月に咲く

星るるめ

1話完結 ショートストーリー

 私の好きな人は、いつだって純粋に生きているだけのとても優しい人だ。なのにどうしてこんなにもまわりの人間を悩ませてしまうのだろう。



 時刻は21時ちょっと前。私は秋さんに会いに行く。会わなければならない。

 

 昨日聞いたばかりの連絡先に電話してみると、この近くのバーにいるらしく、私は急いでそこへ向かった。


店に入りきょろきょろとあたりを見回していたら、


 「七瀬さん!こっちこっち」


と呼ばれてカウンター席へ。


 「急にびっくりした。どうしたの?」


 「あっいや。なんでもないんですけど、なんか秋さんとゆっくり話をしてみたくなりまして。」


 会って早々どストレートに、音楽辞めるんですか?それは一体なんでですか?なんて聞けるわけもなく、とりあえずの言葉を見繕ってみたけど我ながらかなりぎこちない。


 「それは嬉しいけど、ほんと急だね。何か俺に急いで話したいことでも?」


 なんの準備もなく勢いで乗り込んできたので、何をどう話せばいいのか言葉に詰まる。


 「話したいこと…というか昨日少し話をした時に秋さんが私と同じような悩みを抱えてるのかなって勝手に思って。それでもっと話を聞いてみたいなと。」


 「同じ悩み?昨日なんかそんな深い話したっけ俺。」

 秋さんは不思議そうな顔で私をみた。


 「自分はこの世界に向いてないかも、みたいなこと言ってませんでしたっけ。」


 「あぁ、そういやしたかもそんな話。同じ悩みってことは七瀬さんも今の仕事向いてないと思うの?」


 ようやく自然な流れで会話が進み出した気がして、とりあえずほっと一安心する。


 「思います。まぁ私は何も花開いてないから仕方ないけど、曲も売れてて才能のある秋さんがどうしてそんなこと思うのかなって気になって。」


 「俺だって別に才能なんかないよ。」


 さっきまでよりかなり低いトーンでつぶやいた声に、この人が抱える何かが少しだけ見えた気がした。


 「いやいや!秋さんの曲、最近街中でもかなり聴きますよ。"君と夜"、なんかすごい流行ったし!知らない若者いないと思います。」


 「…そうかもね。俺の方があいつより曲も売れてるし、世の中の知名度だってある。でもあいつにはなぜか勝った気がしない。売れることなんて興味ないみたいにいつも好きな歌を好きなように作って歌ってさ。」


 あいつ、が誰なのかはすぐわかった。秋さんとの共通の友人は1人しかいないからだ。やっぱり原因は彼なのか。そうであって欲しくなかったけれど、それが真実で。だけど、そこを突き詰めたって仕方がないので話を逸らす。


 「そうですね。その…秋さんはどんなふうに曲作ってるんですか?」


 「曲?昔は湧き上がるままに作ってた。その時の感情で。衝動的に。だから歌で言いたいことが言えたし楽しかった。でも今は違う。」


 秋さんは寂しそうにそう言った後、今度は少し強めの口調で続けた。


 「誰だって売れたいし有名になりたい。それが普通だろ?いつまでも昔と同じように純粋な気持ちでなんか作れるわけない。」


 「そう、なんですかね…」


 思いがけず重たい空気となってしまい、私は次に何を言えばいいのかわからなくなってしまった。自分が何気なく聞いたくせにどうしよう、とかなり焦ったけれど、しばらくの沈黙は避けられなかった。


 気まずい雰囲気の中で、何か絞り出せる言葉を探していたら、秋さんが静かに口を開いた。


 「気付いたらさ。自分の作りたい曲より万人受けする曲を作るようになってた。そのうちに、これが作りたい曲なのかどうなのか、どんな曲が作りたいのか、もうよくわからなくなってきたんだ。変わっていってしまう人達を否定してきたくせに、結局俺も同じだった。そんな自分に死ぬほどがっかりしてて。」


 秋さんの吐き出した思いに触れた瞬間、懐かしさのような、妙な感情が込み上げた。そしてそれがなぜなのかすぐにわかった。この人は以前の私と同じ、あの呪縛に絡まっているんだ。


 「やっぱり私達似てます。私も少し前までは同じような考え方だったんです。雰囲気が変わった俳優さんとか、曲の感じが昔とすっかり変わったミュージシャンとかに、あぁ売れて変わっちゃったのね、みたいなこと思って勝手にがっかりして。それで大好きだったのに、一切興味持たなくなったり。」


 変わりたくない、変わって欲しくない、ずっとあの頃のままで。そんな呪縛に私も長いこと苦しめられてきた。一番身近でやっかいな呪いだ。


 「でも今は、そういうのはちょっと違うんじゃないかなって思ってます。」


 「それはなんで?」


 「誰でも歳を重ねると人生の経験値は上がるし、置かれてる状況だって変わりますよね。いろいろわかってきて、見えるようにもなって、逆に視野が狭まって見えなくなってしまう部分ももちろんあるけど。そういうの全部含めて自分自身が前の自分とはもう全然違うんだから、それでいて昔と同じでいようなんて不可能なんじゃないのかなって。」


 「うん。」


 「人ってなんでだか変化を嫌がるけど、変わらないことだけが美しいとは限らないと思うんですよ。まぁブレてばかりの自分が言うと完全に言い訳と負け惜しみなんですけど。変わらないだけがすごいわけじゃないんだぞってことを私は世の中に強く言いたいです!」


