縞を遺す

北緒りお

縞を遺す

「ここに蒔(ま)いときゃ、そのうち出てくるんじゃないかと思ってさ」

 小振りなスイカを雑に割ってはかじり、なくなると次のを割って次々と食べていた。

 まだ暑くなるのには早く、スイカだってまだ季節ではない。桜だってやっと散ったようなもので、梅雨にだって入っておらず、このおっさん一人だけがスイカで夏っぽくしているが、初夏ですらない。

 春と梅雨の間ぐらいにも関わらず、海に来るまで歩いただけで陽に当たっている首筋やマスクで隠れてないおでことかが熱を持っているような感じがした。


 昨日までは季節相応に上着を着ていても少し寒いような天気だったが、一転して夏日になり、海には散歩する人や子供に水遊びをさせている親子の姿があった。

 駅から海まで少し離れているが道すがらにあるコンビニでビールやつまみなんかを調達していた。海に続く道は日射しを遮る物がなく、まっすぐに届く熱線のような陽射しをまっすぐ受け、そのまぶしさに力一杯目を細めてしかめっ面みたいな表情で歩いてきた。

 海に続く一本道はアスファルトが太陽で暖められ、ただでさえ暑いのがさらに気温が上がっているように感じた。海が近くなってきたぐらいからアスファルトの上に砂が目立ち始める。堤防をくぐると海だ。

 海へと抜ける堤防の通路は、近づいていくにつれて見えてくる海がだんだんと広がり、通路の中は太陽が遮られぐっと涼しくなり海からの風が通り抜け、海にたどり着いたという開放感と探していた日陰の心地よさとが一緒になり、なにやら日常と非日常の境目にいるような気持ちだった。

 浜に出た。

 空は高く、そして青く、砂浜は日射しが強く照らし、海はどこまでも続き、同じ青なのに空との境界線がまっすぐ見えた。遠くに見える半島の山々も透き通ったような青い空の下にはっきりとした輪郭を見せ、波も穏やかでまるで海がガラスで作った造形物のように感じた。

 太陽は相変わらず顔に強い日射しを投げ続けるが、道を歩いているときとは違い、海からの風で冷やされて心地よい刺激となっていた。

 浜を歩くと、砂浜の堤防側になにやら木材が整然と積み上げられていた。海の家を建てるための土台になるのか、すでに何本か杭は打ち込まれていて、上物を待つ土台は頭だけを出して砂の中に埋まっていた。その一つに腰をかけ、雑にカバンの中に放り込んでいた缶ビールを取り出した。

 コンビニで買ったときは缶の表面に水滴がつくぐらいに冷えていたのだが、ここまでの間ですっかりと暖まってしまい開ける前から想像していたのどごしはなくなっているんだろうと思った。

 ひとまず飲んでしまおうと一口流し込んだところで声をかけられた。

「今だけだよな、気持ちよく呑めるの」

 何のことだかわからず、想像以上に苦さしか感じないビールを口に含みながら声のする方を見た。

 短髪で日に焼け、ラフな格好をしたおっさんがいた。ビーチサンダルにオリーブ色のハーフパンツ、それに熱帯植物がモチーフになっているのか赤と緑のコントラストが強いシャツを着ていた。妙に人なつっこい笑顔だが、軽く日に焼けている頭皮に白いアクセントが点々とあり、年の差が大きくあるのかと感じた。声のトーンが柔らかいからか少し強面に見えてもそうは感じさせなかった。

「ここに海の家を毎年だしてるんだけどさ、住宅地が近いもんだから毎年規制ができて、とうとう海での飲酒ができなくなっちゃったなー」と言ったところで、声のトーンを変え「あンちゃん、念のためここら辺の人じゃないよな」と聞かれた。

 静かにうなづくとおっさんは「それでな、海の家の中だけは呑めるってルールになっちまって、こうやって浜の上で呑めるのは海開きするまででな」と続けた。

 軽く相づちをうちながら、けれども全面的に聞いているように見えないよう顔はおっさんの方に傾け新鮮は海の方に向けていた。

「このあたりで飲食やってる奴らと呑んでて、さっきまで一緒でな、みやげにもらったもんがあるんだけど食う?」と、小学生の頭ぐらいの大きさのスイカを丸のまま渡された。

「二日酔いにいいぞ。俺はまだ酔ってるままだけどな」

 つかつかとこっちに歩いてきて渡されてので、そのまま受け取ってしまった。

「包丁とかないから、適当に割るといいよ」と言うが、小振りとはいえ丸ごとのスイカをそのまま食べるという経験はなく、どうしたものかと持て余していると「こうやりゃ割れんぞ」とおっさんが持っているスイカを杭の角に軽くたたきつけた。卵を割るのに茶碗の縁で叩くような要領で遣るといいという。腰掛けていた杭から立ち上がり、その角でスイカを叩く。

 スイカの縞と交わるように真横にヒビが走る。そのヒビを広げるように両手で持ち、むいたみかんを半分にするような感じでスイカを半分にしようとした。ヒビがちょっと深くなったかと思うと一気に裂けた。スイカの汁は派手に飛び散り、スーツやワイシャツに小さな赤い点をいくつも付けた。

 おっさんの方があわて「大丈夫か?」と聞いてくる。

 小さく「大したことないです」と返事をすると、おっさんは「大したことはあるだろ。せっかくのスーツがシミになっちゃうじゃんか。そっちの蛇口に水が来ているから、とりあえずそれで洗えるところだけ洗っちゃえよ」と、堤防側の杭の後ろにでている水道を指さした。

 「俺の店が使う予定のだから気にすんな」といいながら水道の方に行くと、おもむろに蛇口を開いた。 もうスーツどころか、なにもかもがどうでもよくなっていた。おっさんがせっかく出してくれた水に無反応で眺めていた。

