電車の中の同僚は
ABC
新入社員
スマホの中は誰にも見られたくない。たとえ家族であっても、同じ部類に入るような親友でも、スマホの中だけは見られてはいけない。決して見せることができない。
ユキは、揺れる電車の中、座りながらそんなことを思考していた。
(スマホには、私の個人情報がたくさん入っているのだから・・・・・・。)
ユキは電車のなかで、決してスマホの画面を開かなかった。
たとえ、それがいつも乗っている電車であっても。
ユキは電車の中でスマホを開くことだけには億劫になってしまう。
入っているのは友達や同僚との食事の写真や重要書類、自分の個人情報・・・・・・。
電車の中でスマホを開けない理由にはこんなのがある。
電車は扉が閉まった瞬間に、一定の時間だけ公共的な密室空間になる。
それと、ユキの背が低いが故に、誰でもユキのスマホの画面を覗くことが出来てしまうのだ。背が低いのはユキのコンプレックスだ。
だから、同じ車両に乗っている全員に、自分の情報が筒向けであるように思えてしまうのだ。
長いこと乗っている電車の中で、何をしているのかと言えば、会社帰りの自分と同じように、帰って行く太陽を眺めたり、好きな読書をしたり、完全に眠ってしまわない程度に目をつぶったりして、時間を過ごしていた。
最近ユキは、同じ頃に入った同僚の男の人が、同じ車両に乗っていることに気がついた。
ユキはいつも同じ車両に乗る。だから、その男の人は最初からは同じ車両に乗っていなかったから、きっと乗る時間を変えたか、車両を変えたのだろうと思った。
その男の人とは、同じ頃に入ったということもあり、「同僚として宜しくお願いします」と、会話をかわした人ではあったが、会社では挨拶をかわす程度だった。
そもそも、ユキは対人関係をうまく構築することがそんなに出来なかった。
社会人になりたてで、周りに頼ることの出来る人が、少しでもいる方が良いのかもしれないが、なにせ色々怖い。
(きっと、いや絶対。それは私の過去の経験が作用している・・・・・・。)
思わず思い出しそうになった過去に、ユキは再度慌てて蓋をした。
仕事終わり、疲弊していたユキは、電車が到着すると、すぐさま電車に乗り、席の端を陣取った。
そして、ギュッと鞄を抱きしめると、すぐさま目をつぶった。
(今日は色々なことがあったな・・・・・・。覚えることもたくさんで、しかも叱られてしまったな・・・・・・。)
目をつぶることによって、少しの間だけでも、その現実から離れられるような気がした。
(叱られてしまったことは別に良い。ただ私はちゃんとやった。それ故の結果なら仕方ない・・・・・・と思うことにした。)
発車までの時間、そんなことを考えていた。
そして、発車時刻になり、扉が閉まろうとした瞬間、誰かが勢いよく走ってきて、うちの車両に乗った。
私の崩れかけて来ている前髪が、その風で揺れた。
その人は、私の向かいに座ったようだった。
息が切れている。
(そうとう走ったのだろうか?
絶対にこの電車に乗らないといけなかったのかな。)
(今にも眠りに落ちてしまいそうだった私の前髪を揺らしたのは誰なんだー。)
眠りに落ちずにすんだので、ユキはその顔を一目見てやろうと思って、おそるおそる片目を開けた。
(あっ。)
それは同僚の男の人である、岩木さんだった。
眼鏡をとって、顔をおしゃれなハンカチで拭いていた。
(全力ダッシュしたのかな。)
岩木はユキが自分をちらっと見ていることには気がついていなかった。
ユキはまた目をつぶると、そのまま電車に揺られていた。
ユキが住んでいるのは、結構な田舎だった。だから、自分が降りる際には、いつも人はあまり残っていなかった。
駅から自宅までの道は、大人になった今でも本当に怖かった。
ガタンッと突然鳴った音に、ユキは驚き、両目を開けた。
足下にスマホが落ちていた。
(これは・・・・・・)
前をちらっと見ると、そこには同じように鞄を抱えて眠る岩木さんがいた。その右手はいかにも先ほどまでスマホを握っていた形をしていた。
(岩木さんのスマホか・・・・・・落としたことに気がついていないってことは本当に寝ているのかな?)
