推しからの告白を断った結果、改造されることになりました

@cactas

第1話

 放課後の教室。


 そこでは一人の少女が一世一代の大勝負に臨んでいた。


「あなたのことが好き」


 抑揚のない声音、けれども確固たる意志と『熱』を感じさせる告白をした少女の名は櫻井千鶴さくらいちづる


 現在、人気急上昇中のアイドルグループ『クールキャット』のセンターを務め、グループ名その通りの寡黙さと整った容貌、そして曲を歌う時だけ見せる彼女の圧倒的な熱量は観客たちの魂を揺さぶるとまで言わせしめていた。


「最近、仕事も忙しくなってきたから、こうしてあなたと話す機会も減ると思う。もしかしたら、会うことも難しくなるかもしれない。だから、その前にこの気持ちを伝えたい。私のあなたへの気持ち。でないと一生後悔すると思うから」


 普段口数の少ない彼女が、溢れ出る気持ちを抑えられず、矢継ぎ早に、捲し立てるように言葉を並べるその光景を彼女を知る者がいれば、さぞ驚くことだろう。なにせ、話している当人でさえ、なぜ自分がこんなに喋っているのか、理解できていなかった。


 そして、告白された少年ーー舞沢一心まいさわいっしんもまた彼女が見せた新たな一面に。


(うおおおおぉぉぉぉっ! 話を振られても基本的に一言しか返さないからバラエティ泣かせに定評のあるあの櫻井千鶴がめちゃくちゃ喋ってるっ! めっちゃレアじゃん!)


 心の中で絶叫していた。


 舞沢一心にとって、櫻井千鶴は所謂『推し』であった。厳密にはユニットそのものを推しているわけだが、誰が一番良いかと聞かれれば、櫻井千鶴と答える。彼もまた櫻井千鶴の歌に魂を揺さぶられた人間の一人だった。


 そんな『推し』との出会いは半年前。まだデビュー曲を出して間もない頃。


 櫻井千鶴が転入してきたのがきっかけだった。


 口数が少なく、コミュニケーションを取るのを苦手としている千鶴は、転入当初こそその容姿から持て囃されたものの、すぐに孤立することになった。


 『推しは見て、声で応援するもの』、『推しのプライベートにはノータッチ』、『推しの負担になるな』を信条とする一心だったが、悩みに悩んだ末、自分の信条を捻じ曲げ、千鶴に話しかけ、以降仕事の関係で定期的に学校を休む千鶴をサポートする役に収まることになった。


 下心が微塵もない、といえば嘘になる。困っている人間を無視できないというのが大部分を占めていたが、あるいは推しに覚えてもらえるかもしれない。というファンなら誰しも抱いてしまう欲望はほんの少しだけあった。


 そしてその欲望は成就した。したのだがーー。


「一緒にご飯を食べたり、映画を見に行ったり、勉強したり、そういう恋人らしいことはあまりできないかもしれない。正直、あなたにものすごく負担をかけてしまうかもしれない。だから、これは私の我儘」


 成功しすぎた。しすぎてしまっていた。


 人付き合いの苦手な自分にできた初めての異性の友人であり、ユニットメンバー以外で唯一頼ることのできる存在。


 千鶴の信頼は一心が考えている以上に大きかった。そして重かった。


 言葉を一度区切ると、千鶴は深呼吸をする。明らかに緊張しているのが、一心の目にもわかった。


 一心の記憶にある限りで言えば、鋼のメンタルと称される千鶴が緊張していたのは、初めてデビュー曲を生披露した時と転入してきた時の自己紹介の時のみ。


 それほどまでに千鶴は緊張していた。


「好き。結婚を前提……いえ、同じ墓に入ることを前提に私と付き合って」


「……ごめんなさい」


 人の弱った心につけいって、恋人になろうなど言語道断。それが『推し』相手なら殺されたって文句は言えない。飛び跳ねるほどの嬉しさの反面、一心は罪悪感に苛まれていた。


 あくまでも自分は櫻井千鶴の学生生活をサポートする一生徒であり、アイドルの櫻井千鶴を応援する一ファンである。


 そう強く自分に言い聞かせ、一心は千鶴からの告白を断った。


「……なんで?」


 直後、空気が軋むような錯覚に襲われた。


「他に好きな人がいるから? 私のことが嫌いだから? 私が根暗だから? 私がアイドルだから? 背が大きくて可愛くないから? いつも困らせてばかりで迷惑だから? 歌が上手いだけでそれ以外なんの取り柄もないグズだから?」