「いまさらだけど、あンちゃん仕事中か?」

 ほぼ朝一番で海でビールをあおってる人間に投げかける質問じゃないだろうと思ったが、静かに首を振って答えた。

「仕事も、もういいんです」

 会社から支給されているスマホには、もう数え切れないぐらいの着信が来ている。チャットにいたっては上司だけでなく、同僚からもあれこれ来ている。出社する乗り換えで会社とは逆方向の電車に乗ったときからサイレントモードにしてあり、どれだけ通知や着信があったところでカバンの中で音も立てずに静かにしていてくれる。

 おっさんは少しだけ神妙そうに眉を動かしたが、きゅうに声のトーンを軽くし「そいつはいいや、そりゃ呑むに限るな」と笑っていた。

 深入りしてきたり重く受け取られたりしたら面倒だったが、この反応で助かった。

 今の会社は三年目だが、つくづく意味のない仕事がいやになった。

 毎日出勤する時間は絶対に守らせるのに、退勤する時間は無制限に遅くなる。終電が当たり前で帰れない日すらあるというのにだ。

 そんな会社がやってる事業がプログラムで業務を軽減させるサービスと言うのだから笑えてくる。自分たちの仕事すら楽にできないのに、よその仕事を楽にできるはずがない。

 仕事を取ってくる営業、それをシステムとしてコーディネートするSE、実装する開発。中小企業らしくそのどれもをやるが、どれもが中途半端だ。

 営業活動と言っても、客に安請け合いして発注だけ受ける。なにをやるか掘り下げができてないのにスケジュールだけを決め、そこから当て推量でコーディネートし、とりあえず動いていればいいという安普請で実装する。そんな仕事を繰り返していると、まるで自分が詐欺に荷担しているような気持ちになっていた。

 事実、そもそものクライアントの業務を自動化しきれず、一部は担当SEが手作業で無理矢理動かしたりという仕事もあった。

 そんな作業に時間をとられ、土曜も日曜も出社する羽目になり、月曜日になる。土日出勤ですら定時を守らせる狂気とも思えるルールをまともに守り、休日なのにも関わらず夕食すらまともに食べられないような時間に退勤する。

 今朝、ネクタイを結ぶ手が重く、体が遠くにあるような感じがした。そして、逆方向の電車に乗った。

 ただ、海に来たのだった。

 来てビールを呑もうとしたまではいいが、口にしたところで味がない。酔いもせず、暖まった飲み物を流し込んでいるような気持ちだった。

 半分になったスイカをさらに半分にしてかじり付いた。

 小さいとはいえ、赤いところは少しは甘く、時期が早いから種は黒いのと白いのがあった。

 「種あんだろ、そこら辺に蒔いときな」

 おっさんはスイカを食べては自分の海の家ができるであろう所に種を取ばしていた。

「出るかわかんないけど、芽が出たらおもしろいじゃん」

 言われるがままに口の中にある種を飛ばす。

 強い日射しが砂浜をまっすぐに照らしているからか、まぶしすぎて真っ白に色が抜かれているようになっている。そこに種が黒い点を着けていく。

 空白を作りたかった。毎日は会社に追いかけられるだけで終わり、自分のことをやるだけでほんの少しの自由時間は消えてしまう。必要最小限のことしかできず、考えたりする事なんかはできようがない。会社につなぎ止められるために今日をやり過ごし、明日につなげていっているようなものだ。

 そこまで拘束されてやっていることといえば、誰かが適当に持ち込んだ作業をそれっぽく形にし、さも何かを作っているかのような虚像を見せているだけだ。

「すいか、あまり甘くないだろ?」

 おっさんがこっちを見ながら言う。もらったもんを悪く言うのも気が引け、いままで以上に曖昧な返事をしたが、言われるとおりに甘くない。

「海の家も季節もんだし、飲食も客が来てやっとなりたつし、あンちゃんみたいな堅実な仕事がうらやましい」

 突然言われて何のことだかわからず、おっさんの方を見る。

「海の家なんて、来年も同じように出せるかわなんないじゃん」

 おっさんは独り言を言うように話し続けた。

「水商売って呼び方はそのとおりで、川を流れる水みたいに店や客が変わっていくしな」

 おっさんは眠くなったのか伸びをしながら話し続ける。

「気楽そうに見えても、考えなきゃいけないこともあるしなー。まあ、気楽だけどなー」

と、半ば冗談めかして言い方をしてこっちを見た。

「だからよ、店は消えるかもしれないけど、ここに種を蒔いて運良く芽が出りゃスイカは残るだろ?」

 おっさんはさっき飛ばした種の方に目をやる。

「まあ、出ないと思うけどな」

と言うと、日に当たってると酔いが醒めねーなといいながら、立ち上がった。

 スイカのお礼を言おうと立ち上がると「スーツ暑いだろ? 海だから脱いじゃいな」といいながら、笑って堤防の通路の方に歩いていった。

 一人になり、改めて自分の格好を見る。

 通勤用のカバンは缶ビールを乱暴につっこんだせいで形が崩れ、スーツには目立たないにしてもスイカの汁が飛び散り、ワイシャツははっきりとその跡が目立っていた。革靴は砂埃なのか白くくもり、埃がついていないところの黒い光沢との差がはっきり出ていた。

 とりあえず、ジャケットと靴を脱ぐ。

 裸足になり砂の上にゆっくり降ろす。足の裏が熱い。

 手にしたジャケットと靴を放り投げる。

 海を眺めながら、すっかり暖まりまずくなったビールを一気に飲み干した。

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縞を遺す 北緒りお @kitaorio

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