
彼女は笑う。純真さを感じさせる声で。
「あははははっ」
事件は次の日の朝には全国に知れ渡ることになった。
今話題の女子高生タレントが自宅マンションの目の前で男を木刀で殴ったのだ。広まるなという方が無理な話だ。
葵を擁護する声と、暴力に訴えたことを非難する声で世間は真っ二つ。
幸いだったのは警察が俺の性別をしっかり内密のことにしてくれたことで、俺の秘密は葵、それと葵のマネージャーさんしか知らない。マネージャさんには、話すしかなかった。別れろとか、そういう話にならなかったのは、温情だろうか。それとももう葵は売り出すことはできないという諦めだろうか。
葵はあのひと振りに。男が今後、まともな日常生活を送れなくなるほどのダメージを繰り出したあのひと振りに、これからの自分の人生を乗せてしまったんだ。
どうして。
どうして。
「私だけの秘密、守りたかったんだ」
退学になった葵は俺の問いにそう答えた。
「俺との関係?」
「それだけじゃないんだ」
空を見上げる葵の横顔。思わず目を奪われる。真っ直ぐにどこまでも遠くを眺める瞳に、釘付けになる。
「最初は、きれいだなーって思った。でも、君のことをより本気になったのはさ、君が必死に女の子になろうとする。女の子を演じようとする姿が、よかったんだ」
俯いて、自嘲するように笑って。
「一粒で二度おいしい的な? 私には無い可愛さとかきれいさがあった。本物に近付こうと手を伸ばす。それが私には輝いて見えたんだ。ふとした時、男の子だなぁと思わされるけどさ。まぁ、そんな感じ。変だよね、私。だから言えなかった……別れるって言って良いよ。おかしいもん、多分、私」
「……葵」
「ん?」
葵は笑顔を見せる。けれど、瞳の奥に揺れているのは、不安だろうか。
いつも堂々としていて。テレビの向こうでも臆せず共演者と言葉を交わすそんな彼女が、不安げに俺の答えを待っている。俺一人を真っ直ぐに見つめている。
「俺は……」
俺は。
「君が好きだ」
そんな君が、好きだ。
「好きだから、一緒にいたいから。嘘を吐き続けた。これからも、吐き続ける。いまさら、やめたりしないよ」
百回でも、二百回でも。千回でも。塗り重ねる。嘘と本物の区別が吐かなくなるくらいに。
だからこれからも、俺を、見続けてよ。
君と俺の嘘塗れ。 神無桂花 @kanna1017
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