 黒い瞳に仄暗い光を宿し、千鶴は一心に詰め寄る。少し動けば、鼻と鼻が触れそうなほどの距離。感じたことのない威圧感に一心は思わず息を呑んだ。


 それこそ、良い匂いがしただとか、やっぱり顔が綺麗だとか、胸が当たってるだとか、余計な雑念が一瞬で消し飛んでしまうほどに。


「教えて。全部治すから。全部治して、あなたの好きな女の子になるから」


「ち、違っ、櫻井さんは悪くないよっ」


「じゃあ、どうして?」 


「それ、は……俺には分不相応っていうか、櫻井さんに釣り合わないっていうか……」


 誰が悪いわけでもない。強いて言うなら、巡り合わせが悪かった。それだけのことだった。


「それは、誰が、決めたの?」


「誰っていうか、多分、一般的にはそう思われると思い、ます」


 そう答えると、千鶴は目を伏せて、数歩後ろに下がる。


(これで良いんだ。櫻井さんはこれから多くの人に感動を届ける。俺みたいなその辺にいるモブは輝き続ける彼女たちを応援するだけだ)


「そう。のね。そうすれば、問題ないのね」


「まぁ、多分だけど」


「わかったわ。少し時間を貰えるかしら」



 ◇



 千鶴の告白から一週間が経過した。


 千鶴の仕事のスケジュールの都合から、あの日以降、一心と千鶴は顔を合わせていない。


 一週間学校に来れないほど、スケジュールが詰まっているというのはファンとしては嬉しいことだ。テレビでの露出機会も目に見えて増えているため、出演した音楽番組を見るたび、テレビの前で小踊りしたくなるほど喜んでいた。


 これまでは。


 正直なところ、あの告白の日から、一心は櫻井千鶴、ひいてはクールキャットに関する情報が出るたび、期待と同時に一抹の不安を覚えていた。


 千鶴が呟いた『釣り合いが取れればいい』という言葉がずっと引っかかっていた。


 あの時は曖昧な返事で濁したが、千鶴が釣り合いを取るためにどんな手段を取ってくるか、想定していなかった。釣り合いを取るために千鶴には、最も簡単な手段があるということを。


 推しに告白されて冷静じゃなかった、と言ってしまえばそれまでだが、それにしても軽率だったと一心は後悔した。


「おはよう。舞沢くん」


(もしも、櫻井さんのアイドル活動に支障をきたすような事があったら、最低でもファン引退。最悪死んで詫びる……のはダメだな。それじゃ、櫻井さんの負担になる。頭丸めて出家しよう)


「舞沢くん? ねぇ、聞いてる?」


(卒業してからの方が良いか? でも、櫻井さん推しの人生を台無しにしておいて、自分だけちゃんと学生生活を過ごすのもな。かといって、中退するにしても、超個人的な理由だし。心が広いうちの両親でもさすがにいいよとは言ってくれないだろうし)


「舞沢くん。舞沢一心くん。……ダメね。全然気づいてくれない」


(待てよ。俺のことはさておき、そもそも俺のせいでアイドルをやめたとしたら、責任は取らないといけないよな。そうなったら俺はーーー)


「わっ」


「っ!?!?!?」


 意識の外。それでいて耳元で聞こえた推しの声に一心は吹っ飛びそうなぐらい勢いよく立ち上がる。


「やっと気づいてくれた。私が呼んでも気づいてくれないなんて。珍しいわ」


「ご、ごめん。ちょっと考え事してて、その、無視してたとかそういうんじゃないんだ」


「わかってる。この間の告白のことでしょう?」


「っ。……うん」


「嬉しいわ。そこまで真剣に悩んでくれるなんて」


 一心としては、推しのことなのだから、悩んで当然だ。


 しかし、千鶴としては漠然とした不安があった。異性を好きになったのも、告白をしたのも初めてだが、告白を断わられた後の人間関係がどうなるのか、想像に難くない。


 避けられることも想定していたが、避けるどころか、一心は自分と同じくらい真剣に悩んでくれていた。


 その事実に、震えそうなほど千鶴は喜んでいた。


 最も、互いに悩んでいた方向性に違いはあるが。


「この一週間、ずっと考えていたの。どうすれば釣り合いが取れるのか。どうすれば私と舞沢くんが一緒にいてもいいのか。どうすれば舞沢くんが喜んでくれるのか」


 腰の辺りまで伸びた黒い髪を指で弄びながら、千鶴は言う。


 千鶴もまたこの一週間、仕事の合間にずっと考えていた。どうすれば告白を受け入れてくれるのかを。


「最初はアイドルをやめてしまおうと思ったけど、それだと舞沢くんに辛い思いをさせてしまうでしょう? それは嫌だわ」


(はぁ……良かった。アイドル続けてくれるんだぁ)