周りを見渡すと、乗っている人はちらほらとしかいなかった。その人たちはこちらを向いていた。きっと私と同じように、岩木さんのスマホが落ちた音に驚いたのだろう。
1人の男の老人は「迷惑だ」と言いたげに険しい顔をしていた。そしてその顔は「早く拾え」と私に言っているような気もした。
(私が座っている席と向かいの席には、私と岩木さんだけ・・・・・・。私が拾うしか無いのね・・・・・・)
体勢を整え、鞄を横に置くと、ユキは裏向きになったスマホに手を伸ばして拾った。
(画面、割れてないのかな)
ユキは余計なお世話で、スマホを裏返した。
「っ!?」
その瞬間、息が止まったと思った。おそるおそる指を動かして、隠れていた顔を見た。
(これ、私・・・・・・? なん、で? どういう、こと、なの・・・・・・?)
そこに映っていたのは、電車の中、端の席で鞄を抱えながら目をつぶる私だった。
「!!」
(今日の服と、同じ、だ・・・・・・)
それは正真正銘「今日の私」の写真だった。
「小林さん」
「っ!!」
スマホに釘付けになっていたユキは、その声にハッとした。
「い、わき、さん」
前を見ると、いつ起きたのか、岩木さんがまっすぐ私を見ていた。
「ありがとうございます」
「え?」
「スマホ」
「あ、あぁ」
岩木さんが私の手元にある自分のスマホを指さす。
私の返事はとてつもなくぎこちなかった。
「すみません。僕、いつの間にか寝てて、落としてしまったみたいで。拾ってくださったんですよね?」
「は、はい」
「あ、降りる駅だ。小林さん、ありがとうございました。外は真っ暗なので、帰り、気をつけてくださいね。じゃあまた明日。」
「あ、」
そう言うのと同時に、開いた扉から岩木さんは電車を降りた。
「・・・・・・」
ユキは数秒間、硬直していた。
そして、席に力なく座った。
(あ、あれは・・・・・・何、何だったの・・・・・・? どうして、私の写真が・・・・・・?)
「!!」
(もしかして、私が寝ている間に撮っ・・・・・・て?)
降りる駅まで、自宅までの帰り道、その夜も、ユキは電車の中で見た岩木の待ち受けに映っていた、まぎれもない自分のことしか考えられなかった。
もっている岩木の番号に、メールを書いて「あれは何だったのか」と聞こうと一瞬思いついたが、あんなに自分が嫌だった、勝手に人のスマホを見ることを行なって、それを白状したら、問い詰められるような気がして、ユキは怖くなった。
(そう、私が悪い。勝手に見た私が悪いんだ。あれは、あれは私じゃない、あれは幻覚だ・・・・・・)
ユキはその夜、眠ることが出来なかった。
次の日の朝。
ユキは現実から逃げたかった。だけど、会社を休むわけにはいかなかった。
ユキは怯えながら、会社に向かった。
ユキはできるだけ誰とも顔を合わせないようにした。そうじゃないと、真っ青な顔をしていることを皆に気がつかれてしまうと思ったから。
「岩木さんに会わないように」
ユキはそう心の中で必死に祈っていた。
「小林さん」
だが、それは叶わなかった。
掛けられた声に、ユキはゆっくり振り返った。
「は、い・・・・・・岩木さん、なんでしょうか・・・・・・?」
「これ、小林さんに渡しておいてって。資料です」
「あ、あぁ、ありがとう、ございます」
「どうされました? 顔色が悪いようですが」
ユキは無礼だと知っていたが、ほとんど下を向きながら話していた。
「大丈夫ですか?」
岩木の顔がユキをのぞき込む。
「本当に……大丈夫ですので」
そう言うのがやっとだった。
ユキは今にも全身震えだしそうだった。
「じゃあ、またあとで」
(それは電車で、という意味だろうか)
ユキは心を落ち着かせるために、岩木に渡された資料を見た。
数枚をめくって、ユキの手は止まった。
そこには、
「いつも、そばにいます」
と書かれた付箋が貼ってあった。
ユキは恐怖から顔を上げられなかった。
だから、背後で、岩木がニヤッとしたのにユキが気がつくことはなかった。
電車の中の同僚は ABC @mikadukirui
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