 「…七瀬さんって深いね。」


 自分の投げた熱量のわりにあっさりとした秋さんの返答に、熱くなっていた自分からハッと我に返る。


 「すみません。なんかわけわからんこと急に語ってしまいました。」


 「いや、そんなことないよ。俺リアクションとか薄いタイプでごめんね。どうぞ続けて。」


 こちらは完全にシラフなので、死ぬ程恥ずかしさが込み上げたが無理やり押し殺す。


 「えぇっとつまり、なんというか…、この歳になってようやくほんの少しだけわかってきたことなんですけど、歳を重ねるごとに見えてくるものが違う。それに人生に対するテーマも不変じゃない。日々変わっていくものだから。だからそれは拒絶するべきものじゃないんだよなと。」


 「つまり?」


 「秋さんもあれこれ悩まずに、昔と違う今の自分をそのまま受け入れてあげて良いのでは?ということです。」


 「ごめん、七瀬さんっていくつ?」


 「26です。」


 「まじか。3つも下じゃん。」


 「本当すいません偉そうに。なにわかったようなこと言ってんだって話ですね。」


 「そんなことない。俺よりよっぽどしっかりしてる。そういう考え方もありかもね。どれだけ変わっても俺であることは間違いないし?」


 「そうですよ。私はこの先もきっと悩み続けるでしょうけど、秋さんは今のままで何の問題もなしです!」


 「ありがとう。」


 と秋さんは優しく笑った。


 「いえ、そんな。」


 伝えたいことは伝えられたはず。上手くいった!これでもう大丈夫。

 

 …なんて、そんな簡単なことなわけがない。


 「けど、七瀬さんってさ。あいつのことが本当に好きなんだね。」


 「えっ?」


 「そんなに知らない俺のことにそこまで必死になってくれたのはきっとあいつのためだよね?俺が悩んでたらあいつが傷つくから?」


 そう言われた瞬間、心の奥に隠していた、もうずっと前から正常ではない部分を引っ張り出されたような気がして急に気持ち悪くなった。考えてみれば、どうしてここに来たのか自分でもよくわからないって時点ですでに普通じゃない。


 「…そうですね。そうなのかもしれません。自分でもよくわからないんです。彼の悲しい顔をとにかくもう見たくなくて。なんかできることないかなって思って。気付いたらなんの準備もないままここに来ていて。おかしいですよね。すみません。」


 「責めてるとかじゃないんだ。さっきの言葉はきっと本心だと思うし。だからちゃんと心にも響いた。理由はどうであっても純粋に嬉しかった。」


 秋さんは初めてしっかりと柔らかい笑顔を見せてくれた。


 「でも、申し訳ないけど俺はもう音楽はやらないよ。あいつと昔みたいな関係に戻ることもたぶんない。」


 そう言うと急に立ち上がり、テーブルに置いてあった自身の携帯と財布を掴んだ。


 「どうしてですか!?」


 「こんなふうに誰かを衝動的に動かしてしまうところも含めて、近くにいると羨ましくて気が狂いそうになるから。ごめん、次ちょっと予定あってそろそろ俺出るね。」


 そう言いながら秋さんは足早に去ろうとする。


 「でも嫌いなわけじゃないんですよね?」

 

 引き止めようと焦って尋ねたが、


 「もちろん。長いこと一緒に過ごしてきたけど、すごくいいやつだもん。今日はいろいろありがとう。」


 そう言うと、とうとう席を後にしてしまった。

 

 これ以上引き止めたところで、もう私にできることはなにもない。お会計を済ませて今にも外へ出て行こうとしている後ろ姿に


 「こちらこそありがとうございました!」


 とだけ慌てて言うのが精一杯だった。



 圧倒的な才能の前では人は二択だ。惚れ込むか、嫉妬するか。たまたま私が前者で秋さんが後者だったってだけ。ただそれだけのことなのだ。だから私は時々この世界が、世の中が嫌いだって思う。


 「秋がさ、音楽やめるって言うんだ。でも理由聞いても何も話してくれなくて。あんないい歌作るのに勿体ないよ。」


 そう言った彼の寂しそうな切なそうな顔が何度も頭に浮かんだ。



 私の好きな人は、いつだって純粋に生きているだけの優しい人だ。綺麗な目をしていて、澄んだ声で歌う。なのにどうしてこんなにも周りの人間を悩ませてしまうのだろう。そしてそのことで彼自身が苦しまなければならないのは何故だろう。

 

 そんなこと、私が考えてたって仕方のないことだ。結局何もできないし、時間の無駄だってわかってた。それでもここへ来たのは彼のためじゃなく、自分のためな気がする。彼の悲しむ姿を私が見たくなかったから。私の恋は自己満足で成り立っているようなものだ。こんな風に、のめり込むほどに自分の愚かさがどんどん見えてきてすごく惨めになる。それでもどうにもならないんだから、結構な恋だと自分でも思う。



 残りのジンジャーエールを一気に飲み干して店を出ると、外には生ぬるくて少し強めの夜風が吹いていた。空は薄曇りで星はなく、ぼんやりと月の影だけが見えた。


「雲がなければ綺麗な満月だったのに。」


 地球から見る月はとても綺麗で、雲に隠れている時でさえどこか儚げな魅力がある。だけど近くで見たら、そうでもないんだろうな。彼についても同じかもしれない。そうだとしても私は彼に恋をしていたい。でこぼことして殺風景な月の上にだって、愚かな恋の花を咲かせたい。もはや自己満足でいいんだ。


 気付けば私の足は、また違うどこかへと足早に歩き出していた。まともでない私は、今度は一体何ために、どこへと向かうつもりなのだろう。


 急ぎ足の合間でふと空を見上げると、雲の隙間から月が少しだけ顔を出していた。その美しい光に冷たく照らされている間だけは、狂った私の姿も少しマシに見えたら、と心の奥で小さく願った。

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月に咲く 星るるめ @meru0369ymyr

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