 それを聞いて、ひとまず最悪の事態は回避できたのだと一心はホッと胸を撫で下ろした。


「次に考えたのは、舞沢くんを同じ事務所でデビューさせることだったのだけど、それもやめにしたわ。売れてしまったら、尚更一緒にいれなくなるし、舞沢くんに言いよる女が出てくるもの。そんなの、許せないわ」


「それは……うん。やめておいて正解だったと思うよ」


 一心は別の意味で肝が冷えた。


 自分に芸能人として活躍できる才覚がないことぐらいは理解している。なまじできたとしても十把一絡げ。大成することはまずない。


 肝が冷えたのは、一心が売れることも、他の女が言いよることも、一切疑いを持ってない千鶴の謎の自信だった。


「他にも色々考えて。考えて。考えて。どうしてもいい答えが出なかったの」


 一時の感情で流されるほど、千鶴の理性はやわではなかった。一心にとって、それが功を奏し、千鶴にとって、裏目に出た。


「だから、相談したの。ユニットのメンバーに」


「あ、ははは、相談、しちゃったんだ……しかも、ユニットのメンバー……」


「困った時は人に頼ってって。舞沢くんに教えてもらったから」


(それはそうなんだけど、できれば家族とかにして欲しかったなぁ……)


「そうしたら、とても良い案が出たわ」


 千鶴は持っていた鞄の中から分厚い紙の束を取り出し、一心の机の上に置く。


 そして、一番上の紙に大きく書かれている文字を見て、一心は固まった。


「……櫻井さん。なにこれ」


「舞沢くん改造計画」


「……ごめん。なんて?」


「舞沢くん改造計画」


「いや、聞こえてなかったわけじゃなくて……その、意味がわからないっていうか。改造されるの、俺?」


「舞沢くん自身がする、と言う方が正しい。私が、いえ、私たちは舞沢くんに人間になってもらうための方法を教えるだけ」


「教えるだけって……」


 一心は思わず息を呑む。


 なにかのレポートか、マニュアルと言われた方が納得できるほどの量の紙の束。


 現時点で内容はわからないが、その『教えるだけ』の内容が、一朝一夕でどうにかなるものではないというのはすぐに理解した。


「目を通してみて、無理そうなら言って。時間はかかるかもしれないけど、また別の方法を考えるから」


 無理強いをするつもりはない。期間としてはほんの一週間程度、それも仕事の隙間時間やレッスンの休憩時間で考えたものだから、また考え直せばいい。


 千鶴としては、それぐらいの認識だった。


 だがしかし。


「……櫻井さん。今の時点で別の案って特にないんだよね?」


「? そうね。だからーー」


「じゃあ、やります。やらせていただきます」


 即答する一心。これには千鶴も思わず目を丸くする。


 アイドルをしているから、自分が一番良くわかっている。こういうものは見てから、するかどうか決めるものだ。もちろん、その前に決まってしまっているときもあるものの、それでも資料に目を通すことぐらいはする。


 見ずに断る、というのならわかる。自分でも見るのが億劫になりそうなほどの量があるとわかっている。だから、見ずに受けられるというのは全くの想定外だった。


「……いいの? まだ目も通してないのに」


「櫻井さんたちが貴重な時間を使って、考えてくれたものを無駄にするわけにはいかないよ」


「っ。ダメよ。そんなこと言われたら……期待してしまうわ」


「応えられるかわからないけど、やれるだけやってみるよ」


 どうしたら告白を受け入れてもらえるか。


 そのために考えた計画。あるいは作戦。


 それを二つ返事で了承されたとなれば、それはもう告白を受け入れてくれたのと同義ではないか。


 千鶴は今、かつてないほどの多幸感に包まれていた。


 そして、一心はというと。


(これ以上、俺なんかのために櫻井さんやクールキャットの時間を無駄にするわけにはいかない。それに比べて俺にはいくらでも時間がある。内容にはまだ目を通してないし、この資料の作成に『ストイックが服を着て歩いてる』って言われてるメンバーの夏川さんがいるのが気になるけど、推しが引退するよりはずっとマシだ)


 今の返事が実質告白を了承していることなど露程も気づいていなかった。


 かくして、櫻井千鶴推しによる舞沢一心ファン改造計画が始動することとなった。


 のちに彼は語る。


『やってよかったし、悔いはないけど、二度とやりたくない』と。

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